不思議な話 その200 コミュニケーション障害について(2)

前回からのテーマの続きです。

「対人恐怖」の中で特殊なものは、「男性恐怖症」(過去の男性との人間関係やトラウマから、男性と話したり関わったりするのが、怖くなってその状態を避けようとします。他の男性は大丈夫でも、緊張や相手に嫌われないかという不安から、好きな男性にだけ話せないなどの症状がでる人もいます。)「女性恐怖症」は、若い男性に多く見られるそうですが、自分と同世代の女性と思うような会話ができないと悩みます。特定の好きな女性にだけ、話しが出来なくて、固まってしまう男性もいます。

一般的な口下手で、雑談の時などに、自分の思っていることが上手く言えないという症状が出ることがあります。

「外食恐怖症」は、大勢の人との食事会などで、自分だけ浮いてしまうのではないかと、他人と一緒の食事の場を避けるような行動をしたり、大勢の中にいてパニックとなって、外食の場面が嫌いになってしまう、パターンです。

「電話恐怖症」は、会社などの職場で、まわりの人が気になって、電話に出たり、こちらから電話をかけるのが、苦手な症状です。相手に緊張して何を話したらいいかわからなくなってしまう、のもこの症状です。

「スピーチ恐怖症」は、朝の朝礼や会議などで、大勢の人々の前で話さなければ行けないときに、緊張や不安を感じて、その場にいたたまれなくなってしまいます。パニックが起こることもあります。

「人見知り」の症状は慣れた人とならスムーズに話せるのに、初対面の人と上手く話せないであがってしまうことです。

「場面緘黙症」(ばめんかんもくしょう)は、休み時間などに、他の人達がある話題で盛り上がっているのに、言葉が浮かばなくて何も話せなくなってしまうのがこの症状です。話題に興味がなくて、会話が苦痛になるのも、コミュニケーションの障害になります。

以上、挙げた症状は、病気というより、誰にでも起こり得る症状ですが、やや病気に近いコミュニケーションに困難を与える症状を次にあげます。

「自己臭恐怖症」は自分の口臭や体臭が他人に不快な感情を起こすのではないかと、関わりを制限したり、人と関わるのをさけようとしてコミュニケーションに困難を起こすものです。劣等感や何かのきっかけからの自己否定感、子供の頃にそのような考えにとらわれたりすることが原因かもしれません。

「手汗多汗症」これは、手汗が異常に出てしまう、(実際にたくさん出る場合と、手汗に執着してしまう。)常に注意が手汗の方に向いてしまうと、会話がぎこちなくなったりします。

「視線恐怖症」は、まわりの人から見られているように感じ、言葉や行動がぎこちなくなるもので、人からどう見られるだろうと気になって、自分の意見や考えを出さなくなります。(これに妄想や幻聴を伴うと別の病気になるので、ここでの視線恐怖は妄想を伴わないものをさします。)

「視線恐怖」と対でおこることがあるのは、「赤面恐怖症」です。これは人と話しているときに顔が赤くなってしまうことを気にするもので、赤くなったのを人に気づかれることを気にします。比較的若い人に多いようです。この場合顔が赤くなっているかどうかに多くの注意がさかれるので、コミュニケーションに支障がでます。

「唾恐怖症」は、学校や職場など、」まわりに大勢の人がいる状況で、唾を飲み込むときの音がまわりに気づかれ変に思われるのではないかと感じてしまう症状です。そのため、会話中に唾を飲み込むタイミングに集中してしまうため、円滑なコミュニケーションに支障がでたりします。

「震え恐怖症」人前で話していると、頭や足や、手などの一部が震えてしまい、人前で話すのを避けようとして、コミュニケーションに障害を起こすものです。

「笑顔恐怖症」は、会話中に愛想笑いをする場面で、笑顔がひきつってしまうと悩む症状で、自分の顔の引きつりに注意が向いてしまい、人と話すのを避けるようになったり、コミュニケーションに困難を生じます。

この他にもコミュニケーションを妨げる症状はたくさんあると思いますが、目立つものをあげてみました。これらの症状は前にあげたものと同じように、家族に対しては現れないことが多く、他人(家から外の世間の人々)に対して起こります。これらの症状を起こしている原因がわかると症状が軽減することがあります。

