不思議な話 その68 鬼について(3)

 子供の頃、何かで「なまはげ」の映像を見たか、実際に見たのかは定かでないのですが、「なまはげ」がとても怖かったことを覚えています。「なまはげ」は今では重要無形民俗文化財になっているようで、秋田県牡鹿半島に伝わる風習です。男の人たちが、ある季節、確か冬だと思うのですが、各家庭を「悪い子はいねか~」「親の言うこと聞かね~子はいねか~」と言ってわらの蓑を着けて、鬼の面をかぶり偽物の包丁を持って、子供たちに会いに来ます。子供たちはその姿に怯え、良い子にすると約束するという風習です。鬼の扮装をした人は、シリアスに怖い声を出して脅します。大人でも怖いくらいです。

 「なまはげ」の語源は「なもみ」という手足にできるやけどの意味で、東北などで、なまけて囲炉裏にばかりあたって、ごろごろしている子供たちをいましめたことから、いろりにあたりすぎて、できたやけどの「なもみ」を包丁で剥ぎにくる鬼ということから、「なもみはぎ」がなまって「なまはげ」になったといいます。ここでは、鬼は子供を脅してはいますが、良い道に導く役割をしていますね。

 前にも書きましたが、中国では、鬼は「グイ」と言って死後「魂魄」(こんぱく)になり、「魂」(こん)は天に昇り、「魄」(ぱく)は肉体なので地に帰り土になりますが、死者の国(あの世)から帰ってきて、幽霊や亡霊となり、人に祟るものが、中国では「鬼」です。「鬼」は「帰」(き)に通じるのです。

 基本的には中国では、特別な場合を除いて、人間はすべて死ねば鬼になります。中国でも鬼はすべて恐ろしいだけの存在ではなく、極めて人間的です。かならず人間に恨みを持っているというわけではなく、人間とともに暮らし、食事も恋愛もして、鬼と人間の恋愛の話もあります。生きている人間との間に子供をもうけるという話もあります。日本でいうところの「妖怪」のような存在でもありますね。

 中国では、あの世とこの世は別のものなので、基本的には死者(鬼)の姿は生者には見えません。鬼を見る能力のある者もまれにいたそうです。心残りや恨みのある者は多くの生者にも見えることがあります。ちゃんと供養してお祭りをしてもらえない鬼も食べ物や紙銭(お葬式の時に中国や台湾では紙で作ったお金や家や車や財産や紙の使用人などを棺に入れて埋葬します。あの世に行ってもお金が必要なので困らない為です。)を求めて姿を現します。鬼は生前の自分の姿や死ぬ直前の姿で現れます。日本の幽霊と同じですね。むしろ、日本の幽霊観や祖霊信仰は、中国の影響を受けたのでしょう。

 鬼は生きている人間を基本的には、直接傷つけることはできないというルールがあるようです。中国の物語では、恨みを晴らすために、この世の官吏に訴えて、この世の法律で裁きを求めるという物語も多いそうです。

 中国の物語で、鬼が神の代理をしている話があります。観音菩薩などの廟は中国各地にあり、1人の神様や仏様では、対応できないと、天界から任命された鬼が、廟の運営を代行したりするそうです。この代行は高収入?なので、鬼同士のその仕事の争奪戦があったり、その廟を大蛇や白い大猿やキツネなどの妖怪に乗っ取られて鬼が追い出されるという話まであるそうです。まるで、妖怪大戦争ですね。

 亡くなった人にご飯や食べ物を供えるというのは、欧米の風習ではあまり耳にしませんね。欧米のドラマでは、明るい芝生などのお墓に花束を置いたり、お酒の好きだった故人の墓石にお酒を注ぐのは見たことがありますが、お供え物の作法のようなものは、アジアのようにはないようです。祖先の墓や仏壇に毎日供物をささげる風習は、アジアでも、仏教国の中で限られた地域ですね。祖霊崇拝も世界の中では少数派です。ルーツを探ったり、お城や財産のある家柄以外は、欧米の人々(キリスト教やユダヤ教)は先祖代々をお祭りするということは、あまりないようです。イスラム教は詳しくは分かりませんが、同じだと思います。

