古代の哲学者プラトンと前世、ギリシャ神話の神と人間

 しばらく、古代から近代までの歴史上の人物と転生や前世観、不思議な話を見て行きましょう。

 数か月前に、このブログでも紹介した、中国の「生まれ変わりの村」のお話のオリジナルの話をみつけました。中国のお話はつくり話か実際にある村かは定かではないですが、死んでからの前世の記憶を、川を渡る時にスープを飲んで消すというお話のプロットでした。

 最近みつけたのですが、実は西洋の古代から、この話は欧米諸国に伝わっていたのです。話の元はギリシャ神話です。紀元前1000年以上前からこの話は、神話として口承で伝わっていたと考えられます。

 それは、レーテーという川の話です。ギリシャ神話でのレーテーは黄泉の国にいくつかある川の一つで、川の水を飲んだ者は、完璧な忘却を体験するというものです。

 古代ギリシャ人は、魂は転生(生まれ変わり)の前にレーテーの川の水を飲まされる為、前世の記憶をなくすのだと信じていました。この話のプロットは、世界中の文学に影響して、多くの小説や詩や戯曲にひんぱんに書かれています。

 古代ギリシャの哲学者プラトン(紀元前427年〜紀元前347年)の著作『国家』最終章「エルの物語」で、はアムレス(不注意の意味)の川の流れる「レーテの平原」にたどりついた死者の話を語っています。

 プラトン(本名アリストクレス)はソクラテスの弟子で、アリストテレスの師です。プラトンの思想は西洋哲学の源です。アカデメイアという名前の学校をつくりました。アカデメイアでは、天文学(占星術を含む)、生物学、数学、政治学、哲学などを教えました。プラトンは輪廻転生説のオルペウス教やピュタゴラス学派の思想、特に幾何学を重んじる思想を学び、パルメニデスなどのエレア派にも関心を寄せていました。

 プラトンは初めて理論的に人間の心を考えようとした人で、 魂の三区分説で人間の心の動きを説明しようとしました。人間を霊魂(こころ)と身体(肉体)に分けて考える霊肉二元論の立場に立って、魂を3つの働きに区分しました。そして、彼は霊魂の不滅を主張しました。今のわたしの考えもこの考え方に近いですが、肉体に入る魂と、肉体に影響される情緒の心と、肉体の3つに私は分けています。


 魂に対する正しい見解は紀元前400年ごろにもう完成していたのですね。紀元前1000年以上前の古代ギリシャから輪廻転生思想はもともとあったものです。世界中の古代文明に転生思想はあったのですね。これが消えたのは、ずっと後のユダヤ教やキリスト教やイスラム教などの根っこが一緒の唯一絶対神の宗教が入って来て、それぞれの政治と結びついて、都合がわるいので、輪廻転生の思想だけが、抹消されてなくなったのです。

 余談ですが、プラトンはアテナイ最後の王コロドスの血をひく貴族でした。政治家を志していたのですが、政治に幻滅し哲学者になりました。彼は、政治家の収入を制限し儲からないようにして、私有財産と家族を持たないようにさせるべきだと考えました。そうすれば、お金に意地汚い人は政治家にならないだろうと考えたのです。でも、当時の政治はもう金権体質だったのかもしれませんね。それで、プラトンは政治に失望したのではないでしょうか?「権力は腐敗する」という言葉がありますが、プラトンは古代からそのことを知っていたのですね。

 
 古代の神話は、人間の想像上のお話だけでなく、古代や超古代の歴史を反映しているものであると思います。ギリシャ神話にはさきほどの輪廻転生思想だけでなく、人間の起源に関する多くのヒントが隠されています。

 ギリシャ神話の話は、西洋文明の基礎になっていますが、西洋だけでなく、アジアや、中近東、アフリカ、北南米、日本にまで影響しているかもしれません。数回にわたって見て行きましょう。