次にいままであげたものの原因と思われる可能性のあるものをあげてみましょう。まず、治療がすぐ必要なものに、統合失調症などからくる、誤った思考回路の思い込みのコミュニケーションの障害の場合は今のところ特効薬がないので、それぞれの症状にあった薬を処方されて、症状を和らげることに重点がおかれます。統合失調症とひとくくりにされても、症状は千差万別で、いろいろな症状がでるので、投薬とともにカウセリングが必要なのかもしれません。鬱や躁の症状を伴う統合失調症もあるかもしれません。逆に抗精神病薬が原因の妄想が起こることがないともいえません。

次にPTSDと言われる「心的外傷後ストレス障害」で、声の障害や失語症、同じことが繰り返されるのではという恐怖で、人との関わりが怖くなる症状が出ることがあります。子供の頃からのいじめられた経験や、職場でのいじめ、自分にとって重大な影響を与えられた失恋などもPTSDと同じような経験になります。

言語に関する機能の障害もコミュニケーションに困難を起こす原因となります。聴覚障害や、発声器官障害、吃音障害、声の障害、言語障害、言語発達の障害、失語症、あるいは、脳の機能による、自閉症や知能等の発達の遅れなどが原因のコミュニケーション障害などです。

病気や事故などが原因の脳の障害が原因でコミュニケーションがとリにくいものに、認知症、脳溢血、脳梗塞後の言語障害、高熱等の病気による脳の機能の低下があります。後天的な脳の機能障害はコミュニケーション障害の原因となります。

発達障害は、重度のものと軽度のもので、全然違います。先程あげた、自閉症はコミュニケーション障害としては重いものになります。日常生活に大きく影響するからです。やや軽いものとして、アスペルガー症候群や、注意欠陥・ADHD(多動性障害)、などがあります。後者のほうは、日常生活は、仕事をしたり学校に行ったり普通にできます。まわりが問題視しすぎて症状として注目されました。昔なら、個性的とかやや変わった人で終わったことかもしれません。

以上の発達障害より軽い障害として、日常生活に誰にでもあることですが、それがたくさん積み重なったり、程度が大きいと、コミュニケーション障害の原因になるものがあります。箇条書きにすると、1.約束をすぐに忘れてしまう。 2.一方的に話し出すと止まらなくなる。 3.思ったことを(相手が怒ろうが変に思おうが)そのまま口にだしてしまう。 4.わがままで自分勝手だと思われて人の話を聞かない。 5常識にかけ離れたことをやったり言ったりすることが異常に多い。 6.人の表情や場の空気を読むことが苦手な人、「KY」と呼ばれていますが、少しならどの人にもあてはまりますね。 7.自分のことや興味のあることだけを一方的に話すため、他者と会話が成り立たないことが多い。 8.話がものすごく飛んだり、本題からずれたことを言い続けても自覚がない。 9.筋道をたてて、論理的に話すことができない。(これも多くの人に当てはまるところもあるでしょうが、程度が甚だしい場合です。) 10.発話がなめらかでない上に、口が重く自分を表現するのが下手。 11.勇気を持って話そうとすると、相手がその場から立ち去ってしまう。話の間があきすぎてしまう。 12.寡黙でもまわりの人を見下しているように見え、あるいはまわりに関心がない。(好きなことに熱中してまわりを無視するなど) 13.意味不明な言動を繰り返し、奇声をあげる。 14.他の人が共感しにくいこだわりを持っている。(これは自閉傾向が強い人にもよく見られます。) 15.人と関わりたがるが、話題が一致しないため、あるいはその知識や情報がないため、会話のキャッチボールができない。(これは、若者と老人の間でも、普通に起こります。) 16.意識的でなく、言動が暴力的だったり、まわりを不安にさせる。 17.言葉の間違いが多かったり、見当違いなことを言ったり、あまりにも多くおなじ言葉やフレーズを繰り返す。

などのコミュニケーション障害を引き起こすと思われる原因があります。1~17項目のことは誰にでも少しはその傾向があったり、自覚すれば、変えられるものです。他人から指摘されないと自分から気づきにくいものではありますが・・・病的なものに由来しないものは、必ず改善します。

長くなりました。次回は別のテーマを探しましょう。

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不思議な話 その199 コミュニケーション障害について(1)

