不思議な話 その234 南極大陸のミステリー(2)

前回の続き、南極大陸についてです。ピラミッド型の建造物は、エジプトを始め、南米のペルー、インドネシア、など世界各地で、発見されています。探査機の映像からですが、火星や月にもピラミッド型の建造物があるのではないかと言われています。地球上の最も古い建造物が南極にあるかもしれないというのです。世界中に存在するピラミッドは、その目的が分かっていません。レアな意見ですが、ピラミッドが発電装置であり、先端から電気エネルギーを無線で転送していたのではないかというのです。(まるでニコラ・テスラが考えた電気の転送方法に似ていますが・・・)

『古代の宇宙人』#101では、高度な技術を持った古代の宇宙人が、ピラミッドをエネルギーの動力源として、世界中のピラミッド同士で電気を転送してエネルギーを融通して使うことができたのではないか、という奇想天外な説があります。もし、そのようなことが出来るのなら、南極大陸にピラミッドがあってもおかしくないというのです。ピラミッドの型のデザインは、どこから生まれたのでしょうか?その起源は南極大陸にあるのでしょうか?

人工の建造物が1200万年前の氷の下に埋まっているということがあるのでしょうか?南極が氷に覆われていたのは、科学者たちが考えるほど昔ではないと言う人がいます。氷のない南極大陸の詳細な地図があるそうです。

2012年ロシアのシベリアで、血液や体毛が凍結されたマンモスが、そのままの姿で氷の中から発見されました。その姿は突然動きを止められたような姿だったそうです。氷の中で発見された10数頭のマンモスは、口の中にまだ食べ物が入っている者や、胃の中に温暖な気候で育つ食べ物が入っていました。マンモスがいた時期は温暖と、寒冷な気候が繰り返されていたのでしょうか?

1958年ハーバード大学の科学者チャールズ・ハップグッド博士は、『地球の移動する地殻』という本を発表しました。その本の中で、博士は地球の表層部を覆う地球の地殻の一部にかつて、急激な変動が起きたのではないかと考えました。この地殻移動理論は12000年前に南極がもう少し温暖な地域にあったのではないかといっています。彼の説によると、かつて北極は、アメリカのニューヨークのハドソン川の位置にあったとも言っています。それが、現在の北極の位置に移動したという説なのです。南極でもそれが、地殻の移動と同じように厚い氷に囲まれました。博士は、1万2000年前に、そのような大きな地殻変動があったと主張しています。地殻の複数に塊ができて、南極大陸は、短い時間で今の位置に移動しました。ハップ・グッド博士によると、南極大陸は今の位置に、数ヶ月という大変短い期間に移動したというのです。

そのような地殻変動に襲われれば、すごく短期間のうちに氷に包まれる可能性があるというのです。それは現代でも、条件がそろえば、起こり得るかもしれません。この博士の説は主流ではありませんでした。けれども、同年代の有名な物理学者アルベルト・アインシュタイン博士は、この説に感銘を受け、ハップ・グッドのこの本の序文を書いています。1960年に自分の説の裏付けをするために、ハップ・グッド博士はアメリカ議会図書館を調べました。彼は、1531年に発行された不思議な地図を発見しました。フランスの数学者で地図学者のオロンティウス・フィネウス(オロンス・フィネ)が作成したその地図には、氷のない南極大陸の地図が描かれていました。極点はもちろん、南極圏という文字まで書かれていました。氷のない海岸線は極めて正確で、海岸付近にある山や川、離れた島の位置まで一致していました。ただ、面積は、他の大陸の割合に比べると、南極大陸が4倍の面積になっています。これについて、アメリカのキーン大学の教授が詳細な検証を行った結果地図は、複数の古地図をもとに描かれたと、教授は推測していて、計算のミスで面積が4倍になったのだろうと言っています。(文明の時代の古代で、古地図の描かれた時代に南極の氷がなかったことなどあるのでしょうか?)南極大陸の発見は1800年代なので、氷の下の正確な地形は、航空写真や人工衛星などの空から見えるものがないと、分かりませんね。1500年からしたらその約300年後に発見された大陸が、その発見の300年以上前に描かれていたなどということは、ありえません。

気候学者は南極大陸がこのように氷のない状態であったのは、少なくとも現在から6000年以上前だろうと言っています。オロンス・フィネは何千年も前の地図を、手にいれたのでしょうか?