 ギリシャ神話では、多くの神の中でプロメテウスという神が、地上にあった泥をこねて、小さな人形を作り、女神アテネが生命を吹き込んだと言われています。プロメテウスは神々の王ゼウスのいかずち(雷)の火を盗み、人間に与えてしまいます。人間は火をもとにどんどん知恵をつけ、新しく生まれた人間をもとにもどす事が出来ない事を知った、ゼウスは、人間の能力を制限して、神のようになることを防ごうとしました。

 けれども、人間は本能の中に完璧な神に近づこうとする刷り込みがなされているというのです。

 次回にギリシャ神話の現代に通じる不思議な話を見て行きましょう。同時に歴史上の不思議なことをした有名人もさがして見つけたら、書いていきましょう。 

ニュートンの予言と養生訓について(最終話)

 5月に入りましたが、梅雨のように雨の多い日が続きます。今月21日は天文学の上では大きなイベントがありますね。部分日食と金環日食です。規模としては平安時代から900年ぶりの首都圏で良く見える、日食だそうです。金環日食は、東京では当日午前7時31分から7時37分の6分間が完全に重なるそうです。晴れているといいですね。直接太陽を1秒以上でも見つめると目に悪いそうで、日食眼鏡を通して見た方がいいそうですね。裸眼で見ると目の病気になるかもしれません。特に子供さんは影響が強いようです。

 日食の時は政治経済を初めとして、世の中に大きな変革が起こりやすいということで、日本の社会に良い変化が起こると良いですね。


 今回はニュートンの話と養生訓の最終話です。ニュートンの話を前半に書きますね。養生訓は、江戸時代の長い話なので、あきている方もいらっしゃるでしょう。まとめを書きます。


 前回のニュートンの終末の予言についての補足で、ニュートンは聖書の何らかのメッセージを暗号化して、科学的情報を得ようとしましたが、世界は少なくとも、2060年までは絶対に滅びないと予言しています。そして実は安易な終末論を批判しているのです。「この指摘は、終末がいつ来るか断言するものではない。空想家による性急なあて推量と、それが外れることによって神聖な予言に疑惑がわくことを防ぐためのものである」と1704年の草稿に書いています。彼にいわせると、現代の1999年の終末論(ノストラダムスの詩を解釈した一部のひとの考え)や、2012年の終末論も、正当な予言ではないということになるのでしょう。彼は聖書を信じていました。

 私の考えでは、聖書の軽挙(神から救われて人間が天国へ直接送られて姿を消すという考え)を土台とした2012年のアセッションもありませんし、キリスト教の最後の審判のような人間の滅亡ではないと思います。天国や地獄に人間が振り分けられて、信者のみが天国へいくということはありません。ただ、今の文明が終焉を迎える日は必ずあります。あと、千年もは続きません。

 
 ニュートンは古代史に未来のヒントがあると考えて古代の研究の資料に旧約聖書を使いました。ニュートンは古代文明を知る手掛かりとして、ソロモン宮殿(ソロモン王が築いたエルサレム神殿の原型)に関して『古代王国年代記』を書きました。彼は語学に優れていて、自分で古代ヘブライ語の翻訳をしました。

 彼はソロモン宮殿の黄金比・円錐曲線・正投影図などに基づく幾何学を考え、ソロモン宮殿の特性と均衡には隠された意味があるとして、計算でその意味を探ろうとしました。宮殿の寸法は円周率と半球の体積に関係しているそうです。さらにニュートンはソロモン宮殿が大局的に見て、地球の大きさや、地球での人間の配置と関係していると考えました。ニュートンはソロモン宮殿が、ソロモン王の特別な眼と聖なる助けによって、デザインされたと信じていました。宮殿を形作る幾何学は時間軸をたどるヘブライの年代記と考えたようです。

 ソロモン宮殿は今はなくなり、エルサレムにその跡の一部が残っているだけです。紀元前965年にソロモン王によって建てられ、紀元前582年に壊されました。その宮殿にはユダヤ教の3種の神器といわれるものが入っていた、周りを金でおおわれた「契約の箱」(これを持つと世界を支配できるという言い伝えがあり、各時代の権力者が捜し求めています。一番最近はヒットラーが探していたそうです。)3種の神器は「二枚の石の板」「マナの金の壺」「アロンの杖」だそうです。