コミュニケーション障害といっても、病気による、程度の重いものから、空気が読めないなどと言われて、話が食い違う人、その中でも、相手の言うことが自分が理解しにくい場合と、相手が自分のことを理解しづらい場合などのコミュニケーションがやや困難という比較的軽いものまで色々あります。夫婦のどちらかが、コミュニュケーションの障害があり、順調な時はいいのですが、トラブルの多くなる時期、子供の問題とか、経済問題、失業、どちらかの病気、親の介護、などのときにコミュニケーションの障害が目立ってくることもあります。

人と人とがいると、必ず関わり、コミュニケーションが必要になってきますが、一般的なコミュニケーション障害は、調べてみると、「会話が困難」という状況が多いです。1.他人の言いたいことを理解するのが難しい。 2.人が口に出して言葉で言わなければ、言いたいことが何かが分からない。3.ほとんどの人と目をあわせて話すことが難しくなる。 4.よく知らない人と目があうと、慌ててしまう。 5.逆にじっと人の目を見つめ続けてしまう、 6.会話しようとしても、口からうまく言葉がでてこない。 7.相手の話している言葉の意味がわからない。 8.相手の話の文脈を読み取り理解することが難しい。 9.ある話題を話しているのに、話題がそれてしまい、全く別のことを話し始めてしまう。(話題を維持することが困難。) 10.自分の関心のある分野について、一人で長々と話し続けることがある。などがあります。

コミュニケーション障害の状態があると、社会的な関わりを持つことに困難を感じます。この困難は外見からはわからないので、まわりの人から理解されづらいです。言葉による伝達が他の人々に比べスムーズでないので、学校や会社や属する組織などでの、対人関係の障害となります。家族とのコミュニケーションも取りづらくなり、対人関係全般の障害となります。

対人関係の障害が繰り返されると、地域や社会との関わり、さらに、家族との関わりまで拒絶するようになり、それがひどくなると、引きこもりなどの事態を招いてしまいます。まわりのサポートが必要です。引きこもりやすい状況を作ってしまうと、そこから脱出するのが、難しくなります。  人は本来面倒な状況から逃れようとする傾向があるので、引きこもりやすい状況からの早めの対処が必要となります。

コミュニケーション障害は放置すると症状は次第に悪くなる傾向にあります。症状が悪化すると、他人との個人間のコミュニケーションが円滑にするのが、難しくなります。すると他人との関わりを避ける傾向になります。他人と目を合わせるのが辛くなり、社会にでて人と話すのが嫌になります。すると、さらに外に出るのがおっくうになり、家から出なくなるという悪循環があります。引きこもりやすい環境を作らないことが解決法の一つにあります。大人や子供にかかわらず、学校に行きたくないとか、会社に行きたくないとか、属している組織に関わりたくないとか適応が困難になります。コミュニケーション障害は、原因がわからない生まれつきの性格から来ている病気とは関係ないと思われるものから、神経症などのやや重い症状のもの、そして、精神疾患から来る重いものというふうに、症状も原因も様々です。

昔は適応障害や、コミュニケーション障害と見られる人々に寛容な社会でした。「あの人は変わった人だから・・・」とか「あの人は口下手だけど、心根の優しい人だ・・・」とかあの人は、「無口だけど仕事の腕はいいと・・・」人付き合いの苦手な人でも受け入れる素地がありました。

そして、昔は、何もしない子供に対して、良くないからと、お寺にあずけて修行をさせるとか、商家に丁稚奉公に行かせるとか、農作業を手伝わせるとか、人生のコースも様々で、働いているうちに体で覚えることが多かったのですが、現代は不寛容な社会となり、コースも単一的に見えます。そのコースから抜けてしまうと、再び復帰するのが難しい社会です。単一社会では、人と違うことを嫌います。小、中、高、専門学校、あるいは、大学と行って、筋を通すことを社会は喜びます。

欧米の教育が必ずしも良いとは言えませんが、親が先生になり通信教育で学校へ行かない、行かせない選択もなんら恥ずかしくない社会です。社会にいったん出てから、大学に入り直すことも珍しくありません。賛否両論ありますが、米軍に一定期間所属すると、大学の学費が全額無料になる給付型奨学金もあります。けれどもすごく優秀で奨学金を給付される人を除き、多くのアメリカの学生は授業料が異常に高いので、学費ローンという借金をしています。最近は日本でも経済状態が悪くなり、奨学金という名前だけの利子の安いか無利子の学費ローンで苦しんでいる学生が少なくありません。返済は卒業してすぐからですが、いい仕事がみつからず、非正規雇用やアルバイトだけでは月々の学費の借金が返せない人や、正社員になっても給料が安くて、多額の奨学金の返済が出来なくて自己破産してしまう人が少なくありません。話がそれましたが、コースが単一化してしまうと、人と同じようにしないと、社会から締め出されかねない状況が生まれてしまいます。

