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不思議な話 その297 『サピエンス全史』について(2)

前半の上巻は、第3部からなっていて、第1部は、「認知革命」と題して、約10万年ほど前の、ホモ・サピエンス以外にもネアンデルタール(ホモ・ネアンデルターレンシス)など複数の原人がいたというのは、現在の定説通りです。なぜ、ホモ・サピエンスだけが生き残ったかを筆者の解釈で書いています。

筆者はサピエンスはネアンデルタール人から進化したのでなく、6種類の人種があり、火をつかうことを覚え、他の生物より強い力を手に入れました。ひ弱な身体能力にもかかわらず、アフリカ大陸からホモ・サピエンスは地球上に広く進出しました。なぜ、その6種の人種の中で、ホモ・サピエンスのみが繁栄したかというと、筆者は、その理由を認知革命によると言っています。認知革命とは、ホモ・サピエンスの間で、新しい思考と意思疎通の方法が現れたことです。そして、虚構という架空のものについて語れることができるようになったのが、ホモ・サピエンスだと言っています。ここで虚構といっているのは、伝説や神話だけでなく、企業や法律の制度、国家や国民、人権や平等や自由などの概念も含みます。

噂話なども、虚構の範疇です。ホモ・サピエンスは社会的な動物の部分があるため、社会的な協力が生存と繁殖のカギとなりました。狩猟をしていた時代、獲物を一人では倒せなくても、皆で協力すれば倒せるとか、1対1ではライオンなどの猛獣は倒せなくとも、多数の人々と協力すれば、倒せることをホモ・サピエンスは学びました。そして、この虚構や架空のものごとについて語る能力がホモ・サピエンスの特徴となり、人間を食物連鎖の頂点まで押し上げたというのです。
それから、今から約3万年前に、複雑な言語と空想的な思考によって、ホモ・サピエンスは原始的な信仰を発達させました。複雑な言語を持たないとされているネアンデルタール人は、せいぜい50人程度の集団で行動していました。これ以上になると彼らは集団をうまく維持できないのです。これに対してホモ・サピエンスは、言語や抽象的な思考を持ったおかげで500以上の集団を作ることができました。

筆者は狩猟採集生活のほうが、農耕が開始されて以降より、人々は豊かで幸せだったといっています。第2部の「農業革命」は、数百人のホモ・サピエンスの集団が、どのようにして数千人数万人以上の都市や国家を作ることができたか、というテーマです。その理由を筆者は、農業、畜産の発達による「農業革命」のおかげだと言っています。農業を行うには、一箇所に多くの人々が住むことと、天文学、暦の知識、未来を予測し、占いをしてまじないをしたり、農業を管理するものを置くことです。

現代から1万年ほど前に(私はもう少し早い時代から農業が始まったと考えていますが・・・)、人類は農業により特定の植物を育てて収穫し貯蔵し、安定した食料供給が出来るようになりました。農業のおかげで、狩猟採集生活から定住生活になった人々は、小集団から大集団となって、都市や国家を作るようになりました。経済面では、「貨幣」の元になったものや、貨幣、政治面では小国が大きくなって、戦争が起こり、植民地を作った帝国ができました。宗教面では、拝火教、ヒンズー教、仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などができました。

一定の場所に定住することで、女性は毎年赤ん坊を生むことができ、狩猟採集生活よりも、乳児の死亡率が低くなったことでしょう。人口は爆発的に増え、農業は、次の年にまく種や収穫物の保存が、飢饉に備えて必要になり、暦を見たり天候を見る必要が出てきます。農業の管理者ができ、貧富の差ができて、支配者階級や、族長、王などが生まれてきました。

何千何万の人々を統治するのに支配階級の人が必要になり、その正当性のために、民族の神話や伝説が生まれ、それを記録する文字が現れたと一般的には考えられています。同じ民族の神話を共有することで、数千人以上の集団をまとめることが出来るようになりました。数千人の集団において、物々交換や貨幣を使った取引をするようになり、その取引を記録に残す必要と法律も必要になりました。その記録のための文字と、法律書ができました。農業革命が、民族の結束、神話、宗教と法律、文字などの空間的虚構を作り出すことによって、ホモ・サピエンスは、都市や国家を維持することが出来るようになりました。古代メソポタミア文明から、古代エジプト文明や、ローマ帝国、中世の封建国家まで、この延長線上にあります。

