不思議な話 その84 フリーメーソンこぼれ話とオークニー諸島の不思議まとめ

 今日は前回のまとめです。イギリスロンドンでの観光客向けのフリーメーソンツアーには、タイミングが合わなくて予約参加できなかったのですが、土産物店(フリーメーソンのマークを使ったいろいろなグッズの土産物店が中にあります。)でフリーメーソンの建物案内のDVDを買って帰り家でみました。


 DVDの中身によると、建物は1717年に有名な建築家が設計して建てられました。集会所のホールの豪華なドアには、シンボルのライオンやコブラ等の動物や歴史上の人物が彫られていました。室内のいたるところに、コンパスと定規を組み合わせたマーク、ダビデの星の五芒星や六芒星、ピラミッドと目、歴史上の人物では、ソロモン王と幾何学のユークリッドの姿が描かれています。モーゼの姿もありました。DVDの解説では、アメリカの初代大統領、ジョージ・ワシントンはフリーメーソンです。と言っていました。イギリスのデューク公爵は、ロンドンのグランドロッジを作った中心人物だったそうです。ウィンストン・チャーチル首相もフリーメーソンだったとDVDでは、言っていました。

 会員をフリーメーソンとよび、組織全体はフリーメーソンリーというそうです。入会条件は、「神を信仰し、成人男性(今は国によっては女性もいます。)世間での評判がよく、高い道徳性の持ち主で、健全な心に恵まれ、定職と一定の収入があり、家族を養い、五体満足(例外もあるそうです)な人です。

 基本理念は「自由・平等・友愛・寛容・人道」の五つです。

 フリーメーソンの起源ははっきりしないのですが、私が前々回にブログに書いた「テンプル騎士団」の影響が大きいようです。16世紀後半から17世紀初頭にできたのでは、ということで、さらに前にブログで書いた「薔薇十字団運動」も何らかの影響があるかもしれません。現在の会員は日本を含め世界中にいます。ざっと600万人といわれ、そのうち15万人はスコットランド・グランドロッジとアイルランド・グランドロッジに、25万人はイングランドのグランドロッジに所属し、約200万人はアメリカのグランドロッジに所属しているそうです。欧米圏で半数以上を占めているのでしょう。各国のフリーメーソンリーの組織はそれぞれ独立していて、仲の良い組織も悪い組織もあるのでしょう。イスラム圏にさえ組織があるといいます。

 テンプル騎士団が基になっているという説には根拠があります。1737年にパリのロッジで、ラムジー・アンドリュー・マイケルという人は高位のメーソンの法学者だったのですが、彼はメーソンの集会の講話で、「十字軍の時代に聖地エルサレムを異教徒の手から奪還しようとした騎士たちは、国籍や身分といった壁を乗り越えた霊的な統一国家を樹立するために、理想的な友愛団を創設した。そして、連綿と継承された秘儀と叡智を民衆に広めようとした。しかし、これらの知識が異教徒や不信心者の手に渡らないように、独自の合言葉やシンボルを用いて、暗喩という形で布教を行った。一方、聖地から帰還した友愛団に所属する騎士たちは、ヨーロッパの各地にロッジを設立した。フリーメーソンはこうしたロッジの生き残りである・・・」と言っています。

 私がかなり前に書いた聖杯伝説や十字軍の財宝を持ってイギリスにのがれた十字軍の騎士たちもフリーメーソンの起源と関係しているかもしれないし、フランスにも、遠征後迫害されたテンプル騎士団の残党が、スコットランドに落ちのびたという言い伝えもあるそうです。さらに、十字軍遠征後のイギリス王の保護のもとコロンブスより先に、テンプル騎士団がアメリカ大陸に行ったという説もあり、アメリカ移民とともにフリーメーソンの会員が、アメリカ大陸で活躍し、支配層になっていったとも考えられます。今もその流れは続いているのかもしれません。