 話を鬼にもどしましょう。鬼のキャラクターや考え方が入ってきたのは、仏教が入って来た時と同じくらいではないかと思います。というのは、日本で最古の建造物である法隆寺(聖徳太子が作ったと言われている年代建立)の金堂にある仏像多聞天の足に踏まれている生き物はなんと、鬼の姿をしているのです。これは飛鳥時代に想像されて作られた邪気(じゃき)仏教での鬼の姿です。日本の紀元後500年代の飛鳥時代に、鬼の姿が知られていた証拠ですね。

 仏教の世界では、(お釈迦様以後の人々が考えた世界観です。)「六道輪廻」(ろくどうりんね)という考え方があります。上からレベル分けしていますが、天・人・修羅・畜生(動物)・餓鬼・地獄というふうに六つの世界の中で、鬼は文字通り、餓鬼界と地獄にいます。餓鬼界はつねに飢え苦しみ、欲望のかたまりの世界です。地獄では閻魔大王さまが裁判をして、生きていた時の罪を検証し、地獄に落ちた亡者に罰を与えて苦しめるのが、確か鬼の役目だったような気がします。この六道輪廻は、今の仏教では代表的な考え方ですが、お釈迦様の説いた古代仏教では、地獄という考え方はありません。対比される極楽もありません。

 私は、これは仏教が理論から庶民の間に広く普及した時に、信仰をわかりやすくするために付け加えられた思想だと思います。生き物はこの六道を生まれ変わるので、「秩序を守って良いことをしなさいよ」という教えになっているのです。人はレベル分けが好きなので・・・

 仏像では鎌倉時代の運慶が毘沙門天を造ったときに、鬼の姿も彫っています。毘沙門天の足に踏みつけられている姿です。その姿は悪党というよりも、悪さをしたやんちゃな子供のように可愛くもあります。お寺の門などを守っている不動
明王の姿も、その怒りや威嚇の容姿から、鬼の姿を連想することがあります。

 鬼は欧米の悪魔と違って、単なる悪者ではなく、罪を犯したり、間違ったことをしていても、仏教の教えの光明を受けて改心し、逆に仏教を擁護する弟子のような存在と解釈され、仏教や人々を守る役割を仰せつかった為に、人々から愛されている側面もあるのかもしれません。ちょうど、日本に古代からある神々と仏教が混じり合い(神仏習合)した時も、
神は仏の守護神になったりしました。鬼も神と同等に扱われる時もあるのです。

 次回も面白い不思議なテーマを探しましょう。 
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不思議な話 その67 鬼について(2)

 鬼の言葉の起源は、1、隠(おん)の字と音から転じたという説と 2、陰の字から転じたという説と、3、日本古代の固有名詞という説と4、大人をさすという説があるそうです。『源氏物語』に登場する鬼は皆、女性の姿をしていたということで、怨霊や霊をさしていたのでしょう。

 説話の中の鬼は鬼を退治した侍が切った片腕を取り返すために、女に化けて武者に近づきます。息子の片腕があるだろう、それを見せてくれと言ってたちまち腕を奪い取って逃げて行きます。

 鬼は古代は一定の形、キャラクターはしていなかったのですが、その後、家相等で知られる丑寅の方角と関係があるといわれて次のような姿が一般的になりました。しゃれのようですが、牛の角と、虎の皮のパンツを鬼ははいていますね。その姿は牛と虎からとられたともいいます。肌の色はいろいろで、「赤鬼」「青鬼」「緑鬼」などと呼ばれます。外国の見慣れない人の姿を見て、想像してその姿が出来たという人もいます。