次に爆発的に人口が増えた、中世以降第3部人類の統一と、第4部「科学革命」は、次回に書きますね。
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不思議な話 その296 古代の岩絵と絵文字の暗号(3)、『サピエンス全史』について

エジプト学者は、隕石であるデンベン石(宇宙船かもしれませんが)が着陸した後、中からあらゆるものの創造主である神々が出てきたと、伝説に記録されていたと言っています。デンベン石には象形文字のヒエログリフが刻まれていました。象形文字は、神々から与えられたと伝説では言われています。ヒエログリフは地球外からもたらされたのでしょうか?岩絵や地上絵にも共通なところがあります。岩絵と地上絵にもヒエログリフと共通部分があります。

地中海の近くマケドニアのカンダ草原地帯にも地上絵があります。古代の神話では、巨大な宇宙の卵が割れて、そこから偉大な神が生まれたという伝説があります。宇宙卵の考え方は世界中にあり、日本、中国、インド、インドネシア、フィリピン、エジプト、ギリシャ、フィンランド、ビルマ、台湾など多くの国々にあります。

宇宙卵のようなものが描かれている地上絵は、カシオペア座の配置に合わせて作られています。世界中にある数千の種類の地上絵は、単に信仰のためではなく、宇宙の情報を伝えようとしたのかもしれません。後世の人々や、地球外の知的な生命体に向かってのメッセージの可能性もあります。

岩絵や地上絵は、宇宙の言語を真似ているのではないかという考え方もあります。前に調べて、ブログにかいたことのある、イギリスのUFO事件があります。ヒエログリフの描かれた未確認飛行物体というと、私はこの事件を思い出します。

1980年12月26日イギリスのサフォーク州、レンドルジャムの森、アメリカ軍駐留のイギリスウッドブリッジ軍事基地の上空で、奇妙な光が見えたそうです。アメリカ兵がその調査に向かうと、そこには、地上に着陸していた小型のUFOがありました。そのウッドブリッジ基地の米兵の中の一人が、宇宙船に近寄って、宇宙船の側面に沿ってずっと描かれている奇妙な文字を発見しました。当時の米兵が書き残した文字は、ヒエログリフに非常に似ていました。

アメリカのペンシルバニア州ケックスバーグで目撃されたUFOの側面にも、象形文字が見られたそうです。それは、1965年、12月9日、ミシガン州やオンタリオ州にも上空を飛行中UFOの目撃者がいて、ペンシルバニア州に墜落するのが、目撃されたそうです。その形は、やはり小型のベル型UFOで、ベルの下部のふちに、象形文字のようなヒエログリフが描かれていました。そのシンボルのような文字の一部は、古代の岩絵や地上絵のシンボルによく似ているようです。古代のUFOの目撃事件や、第3種接近遭遇などで、古代人が地球外の生命体から、彼らの文字やシンボルを学んだり、彼らからメッセージを受け、逆に彼らにメッセージを送ったのでしょうか?
未来のある時期に、岩絵や地上絵のすべての意味が解読できて、その不思議な謎が解けるかもしれません。

次のテーマは昨年人気のあった歴史書『サピエンス全史』上下巻(2016年9月30日、河出書房新社)の話です。この本は、イスラエル人歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏が書いた、ユニークな歴史書で、日本で2017年ビジネス大賞を受賞しました。遅ればせながら簡単な要点と感想を書きましょう。

この本は、現在地球上に繁栄している人類、ホモ・サピエンスが地球に現れてから、70億人を超えるようにまでなった、なぜ、ここまで増えてこられたかを、彼なりに分析して解説しています。ユダヤ系の歴史学者の考えなので、通常の世界史の見方と違っているところが、少なからずありますし、なるほどと思う所と、違うだろと思うところと、不思議だと思うところもあります。

副題には「文明の構造と人類の幸福」なので作者の未来観も少しだけ書いてあります。ここでは、地球上の人類の起源や進化は、定説通りの切り口です。この本のカバーの解説には、「アフリカで、ほそぼそと暮らしていたホモ・サピエンスが食物連鎖の頂点にたち、文明を築いたのはなぜか?その答えを解く鍵は『虚構』にある。我々が当たり前のように信じている国家や国民、企業や法律、さらには人権や平等という考え方までもが、虚構であり、虚構こそが見知らぬ人同士が協力することを可能にしたのだ。やがて人類は農耕を始めたが、農業革命は狩猟採取社会よりも苛酷な生活を人類に強いた、史上最大の詐欺だった。そして歴史は統一へと向かう。その原動力の一つが、究極の虚構であり、最も効率的な相互信頼の制度である貨幣だった。」