さらに不思議なことには、1960年代のアメリカ空軍の地図制作者にハップ・グッド博士がこの地図を見せると、数百年前に作られたのに、この地図には高度な三角法が使われており、驚くほど正確だと感想を述べられました。16世紀に作られた地図なのに、現在の技術で測定されて、上空130キロ以上の高度でないと、この地図は作成できないと言っています。

続きは次回にします。
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不思議な話 その232 南極大陸のミステリー(1)

暑中お見舞い申し上げます。九州地方では大雨で、心配ですが、局所的な集中豪雨で気象が例年にない異常気象のような気がします。
7月の半ばですが、東京は空梅雨(からつゆ)で大変暑いです。今日のテーマは、想像すると少し涼しくなるところ、極寒の南極の話です。

また、『古代の宇宙人』#101話からの話ですが、「南極大陸のピラミッド」からのまとめで感想を書きますね。南極大陸は約3000万年前から氷床におおわれてきたというのが定説ですが、本当にそうなのでしょうか?

発見される前、西ヨーロッパでは、南方にある大陸の伝説が存在して、昔から探検家がそこに行こうと試みていました。古代ギリシャの学者プトレマイオスが、BC150年頃に描いた地図には、「未知の南の大陸としてのっていたとかいなかったとか、その地図は現存していません。その後南の海で氷の陸地を見たのは、ポリネシア人だそうです。クック諸島のラロトンガ島に伝わる伝承に西暦換算だと紀元後650年頃、カヌーで南太平洋を航海中に暴風雨に巻き込まれ、氷の浮かぶ海に着いたという話があるそうです。

15世紀の大航海時代に入ると、アメリカ大陸が発見され、未知の領域だった南半球への航海が活発に行われるようになりました。1520年にフェルディナンド・マゼランが発見したマゼラン海峡の南側の陸地は、ティラ・デル・フェゴ(現在のフェゴ島)と呼ばれ、南の大陸と勘違いされていましたが、ドレーク船長によってこれは、ただの島であることがわかりました。

16世紀になると、各国の航海者が持ち帰った情報をもとに地図を作り、ゲラルドゥス・メルカトル(メルカトル図法考案者)の1569年に出版された地図には、「テラ・オーストラリス・ノンドゥム・コグニタ」と名づけられた南の大陸が描かれています。この地図は日本の「世界地図屏風」などにも取り入れられました。

フランスのジャン・パティスト・プーヴェド・ロジェはブーベ島を発見し、南極付近の卓上氷山の存在を発見しました。ジェームズ・クックは1773年に人類としてはじめて南極圏に入っったのに、当時は巨大大陸の存在を否定していました。彼は南極大陸を発見することができませんでした。

その後南方への探検は続き、最初の発見者は、確定されていないようですが、ロシア海軍のべリングスハウゼンだという人もいれば、イギリス海軍のエドワード・ブランスフィールド、アメリカ人アザラシ漁師のナサニエル・パーマーのうちの誰かだろうと言われています。同時期に発見されたのかもしれません。1831年に北極磁気極が確定すると、南極磁気極にも関心が持たれて、探検隊が組織されました。イギリス人のジェームズ・クラーク・ロスは、南磁極まで発見できなかったものの、いろいろなところを発見しました。

1897年には、ベルギー人のアドリアン・ド・ジェルラシによって多国籍の探検隊を組織して、南極圏で越冬しました。1904年にはロバート・スコット率いるイギリス探検隊が南極に上陸しました。