 私は家相も見ることができますが、日本の家屋はたいてい見取り図が正方形や長方形が多いので。3分の1以上かけていたら、欠けているところを補うか3分の1以下なら削り取った、家の平面の図の対角線上が家の中心になります。その中心の点を通って、東西南北に線をひきそれが正中線になります。北東の丑寅(うしとら)の方位は、「鬼門」といわれ家相では汚したり、方位を犯すことを嫌がります鬼門の反対側を「裏鬼門」といい鬼門と裏鬼門を結んだ線が「鬼門線」です。この線はエネルギーの強いところで、日本の住宅事情では難しいかもしれませんが、その鬼門線上に体がかかるような寝る位置はあまり感心しません。頭が鬼門線にかかると、不安定になったり、頭痛がしたり、熟睡しにくいとか、あまりさえた状態にならないかもしれません。また、体が鬼門線にかかって寝ているとその部分の故障が起こりやすいです。何も影響を受けない人もいますが、受ける人も少なくないです。

 鬼門には、トイレや水回りをさけて設計されることがあります。これは、暖房設備のあまりない昔から、北東の方位は湿気やすく、カビが生えやすいことから、いつもじめじめしているものを配置するのは、よくないという根拠があるようで、科学的に裏付けがあります。一方裏鬼門は南西で西日が当たる為、冷蔵庫のない昔の時代では、物が腐りやすくなります。食料品を置いたり、火をここで使うのはあまり好ましくないですが、マンションやアパート等の集合住宅、都市の住宅ではやむを得ないこともあります。

 鬼の話にもどりましょう。日本では古くから鬼をテーマとした「鬼むかし」とよばれた昔話に鬼が頻繁に出てくる話があります。日本人の祖霊に対する信仰は昔からあり、伝統的な祭事は祖霊の神を迎えることから始まります。祖霊の中でも日本人を悩ましたのは、荒ぶる神で、日本人の農耕にわざわいをもたらす時、それは、疫病神として人間に対峙しました。鬼は人間に害をなすものとしての一面も備えながら、神としての一面もあるのです。古代の「日本書紀」にあるように荒ぶる神としての鬼は身分の高い豪族の蘇我入鹿の霊が、斉明天皇の葬儀で、大化の改新の時に殺された者の怨念として鬼になって、後の天皇にたたりを及ぼすと考えられました。 

 また、その後の時代の菅原道真は、権力闘争で敗れ、九州の太宰府に流されてその後亡くなり怨霊(鬼)となって、都に出没し、たたりをもたらします。日本人にとっては、鬼は端に悪いことをする悪鬼というだけでなく、時に荒ぶる神となり、後の時代に信仰の対象となります。神に近くなった鬼は鬼神となりこの世を超越する存在となり、意味がさらに拡大して、尋常でない能力を持つ人を鬼才(神が与えた天才)という表現をして尊敬しました。日本人は、善悪という二元論の一方にいる悪としての鬼だけではなく、善悪を乗り越えた尊敬すべき対象としての鬼を迎え入れる懐の深さを古代から持っていたのです。
 
 国語学、日本語学の研究者の大野晋氏(1919~2008年、『日本語練習帳』などのベストセラーを書いた。)は日本語をタミル語由来であるという説を唱えていましたが、日本では鬼を「おに」と呼ぶ以前に「もの」と呼んでいたのに平安時代末期に「おに」の読みにとって代わられたことを指摘し、さらに大野晋氏はタミル語でも「鬼」は女性からなるものと考えられ、日本語の鬼は、中国の道教が伝わって広まる以前の弥生時代から南インドにおける鬼(モノ)を恐れる観念(怨霊信仰)が伝わり、その鬼の由来となったと考えました。

 次回は、中国での鬼に対する古くからの考えをまとめ、仏教の中での鬼の位置を考えましょう。

不思議な話 その66 鬼について

 今回は趣向を変えて、「鬼」に関する話です。日本人にとっての鬼のイメージは、そのイメージする範囲が広いと思いますが、一般的には現代では私たちがよく目にするのは、節分の鬼のお面です。節分でなぜ豆まきをする習慣があるかというと、節分は旧暦では新年です。新年に今年1年健康であるように、病の鬼(疫病の神)を熱く炒った豆で撃退するのです。鬼のお面をかぶった人は鬼に扮して、豆の攻撃から家の外に逃げます。