ホモ・サピエンスは、虚構を基礎にした3つの革命、認知革命と農業革命と科学革命によって、現代の文明発展へと至った流れを書いています。全体の内容は3つの部分からできています。次回まとめてみます。

不思議な話 その295 古代の岩絵と絵文字の暗号(2)

古代の岩絵について、2013年に新たな発見がありました。アメリカのネバダ州北西部の干上がったウユネマッカ湖の底にある大きな石灰岩から、年代測定用のサンプルの岩が、採取されました。その岩には、古代の彫刻と岩絵があり、船を作る技術が描かれていました。それ以外は解読が難しく、まだ読み解かれていないようです。その岩絵に関する現代まで残っている伝説では、先住民ファイユート族の祖先ではなく、巨人の民族が残したものだというのです。

伝説によると、最初にこの岩絵を作ったのは、シーテカ族という巨人たちが残したのだそうです。シーテカ族は、肌の色が白く、髪の色が赤かったというのです。そして、その身長は2メートルを超えていたそうです。巨人たちは、ピラミッド湖に浮かぶ町に住んでいました。ファイユート族の伝説では、その民族のシンボルの説明はありませんでした。コロラド大学ボルダー校で、その岩絵が描かれている岩の炭素年代測定を行うと、1万4800年~1万500年前に彫られた事がわかりました。(歴史の教科書では、まだ文明が起こる前ということですが、私の考えでは、数万年前からもうすでに高度な文明はあったと考えています。)

その岩絵には、渦巻きやドアの形、奇妙な生き物が描かれています。ネイテイブアメリカンの人々の伝説を考えると、その岩絵を残したのは、地球外生命体だという人もいます。

宇宙人をかたどったのではないかという地上絵や岩絵はたくさんあります。チリのアカタマ砂漠のセロウィタスという場所には、アカタマの巨人と呼ばれる地上絵があります。これは、1万年ほど前と言われています。そこには、500もの地上絵があり、古代インカ帝国の左右対称な幾何学的な絵や天文学が目的の絵、と思われるものがあります。アタカマの巨人と呼ばれている地上絵は、宇宙人のような神?のような姿ですが、この絵には様々な情報が込められているのではないでしょうか?

世界各地で、この地上絵に似たような絵がたくさんあります。アメリカのカリフォルニア州ブライス砂漠に、300個ほどの地上絵が発見されました。ブライスの地上絵には、動物の形や、渦巻きの形、巨大な人の姿を描いています。それは、2500年前の太古の湖のほとりにあったそうです。ブライスの地上絵は古代アステカ人が作ったと言われていますが、上空から眺めないとなんの絵かわからないので、誰のために作ったかが不思議とされています。ブライスの地上絵の絵柄には、妊娠しているように見える女性、宇宙の北斗七星、などがあります。宇宙から降り立った人が地上絵を作ったのか、宇宙にいる人に見せるために作ったのか、彼らが空から来たことを、子孫や後世の人に見せたかったのでしょうか?
ブライスの地上絵には、その絵を守る「守り人」(もりびと)が代々地元にいるそうですが、その守り人たちが見せたかったのが、アステカの神のケッアルコアトルと、星の神チチミトルです。ケッアルコアトルはアステカの神とも呼ばれていますが、姿は人間離れした宇宙人の姿です。アストランという場所は、神々が宇宙から降り立った場所と呼ばれています。その地上絵は、ナワ族が作ったといわれています。ナワ族は、アステカ人やメキシコ人の祖先です。

2017年12月、ペルーのパルファでは、地上絵の研究者たちがドローンでナスカの地上絵を撮影しました。その結果、驚くべき発見が、あったといいます。ここは、約3000年前から、複数の文化が地上絵を作ったと言われています。蛇の絵、魚の絵、星座のシンボル、ハチドリ、サル、人間か宇宙人かわからないものなど、動植物の絵は70以上、幾何学図形は700,直線や曲線は、数千から1万個を超えると言われています。まだわからない図形があるので、総数ははっきりしないそうです。ナスカの地上絵でも、なんのために作ったかという点では、上空からしか全体を眺められないので、地上の人間に向けて作ったのではないという説が有力です。