欧米では大学を出てから、世界1周旅行をして何年か過ごしたり、ボランティアをしてアフリカに数年いても、実力があれば、会社は採用してくれますが、日本の会社では、難色を示すかもしれません。大学の新卒を取るほうが無難だと考えるかもしれないのです。
このような単一化の進んだ社会では、コミュニケーション障害の人は、困難を生じることが多くなります。アインシュタイン並の天才をもしかしたら、潰しているのかもしれません。IQが大きく違う人同士も話が理解できなくてコミュニケーション障害を起こすこともありえます。ドラマのヒット作『ビックバンセオリー』では天才型の物理学者達の仲間が出てきますが主人公の天才教授シェルドンはコミュニケーションに障害がありそうですが、愛すべき人物でその言動がコメディの笑いの種になっています。主人公の同居人のレナードとその恋人のペニーはIQがかなり違うと思うのですが、思いやりと愛情がコミュニケーションの隔たりを補っています。

話をコミュニケーション障害の症状にもどしましょう。病気を伴わないコミュニュション障害はカウセリングなどで、治る可能性があります。私もお手伝いできることがあるかもしれません。その他、境界線上にありそうなものを上げてみましょう。

「雑談恐怖」は仕事や勉強はスムーズですが、休み時間の人との雑談ができにくいです。これも、興味の対象が一般の人たちと違うとかIQの違いによるものかもしれません。自分の話が人にどう思われるか怖がっている人もいるかもしれません。

「吃音症」は他人との会話の最初で緊張して言葉が出にくくなるもので、映画『英国王のスピーチ』の主人公ジョージ6世も吃音症で自らの努力と先生によって治す事ができました。これは、話す場面を嫌うので、コミュニケーションに支障がでます。

「正視恐怖」は会話をしている間に相手の目を見られずに目のやり場に困ったり、逆に見られるのを嫌がります。

「対人不安」は人と会う前に、変に思われたらどうしようとか、どんな態度を取ればいいだろうかとか、何を話せばいいだろうと思い悩んで、人と会うのが嫌になります。ある特定の人だけに不安になる場合もあります。

「対人緊張」は対人不安と似ていますが、大勢の前で話すとか、偉い人と話すとか、好きな人、特別な人と話すときにも起こります。常時この症状が出ないのであれば、コミュニケーション障害のない一般の人にも起こります。

長くなったので、続きは次回にしますね。

不思議な話 その124 曼陀羅のまとめと不思議な映画「アイ・オリジンズ」

 私は最近、ヒマラヤの石を扱っているお店で、チベットの仏教を勉強している少年たちが、収入を得る為と修業のために描いたという曼陀羅(マンダラ)の絵を一つ買いました。額に入れて事務所に飾ろうと思っているのですが、その絵は幾何学模様で描かれ、仏像は描かれていません。赤い厚紙に複雑な円が描かれブルー系の色でグラデーションされていて、中央にインドの古代文字のサンスクリット語(梵語)が絵のようにデザインされています。全体で、この宇宙を表わしているそうです。また、始まりと終わりを表わしているそうです。

 チベットは、歴史の大変古い国で、いままでは独立国でしたが、今は中国の一部になって、チベット仏教のダライラマ氏を初めとして、インドの北部に難民として暮らしている人々や、故郷を捨てられずに、独立できなくてそのままその土地で苦しんでいる人々がいると聞いたことがあります。また、インドの北部にいる人々にはパスポートが簡単に発行されず、仕事もたくさんはないと聞いたことがあります。仏教の信仰が多くの人の支えになっているかもしれません。

 曼陀羅(マンダラ)は古代インドに起源を持ち仏教の発展とともに、中央アジア、古代の中国、朝鮮半島、日本に伝わってきましたが、マンダラは人間の心のバランスをとるのに役に立っているのです。マンダラを描くか、瞑想などでイメージをすると、精神がアンバランスな状態でもその心が癒されることがあるのです。また、瞑想で忘我の境地になった時や、古代のチベット仏教やヨガの修行で、オーガスムズなどの状態になったときも、マンダラのような図形が見えるといいます。