 何が何に影響したかという事は、ニワトリが先か卵が先かという水掛け論になってしまうかもしれませんが、1700年半ばにフリーメーソンの組織の中に、テンプル騎士団を標榜するものが多く現れて、「テンプル騎士団厳修派」というものが出来たり、「テンプル騎士団系フリーメーソン」というものがヨーロッパにたくさん出来たそうです。錬金術、占星術、キリスト教神秘主義、オカルト的な結社もたくさん出来ました。騎士団系メーソンで100位階ものグレイドのあるものまでありました。こうした、神秘主義化した集団をテンプル騎士団の名前から、「テンプラリズム」というそうです。歴史上も謎の多い本当に不思議な組織ですね。

 古代ヨーロッパの伝説の土地でトゥーレという不思議な場所を指す言葉があります。はるか北の端という意味で、アイスランドやオークニー諸島、シェトランド諸島、スカンジナビアをさしました。「アルテイマトゥーレ」は「知っている世界の中での境界線」つまり最果ての地をさしました。紀元前300年ごろからこのトゥーレの考え方があったようです。ブリテン島の最北よりさらに北で、オークニー諸島付近では怪物がでるという伝説もありました。余談ですが、ナチスはトゥーレを自分たちアーリア人の起源と考え、「トゥーレ協会」を作りました。

 オークニー諸島の話に戻ると、まずメインランド島にあるメイズハウといて新石器時代の羨道墳(遺体が葬られている部屋があり、天井がなく低い狭い通路がほられ、外観は石が積み上げられていたり小高い丘のようになっているところ)世界最古のものだそうです。

 古墳の近くには住居跡もあり、故人を敬愛し生活の場のそばに葬ったものと思われます。その後の遺跡と同じように、透視するとスカンジナビア半島や文明のもっと発達した所から移動して来た人々が、狩りをするだけでなく、ここで動物などを食料として飼っていたこともみられます。

 ストーン・オブ・ステネスにはストーンサークルのように巨石が輪を描いて置かれている。これを作った人々は、スカンジナビア半島などからのさらに北方の人々で、船を使って、巨石を運んだようです。宗教的行事と天体の運行、太陽の高さを見て、彼らなりの暦を使っていたような姿が浮かびます。石は円にしては欠けたところがあるが、時間の経過と浸食で元の姿を呈してないところもあります。中心には建物の跡が、あり、農耕のために四季を見ていたように思います。

 リング・オブ・ブロッガーも巨石が置いてあるのですが、祀りのようなことをやっていたように感じます。北方から理由があって来た人々は、船を利用し、すごしやすいところに集落を作りました。信仰があり、シャーマンがいて、星の信仰があったようです。出土品の土器や石を削ったものには、星をかたどったものがあります。宗教的行事に使われたと思われます。

 スカラ・ブレイの住居あとには、地下シェルターのような住居で、貝塚などのゴミ捨て場もあり、断熱材の役割もしていて、屋根もあり、食器棚や毛皮の衣装棚、椅子、収納などのあともあります。寝台と衣装棚は各戸の同じ所にあり、世界最古の団地ですね。道具を製作するための作業所もありました。スカラ・ブレイには、紀元前3100年ころから、600年間、長期にわたってすみかになっていたようです。紀元前2500年くらいに寒くなったので、この住居は放棄されたようです。農耕もしていた跡がありました。この時代としては、独自の文化があったようで不思議です。

 次回は、アップルの創始者スティーブン・ジョッブズさんの話を、2回ぐらいで書きたいと思います。
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不思議な話 その83 オークニー諸島(スコットランド)の不思議 とフリーメーソンこぼれ話

 イギリスでの透視の話もあと2回くらいですが、今回は日本でのイギリス人の知人の、御両親の家に1日だけホームステイしたときに聞いた話と、スコットランドの北東の端にあるオークニー諸島の古代遺跡の話です。