話はとびますが、前に私がブログで火星の地上絵や巨大な人面を彫った遺跡のようなものがある、という話を紹介しました。火星の鳥のような地上絵がオウムのような地上絵として、極めてにた形の地上絵が地球上にもあるのです。驚くべき発見とは、このことでした。

2017年、6月、エジプトのエルカブルで、エール大学とブリュッセルの研究チームが歴史的発見をしました。遺跡で岩に刻まれた絵を発見し、それを詳細に分析しました。それは、今から5200年前のもの最古の象形文字、ヒエログリフです。それは、人間や動物を象徴した高度な文字体系だと言われています。一つ一つの絵文字記号の組み合わせが、特定の意味を持つヒエログリフは突然、現れたように言われていますが、地球上に発生した文明の文字体系としては、ヒエログリフは特殊です。他にはない文字体系です。

古代エジプトの記録によると、象形文字ヒエログリフは、エジプトのトト神から授かったものだと言われています。神々についての伝説では、「神々が地球に降りてきて、科学や学問の知識や絵文字の言語を教えた。」というものです。ヒエログリフには論理的な規則があり、規則がわかれば、誰でも読めるようになっています。ヒエログリフには明確な規則があり、神から与えられた絵文字であり、エジプト人が神に伝えるための絵文字でもあります。4000年以上前のピラミッドテキストには、「デンベン石」という鉄隕石でできた物体が空から落ちてきたことが書かれています。

続きは次回にまとめをして、『サピエンス全史』という長い本を最近全巻読み終えたので、それを2~3回で簡単にまとめて、感想を書きましょう。

不思議な話 その294 古代の岩絵と絵文字の暗号(1)

有名なナスカの地上絵以外に世界の各地におびただしい数の地上絵があることを、最近知りました。『古代の宇宙人』 S11 #136話に「砂漠の暗号」(THE DESERT CODES)という面白いテーマがあったので、要約して感想を書きます。

2004年中近東のサウジアラビア、ハラットカイバルと呼ばれる溶岩地帯で、地質調査をしていた考古学者のアブドラ・A・サイール博士は、その溶岩地帯に石垣のようなものがあちこちにあることに気が付きました。その高さは1メートルほど、何かを形作っているように見えましたが、発見した4年語に衛星写真で空から眺めると、400個以上の石の構造物が見つかりました。地元の遊牧民はそれを「昔の人が作ったもの」と呼びます。この建造物は、数百キロの範囲に点在しています。火山の溶岩によってできた土地に、ある構造物は、タコのような形、ゲイト、門のような形、滑走路のような形など、直線が特徴的です。その形は数百個に及び、点在する範囲は、アラビア半島のサウジアラビア、ヨルダン、シリア、までの広い地域にあります。

ピラミッドをつぶして平にしたような形や、先細りになった滑走路のような形もあるそうです。その石の構造物は、いつ誰が作ったかは、記録に残っていません。古代の人々が、ガゼルなどの獲物を追い込むのに使ったという説があるのですが、ガゼルは、1メートル位の高さでは、軽々と逃げてしまうので、この説は違うようにも考えられます。これを地上絵の1種ではないかと考える人がいます。

現在知られている何種類もの地上絵が発見されたのは、1920年代からです。飛行機が空を飛ぶようになってから見つかりました。地上絵は広大なので、空から見ないとわかりません。空から来たあるいは、空にいる誰かへのメッセージではないでしょうか?

有名なナスカの地上絵が1927年に発見された時、はじめての珍しいものと当時の人々は考えました。現代では、衛星画像によってPC上から地球がいつでも見られるので、実は、世界中に何千もの古代の地上絵が発見されていたのです。(最近まで、私はそのことを全然知りませんでした。)

たとえば、カザフスタンのカナリカ南西部、チリのアタカマ砂漠、そしてボリビアなどにも地上絵があるそうです。ナスカ平原だけでなく、イギリスの地上絵、さきほどの中東の地上絵など、様々な文化に共通して見られるもので、それらは、遠い昔、古代に作られました。昔の人々は、空からしか見ることのできない地上絵を、なぜ世界各地に作ったのでしょうか?