 ソロモン王は伝承で魔法使いといわれており、72柱の悪魔を自由に操る召喚士だったという伝承があります。このころの、ユダヤ教では、神と悪魔の対立という考えは現代のようなものでは、なかったかもしれません。

 ニュートンに話を戻すと、彼は古代の哲学者・学者・聖書の人物の著書に聖なる知識が込められているのと同時に、建築物の中にもそれが込められていると考えました。これらの古代の学者たちは、複雑な暗号と象徴的・数学的な言葉を隠していて、解読すれば、自然の運行に関する秘められた知識を解き明かすことが出来ると信じていました。

 ニュートンが先ほどあげた『古代王国年代記』にアトランティスについて述べているところがあります。ギリシャ神話において、オデッセウスがオギュギア島に漂着したのをその島はギリシャ神話のアトラス(アトランティスの語源)の故郷です。ニュートンは現在では分からないオギュギア等の候補地として、「カディス」や「カレス」をあげています。また、同じ書物で、ニュートンはアトランティスはヨーロッパ・アフリカ・アジア全域と同じくらい広大であったが、海に沈んだと書いていたそうです。


 前半がながくなりましたが、養生訓のまとめに入ります。第5章五官では、「心は体の主君」であるから、安楽にしてやり、苦しめてはいけないとしています。部屋は南向きがいいとか、東枕がいいなどの気学のような話があり、体に気を入れる導引の方法、健康法が紹介されています。

 第6章では、「病を慎む」のテーマで予防医学のことが書いてあります。それから、病にかかったら、良医を選びなさいということや、医者の世襲はいけないと書いてあります。医は仁術と信じられた時代です。医者を志すものはまず儒教を学び、占い(易経)を学ばないものは医者になってはいけないとしています。

 「投薬の適中と偶中」では適中とは良医の投薬が、病気の体に的確に合うことを言い、偶中では、凡医の投薬がたまたま合うことを指します。凡医や偶医は信用できないとしています。

 第7章「用薬」では、薬の乱用は危険であると言っています。

 第8章「「養老」では子供のように老人を養うとか、心楽しく年を取ろう、とか、老人側に対しては、晩年の節度を保ちましょう「年よりの冷や水」という格言の通り、無理をしないで、気の流れを良くして、元気をなくさないようにしたいと結んでいます。

 最後に灸の効用をかなりのページをさいて書いています。養生訓後記では、古人の言葉をやさしくし(きっと漢文の書からも引用したと思います。)自分で試し効用のあったものは仮説であっても書いたそうです。また作者が若い時に読んだ古語の養生の術を弟子たちと調べて、書きとめたということです。皆の協力もあったわけですね。

 
 長く書いた、養生訓も終わり、次回はまた不思議なお話を見つけてきて、何か書きましょう。

 

ニュートンの暗号と予言、養生訓について

 今回も前半は、養生訓の飲食についてです。

 「夕食は軽く」「夕食は朝食よりもとどこおりやすくて消化しにくい。だから夕食は少ないほうがよい。軽い薄味のものを食べるのがよい。夕食に副食物の数の多いのは良いことではない。副食物をおおく食べるのは禁物である。肉や魚や鳥のように味が濃く、脂肪が多くおもいものは夕食には悪い。野菜類も山芋、人参、白菜、他のイモ類、くわい(これもイモの仲間)などの食物は消化に時間がかかり、とどこおりやすく、気をふさぐものだから、夕食に多くを食べてはいけない。」なるほどと、思いますが、現代の食生活では、会社や仕事に行く前にたくさんの品目の食物をとることは、難しいですね。夜も仕事で遅い方は、夜遅くに本格的に食べる方も多いでしょう。昼か朝は仕事が忙しくて、抜くという方もいます。1日1回だけの食事は、体が食物が入ってこないのに危機感を覚えて、1回の食事の吸収効率がとてもよくなって、太りやすいと言われています。ダイエットしたい方は、養生訓のいうように、朝と昼に時間を決めて、数十品目しっかりとって、夜は炭水化物を少なめに、温野菜など中心にして、肉や魚や鳥、イモは控えめにするか、朝昼で、栄養とカロリーがまかなえていそうなら、夕食を抜くかすると、健康に痩せられるのではないかと、思います。