 日本の古典文学等では鬼は登場していました。古代では鬼は「もの」と呼ばれ、『古事記』や『日本書紀』にも出てきます。900年前後に出来たとされる『伊勢物語』という歌物語でも、主人公の男が夜、女(姫)をつれて逃げている途中で鬼に女を一口で食べられてしまうという物語があり、戦争や災害や飢饉などの突然の人の死などを例えて鬼が異界につれさるなどと表現しました。平安末期から中世の時代の説話にも鬼はやはり、人を襲って食べたり、怨霊になって人に害をなしたりします。

 鬼の研究をした馬場あき子さんという人は。鬼を5種類に分けて、1、民族学上の意味での鬼は祖霊や地霊。2、山岳宗教系の鬼、山伏系の鬼(天狗などをさすそうです。)3、仏教系の鬼、邪鬼、夜叉、羅刹。4、人鬼系の鬼(盗賊や凶悪な人)。5、怨恨や憤怒によって鬼に変身する。

 鬼の概念は6世紀後半に中国から入ってきたらしいのです。中国では死んだ人は皆鬼と呼ばれるので、日本で言う「霊」と同じ意味かと思われます。

 中国で亡くなった人をなぜ「鬼」とよぶかというと、中国人の哲学的観点である、道教と儒教の影響があるようです。
道教では、人間の死に関して「魂魄」という考え方をしました。「魂」は精神をささえる気をさし、「魄」は肉体をささえる気をさします。魂と魄は易経の思想で言うと、魂が陽で、天に帰り、魄は陰で地に帰ると考えられました。中国の民間信仰では、三魂七魄あるとされました。三魂は天魂(死後天に向かう)、地魂(死後、地に向かう)、人魂(死後、墓場に残る)七魄は感情で、喜び、怒り、哀しみ、懼れ(おそれ)、愛情、憎しみ、欲望をさすようです。

 昔、「キョンシー」の中国映画が流行りましたが、このキョンシーは魂が天に帰り、魄(肉体)のみの存在で、今、はやっているゾンビと共通するところもあるかもしれません。

 道教より少し後に出来た儒教では魂魄の解釈は少し違いがあります。儒教の朱子は、世界の物事の材料はすべて「気」で、人間は「気」の中でも優れた気「精気」の集まった存在と考えました。「気」が散じて死ぬのです。気は再び集まることは、儒教では考えれないとするので、仏教の輪廻転生の再生産を否定しています。

 気が散じて死ぬことで、魂は天に昇り、魄は地へ帰り、「鬼」になります。この儒教の朱子の考え方に日本の鬼についての考えや、祖霊信仰の考え方にも影響されているのかもしれません。散逸した気が再び集まって、この世に招魂されるのか、一度散逸した気は再び集まり来ることが出来るかで、祭司を何の為にやるのかという論争が林羅山などの朱子学者の間でおきました。日本の江戸時代では、無鬼論者(伊藤仁斎)と有鬼論者(荻生徂徠)とに死者に対する考え方が分かれました。

 鬼の解釈をもっと広げると昔話の中に出てくる妖怪も入ります。『今昔物語集』という仏教説話集では、百鬼夜行の話や鬼についての話は十話以上あります。百鬼は異界(他界)とこの世との境界を行き来します。さらに広げると、鬼と神は同義として使われます。

 次回この続きを書きましょう。 

 

シュタイナーの不思議な話ー神秘学概論ーまとめ

 ここ数日凄い暑さが続いていますね。読者の皆様に暑中お見舞い申し上げます。お互いに熱中症に気をつけましょう。昨日は上野公園の東京都美術館で「オランダ・フランドル絵画のマウリッツハイス美術館展」に行ってきました。日本で初めてヨハネス・フェルメールの「真珠の首飾りの少女」が展示され、 「真珠の耳飾りの少女」も同時に展示されたので、見てきました。ブログで以前に透視の依頼があって、その絵について透視をしたことを書きました。よかったら、昔のブログ読んでみてください。