 友人のお父さんがフリーメーソンの会員だということをお父さん本人から聞いて、驚きました。年間の会費も3~4万円くらい、寄付があるが強制でないとのことで、「今度はフリーメーソンの中で、自分のグレイドがあがるんだよ」、と言っていました。会員2人からの推薦を受ければ入れるそうで、イギリスでは、イギリス人の紳士が入る慈善活動もしている大人の社交クラブといった趣なのでしょうか?そのお父さんは、ファイナンス(金融)関係の仕事をしているので、金融関係の会員が多いのかな?と思いました。

 ロンドンで「フリーメーソングランドロッジ」の見学もしました。ツアーが無い日だったので、全部は見られませんでしたが、展示品を見ました。衣装や皿やカップいろいろな道具に、例の定規を2本組み合わせたものと秤のシンボルが入っていました。すごく古い展示物があるというわけではありませんでしたが、ウェッジウッドのテイーカップなどすてきなものがありました。末端の会員は陰謀説などまったく意に介さないようです。

 ただ、ほんの一握りの大富豪で、世界を動かせるような資産や経済力をもっているような、フリーメーソンを動かしているような人々のことは、よく分からないことが多いですね。お金や経済力は大きな力になりますから・・・

 そのお父さんから聞いた内容で、スコットランドがイギリスから独立するかも、という話を聞いて、またびっくりしました。皆さんはご存じのかたも多いと思いますが、スコットランドは今年2014年の9月18日に、イギリスから独立するか、国民投票をするのですね。そのお父さん曰く、スコットランドは海底油田やガス田を持っていて金持ちなので、そのお金をイギリスの貧困層にまわしたくないんだということでした。スコットランドでは、医療も教育もイギリスと違ってタダなんだよと言っていました。

 イギリスの元首相のブレアさんは、スコットランド出身で、その時に、スコットランドは独自の議会を作ったとか・・・大方の予想では独立に賛成する人が30~40%、反対の人は50%と言われていますが、選挙や国民投票はフタをあけてみないとわからないですよね。

 スコットランド独立賛成派と反対派はその意見が、有名な人をも二分していて、ハリーポッターの作者(彼女は小説が売れて大富豪になる前は生活保護を受けていました。)は独立反対派、あと、ローリングストーンズのミックジャガーや宇宙物理学者のホーキング博士も反対派です。

 俳優のショーン・コネリーさん映画監督のケン・ローチさんは、賛成派と言われています。スコットランドは国として独立をして、イギリスのポンドを使わせてもらって、核の配備をやめてもらって、海底油田の利益は自分たちで使って、自分たちで国を守りたいようなのですが、イギリス側はデメリットが大きいのか、嫌がらせなのか、独立したらイギリスポンドは使わせない、と圧力をかけています。

 スコットランドは今はイギリスの一部ですが、アイルランドは大変な独立運動があり、アイルランド共和国として、今は独立しています。アイルランドの通貨はユーロでEUに加盟させてもらっていると思います。スコットランドも独立したければ、豊富な資源を手土産にEUに入りたいところなのでしょうが、イギリスとの経済関係をスパット切ってしまうこともできない事情があるのでしょう。今回は、反対派が国民投票で勝つかもしれませんが、独立のムーブメントは消えないような気がします。未来は独立するのではないでしょうか?

 アイルランド共和国はその島の北部にイギリス国教徒の北アイルランドがあり、カソリックであるアイルランド共和国と国境を接しているところでは、今も紛争が続いて戦争状態です。もとは同じキリスト教が宗派の違いで、殺し合いになることはとても胸が痛みます。

 さて、今日のテーマ、オークニー諸島は、今話題のスコットランドに属しています。透視の依頼を受けるまでは、私もどこにあるかはっきり知らない所でした。イギリス領のグレートブリテン島から北東の沖合にあります。2007年の人口は約19900人宮崎駿さんのアニメに出てくるような、のどかな田園地帯です。確かこの島のエネルギーの大半は風力発電でまかなわれているそうです。畜産と北海油田の石油産業、風力産業、海洋資源産業、観光業などがあります。