スコットランドの貴族アーネスト・シャクルトン卿率いるイギリス探検隊が1907年から1909年にかけて、探検が行われ、1909年1月9日南極点付近に到達し、16日に南極磁気極に到達しました。探検隊の船は氷に閉じ込められ、9ヶ月漂流し、氷とぶつかりボートで漂流していたのですが、サウス・ジョージア等の住人に助けを求め、乗組員全員が生還できました。この話は、確か映画になっていると思います。シャクルトン卿の映画を見て感動した覚えがあります。

南極大陸は、地表の98%が氷で覆われています。地面が見えているところはわずかしかありません。面積は1400万平方kmで、オーストラリア大陸のほぼ2倍です。氷の厚さは平均1.6kmです。南極大陸は今でも探検が遅れている所で、謎の部分が多くあります。
南極は、「地球に残された最後の秘境」と言われています。氷の厚いところは、4kmに達する所もあります。氷の下は、さらに大きな謎です。アメリカの一番高いウィリスタワーでも、一番厚い氷と比べると、タワー10個分くらいだそうです。南極大陸には定住している人はいません。調査の為に各国の観測所があり、夏場は5000人、極寒の冬は1000人ほどがいるそうです。

先程触れた、南極の紹介では、3000万年前からという説もありますが、12000年前から氷床に覆われているという諸説あります。
けれども、2012年つい最近、ある写真が発見されて、その定説が覆されました。最近の温暖化で西側の氷が溶け、(温暖化で氷が溶けているという説と、その反対に南極の氷が増えているという諸説あります。あとでそれについては触れますね。)溶けた氷の下から不思議な構造物が発見されたというのです。南極大陸ではこのように、ピラミッド型の構造物が見つかったという報告が数多くあるそうです。四角錐のピラミッド型の構造物のようにみえるものが、南極大陸の写真に写っているのです。その写真は、自然の地形を写しただけにすぎないと主張する科学者も多くいますが、映像分析の専門家のジョセフ・ホワイト氏に見せた所、自然にできた地形ではないというのです。2013年3月にそのジョセフ・ホワイト氏は、シャクルトン山脈にそれと別のピラミッドらしきものがあることを発見しました。彼は、「衛星写真閲覧ソフトで南極大陸を見ているうちに、奇妙な構造物を見つけました。それは四角い建物のように見えました。しかも、その4つの底辺が、東西南北に正確に合わせているのです。自然にできた地形であれば、普通は左右対称にはなりません。直角や正三角形のような地形は自然には見られないのです。この構造物の底辺は4つともピッタリ2kmです。これまで発見されているピラミッドの中でも、南極大陸のものは、一番大きいのです。それは今まで何世紀もの間、誰にも気づかれなかったピラミッドが、近年の考古学調査によって発見されているのです」と言っています。

長くなったので、続きは次回にしましょう。

不思議な話 その231 能力を伸ばす教育(2)

モンテッソーリ教育法の中身についてです。シュタイナー教育法とともに、ある時代のニューエイジの人々の支持を集めて、世界中に教育施設があります。この教育法を受けた人々全てが成功するとまでは行かないでしょうが、有名人で幼少期にこの教育を受けた人が、少なからずいます。

グーグルの創始者、ラリー・ペイジ氏とセルゲイ・ブリン氏の親は大学の教授をしていたそうなのですが、子息にモンテッソーリ教育をしました。ページ氏は「決められたルールや学校秩序にとらわれずに、世界で今何が起こっているかを追求し、何か違うことをしてみようかなと、自分で意欲的に考えるトレーニングになったと思う。」と言っています。このモンテッソーリ教育モデルはグーグルの文化としても受け継がれているようで、20%ルールというのがそれだそうです。1週間(月~金)のうち1日は自分の仕事以外にも取り組もうというもので、モンテッソーリのように自発的に何かに取り組もうというものです。

アマゾンの創始者ジェフ・ベゾスも幼少時モンテッソーリ教育を受けました。「多くの努力は行き止まりになってしまうことが多いが、そんなことを繰り返していくうちに、いつか路地裏に迷い込みながらも、最後には大きな所にたどり着くものなのです。」と、彼は言っています。彼は、アマゾンの株式上場当時、10年後の会社の未来図を作り、自分が何をすべきかどうするか、明確なビジョンを持っていました