 昨日の上野公園は暑くて、美術館へ行く途中の交番の横の温度計は37度を指していました。気象庁の発表では、東京はお昼くらいに33・5度くらいが最高温度ということでした。気象庁の発表の観測点の温度はやや涼しい風通しの良いところに置かれているのかもしれませんね。午後3時ころ通りかかったのですが、絵を見終わって、同じ交番の横の温度を見たら5時半で33.5度でした。暑くて気持ちが悪くなるくらいですね。温暖化ではなくて、太陽の変化に伴う異常気象で暑い時はさらに暑く、雨が集中的に降り、冬は温暖なところが寒く、地震も前より活発になり、富士山の噴火も連動するかもしれません。江戸時代でも前に書いた太陽の黒点の数が減り、異常気象となる極小期が2回きたようですが、いろいろな天変地異はあっても、先祖である江戸時代の人々は、皆で協力して乗り越えました。その時のリーダーもしっかりしていたお陰もあると思います。大変な時を武士だけ私腹をこやすことなく、質素倹約令をだして、みんなで我慢したようです。マウンダー極小期に気候変動で、江戸でも飢饉があったとき、まだ幼かった綱吉でしょうか将軍がおかずが足りないと文句を言ったら、「将軍様なにを仰せですか、下々の民は飢えているのですよ。」と母親か乳母が言ったという逸話が残っています。今は科学が発達しているので、食料について、もっと工夫ができるのではないかと信じたいです。でも耐えるちからは私自身を含めて、一時代前のかたより弱くなっているかもしれません・・・

 さて、今回シュタイナーの不思議な話の最後です。私の意見はシュタイナーを盲信しているわけではありませんが、こういう考えもあるのかということで、引用してまとめてみます。とても難解です。
『神秘学概論』のまとめの前にシュタイナーが独自に提唱した「オイリュトミー」について簡単に触れておきますね。彼の作ったオイリュトミーとは舞踏のような運動です。パフォーミングアーツとも言われています。

 意識と身体のギャップを埋め、言葉または音楽の力を全身の動きに変換して、内臓を動かすエネルギー、と惑星を動かすエネルギーを関連つけるそうです。言葉や音楽の持つエネルギーを身体表現にするそうです。子音の動きと母音の動きを組み合わせることで、言葉を立体的に表現するそうです。

 この考えをもとに、舞踏の芸術オイリュトミー、教育オイリュトミー、医術の療育的なやり方の治療オイリュトミー、職場でのソーシャルオイリュトミーもあります。音楽を伴うやり方と言葉を伴うやり方があるそうです。演劇の分野にも取り入れられているようです。


 シュタイナーの『神秘学概論』では、「眠りと死」の章で、シュタイナーは死後霊界(あの世・中間生とも重なるかもしれません。)では感覚界と同じように色をともなって現れる。といっています。確かに、私が見ている中間生でも、光の色は大事です。

 シュタイナーは前世のことをはっきり言っています。彼は「つらい出来事をそれまでのように単なる心を苦しめる、事柄だと考えるのではなくて、前世における自分が自分に課したものだと理解することで、それは必然的で自分が乗り越えるべき出来事だと受け取ることが出来るようになる。」と言っています。

 「宇宙の進化と人間」の章ではもっと難解で荒唐無稽とも思えるような内容です。彼は地球は遊星状態の再物体化?として現れたとしています。次に地球上で自我が肉体、生命体、アストラル体の中に入って人類が進化するという経過を経たと考えました。それまでの人類は自我を有していなかった?というのです。そして、地球を生物のように考え、人類と遊星としての地球が進化をしてきたと書いています。

 シュタイナーは、最初の遊星物体化の時期を「土星紀」第二のものを「太陽紀」第三のそれを『月紀」と呼び、第四の遊星物体の時期を「地球紀」と名付けました。そして、土星紀には、人類は肉体しか有しておらず、太陽として再物体化してから、肉体は発展し、エーテル体と結びついた。月紀にも同様なことが起こり、アストラル体と結びついた、そして、地球紀に自我を有するようになって、肉体は第四の進化状態にあるというユニークな論を展開しました。