 オークニー諸島は約70個の島々で構成されていて、飛行機やフェリーでの移動が発達しています。

 オークニーの人口の75%以上は、メインランド島に集中していて、人口の数より羊の数のほうが多いといいます。ここの羊は牧草と海岸の海藻を食べます。多くの種類の野生動物がいて、くじら、イルカ、ユーラシアかわうそ、灰色アザラシ、ゼニガタアザラシ、珍しい種のカモメ、オークニーハタネズミという珍しい動物もいます。植物や花もここでしかみられないものがあります。

 ここの地域はスカンジナビア半島のノルウェーに近く、歴史上ノルウェー人(バイキング?)の支配を受けていたので、ノルウェーの血をひく人々も多くいます。もっと昔は、鉄器時代はブリソン語という言葉を話す、ピクト人の国でした。ピクト人の時代が終わると、古代ケルト系キリスト教のダルリアダ王国の一部になり、ゲール人の国として安定する前に、ノルウェーから多くの移住者が来て、オークニーはピクト人には若いイノシシかブタの意味で「ブタの島」と呼ばれていました。そのころから、ブタを飼って食用にしていたのでしょう。野生のいのししを育てたのでしょうか?
 
 ノルウェーのバイキングたちは、アザラシを食用にしたと思いますので、この島をアザラシの島を意味する「オークニー」と名付け、これが島の名前の語源になっているようです。

 ここオークニーには、紀元前6820年くらいから6600年くらいの間の、はしばみの実を焼いて食べた跡があり、新石器時代はある種の農業の跡も見られるそうです。新石器時代の集落跡と世界最古の墳墓とみられるものや、謎のストーンサークルのような巨大石の遺跡もあります。

 次回に詳しく書いて行きましょう。

不思議な話 その82 テンプル教会の不思議

 テンプル騎士団とテンプル教会についての2回目です。前回は前にも書いたことのあるテンプル騎士団の歴史をざっとおさらいしました。

 テンプル騎士団の組織構成は、修道会だったので、会憲と会則(会の憲法と法律のようなものでしょうか?)があったそうです。会の発足には、シトー修道会の創設者で、ヨーロッパのキリスト教の世界で、強い影響力を持っていたといわれるクレルヴォーのベルナルドゥスの援助のもと、ベルナドルゥスが会則を書いたそうです。

 テンプル騎士団は各国に管区の長としてマスターと呼ばれる地区責任者がいて、騎士団全体を統率するのが、総長というグランドマスターだそうです。グランドマスターの任期は、ローマ法王と同じ死ぬまでです。東方の軍事活動(異民族と異宗教の戦い?)西方においては経済活動、資産管理など全体の責任を負っていました。

 テンプル騎士団は、4つのグループから構成されていました。
   ①一騎士ー重装備で貴族出身
   ②-従士ー軽装備で平民出身
   ③-修道士ー資産管理
   ④-司祭ー霊的な指導者
 
 1人の騎士に10人くらいの従士がついていたようです。テンプル騎士団は、十字軍に行った貴族など裕福な層の資産を
預かる役割もしていました。 また、テンプル騎士団は、入会者やその家族、各地のキリスト教の信者たちから寄付をうけることで、資産を増やしその額が莫大になってきました。ですから、フランス王に戦争の資金等を、貸すことが出来たのですね。テンプル騎士団のマークは赤い十字架です。旗は、黒字と白字の上にこの赤い十字架が描かれています。

 テンプル騎士団のユニフォームは、白い長い衣に赤い十字架のマークが入ったものです。騎士団の入会儀式では、入会への意志が固いかどうか試され、秘密の入会儀式が行われたそうですが、はっきりは分かりません。入会式が一般に分からなかったので、別のキリスト教の宗派から異端とされて、魔女裁判のようなものにかけられたのかもしれません。実際は、その秘密の誓いは、清貧、貞潔、従順などのシンプルな誓いだったようです。テンプル騎士団を壊滅させようとしたグループから、悪い噂をたてられ、無実の罪を被せられたのかもしれません。十字軍の頃は、キリスト教の為に、神の為に戦死することが、天国へ行く切符のように考えられ、怖くて自殺したり、軍を脱走したり無断で戦線を離脱し故郷等に帰ることは、地獄に堕ちると言われ、それを信じている人が多かったようです。