経済学者のピーター・ドラッカー氏も子供の時モンテッソーリ教育を受けていたそうです。彼はマネージメントの父と言われて多くの経営者が彼のマネージメントを学んでいます。彼はマネージメント理念に、人間関係を重視した組織作りをあげています。当然といえば当然の理論ですが、利益追求型経営には斬新に見えるのでしょう。組織、人間、会社を俯瞰的(ふかんてき)に見る事ができたのは、モンテッソーリ教育の影響なのでしょうか?それとも彼独自の才能なのでしょうか?

フェイスブック創始者のマーク・ザッカーバーグ氏も、モンテッソーリ教育を受けました。彼の活躍はフェイスブックだけにとどまりませんね。

ウィキペディア創始者のジミー・ウェールズ氏も幼少の時、モンテッソーリ教育を受けました。私もネットでウィキペディアのお世話になっていますが、ユーザーはウィキペディアにより、瞬時に多くの情報を見られる事ができるようになりました。世界中の人々が書き込める、最新の百科事典を誰でも、平等に閲覧することが出来ます。遠い昔は、知識は一部の特権階級のものでした。学ぶという点においては、インターネットは革命を起こしていると思います。

その他、イギリス王室のウィリアム王子とヘンリー王子もモンテッソーリ教育を受けています、保母をしていらした、故ダイアナ妃の支持した教育方法なのでしょうか?

ワシントン・ポスト経営者、でジャーナリストのキャサリン・グレアムもこの教育を受けたそうです。昔の方ですが、『アンネの日記』の作者アンネ・フランクもモンテッソーリ教育を受けました。

日本では日本モンテッソーリ協会が教員養成を行っているそうですが、欧米に比べて教育施設の数は少ないかもしれません。日本には1960年代に紹介されました。約50年の歴史です。欧米では公立学校でも、モンテッソーリプログラムが導入されていますが、日本では幼児教育だけで、確か小学校では、使ってはダメなのではないかと聞きました。海外ではたくさんのモンテッソーリ教育を行う「子供の家」があるので、受けた人の母数が大きいから、当然有名人も多く輩出するわけですね。

モンテッソーリ教育法は、目的として、「子供は、自らを成長・発達させるちからを持って生まれてくる。大人の親や教師は、その要求をくみとり自由を保障し、子供達の自発的な活動を援助する存在に徹しなければならない。モンテッソーリ教育では発達段階にある子供を援助し、自立していて、有能で、責任感と他人への思いやりがあり、生涯学び続ける姿勢を持った人間を育てること」(日本モンテッソーリ協会ホームページから引用。)「その目的を達成するために、創設者のマリア・モンテッソーリは子供を観察し、そこから得た知識に基づいて、教育法を構成し、独特の体系を持つ教具を開発しました。その教育法の正しさは、現代の大脳生理学、心理学、教育学などの面からも証明されています。」

「子供の家」では、自由の保障と、整えられた環境を目指しています。整えられた環境とは、次の4つの要素を満たすものだそうです。
1.子供が自分で自由に教具を選べる環境構成。
2.やってみたいなと思わせる、おもしろそうな教具。
3.社会性、協調性を促すための、3歳の幅を持つ異年齢混合クラス編成。
4.子供それぞれの発達段階に適した環境を整備し、子供の自己形成を援助する教師。
モンテッソーリ教育においては、教師は教える人でなく、子供を観察し、自主活動を援助する人的環境要素だそうです。

この教育方法では、感覚教育を重視します。「子供の家」ではいろとりどりの教具と呼ばれる木製玩具があります。モンテッソーリ教育では、教具の形、大きさ、色、手触り、重さ、材質にもこだわるそうです。教具を通して、暗記でなく、経験に基づいて、質量や数量の感覚を養うことと、教具を通しての表現の言語能力を養うそうです。感覚教具は、比較することを基本とした「対にする」「段階づける」「仲間分けする」の3つの操作法が組み込まれています。