 シュタイナーは月紀の終りに人間を悪のほうに誘惑するルツィフェルという、キリスト教で言う悪魔のような存在を考えました。そのルツィフェルの悪い影響から部分的にまぬかれた少数の人たちがその破滅から逃れて、現在は大西洋の海水に覆われている地球へと移住して、この移住先が「アトランティス」であるとしました。
アトランティスの栄えた時期をシュタイナーは「アトランティス期」と呼びました。またその前の地球の進化の最初から「ヒュペルボレイオス期」、「レムリア期」と呼んでいます。彼によると、アトランティスの人々は、生命体を通して、形態霊の領域と完全に結ばれることができたと考えました。そして、アトランティスの人々は、自分たちがある偉大な存在によって導かれていたことを知り、その存在は、太陽と地球の分離を指導したものであり、太陽に属するものであると考えています。

 そして、そのあとは無理なこじつけになりそうですが、キリストがアトランティスに重ねて描かれています。そして、彼はこのキリストの信託を太陽の信託と結びつけています。アトランティスの中期に低次のものが秘事参入者を誘惑し不幸が増大したために成長力と生殖力が母体から切り離され、単独で利用されたので、空気と水の破局が訪れたというお話を、シュタイナーは語りました。そして、アトランティスは破壊され、アトランティスの人たちはその地域を離れ、移住を開始したというのです。その先は現在のヨーロッパ、アジア、アフリカ(もちろん南米も入ると思います。)であると言うです。私はアトランティスに関してはシュタイナーと考えを異にしますが、一つの考えとしては面白いですね。

 『神秘学概論』の最後のほうの章は「高次の諸世界の認識(秘事参入とイニシエーション)」や「宇宙の進化と人類の進化の現在と未来」などですが、また別の機会にふれますね。まさに先駆的なスピリチュアル?の教科書といってところでしょうか?このあといろいろな人が彼の考えをまねて、オリジナルのように語っています。

 アトランティスに対する私の考えは、ブログのずっとあとにまとまったら、書きますね。

 

シュタイナーの不思議な話ーその3と、直前の前世の話

 今日は前回の続きと難しい話で退屈な人もいると思うので、事務所で出したたくさんの過去世の中での様々なお話を、前座で少し書きましょう。

 先日いらしていただいた方に、1年ほどまえだったでしょうか、直前の前世をお出ししました。また、先日いらして、その彼女の前世について調べたことを教えていただきました。

 その前世はこんな人生でした。彼女はやはり女性で、1920年代にフランスで生れました。彼女の父親はユダヤ系の学者で、科学者でした。研究をして大学で教えてもいました。彼女が14歳くらいの頃、ヨーロッパでドイツが戦争を始め、いろいろな国が巻き込まれました。1940年にフランスがドイツに占領され、父親は家族の移動に目をつぶるという条件で、ドイツに研究で協力しました。母親と彼女と弟はフランスからイタリアスイスに逃げて、レジスタンスの人の協力で、ヨーロッパからアメリカの親戚のもとへ世話になることができました。母親のアメリカの親戚は製造業をしており、母親は工場の経理の仕事を手伝いました。

 直前の前世の彼女は、西海岸の服飾系のアートカレッジへ行って、弟はマサチューセッツ工科大学に入りました。戦争が終わり、彼女はヨーロッパにいた父親には会えませんでした。彼女は西海岸で建築家と結婚し、彼女はJJというブランドをつくって働きながら、男の子と女の子を育て、ブランドの宣伝やファッションショーやイベントで西海岸と東海岸を飛行機で行っ
たり来たりしました。そして、40歳ちょっとで1960年代に飛行機事故で亡くなったことを現世の彼女に告げました。

 それから、1年ちょっとして、先日彼女がいらしたのですが、実際にアメリカの婦人服のブランドで、1960年代前後にJJというブランドがあり、女性が作ったブランドであることをつきとめ、作品を服飾史の歴史の情報から調べて見せてくれました。たしかにラベルにJJとあり、コートやスーツでとても上品なデザインでした。