 後半は最近見た不思議な映画、「アイ・オリジン」について書きましょう。この作品は2014年2月のアメリカの公開作品で、日本では上映されていません。DVDにもなっていないで、デジタル配信だけのようです。サンダンス映画祭という映画好きな人が集まる大規模な映画祭で、アルフレッド・P・スローン賞というのをとったそうです。監督はマイケル・ケイヒルという人で、これも最近見たのですが、「アナザー・プラネット」という評判の良い変わった映画も制作しました。「アナザー・プラネット」は別の機会に書きますが、「アイ・オリジン」は前世に関係する映画です。ネタバレがあるので、これから見る人は気をつけてください。

 主人公は「ボードウォークエンパイヤ」というドラマに出ていたマイケル・ピットという俳優で、瞳の研究をしているイアン・グレイという科学者です。
 彼は大学院生のときにハロウィーンパーテイで仮装をしている女の子と知り合います。研究の為、彼女の瞳を資料として撮影させてもらい、流れで、名前も顔も分からない女性と、初対面でSEXをしてしまいます。彼女はその後消えてしまい、彼は彼女に恋をします。人間の瞳は千差万別で、同じものは二つとないということですが、彼は彼女の瞳の写真から彼女の行方を探そうとします。空港で目のスキャンをするので、PC上に指紋のように目の登録が、何億もあるという設定です。彼は謎の女性ソフィ(アストリッド・ベルジュ・フリスベ)をPC上ではなく、偶然見つけ出します。その見つけ出す前に何かの前触れか、コンビニのレシートが11月11日の11時11分11秒と表記されます。その後大きな広告看板に彼女の瞳が写っていました。彼女は広告モデルだったのです。イアンは瞳の研究をしているので、すぐに彼女だと分かり会いに行きます。

 二人は再会してすぐに愛し合い結婚することにします。イアンの助手の大学院生カレン(ブリット・マーリング)がある発見をして、新婚夫婦の二人は研究室に行きます。ソフィはカレンがイアンを好きなのを一目で見抜き、少しやきもちを焼きます。助手のかレンが席を外したときに、新婚夫婦は研究室でいちゃいちゃとして、棚が壊れて、薬品が夫のイアンの目に入ります。目の処置をしてもらい、不穏な空気の中、二人は新居に帰ります。新居は古いアパートでエレベーターが途中で止まってしまい、ソフィは怖がります。イアンはエレベーターの隙間から扉を開けて、階に出てソフィを助けようとしますが、彼女は危険な脱出を嫌がっているうちに壊れて動き出したエレベーターに挟まれて亡くなってしまいます。これが前半で、その後の後半は、それから、7年後です。

 7年後、イアンはグレイ博士となり、彼は無神論者の科学者で、瞳の発達と進化の関係を証明しようとして本を書いたりしてそれなりの成果を上げていました。共同研究者のカレンとは結婚して、まだ1歳前の男の子がいます。その子を出産した大学病院で子供の検診をして、子供の尿から自閉症の疑いがあるので、検査実験に参加してほしいと誘われて、子供の為に参加します。(どうやらこれは嘘らしく、尿から自閉症がわかるというのもおかしな話ですが・・・)生まれた時に撮った赤ん坊の瞳の写真と何年も前からある瞳の光彩パターンのデータと照合して、数年前に亡くなったある黒人男性の関係写真を実験で、見せられていたのです。

 大学病院の女医が何かの研究をしているようでした。子供は自閉症ではなく、黒人男性の何枚かの写真を見て反応していたのです。イアンの大学院時代に共同研究をしていた友人男性が瞳識別認証のデータ会社に勤めていたので、登録されている光彩パターンが自分の息子と一致した亡き男性が住んでいた農家に、イアンは調べに行きます。実験の写真の女性は亡くなった男性の奥さんでした。息子は、亡くなった男性にかかわる写真に反応していたのです。二人は、光彩パターンの同じ自分たちの息子と、亡くなった黒人男性の間に瞳だけでなく共通の記憶があるのではないかと考えました。つまり息子の前世は、息子が誕生する1年ほど前に亡くなった黒人男性ではないかという仮説をたてました。