モンテッソーリの言語教育は子供の言語発達について、「名称(名詞)を知ることから始まり、その性質に関する単語形容詞にうつり、物の関係を表す単語、動詞、助詞に及ぶと考えました。言語教育では、絵カード、文字カード、などそれぞれの発達段階に即した、教具を使い、話す、読む、書くの作業を通じて、語彙を豊かにすることを目指し、最終的には文法や文章構成へと進みます。

算数教育では、人間の精神の発達が、運動、感覚から抽象、という感覚的認識から、抽象的認識へ、具体から抽象へ、という経路をたどるといっています。モンテッソーリ教育法は、子供にこの経路をたどらせることによって、抽象的認識に至らせることを目標にしています。

以上、日本モンテッソーリ教育綜合研究所のホームページからの引用の要点でした。

日本ではこの教育方法が、比較的高額となること、中には過激なお受験の幼児教育にも使われているという、批判もありますが、基本理念としては、幼児教育の効果的な発達を促すものとして、極めて有効だと思います。小学校でも使用することができれば、教育の多様性という点でも役に立つと思います。一般的にもう少し普及するといいですね。

次回もテーマをさがしましょう。

不思議な話 その230 能力を伸ばす教育

人工知能が囲碁の世界では、人間の世界チャンピオンを負かす時代になりました。人工知能は、人間が積み重ねた囲碁の技法では、思ってもみなかった打ち方をするそうです。

今将棋の世界で話題の第30回竜王戦決勝トーナメント29連勝中(2017年6月末時点で)の中学生藤井聡太四段は、師匠にはつきましたが、多くの他のプロがやっている定石通りの将棋の指し方ではなく、コンピューターの将棋を色々やってみてその能力をのばしたと聞きました。普通の指し方では、先輩のプロの人たちに勝てなかったかもしれません。彼独自の指し方をコンピューター将棋をしながら、考案したのが連勝の勝因かもしれませんね。もともとの素質も大いにあるとは思いますが、何が彼の能力を伸ばしたのでしょうか?彼が幼稚園の時から、学んだモンテッソーリ教育法のことが最近よく取り上げられています。モンテッソーリ教育法については、時々耳にしますが、どんなものなのか調べてみました。

「モンテッソーリ教育法」はイタリアのマルケ州キアラヴァッレに1870年8月31日に生まれたマリア・モンテッソーリが始めた幼児教育法です。彼女は19世紀で初めてのイタリアでの女医です。当時は女性に対しての差別が、ヨーロッパでもあった時代なので、彼女は、医科大学入学後、男子学生と同室での解剖を学ぶことが許されず、一人で解剖室で実習をしたそうです。いろいろな男性社会いじめのような処遇を乗り越えて、1896年、26歳のときにイタリア初の女性医学博士になりました。

卒業後も彼女が医者になることに否定的な医学界で、職がなかなか得られませんでした。そして、ローマ大学付属の精神病院でようやく彼女は 職を得ました。その時代の欧米の精神病院では、患者を鉄格子に囲まれた暗い部屋に閉じ込め、現代のようなきちんとした治療は、されていなかったそうです。

医師としても、患者の側からもつらい劣悪な環境の中で、モンテッソーリ博士は知的障害があるとされる幼児が、床に落ちたパンくずで、しきりに遊んでいる姿に注目しました。彼ら子供の患者は、知的な進歩はないとみなされ、教育は与えられていませんでしたが、彼女は、指先を動かすような玩具を次々と与え、患者の感覚を刺激することによって、知的障害児でも、その知能を向上させることが出来ることを発見しました。他の障害児たちにも同じような教育治療をしました。彼女が知的障害児達に知能テストを受けさせると、あるものたちは、健常児達の結果を上回るということが分かりました。この成果は、医学界、教育界に驚きを与えました。