 イギリスのロンドンのテンプル教会の話に移りましょう。1307年のフランス王の陰謀でのテンプル騎士団の表面上の廃止後、フランスと対立していたイングランド王エドワード2世がテンプル教会をイングランド王家の管理下に置きました。その後、テンプル教会を借りて弁護士の法律学校、2校を運営していた聖ヨハネ騎士団に、教会が与えられました。現在のテンプル教会も、イングランドの法曹院と深い関係があり、インナー・テンプルとミドル・テンプルという法律関係の機関があるようです。

 1540年ヘンリー8世が、聖ヨハネ騎士団の活動を廃止してからは、テンプル教会は王家のものになりました。1608年に、ジェームズ1世の合意で、2つの法曹院に、教会の維持運営を条件として、礼拝堂としてのテンプル教会を利用し続ける権利を与えました。

 1666年のロンドン大火では、運よく被害から免れ、建築家クリストファー・レン氏によって補修、祭壇上のスクリーンの追加、オルガンなどが入りました。1841年と、1862年に2度補修されました。
 
 1941年の第2次大戦での5月10日のドイツ軍の空襲で、教会はひどく破壊され、木造部分とオルガンと大理石の円柱の一部は熱で破壊されましたが、大規模修復工事で持ちこたえられました。

 映画「ダビンチ・コード」は創作ですが、シオン修道会をキリストの聖杯(映画の中ではイエス・キリストの血を受け継いだ女性を指していますが)を守る役割をする秘密結社のように描いています。これに対してローマ法王の側の一般に知られていないグノーシス派という秘密組織をキリストに妻や子供や人間としての面があることを許さない組織として描いています。紀元後数十年頃のキリストの死後、彼の子を身ごもっていたマグダラのマリアが、迫害を逃れフランスに行ったという仮説を映画の原作者は創作して、とても複雑な面白い話が展開します。

 この「ダビンチ・コード」の映画の中で、テンプル教会が舞台となり、教会内が映し出されます。そこにウィリアム・マーシャル卿(初代ペンブルック伯爵)の彫像が出てきます。映画の主人公がなぞ解きをしながらテンプル教会に行き、この彫像は墓ではないと言いますが、何回見てもその理由は言っていませんでした。場面が切り替わってニュートンの記念建物の方に移ってしまいます。

 テンプル教会に実際に行ってみると、長い間守られてきて、その教会内のエネルギーは非常に落ち着いた穏やかな色をしていました。疲れを癒したい人や、喧騒を逃れて、瞑想などをしたい人には、向いているスピリチュアルスポットだと思います。

 ウィリアム・マーシャル(1146年~1219年)の墓とされている横たわった石の彫像にふれて透視してみました。その段階では、彼についてのことはあまり調べないようにしました。先入観が入りますので… 

 透視をしてみると、彼の顔が浮かんできました。茶色い髪で肩ぐらいまでの長さがあり、うねっています。戦いを経験した人のように感じられます。まつ毛が長く、彫りが深いしっかりとした顔立ち、正義感が強い感じが容姿に出ています。戦地に行って誰かを連れ帰った感じがしました。本当の激戦の地はさけることができたような気がします。王の命令を受けて、大切な役割を果たしたように見えました。誰か身分の高い人を連れ帰り、その人が持っていた財宝をいっしょに持って来たようなイメージがありました。イングランドに身分の高い人を連れ帰り、王のもとへ届け、それを何回か繰り返したように透視しました。フランスに潜伏したのかもしれません。

 日本に帰ってから彼のことをさらにネットで調べてみると、彼はイングランドでプランタジネット朝の騎士で政治家でした。伝説かもしれませんが、彼は生涯で500以上の御前試合をしたと言われていますが、1回も負けなかったそうです。初代ヘンリー王からヘンリー3世まで5人の王に仕えました。