 わたしはダイエットについてはぶしょうなほうなので、どうせ続かないと思い、挑戦したことはあまりありません。朝夕2回食事の前に、だいたい同じ時刻に体重を測り、極端に増えたかなと思う期間は何を食べたか食べ物を簡単に書きだします。甘いものやおいしいパンも食べますが、体重を見て、おやつや食べる量品目を調節します。野菜は大好きなので、10種以上は刻んで何かを作ります。体重は高止まりかもしれませんが一定しています。体脂肪と体重は何を食べたかで面白いように反映されます。

化学調味料はのどが渇いて眠くなるので、出来るだけ控えます。薄味が好きなので、外食の時は塩分に注意します。ラーメン等はおいしいですが、塩分が高くのどが渇くので、冬場の寒い時以外、春から秋の期間は食べる頻度を少なくします。代謝が悪いので、ファストフードとインスタントは食べなくなりました。握り寿司も醤油をつけると塩分がすごく高くなるので、気をつけた方がいいですね。

 外食の時は、食べ物の調節、塩分の調節はしにくいですね。自分で作って食べる食事の2〜3倍の塩分と砂糖が入っていると考えて食べたほうがいいですね。手作りでないお弁当も塩分と油分は非常に多いです。保存料も添加されていることがあります。同じメニューを繰り返し食べない方がいいですね。

 できあいのものは、脂肪も当然多いです。へたすると人工の油、人工トランス酸の油を少なからず、とってしまうことがあるので、マーガリン等が多く入っているものは一度にたくさんとらない方がいいですね。大量生産の菓子やパンに多く含まれています。私はペットボトルの味のついた飲み物は、炭酸飲料を初め、天然果樹100%でも飲みません。飲んだ後口の中が味が残って変な感じです。自分の食品の好き嫌いになってしまいました。すみません、話を養生訓にもどします。

 「食べてはいけない食物」「すえた臭いのする飯、古い魚、ふやけた肉、色香のよくないもの、よくない臭いのもの、煮てから長く時間のたったものは、食べてはならない。また朝夕の食事の他に、間食することは極めて悪い。また、早すぎて熟していないもの、あるいは、まだ成熟していないものの根を掘り出して、芽のところを食べる事や、時期がすぎて盛りを失ったもの(当然食べ物としてのエネルギーが低いですね。)などは食べてはいけない。食事は飯を中心にして、肉等どんなものでも、飯より多く食べると体を悪くする。」

 腐ったものは勿論食べてはいけませんが、江戸時代の人達に比べ、食べ物のにおいをかいで鮮度を考える能力は落ちているのではないかと思います。食事が不規則な現代では、間食は駄目といっても無理かもしれませんね。食事の直前に間食するのはやめた方がいいようです。いつも満腹な状態というのは良くないようですよ。

 「穀物と肉類」ではこう言っています。「人の体は元気をもとにしている。穀物の養分によって、元気は生成し続ける。穀物や肉類をもって元気を助けなければならない。とはいうものの、それらを食べ過ぎて、元気をそこなってはならない。(いわゆる成人病を引き起こす肥満につながるカロリーのとりすぎのことでしょうか?元気が穀物に克てば(かてば)命は長いし、穀物が元気に克つと短命になる。

 
 ニュートンの話にうつります。ニュートンは神から与えられた自分の使命を、聖書の研究にあると考えました。84歳の生涯で、約50年間聖書の研究をしました。ニュートンの死後28年後の1754年に刊行された『2つの聖句の著しい変造に関する歴史的記述』という難しいタイトルの本は、当時のキリスト教である英国国教会に知られると、厳しい追及は免れないと考えニュートン本人や彼を守る人々は、「秘密文書」としてポーツマス伯爵の邸宅に220年間も隠し続けました。すごい執念が感じられますね。1936年にこの文書が歴史の沈黙を破って現れました。ユダヤの富豪がこれを買って、イスラエルの国に寄付しました。現物はヘブライ大学図書館が保管して2007年から一般公開されています。