古代の人々は、食料の収集や他の民族の侵攻からの防御などの時間を削って、この地上絵を作りました。この地上絵は、時には集落の安全よりも重要だったのかもしれません。それほど地上絵がコミュニティにとって重要なものだったら、その地上絵をみせる対象のものは、彼らにとって命と同じくらい大切だったのでは、と私は思います。その対象が彼らが信仰している神なのか、宇宙から来た彼らの祖先に対してなのか、文明を授けてくれた宇宙人にたいしてなのか?私は思いをめぐらしています。

地上絵より小さいサイズの絵やシンボルに地上絵の手がかりがあると考える人がいます。地上絵は古代の岩絵の巨大バージョンなのではと考える研究者がいます。

岩絵の歴史は大変古代まで、さかのぼるそうです。オーストラリア、カナダ、フランス、その他ヨーロッパの各地、アフリカ、南北アメリカ大陸にまであります。岩絵と地上絵には、共通点があるそうです。それは特定のシンボルが多用されていることのようです。それらは、幾何学模様のうずまきの形、同心円、直線を使った抽象的なデザインがあります。不思議なのは、世界中どこでも同じような形であることです。なぜ、交流のない離れた世界中の地域で、同時多発的に、おなじデザインが岩絵に描かれたのかは、私には大きな謎です。

ナスカ文明の地上絵の中では、特に「ホシ」と呼ばれている星型や三角形や四角形を組み合わせたもの、複雑な幾何学模様があります。これは、チベットやインドの仏教の「曼荼羅」、ヒンズー教のシンボルマークの「ヤントラ」に非常に似ています。世界に共通の複雑な幾何学図形です。

より高度な知識を持つ者たち、地球外生命体が古代に地球に来て、共通の幾何学模様の言語を人間に伝えたのでしょうか?

続きは次回に書きます。

不思議な話 その293 レオナルド・ダヴィンチの秘密の暗号(4)

レオナルド・ダヴィンチの有名な絵の一つに「最後の晩餐」があります。4.5メートル✕9メートルの大作は、イエス・キリストを中央に彼の弟子が描かれていますが、イエスの右手に描かれているのは、弟子の男性ではなくて、マグダラのマリアではないか、という説があります。映画「ダヴィンチコード」に描かれているように、マグダラのマリアはイエスの妻だったという説で、ダヴィンチは、それを見抜いて「最後の晩餐」の中にマグダラのマリアを絵の中に描いているのではないかというのです。二人の体の線の間に、逆三角形の空間があって、それが「聖杯」を象徴するのではないかというのです。その「聖杯」の象徴するのは、マグダラのマリアの子宮で、実はマリアはイエスの子を身ごもっていて、現代でもその血が連綿と受け継がれて子孫がいるのではないか、というのです。

レオナルド・ダヴィンチは天才的な音楽家でもありました。2003年イタリアのレッチェという所で、ある音楽家が「最後の晩餐」の絵から音階を発見しました。ダヴィンチが絵を描いていた教会にもオルガンのようなものがありました。音楽家は絵の中のパンの位置を音符として解釈しました。晩餐のテーブルを五線譜に見立てて、パンと弟子たちの手を音符と考えました。ダヴィンチが絵の中に音符を描いているとしたら・・・ヒンズー教、仏教、シーク教にも独特の音階のマントラがあるので、ダヴィンチもマントラのようなものを絵に描いたのでしょうか?音の中にも彼独自の暗号があるのかもしれません。音と音楽は数学とも密接な関係があります。ダヴィンチが絵画に音階を隠した目的は何だったのでしょうか?後世の私達へのメッセージなのか、特別な存在へのメッセージなのか?

願いを叶えるという仏教の如意宝珠は、透明な宝石の中に3つの光る点があります。オリオン座の3つの星は古来から神々の故郷であると考える人々がいます。オシリス神はオリオン座から来たという考え方で、エジプトの三大ピラミッドはオリオン座の3つ星を模して作られています。ダヴィンチもイエスはオリオン座から来た人を超越した存在と考えたのでしょうか?

1513年、フランス王の好意で、フランスのアンボワーズ城で過ごしたダヴィンチの晩年の作品の絵画「洗礼者ヨハネ」はヨハネが天を指している構図です。この絵画の中にもダヴィンチは何かの秘密を隠したのでしょうか?ダヴィンチの「洗礼者ヨハネ」の絵画を鏡に映して反転させると、宇宙人のグレイのような顔が浮かんでくるといいます。ダヴィンチは、彼の制作した数少ない絵画の中にどんな秘密の暗号を隠したのでしょうか?興味を惹かれます。
 