 彼は最も立身出世した人物で、それぞれの時代の王に可愛がられました。トーナメントで勝ち続け、戦場へ行き、騎士を
育て、やがて戦場を退いて、政治家になります。私が見たのは、戦場を引退する前後、政治家になる前の彼の行動だったのかもしれません。1人の兵士であったウィリアム・マーシャルは、5人の王に信頼され、誠実に仕え、爵位を受けました。
敵の大将からも一目置かれたと言います。

 彼は73歳までの生涯で、騎士道を復活させ、騎士道を進め、黄金時代を築いたと言われています。彼の逸話では、彼はヘンリー2世の代理の十字軍の参加でテンプル騎士団の活動に感銘し、死ぬ時はテンプル騎士団として埋葬されたいと望み、その願いがかないました。そして、英雄としてテンプル教会の墓所に埋葬されたのですが、テンプル騎士団の人々をある意味助けたのではないかと感じました。その活動は子供や孫やその末裔の人々に引き継がれたと思います。ウィリアムの死後、彼の墓の横に子や孫かもしれない墓の彫像があるのは、彼らがテンプル騎士団を守るのに貢献したか、守る組織を作るのに貢献したからだと思えます。その人々や組織の人が、この教会を守ったのです。

 ウィリアムの墓の横には長男の墓、下に位置して横たわる彫像は、右と左でそれぞれ三男、次男の墓ではないかと言われています。ウィリアムは10人の子供がいましたが、息子達には全員子供が無く、爵位は娘婿が継いだと言われています。ドイツ軍の空襲で少し離れたところにある彫像は誰を埋葬しているのか分からなくなっています。これは、娘婿か孫の埋葬されたものと思います。

 これらの彫像の謎で、足の組み方が問題になりますが、当時の騎士のスタイルだという意見もありますが、私の透視ではこれは異教徒(イスラム教徒に対するキリスト教)のシンボルを足の形で表わしたものと思います。息子の彫像と思われるものの一つの騎士の足が、ライオンを踏みつけているのですが、これは、テンプル騎士団に敵対するものの象徴を踏みつけていると思います。

 大変長くなったので、フリーメーソンの話やその他のイギリスでの透視は次回にします。

透視 その2 ー古代インダス文明の不思議ー

 久しぶりに横浜でイベントがあり、明日から3日間出張します。一日20人近くの方の前世や過去世を、もし、たくさん来ていただけたら、ぶっ通しで拝見したいと思います。

 事務所で可能なように、おひとりに長時間は無理ですが、過去世をダイジェストに駆け足でみることになります。即、答えがでることもあります。会場モードでは、短い時間に過去世を出して、かなり早送りした映像をみるので、目がまわりそう(低血圧でややめまいの持病があります。)になったり、たまに、見すぎると終了まぎわに映像が止まってしまったりします。PCでいうところのバグるということでしょう。でも、バグリはすぐ修正されます。

 写真を持って来られると、その写真の方の体調をみたり、性格やいろいろな情報が出て来ます。いらした方自身の体の色を見たり、体調の悪いところや弱点を見たりもします。どういう仕組みかは自分でも分かりませんが、私の持っている磁気や電気を探知する能力で、ある種の波長を対象の方に浴びせて帰ってくるスピードで変調を悟り体の対応する部分の映像に変換して、私の視覚野に映像をだすのでは、と思います。これは将来のコンピューターで一部可能にもなると思いますし、現在MRIなどの磁気共鳴システムで患部を見る機械はあるのでしょうが、その機械より早く見られますし、私は放射線は出しません。

 余談はこのくらいで、今回は大切なお客様のおひとりで、私に歴史上の写真に写ったものを見せてくれて、透視を依頼される方がいらっしゃいます。先日古代のインダス文明のテーマをお持ちになったので、その結果報告をしたいと思います。

 今まで、古代文明については遺跡の写真をみて、世界中のかなりの数の文明の情報を見ました。実際そこに行って土地や石をさわってみたいところではありますが、行くチャンスも余裕もないので、写真をみて透視します。