 この本の中にニュートンの暗号が隠されているというのです。そして、彼独自の聖書の解釈から、人類の滅亡?にかかわる予言があると考える人々がいます

 ニュートンの50年に渡る聖書研究は4500ページにも及ぶそうです。ニュートンは古代の哲学者・学者・聖書を書いた人物の考えに、聖なる知識が込められていると考えました。そして、彼独自の解読方法で、聖書に込められた暗号を解いていきました。当時のイギリスでは、聖書を未来への暗号としてとらえることは、神を冒涜する行為とみなされるので、この研究は、長期にわたって、絶対に秘密にしなければならなかったのでしょう。

 彼はヨハネの黙示録の解釈に重点をおき、黙示録に多くの書き込みを行い、自分なりの意見を書いた草稿を残しています。ニュートンは「ダニエル書」と「エゼキエル書」という2冊の予言書に対しても解読をしています。ところが、ニュートン自身が、その解読書にも彼独自の暗号をつかっていたので、現在その書が出てきても、誰もその全体の意味を測りかねています。

 錬金術についても、ニュートンはいろいろな言葉を用いて、おまけに彼にしかわからない暗号のような文字を使って書いています。その文字は占星術のときに使う文字であったり、意味不明のものであったりします。出ている挿絵は、黄金の大地を食べようとする緑色のライオンで、黄金の太陽のような顔は赤い血を流しています。ライオンは獅師の心臓をさし、賢者の石が必要になります。心臓の血に象徴されるものは金を溶かすのに使う赤い液体をさすのでしょう。


 ニュートンについて、誤解されていろいろなブログ等で取り上げられていることは、ニュートンが2060年に人類が滅ぶと言ったとする間違った情報です。

 ニュートンは2060年に人類が滅ぶとは言っておらず、1700年代でも人類の滅亡を心配する声が起こった時に彼はさきほどあげた聖書などから答えを出しました。計算によって2060年より前には、滅びないといっているのです。だから2060年以降何百年か今の人類が栄えるといった解釈も可能となります。2060年ではなくて、2300年代かもしれません。

 ニュートンはまた、古代の建築物にも暗号がかくされていると考え、研究しました。


 次回は、ニュートンの古代神殿の謎にせまった研究と、アトランティスについても少し書いているので、見てみましょう。

ニュートンと賢者の石(錬金術)、養生訓について

 養生訓の飲食についての続きです。「熱飲冷飲をさける」では、飯はよく熟して、中までやわらかになったものがよい。堅いものや粘っこい飯は悪い。温かいうちに食べるのがよい。とありましたが、私も冷たかったり、堅いご飯が苦手です。私の体の弱点は胃と腎臓です。自分で悪いところが分かります。消化の悪いものと、腰と背中を冷やすことが、大敵のようです。氷の入ったものや、冷房のききすぎ、消化の悪い食べ物は、注意が必要です。

 「淡薄なものを食べる」では、すべての食事はあっさりした薄味のものを好むのが良いと言っています。味が塩っぱかったり脂っこいものを多く食べてはいけない。生ものや冷えたもの、そして堅いものは禁物であるといっています。また肉をたくさん食べてはいけない。生肉(魚の生もこの中に入ると思います。)を続けて食べてはいけない。胃にとどこおりやすいからである。とあります。江戸時代の日本人の多くは、穀物、野菜、魚と少しの野菜を食べていて、現代の人達よりは、胃弱の人が多かったのではないかと思います。