 そして、もうひとつ驚いたのは、彼女が直前の前世で乗っていて、事故にあった飛行機の便数を見つけてくれたことです。事故は1962年の3月1日に起こったもので、アイドルワイルド空港(現JFケネディ空港)のニューヨーク・ロス往復便のアメリカン航空1便、ボーイング707とボーイングN750の衝突事故でどちらの飛行機に乗っていたのか不明ですが、彼女は苦労して捜し出してくれました。メンテナンスミスと製造工程のミスが重なって、あり得ない衝突事故が起きたようです。

 彼女はそのことを確かめるために来てくれましたが、彼女も私も証拠を見て驚きました。

 直前の前世がたまたま有名な事故や戦争中の有名な戦艦等で亡くなった場合は、このように調べたことと一致することが、いままでいくつかありました。

 それでは、今日のテーマのシュタイナーの提唱した人智学について少し書きますね。

 人智学(アントロポゾフィー)はシュタイナーが初めてつくった学問というわけではなくて、1500年代、16世紀世紀からその概念はあったようです。語源がギリシャ語の人間を示すアントローポスと叡智を表わすソピアをルドルフ・シュタイナーが合成して作ったのは確かなようです。けれども、1575年にドイツのハインリヒ・コルネリウス・アグリッパが考えた学問であるということです。(ウィキペデアから)いつできたかわからない『古代魔術のアルバテル至高の叡智の研究という書』で人智学(神智学も)は「自然的事物に関する知識」「人間的事象における狡滑さ」?と訳されているそうです。1800年代初めにスイスの医師で哲学者のイグナツ・パウル・ヴィタリス・トロクスラーという人が人智学の概念をうけつぎ、彼は生智学生命と叡智に分類しました。彼は人間の自然に対する認識のことを人智学と呼びました。彼はすべての哲学は同時に自然認識でなければいけないと考え「本来的な人間」に基づいた「客観化された人間学」でなければいけないと考えたのです。当たり前と言えば当たり前の考え方だと思います。西洋哲学の根底にはいつもキリスト教のしばりがあったので、気の毒といえば気の毒ですね。彼は神と世界は人間の自然において神秘的過程を通して統一されると考えました。

 その後、イヌマエル・ヘルマン・フィヒテと言う人が、『人間の魂に関する学問』(1856年)で人智学とは「人間の根本的自己認識」神的な精神がいることの実証は、自分の内側に目をむけること」と言っています。

 その後ギデオン・シュピッカーという宗教哲学者(1872~1920年)が人智学を次のように言いました。「化学においての問題は事物の認識である。一方哲学においての問題は、この認識に関する認識を裁く最終的な審判である。したがって、人間の持つべき本来の研究課題とは、人間自身に関するものであり、同時にそれは哲学の研究であり、その究極の到達点は自己認識あるいは人智学である。

 その後ロベルト・ツインマーマン(1824年~1898年)は1882年に人智学と言う言葉を使い、哲学講義をしていました。それを聴講していたのが、シュタイナーで、神智学で神秘的なことに興味をもったシュタイナーは、ゲーテ研究から興味を持ちそして、神智学協会にはいってその思想に賛同していたシュタイナーはやがて、神智学の幹部と考えが合わなくなり、ドイツの神智学の信者?を連れて、人智学協会を作ったわけです。まるで、新興宗教の内部分裂のような話ですね。神智学のレッテルが人智学に張り替えられたわけですね。

 シュタイナーは人智学を霊的な世界観、人間観から解釈し、それを汎用性のある、教育、医療、芸術、農業、経済、宗教などの広い分野に応用しようとしました。

 長くなったので、次回に彼の人智学の考えが表われている『神秘学概論』の一部を引用してまとめてみましょう。
プロフィール

観音寺りえ

Author:観音寺りえ
アトラス研究所の観音寺りえです。

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の方は当研究所 
住所: 東京都文京区千石4-37-10 
TEL: 03-3942-1341
まで。

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