 今日は「モヘンジョダロの遺跡」についてです。この遺跡は紀元前2200年から2000年、今から約4000年前に栄えました。勿論世界遺産に登録されています。場所はパキスタン南部のインダス川流域の当時としては考えられないほど整備された計画都市です。焼きレンガの技術があり、建物がきれいに設計され、水路が出来ています。上下水道もできており、水洗トイレ(現代のものとは違います)があり、排水路も整備されていたのです。行って直接見た方もいらっしゃるでしょう。博物館にはインダス川流域のもっと北に位置するハラッパーの文明と同じように、牛の印章(インダス式印章)があって、解読されていない500種以上の文字が彫ってあるそうです。契約や法律もあったかもしれませんし、政治も行われていたかもしれません。

 モヘンジョダロの遺跡群のなかに現地の住人が近づかないガラスになった町があります。放射線量が普通の場所の10倍あるそうです。石が高温で溶けて、黒いガラスのように再固形化したということです。一般的に考古学者は大規模な火災や噴火でそうなったのではと言っていたそうですが、インダス川流域には古代から火山のあとはないそうです。黒いガラス化している地域はちょうど800平方メートルだけだそうです。自然災害であったらそんなに限定的にはなりません。地球上で同じようなガラス化した土地は核実験場だけでしか見つかっていないそうです。近年調査されたところによると、古代の壺が原型を保って溶けかかった状態で固まるのは、核爆発などで超高温の熱が数秒か数十秒のごく短時間に集中的にあてられた時だけだそうです。その熱は1000℃から1500℃の超高温であったそうです。これは核戦争のあとだという俗説もあるほどです。また、プラズマ兵器だと言う説もあります。

 でも4000年前にここだけ急に核兵器がつくられるのもおかしいと以前から私も思っていました。アトランティスが沈んででからもだいぶ時間が経っていますし、核の平和的な技術はあったとしても、アトランティスは核兵器は作りませんでしたし使いませんでした。

 そこで依頼によって透視した私の結論ですが、これはある遠くの宇宙から来た宇宙船の爆発によって生じた跡であることがわかりました。少量の核融合で光速より速く飛べる技術を駆使して、地球に来て古代人と接触していた小型の人間型宇宙人の母船のようなものが、事故で地表上空近くで爆発した映像が見えました。その宇宙人とモヘンジョダロのある住人、背が高く色が褐色の髭を生やした男性と子供の頃から、接触していたのです。その爆発による犠牲者は限定的でした。宇宙人の遺体は回収されました。宇宙人が地球の人に攻撃した例は、実際はないのだと思います。

 話は現代に戻りますが、今回の台風12号で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。またアメリカのNYで台風の被害を受けた方々にも同じ気持ちです。

 台風が襲ったNY上空を8月26日の夜でしょうかたくさんのUFOが飛んでいるのをネット上の映像でみました。正三角形の編隊を組んで操縦しているように規則的に飛んでいました。遠いので銀色の球体にしか見えませんが、くっついたりはなれたりしながら飛んでいるように見えました。


 今と同じく古代からUFOは来ていたのですね。勿論アトランティスの時代もそうですし、当時は国をあげて宇宙人とコンタクトをとっていたと思われます。なぜなら彼らは自分たちのルーツ、どこから来たかを知っていたからです。

 次回はまた別のテーマのお話を探しましょう。 

透視 その1 ースウェデンボルクの透視ー

 今回はご存じの方も多いと思いますが、スウェーデンの霊能者?で学者で政治家であるエマニュエル・スウェーデンボルク(1688年~1772年)の話をしましょう。

 彼はキリスト教ルーテル教会の牧師の次男としてスウェーデンのストックホルムで生まれました。22歳でウプサラ大学を卒業して、イギリス・オランダ・フランスへ遊学したそうです。28歳の時王立鉱山局の監督官になり、31歳の時に貴族の称号を受けました。