 「飲食は控えめに」「飲食は飢えないように、のどの渇きの為にするのであるから、飢渇の感じがなくなれば、そのうえ欲張ってほしいままに飲食してはいけない。飲食の欲を制することのできない人は、義理を忘れる。食べ過ぎたと言って、薬を用いて消化させると、胃の気は薬の力に強く作用されて、生来の気のはたらきを失くしてしまう。注意しなければならない。飲食をするときは、よく考えて節度をまもることだ。好物でおいしいものに出会ったら、まず戒めて、度が過ぎないように自制することが大切である。精神力を用いないと欲には勝てないものである。欲に勝つには、剛の一字を実行することだ。病気をおそれるのは悪い事でなく、病気に対しては臆病になってよい。また、腹いっぱい食べると苦しく禍のもとである。少しの我慢であとの憂は生じない。ほどほどに飲み食べてそれが美味であるのが分かるのと、あきるまで多くを飲み食べて味をしるのと、その楽しみは同じであるのに、後者は多すぎると必ず禍となる。」 


 薬は胃の薬に限らず、本来の回復しようとするはたらきを弱め、気の流れを阻害してしまうので、出来るだけとらないか、最低限にした方がよいと思います。薬については、養生訓では次のように言っています。

 「酒食をすごして腹痛になった時は、酒食を消しさる強い薬を用いないと酒食を消化できないものだ。たとえば、敵軍がわが領内に乱入し、戦いを挑み、城を攻め破ろうとした。その時はこちらからも、強兵を出して防戦し、敵に勝つためには味方の兵士も多く討ち死にしないと勝てないようなものである。薬を用いて食物を消化させるのは、自分の腹中を、敵味方の戦場とするのににている。飲食した酒食が敵と化して、わが腹の中を攻め破るのみでなく、自分が用いた強い薬も、みな病気を攻撃しようとするから、元気も減ってしまう。敵も味方もわが領内で乱戦し、元気をはなはだしく減らす。敵を自分の領内に引き込んで戦うよりは、領外で防ぎ、侵入させないことが最も良い。強い薬を用いて、わが腹中を敵と味方の合戦場にすることは、胃の気を損なってしまう。」

 このことは、胃の薬だけでなく、日本で、風邪の時に多用される抗生物質の薬や、万能薬のように気安く処方されるステロイドの薬、副作用の強い癌の薬にも同じことが言えるのではないかと思います。すべて、やむ負えなく飲んでいるとしても、副作用として、体の機能や気を損なうことが多いと思います。癌は今開発されつつある自分の体内物質で作る免疫ワクチン療法がさらに進化するといいですね。副作用がほとんどありません。そんなに遠くない未来に癌が注射で完治する時代が来ます。


 前半やや長くなりましたが、ニュートンのお話の続きです。今日は賢者の石と錬金術師としてみたニュートンについてです。「賢者の石」はドラゴンクエストなどのゲームの中でよく使われる、戦いで弱った人を元気にするアイテムだったり、確か映画のハリーポッターでも出て来ましたね。本来は古代から捜し求められていた、不思議なものとして、多くの人々に求められてはいますが、だれも手にいれたことがないものと言われています。賢者の石は、普遍の富と、永遠の命をもたらすものと考えられていました。


 この石はどんなものかというと、鉛や鉄、銅、亜鉛などの卑金属を加工し、金やプラチナ、銀などの貴金属に替えることが出来るといわれている想像上の触媒の物質です。今はオカルトの世界のものと思われがちですが、当時はニュートンをはじめとする、有名で優秀な第一戦の科学者が真剣に精製しようと研究していました。錬金術は魔術と混同され怪しげなイメージがありますが、そうではなくて、本当は近代科学の基礎であると真面目にかんがえている研究者も少なからずいます。

 錬金術のルーツは古代エジプト、ギリシャ、アラビア、中国など、で世界中いたるところで、何らかの意味の錬金術はあったと考えられます。

 1500年代に錬金術は最も、流行しますが、賢者の石を見つけた人も作れる人も、いませんでした。1800年代に原子の発見で、鉱物の物質構造がわかってくると、金の研究の学問は、疑似科学や迷信と言われてしまうようになります。