 共同研究者である妻のカレンは「瞳は魂の窓なのかも。」といいます。亡くなった人の光彩パターンを見て行くうちに、イアンの前に死んだ妻ソフィのデータをPCで探すと、インドのある少女に行きつきました。イアンはインドに飛んで、調べました。その少女はサロミナという名前で、両親が亡くなり身寄りがなくしばらく施設にいたのですが、今はストリートチルドレンになっているということでした。イアンは大金を使って、サロミナの瞳の写真を広告に出し、その瞳の女性を見つけたら懸賞金を出すことにしました。いろいろな電話が入ってきますが、皆、年齢等が合いませんでした。1カ月が経ち応援していた妻のカレンも「もうアメリカに帰ってきて」というころになって、広告の前に立っている7歳くらいの女の子を見つけました。

 イアンはホテルでサロミナを前世と思われる、瞳の光彩が一致するソフィの関係する写真が何枚一致するかでテストをしました。ソフィの好きだった食べ物や、興味があった白い孔雀やソフィの生前の顔をサロミナは正解しました。けれども全体の結果は44%で、確率から行って偶然か必然か、ぎりぎりでした。イアンはサロミナの前世がソフィだったか迷いますが、ホテルを出る時に、エレベーターに乗ろうとするのを、サロミナは極端に怖がるので、彼女がソフィの生まれ変わりであることを確信します。映画はここで終わりますが、後日の映像としてエンドロールの後に、大学の医学部の女医が出てきて、スタッフに今が研究の最適の時だと言って、過去の歴史上の偉人や政治家、キング牧師や、ケネディ大統領や、ヒットラーなどの各国の重要人物の写真と瞳の光彩を赤ん坊と比較研究するらしい、というところでエンドになります。

 私も過去世のデータを見る時にいらっしゃった方の目をアイリーディングしますが、それは目を見るというよりは、目の奥の脳にある過去世や今の人生の過去の情報などを目を見つめることで引き出しています。けれども、映画の中の「瞳は魂の窓」というところは、確かにそういう部分もあるなと思います。この作品も、「アナザー・プラネット」と同じく考え抜かれた哲学的な作品でした。

 とてもよく構成されているストーリーで魅力のある映画でした。

不思議な話 その123 ユングと曼陀羅(2)

 ユングと曼陀羅は一見関連性が希薄のようですが、ユングの考えた「集合的無意識」という概念とも深い関係があるそうです。

 「集合的無意識」とは、ユングの分析心理学で中心の概念で、人間の無意識の深層にある、個人個人の経験を超えたもので、心理学では、「普遍的無意識」と呼ばれています。フロイトの精神分析だけでは、説明のつかない深層の心理を説明するために、ユングはこの考えを思いつきました。

 研究対象の人々のそれぞれのコンプレックスの概念を発見したユングは、個人の表面的コンプレックスよりさらに深いところにある、個人を超えた集団や民族や、人々の心に共通した普遍的に存在する心の作用の元型を見つけました。たとえば、私がすぐ前のテーマで書いた太陽崇拝も世界中の共通する神話に出てきます。太陽を神格化することは、各民族共通です。ユングはそれに気がつきました。さらに、元型の影響で、個人の夢や空想に出てくる典型的イメージは、様々な時代や民族の神話にも共通して存在し、民族に共通なアルカイック(古風な)無意識と考えました。そしてユングはこの領域を「集合的無意識」と名付けたのです。

 元型は、人間の中に古代から刷り込まれている共通の意識ですね。人間の行動や思考や判断は自我と外的作用で決まりますが、一方で、集合的無意識に存在する元型からの影響もあるようなのです。

 ユングは集合的無意識の様々な元型(たとえば、神を創ろうとするとか、太陽を神として崇めるとかすることだと私は思うのですが…)があることを発見しましたが、その原型は最終的には人々の自己の元型に戻ってくると考えました。自己の原型は魂(心)全体の中心にあると考え、外的世界の交渉の主人といえる自我は自己の元型のエネルギーを通して変容し、成長し、理想の「完全な人」を目指すと考えました。

 ユングは生まれ変わりの事は触れていませんが、私はさらに、集合的無意識には、各人の昔の人生(過去世)あるいは未来世が影響していると思います。PCのクラウド情報のように、各人の生まれ変わりの情報が、無意識下で影響しているのではないでしょうか。そして、各現世で積み重ねてきた経験が、次の自分の元型をつくっているかもしれないのです。さらに、過去世などのいくつもの人生を積み重ねることで、魂は変容し、成長し理想の完全な魂を目指しているのかもしれません。