 彼はヨーロッパ最大の学者とよばれ、数学・物理学・天文学・宇宙科学・鉱物学・化学・治金学・解剖学・生理学・地質学・自然科学・結晶学(この分野は彼が作ったそうです。)に通じている博物学者で、飛行機の設計も試みたそうです。そして、神秘主義思想家でもあり、1745年に57歳で霊的な体験、イエスキリストから啓示を受けて霊能力が身に付いたというかたちで、本を書いたそうです。子供のころから親しんだルーテル派からはキリスト教に対する異端者とされ、キリスト教会から異端宣告を受ける直前に王室から保護をうけました。

 キリスト教に対しても独自の考え方をして、当時の主流だったルーテル教会を批判して教会からにらまれたのでしょう。彼はこのいきさつがあってから、イギリスに住んでスェーデンには戻らなかったそうです。故国を捨てるほどのことだったのですね。彼の死後彼の宗教観をもとに新エルサレム教会(新教会)ができました。


 彼は1772年の3月に84歳で亡くなったのですが、自分の死の年月日を予言していました。

 1772年の2月に彼は友人のウェイスレイという人に次のような手紙を出しました。電話もない時代ですが、「あなたが私と話をしたいと望んでいるのを霊によって知りました。私はあなたが来て下さるなら喜んでお会いしたい」という手紙でした。友人のウェイスレイはちょうど彼と会いたかった時にその手紙は来たのでした。

 ウェイスレイは用事があるので半年後にお会いしたいと手紙を書いたら、スウェデンボルクはその返事に「半年後では残念ながらお会いできません。なぜなら、私は3月29日に死ぬことになっているからです。」という返事を書いたのです。そしてまさにその3月29日に亡くなりました。

 スウェデンボルクはまた、自分の世話をしてくれた女中さんにも、自分がいつ死ぬかの正確な日時を伝えていたそうです。これは、前に書いたノストラダムスの最後の予知にも似ていますね。

 スウェデンボルクが透視能力(霊能力?)を示した有名な事件があります。1759年の7月の土曜日の夕方にスウェデンボルクはストックホルムから500キロも離れたイェーテボリ(あるいはゴッテンバーグ)という町でパーティに出席していました。夜6時ころ彼は不安な表情をしてちょうど今ストックホルムで大火事が発生して火が燃え広がっていると周りの人々に言いました。彼は落ち着かない様子で、パーティ会場をうろうろしながら火事がどの辺まで燃え広がっているのか透視していました。

 知人の家はもう焼けてしまったと言っていましたが、夜の8時ころになると、彼は落ち着いてきて、自分の家から三件前で火が消えて収まったと安心した表情をしたそうです。電話もTVも電報もない時代です。

 3日後の火曜日になって、やっとストックホルムから正式な火事の件についての使者が来て報告を受けました。火事の様子はスウェデンボルクが話したとおりでした。

 この出来事が同時代のドイツの哲学者カントの興味をひき、カントは最初はスェデンボルクの能力に批判的だったそうですが、あとから、この能力を認めたと言われています。彼の考えはカントの哲学にも影響しているようです。

 その他、ロシア皇帝の死んだ様子を予知したり透視したそうです。またスウェーデンのユリイカ王女に兄弟のプロシアのフリードリッヒの死後の言葉を伝えたそうです。

 彼はたくさんの著作の中で間違っているのではという意見もたくさん書いていますが、透視や予知や死者の霊と話すなどの特殊な能力があったのは確かだと思います。

 透視のやりかたも人によっていろいろだと思われますが、私の場合は写真からその人の情報をだすのが得意です。遠く離れていてもそのひとにまつわることはみられますが、火事や天変地異の透視は頼まれないし自分からも進んではみません。夢でときどき天変地異がでてくることはありますが・・・

 霊とはなしたりするスタイルではありませんが、その人に必要な映像がまず出て来ます。

 次回はまたおもしろい話題を探しましょう。

 
プロフィール

観音寺りえ

Author:観音寺りえ
アトラス研究所の観音寺りえです。

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の方は当研究所 
住所: 東京都文京区千石4-37-10 
TEL: 03-3942-1341
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