 ニュートンは略歴でのべましたが、大学で講義をして、数学や物理学を教える傍ら、錬金術の研究を密かにしていました。その研究の成果の文章は暗号化していました。

 というのは、当時はキリスト教の権力が強く、例外もありましたが、イギリスやヨーロッパでは、錬金術の研究は処罰や処刑の対象でした。もし、錬金術の研究が時の権力者(キリスト教の教会や国王)の怒りを買ったら、表沙汰になると、宗教裁判にかけられ、ときに拷問を受け、死刑となりました。錬金術の研究は特例のない限り、違法とみなされました。

 キリスト教の教会は、自分たちの権威と教会側の学問の勝手な解釈の威厳を保つために、科学者の研究する新しい科学を悪魔のしわざとしました。真実をねじ曲げることもありました。新しい考えを持ち、身分の低いとみなされていた女性が、人権を主張しようとすると、魔女といって、捕まえて考えを改めさせようとして、旧体制を維持しようとしました。また、国王や金持ちは、財産が金であったので、自分たちの富を守るため、錬金術師たちが賢者の石をみつけて、安価な卑金属から高価な金を作って、金の価値を暴落させることを恐れました。錬金術師たちが、金、銀、白金を作って、貨幣を偽造することも恐れたのです。現代も中世の昔も、望ましいとは思えませんが、お金を作る中心にいる者が実質的な権力を握ることが出来るのです。

 次回はこの続き、ニュートンの研究成果の文書の暗号化と、謎の多い造幣局長官時代を探ってみましょう。 

アイザック・ニュートンと錬金術、養生訓について

 前半は養生訓の続きです。後半は予言のところで取り上げた、あの万有引力を発見したアイザック・ニュートンについて書こうと思います。


 今回の養生訓は、飲食についての続きです。前回の訂正で養生訓は歯のことにいくつか触れていました。歯を大切にして、すごく堅いものを食べないようにと注意しています。つま楊枝で歯の根元を刺してはいけない。歯周病はあったけれど病名はついていなかったかもしれません。でも、抗生物質のない時代に歯茎がはれるのは、気をつけなければならない事だっただろうと思います。

 作者の貝原益軒は83歳でこの書を書いている時もすべて自分の歯で、抜けた歯は1本もないと言っています。江戸時代に歯医者さんもない時代にすごいことですね。彼の歯の健康法は、「ぬるま湯で口をすすいで、昨日?から歯にたまったものを吐き出し、干した塩を使って上下の歯と歯茎をみがき(指でするのか、江戸時代に歯を磨く為に使った細い竹の先を細かく裂いたものを使うかはわかりません。)温湯をふくんで、二、三十遍すすぎ、塩湯で最後に口をすすぐそうです。毎朝このように実行すれば、老年になって歯も抜けないし、虫歯にもならない」としています。(きっと米は玄米か麦か十穀のようなものを食べ、甘い食べ物や飲み物を今のようにとらなかったと思います。)

 「飲食は満腹をさけなければならないとしています。万事は十分にとると必ず禍となる。」「食物は体を養うのにいつもプラスになるものを食べなければならない。益がなくて、害になるものは、いかに美味といっても食べてはいけない。」体を温めて、しかも、気をふさがないものは益がある。なま物や冷たくて吐きくだしをおこし、気をふさぐもの、腹がはるもの、また辛くてひどく熱いものはみな害がある。」

 「飯(ご飯)はよく人を養うけれども、同時に人を害するものである。だから、飯は特に多食してはいけない。つねに適度の分量をさだめておかなければならない。飯を多く食べると、脾胃をいため、元気をふさいでしまう。ほかのものを食べすぎるよりも、飯の過食は消化しにくくて、大害となる。」

 「口腹の欲をおさえる」では、飲食のことばかり言う人はいやしまれるとあります。(今のTVの番組は食べ物のことをとりあげすぎですね。貝原益軒が生きていたら、批判されそうですね。)孟子もいうように、小さいものを養って、大きいものを忘れるためである。とすなわち、口腹の欲にひかれて道理を忘れ、ただ飲み食って満腹することばかりをのぞんで、ついには腹がはって痛み、病気になる。」とあります。欲望のまま食べることは、難しいですが、避けたいですね。
 