 ユング心理学にもどると、自我が自己との相互作用で成長し、球的な完全性へ向かうことをユングは「個性化の過程」とか「自己実現の過程」と呼びました。

 彼のこの悟りにも似た気づきが、マンダラからもたらされたものかもしれないのです。仏教で描かれたマンダラと彼自身が悩んで試行錯誤したときに描いた円の絵との間に共通点があることにユングは気づきました。

 それでは、仏教におけるマンダラとはどういうものなのでしょうか?一般的には「円」を示すと書きましたが、元々のインドのサンスクリット語では「Manda」という本質を表わす言葉に「得る」という接尾語がつきました。マンダラは、仏教の儀式などに使われる図や絵のことを指し、マンダラは本質や真理を得る為の図ということにもなります。つまり悟りの境地に達した時に理解される図や絵なのです。

 マンダラはまた、仏教の宇宙観を感じる為の助けにもなります。古代の平安時代に密教の一派を開いた空海が持ち帰った「胎蔵界曼荼羅」と「金剛界曼荼羅」は有名です。中心に大日如来が鎮座して各仏が周りを取り囲みます。色彩は多様で見ると心が穏やかになります。

 ユングはさらに、自分の描いた円の絵だけでなく、患者の治療の過程で描く絵が、治療が進むと絵の形が円に近くなることにも気づきました。そこからユングは、患者たちの見る夢にも注目し、マンダラを象徴するような夢の中の映像が多いのにも気がつきました。

 ユングはチベットの高僧に会った時に、マンダラの話を聞きました。チベットの高僧はユングに言わせると次のように説明したそうです。

 「マンダラはラマ僧のみが想像の力によってこれを形成することが出来る。マンダラは一つとして同じものはなく、個人個人によって異なる。また、僧院や寺院に掲げられているようなマンダラはたいした意味を持たない。なぜならそれらは外的な表現にしかすぎないからである。真のマンダラは常に内的な像である。それは心の平衡が失われている場合か、ある思想がどうしても心に浮かんでこず、経典をひも解いてもそれを見出すことが出来ないので、自らそれを探し出さなければならない場合などに、想像力によって心のうちに形作られるものである。」(C.G.ユング)

 ユングはこのマンダラという東洋の絵を東洋の仏教を信仰する人々の内面を表わしたものととらえずに、マンダラは人間普遍的な潜在意識にある宇宙観とむすびついたものと考えました。

 少し長くなったので、次回にまとめましょう。

不思議な話 その122 ユングと曼陀羅(まんだら)

 今日はユングの話ですが、その前に、昨年2014年12月公開の実話をもとにして作られたという映画について書きます。
 原作は『天国はほんとうにあるー天国へ旅して帰ってきた小さな男の子』という話です。その少年のお父さんである牧師が書いた本を、基にした映画です。この本はベストセラーになって900万部を売り上げたそうです。臨死体験を経験した4歳の男の子の父親トッド・バーボは、キリスト教のどの宗派の牧師だかわかりません。けれども、牧師の家に住んではいますが、給料が安いのか、本職の牧師の他に町の消防士と修理のアルバイトなどをしながら、家族を養っています。いつも、経済的には、ぎりぎりで生活しているようで、ときどきお金のことで奥さんともめます。

 家族で昆虫植物園に行った帰りに、2人の子供たちがインフルエンザになり、高熱を出します。その後、4歳の長男は穿孔虫垂炎(せんこうちゅうすいえん、盲腸の重い症状でしょうか?)にかかり、生死をさまよって手術を受けます。両親とお姉さんである長女、牧師の教会の信者たちの祈りの中、手術は長くかかりました。その時に4歳の男の子は、臨死体験をします。「ボクは死んではいなかったよ。」というのですが、彼は体を抜けて、空中から手術を受けている
自分の体を見ます。そして、母親が友人に電話をかけているのを上から見て、父親が祈りながらかんしゃくを起こしているのを見ます。

 男の子コルトンは命が助かるのですが、回復後肉体から離れたことと、「僕は天国へ行ったよ」と奇妙なことを言います。この話を聞かされた、父親で牧師のトッドは、いつも天国や神の話をしているのに、自分が天国を信じていないことに、気がつきます。トッドは牧師なので、死が近い人の枕元に呼ばれて、「みくにが来ますように」と形式的に死者に祈りを捧げていました。新聞記者が噂を聞いて記事を書きますが、話が町に広がると、牧師のトッドも天国ネタで他人にからかわれたり、娘が男の子に弟のことでいじめられて、いじめた男の子たちを殴ったりします。