1907年には、モンテッソーリ博士は、障害児の治療方法で、一通りの成果をあげた感覚教育法を、ローマの貧困家庭の子供たちに応用することにチャレンジ出来たそうです。ここでも知能向上で、著しい成果を上げ、彼女はこの方法をさらに研究するため、医師を辞めて、ローマ大学に再入学しました。医師の仕事を投げ打ってまた、一から興味のあることを学び直すという彼女の心構えは凄いですね。ローマ大学では、主に哲学を学び、南フランスのアヴェロンで発見された、オオカミに育てられた野生児の教育に着手し、感覚教育の先駆者のジャン・イタールの論文や本を研究し、知的発達障害者教育の先駆者エドワード・セガン医師に学びました。そして、彼女は、教育学だけでなく、生理学と精神医学の研究にもちからを尽くし、「モンテッソーリ教育法」と呼ばれるオリジナルの幼児教育法を編み出します。モンテッソーリ教育は、世界各地で受け入れられ、この教育を専門に行う、「子供の家」が設立されました。

彼女は、教師の質の重要性を認識していて、1929年に国際モンテッソーリ協会を立ち上げました。教員養成コースを作り、その教員養成は、今も厳格に行われています。日本でも、東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンターでのみ教員資格が得られるそうです。モンテッソーリ博士は、イタリアのファシズムの難を逃れ、スペインに移住し、スペインも内戦が起こるまで住んでいました

1938年にインドの神智学協会(哲学者のシュタイナーが属していたあの不思議な団体です。)の会長であるジョージ・アルンデール夫妻がオランダのモンテッソーリスクールを訪問し感銘を受け、インド政府により、インドに招聘されました。インドの文化センターで神智学の会員とともに、研究もし、マハトマ・ガンジーなどの著名の人々と交流しました。彼女はインドで多くの講演を行い、モンテッソーリ教育の重要な概念である、「宇宙的秩序」理論に基づく、「コスミック教育」(宇宙的教育)をまとめ、第二次世界大戦を避けて、10年近くインドで過ごしました。(彼女は、インドに長くいて、ヒンズー教の世界観や仏教の世界観から影響を受けたのではないかと思いますし、あの不思議な神智学協会から影響された世界観を持ったのでは、と私は思います。)

マリア・モンテッソーリ博士は、教育者や哲学者としてだけではなく、19世紀から20世紀初頭の、女性の社会進出の先駆者で、男性と対等な地位を獲得しました。私生活では、結婚しないで、シングルマザーとなり、一昔前の言い方で、翔んでいる女性でした。一人息子のマリオ氏は10代で養父母から彼女のもとに戻り、成人してから彼女の教育事業を手伝い、モンテッソーリ教育の会長として、モンテッソーリ教育の普及に尽力しました。まさにこの親子は前世から同じ業績を残すことを決められていたようです。優れた思想や活動はその後継者によって、発展されることが多いですね。彼女は、世界平和と子供の尊厳を守る運動を世界中に広げました。1950年のノーベル賞候補にはなりましたが、受賞はしませんでした。1946年インドからオランダに行き活動を続け、その後、インドやヨーロッパは行ったり来たりして、1952年に81歳で、亡くなりました。彼女は、オランダの北海沿岸の町のカソリック教会墓地に眠っているそうです。

次回後半で、モンテッソーリ教育の内容を見ていきましょう。

不思議な話 その229 アブダクション(3)

アブダクションのまとめです。『古代の宇宙人』では、アメリカペンシルベニア州フィラデルフィアのジャーナリストのリンダ・ハウさんは、地球外生命体の証拠を1冊の本にしました。彼女は、アブダクションの体験をした人々に、取材して話を聞きました。彼女の取材の一つでは、1995年にジム・スパークスという男性がオザックUFO会議で彼女に体験を話しました。