 このころは、朝夕2回が普通だったようで、特に益軒は夕食は少なめに取った方がよいとしているので、かなりいまより摂取カロリーが男女とも少なかったと思います。


 次に話は大きく変わりますが、1642年12月25日(クリスマス)にイギリスで生まれ、1727年に84歳でなくなった、アイザック・ニュートンについて書きますね。ニュートンも貝原益軒と同じく、この時代としては長寿ですね。

 彼は、自然哲学者、数学者で、キリスト教の学問を研究する神学者で、古典力学にも長けていて、近代物理学の祖といわれます。また、彼は「最後の錬金術師」とも言われています。

 彼はイングランドの東海岸のほうで生まれました。父親は独立自由農民と貴族との間の身分、日本で言う昔の郷士のような人でした。農園を営んでいて、ニュートンが生まれる3か月前に亡くなりました。つまりお父さんを知らないで育ったのです。さらに不幸なことに、母親は彼が3歳の時に生活の為に彼をおいて牧師と再婚しました。

 彼は祖母に預けられ、子供の時、母親を恨んだそうです。彼はその後、母親の知人の薬剤師のクラーク家に預けられ、薬物関係の蔵書をはじめとする本に魅了されます。グラマースクールという基礎教育の学校で、周りの子供たちにいじめられたそうです。自分をいじめた子供たちに反撃して勝ってから、自信をつけて成績も首席になったようです。

 彼が14歳のとき母親の再婚相手がまた亡くなり、母親と3人の兄弟は農園にもどってきて、母親はニュートンに農業をやらせようとしますが、ニュートンは農業が嫌いで、前に世話になっていた、クラーク家に逃げ帰って、勉強します。言うことを聞かない彼に根負けして、母親は、彼をケンブリッジ大学のトリニティカレッジで学ばせることにします。彼は試験に合格しましたが、貧しかったので、講師(大学の先生)の小間づかいとして、身のまわりの雑用をして、授業料をタダにしてもらいました。

 不遇だったニュートンはここで、アイザック・バローという先生に高く評価され、才能を見いだされます。バローはニュートンに奨学金がでるように尽力し、ニュートンはおかげで労働から解放され、学位を得ることが出来ました。恩師はそれだけでなく、自分が引退した後の大学の職をニュートンに譲りました。天才の価値が分かるのは、天才なのでしょう。

 ニュートンは学位をとった直後に、ペストがロンドンで大流行して、ケンブリッジ大学がしばらく閉鎖され、一年間故郷のウールスソープへ戻ります。故郷で研究の時間が初めてできて、彼は初めて微分積分学を考案し、光学の実験と万有引力の着想を得ます。万有引力はロバート・フックと、微分積分はライプニッツと先にどちらが考えついたかで訴訟をします。今のように特許が発達していない時代です。ニュートンは訴訟した二人より有名になりました。

 1667年にペストがおさまると、彼はケンブリッジにもどり大学の先生になります。幾何学と数学、天文学、
光学、地理学を3〜4ヶ月間に10回だけ講義すればよかったようです。ニュートンの授業はレベルが高く誰も理解できなくて、学生がゼロという講義もあったようです。ニュートンは当時のイギリス王の大学の干渉も毅然としてはねのけたといいます。1688年に大学の代表として国会議員となり、その後大学での人間関係に疲れ、大学で教えた教え子が大臣になったのをきっかけに、イギリス造幣局長官になり、役人のトップとなって、汚職を糾弾し贋金作りの組織を壊滅させます。天才は政治の能力もあり、公務員の掌握にも長けていたのですね。造幣局につとめてからは彼は錬金術と聖書の暗号を解くことに没頭しました。

 
 そのことは、次回に書きたいと思います。
 
プロフィール

観音寺りえ

Author:観音寺りえ
アトラス研究所の観音寺りえです。

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住所: 東京都文京区千石4−37−10 
TEL: 03−3942−1341
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