最後にレオナルド・ダヴィンチのいくつかのトリビアを書きましょう。ダヴィンチは前回でも書きましたが、ヘリコプターを400年前に発案しました。時代は彼に追いつけず、実用化されたのは、400年後になってしまいました。飛行機械の構想は紀元前にもあったのですが、ドラえもんのタケコプターのようなもので、飛行物体としてのヘリコプターの概念を設計したのはダヴィンチが歴史上最初です。彼は預言者のように、未来の映像を垣間見て設計したのでしょうか?それとも想像の産物だったのか・・・この他、彼はペダルをこぐと周囲を削り取ってしまう戦車、自動糸巻き機、物体の強度を測る検査機などを設計しています。ダヴィンチは戦闘スーツも設計していて、兵士が水の中で水中を自由に移動する、今で言うところの潜水服を400年前に考案していました。当時の戦争において水中で活動が可能になることは驚異的で、自らの武器が最強の武器になることを恐れて、その服の設計を封印したと言われています。

ダヴィンチはよく知られているように鏡文字が特技でした。一般の人には鏡がなければ読めない文字です。この鏡文字は母親から存在を教えてもらったといいます。彼は天才であるにもかかわらず、外国語や暗算など繰り返しで覚えるものは苦手でした。暗算が苦手なので、計算機を考案したほどです。現代の画一的な学校に入れられて常識を押し付けられていたら、彼は学習障害のレッテルをはられていたかもしれませんね。彼は興味のない学習には時間を費やしたくなかったのでしょうか?

彼はハンサムで、派手で奇抜なファッションを好みました。機知にとんだユニークなジョークを言ったそうです。反面頑固で気難しくもあり、天才が持つ変人のようなところもありました。人体の構造に常軌を逸した興味をもっていました。ダヴィンチは気まぐれで、飽きっぽいところもあり、興味の対象が変わるので、「アトランティコ手稿」などの膨大な数の設計図とスケッチを残しています。そのほとんどは、未完だったそうです。「モナリザ」や「最後の晩餐」でさえ未完成だと言われています。

ダヴィンチは1日に6回仮眠を取る程度だったと言われています。4時間毎に15分から30分寝るというスタイルでした。1日に6回1時間半だけ睡眠をとっていたと言われていますが、それが事実なら、超人ですね。ダヴィンチはメモ魔だったといいます。ひらめいたらすぐに書いていたのでしょう。その中には設計図が多かったのです。

ダヴィンチの残した名言、格言には、「何かを主張するのに、権威を持ち出す人はすべて、知性を使っているのではなく、ただ記憶を使っているだけである。」とか、「私の仕事は、他人の言葉より、自分の経験から引き出される。経験こそ立派な先生だ。」「誰も他人のやり方を真似すべきでない。なぜなら真似をすれば自然の子供でなく、自然の孫でしかない。我々には自然の形態が、たくさん与えられているからだ。直接自然に触れることが大事だ。」「私は障害に対して決して屈することはない。いかなる障害も、私の中に強い決意を生み出すのだから。」「鉄は使わなければ錆びる、水はよどんでいれば濁り、寒空には凍ってしまう。ましてや怠惰でいれば、気力さえも失われる。」「充実した1日が幸せな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらす。」言葉の意味が深いですね。

レオナルド・ダヴィンチの終活は、完璧でした。自身が亡くなる前に、彼は生前から指示を残していました。その内容は、どこで葬儀をして、何者が参列し、誰が自分の遺体を運ぶか、など細かく決めていました。ダヴィンチは生前から死に方の重要性を説いていました。まるでチベット仏教の僧侶のようですね。生まれ変わりを信じていたのでしょうか?

ダヴィンチは不思議な遺言を残しています。「葬儀では貧しい者60名に松明(たいまつ)を持たせる。彼らに参列代としてお金を払う。松明を4つの教会に運ぶ。」というものでした。これは当時の葬式としては、常識はずれで、皆は知って驚きました。ダヴィンチにとっては深い意味があったのでしょう。ダヴィンチは孤独を好むところもあり、多くの発明や創作をしたので、秘密主義でもありました。フィレンツエ随一の貴族メディチ家の当主に雇われたり、フランス王からも手厚く保護されたりしているので、ダヴィンチは稀に見る天才で魅力的な人だったと思います。私もレオナルド・ダヴィンチが好きですが、時代を超えて愛されるキャラクターの人だと思います。

次回は、砂漠に隠された暗号のようなものの話です。


プロフィール

観音寺りえ

Author:観音寺りえ
アトラス研究所の観音寺りえです。

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住所: 東京都文京区千石4-37-10 
TEL: 03-3942-1341
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