 4歳の息子はさらに天国で、生前会ったこともないお父さんの死んだおじいちゃんに会ったり、姉と自分の前にお腹にいたお姉さんになるはずだった女の子に会います。胎児だった女の子は天国では成長していました。また、メガネをかけて、年をとって亡くなったおじいちゃんにも会ったのですが、彼は若返っていました。牧師が若いころのおじいちゃんを息子に見せると、会ったのはこの人だよと言いました。牧師は息子のことばをだんだん信じて確証を持ち始めます。

 牧師のトッドは超心理学の教授に科学的な説明を求めに行きますが、答えは見つかりません。トッドは信仰を見つめなおさざるを得ません。「天国はあるのか、死後の世界はあるのか?」という問いに対して、死んだら分かるけれど、死んだら生きている人に教えられないという矛盾があります。

 町の信者たちの一部や教会の役員たちは、この天国の話に皆の常識からかけ離れている為、トッドをその教会の牧師から解任しようとします。コルトンはさらに天国で、キリストに会ったといってその風貌を語ります。彼らの住んでいるアメリカの裏側の国にいる少女も臨死体験をして(これも実話らしいです)、その間に天国を見て来て、その絵を描き続けます。牧師は、ネットでその絵を見つけて息子に見せると、息子コルトンの会ったキリストの姿と一致したのです。

 町の人々は牧師の説教に感動して、TVからも取材が来て、トッドは牧師の職が続けられることになり、そのあと本を書いてベストセラーになるのです。息子のコルトンは、「その人の心にイエスがいないとだめ、もし、心にイエスがいなかったら、天国に行けないし会えないんだよ」と言いました。

 この映画を見た私の感想は、実話をもとにしているので、その現実性を持たせるため、凡庸な作りになり、盛り上がりに欠けた宗教映画のようではありますが、その中の事実の一部は光っているなと思いました。この4歳の男の子の見たものは、私がいつも言っている中間生の入り口に行って見たものです。

 私がいつも言っているように中間生(あの世と言われているところ)には物質はないですし、人間の考える天国や地獄や、どちらかに振り分ける審判はありません。けれども、その人が生きて信じて、想像した死後の世界が広がっています。キリスト教徒の天国だけがあるわけではないのです。生前にイスラム教であったら、イスラム教の天国に行き、その神に会うことがあるかもしれません。ユダヤ教徒だったら、ユダヤの神に会うかもしれません。ヒンズー教徒なら、ヒンズーの神、仏教徒ならお釈迦様にあうかもしれません。

 何の信仰も無い人は、宇宙人のような人に会ったり、ガイドのそのままの姿に会います。生きている時に悪いことをしたと自覚して、地獄に行くことを切望した人は、罪悪感の為に、地獄の世界を作り上げるかもしれませんが、実際には地獄はありません。行くところが皆違うようにみえますが、どんな国でも、どんな民族でも、どんな宗教でも、善人でも悪人でも、どんな貧しい人でも金持ちでも、名もない人でも身分の高い人でも、生まれ変わりのシステムに組み込まれていることはみんな、平等で一緒です。

 さて、後半はユングの話です。心理学者のユングは、悩みが深くなった中年期に、自分の生き方、研究の方向性についてうつうつとしていたそうです。そんな時に、ユングはよく、円形の絵を描いていました。なぜ円形の絵を描いてしまうのか最初はその意味を理解できなかったそうです。精神的に安定している時にはきれいな円になりますが、心が不安定な時はその描く円がいびつになることに気付きました。

 そして、ユングは自分の描いた円と東洋で瞑想の時に使われる曼陀羅「マンダラ」との共通点に気がつきました。「マンダラ」とは仏教の時代のサンスクリット語で「円」を意味する言葉です。このマンダラ、「円」は理想的な精神状態を表わす言葉として使われます。人間は「したいけれども、できない」とか、「好きだけれども、嫌いだ」とか自分の中で相対立するさまざまな感情を持ちます。マンダラにはそれを統合するという意味もあります。

 ユングがマンダラを知ったきっかけは友人のリヒャルト・ヴィルヘルムという人から贈られた東洋哲学の訳本からだったそうです。ユングはその後、東洋哲学に興味を持ち、熱心に研究するようになったということです。

 次回にこの続きを書きますね。
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観音寺りえ

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