ジム氏の話によると、彼は天井も屋根も突き破り、上に持ち上げられ、グレイの世界に行ったというのです。ジム氏はコンピューターのようなものの前に座らされていたそうです。彼は宇宙人の文字を覚えさせられて、宇宙人のアルファベットのような文字を書いてなぞるように言われました。彼によると宇宙人の文字にはそれぞれ周波数のようなものが組み込まれていたというのです。彼が、森の中の霊長類の映像を見せられて、サルのような動物から、森の中の霊長類の映像を見た時、ジム氏は宇宙人の意図を理解して怒りを覚えたそうです。宇宙人は地球上の生物のDNAを操作し、原始人と宇宙人の混血を作ろうとしていたのではないかと彼は考えました。ジム・スパークス氏の説明では、何千年、何万年前から、宇宙人は、人間のDNAの大部分を占めるジャンクDNAを操作しているとも考えています。(ジャンクDNAとはその役割が解明されていないDNAで、全体の97%を占めているもの。)彼は、宇宙人たちが、人類のジャンクDNAを操作していると言っています。アブダクションの被害者は何らかの操作を宇宙人から受け、そのスイッチが入ると、被害者達は、何かをさせられるのでは、と彼は考えています。アブダクションの被害者は、宇宙人によってプログラミングされているのではないかと彼は危惧しています。ジムさんは宇宙人が母船で待機していて、準備が整ったらやってくるのではないか、と信じています。そして、宇宙人によってプログラミングされた人々が、何かのイベントの準備をしているというのです。彼の創作のはなしでないとしたら、空恐ろしいですね。

宇宙人と人間の混血種について、宇宙人に誘拐されたという人々は、宇宙人と人間の混血種を目撃したことがあると話しています。DNAを操作して、人間に何らかの手を加えるようなプログラムを実施しているのでしょうか?それが、何万年も前から続いているとしたら・・・今なお宇宙人によって操られているということがあるのでしょうか?。謎は深まります。

最近、より大勢の人々が、光を見たり、記憶が途絶えたり、時間が欠落するということが起こっています。地球外生命体と人間のハイブリッドが実際に存在するとしたら、地球上でハイブリッドを作るための進化のプログラムがあるのでしょうか?それとも、南米の長頭のミイラや、エジプトの長頭のファラオのミイラが示すように、古代からハイブリッドはいるのでしょうか?

この10年の間に、作家のデビッド・ジェイコブスのもとに、アブダクションの体験を話す人が急増しています。それに伴い、社会には、宇宙人と人間との混血種がいると報告する人が増えています。ジェイコブス氏によると、「混血種や宇宙人はもうすでに、地球上に暮らしていて、人間と友好関係にあるということです。宇宙人との混血種は、人間と全く同じようで、一つだけとても大きな違いは、彼らにはテレパシー能力があり、コントロールして、彼らの思う通りに、考え行動させられる。」と言っています。

2012年12月7日、ロシアのモスクワで、ドミトリー・メドベージェフ首相は「核兵器の暗証番号のアクセス権を大統領は持っていますが、そのコードの中に、地球外生命体、来訪者の情報が集められている。」と話しました。メドベージェフ首相は、大統領や首相などロシアのトップになると、国内の宇宙人とそれを、監視する人間のグループについて、知らされると言っています。メドベージェフ首相はテレビ番組のインタビューで、「我々の中に宇宙人が混じっている」と、うっかり口を滑らしました。ロシア政府は、人々に真実を知らせる準備をしているのでしょうか?歴史上の、我々の決断は宇宙人に影響を与えているという人もいます。逆に、彼ら宇宙人もまた、我々に影響を与えているかもしれません。古代から宇宙人が来ているとしたら、侵略や征服は彼らの目的ではないのでしょう。宇宙人は、私達を助けようとしているのでしょうか?それとも、人間の愚かな行為を止めようとしているのでしょうか?

古代の各国の文書では宇宙人や神のような異形のものは、必ず地球に戻ってくるとされています。果たしてどんなみらいがまっているでしょうか?

次回も面白いテーマを探しましょう。
プロフィール

観音寺りえ

Author:観音寺りえ
アトラス研究所の観音寺りえです。

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の方は当研究所 
住所: 東京都文京区千石4-37-10 
TEL: 03-3942-1341
まで。

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