不思議な話 その94 中間生とホログラフィック宇宙論 

 臨死体験のまとめを書いてから、今日のテーマに移りましょう。私が体験者から直接あるいは間接的に聞いた話でも、本で読んだものでも、次のような事が共通しているようです。

 ☆死んで知覚がないはずなのに、死の宣告が聞こえる。死亡時刻などを告げる医師の声が聞こえる。身体が空中に浮かぶ感覚や、病室や医師の様子を正確に描写できるほど意識が覚醒していることが多い。☆肉体から抜けたら心が安心するというか、安らいだ平穏な感じがする。☆耳障りなブーンという音がすることもあるが、周囲の人の声や医療用機械の音が聞こえる。☆暗いトンネルや、トンネルのようなチューブの中を通る、遠くに光が見える。あるいは光のチューブを通る。(暗いトンネルのを通る感覚のあとに体外離脱をするような感覚になる場合もあります。)☆死んだ家族や友人やその他の人々に会う。☆光の塊の生命のようなものや、人の形をした光の生命体に出会う。☆自分の過去の人生を早送りの映画のように見る。死ぬ前の人生を振り返る。☆死後の世界と前日の世界の境界線を感じる。(感じない人もいます。呼び戻される感覚になる人もいます。)☆蘇生する。生き返る。

 臨死体験は自殺の場合は、ほとんど起こらないと言われています。事故や病気で一時的に心臓が止まった時に多いのです。また、現世で身体の不自由だった人や、目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりしていたのに、臨死体験をすると、不自由だった身体が普通に戻り、目が見え、耳が聞こえるようになった例があるそうです。息を吹き返した後は、身体はもとの状態に戻るそうです。

 次に最近知ったホログラフィック理論では、日本人科学者が、あくまで理論上のことですが、「宇宙はある種のホログラムであること」を理論的に証明したというのです。2012年12月に「私たち人類はコンピューター・シュミレーションの中に創られた宇宙に住んでいるという」という仮説の理論を検証する実験が開始されるという記事が、アメリカのデイリーギャラクシー誌に掲載されました。

 「宇宙ホログラム理論」は、1972年のジェイコブ・ベッケンスタインに次いで、イギリスのオックスフォード大学の哲学教授のニック・ボストロムという学者が、2003年に発表した論文の中で「現在の人類が、コンピューター・シミュレーションの中において生きている可能性」について書きました。まるで、ヒットした映画「マトリックス」の世界のようですね。

 2012年にドイツのボン大学の物理学者シラス・ベアネが、このシュミレーション仮説をテストする方法を開発したのだそうです。「格子ゲージ理論」というそうです。すごく難しくてわからないですが、量子論は時間と空間を区別して論じているそうですが(ミンコフスキー空間)そのミンコフスキー空間を回転させ、ユークリッド空間へ移すと、時間と空間が区別なく?扱うことが出来るそうです。この上で連続的な時空を立体的な格子に区切って計算するそうです。?

 日本人のホログラッフィック理論は京都大学の花田政範氏と筑波大学理学部の百武慶文氏を含む4人で発表されたようです。彼らはプリンストン大学のフアン・マルダセナ教授の仮説(重力は無限に細い振動する弦(げん)から発生する。これらの弦は別の宇宙から来るプロジェクションのただのホログラムであるかもしれない。宇宙は次元がより少なく、そこは全く重力が働いていない。)日本の研究チームはブラックホールモデルに関するものとパラレル宇宙に関するものの2本の論文を発表しているということです。百武氏はブラックホール内部のエネルギーを計算し、その「事象の地平線」の状態、そのエントロピーと弦理論が予定している多くの物象の特性を分析しているのだそうです。もう一つの論文では、ホログラムの源泉である低次元無重力宇宙の内部エネルギーが考えられているそうです。

 簡単にいうと、計算によってこの世は宇宙に投影されているホログラム(3D立体映像)だということがわかったというのです。すべてのものを吸い込むブラックホールは、3D映像を2次元のかたちにしてデータにおとしている情報システムかもしれないのです。この理論に従うと、宇宙はビックバンで光の点だったものが膨張して広がっているのではなくて、限りある空間に2次元情報から映された3次元映像ということになります。そうすると極端にいえば、地球のホログラムが入るだけの空間があれば、事足ります。もっと大きくても太陽系の星星が入るような空間があれば、事足ります。そうすると、太陽の燃え方も何かが調節しているということになります。温度の極めて高い太陽の中に入れる宇宙船があっても可能です。

 この考え方でいくと、太陽系や地球上では、質感があり、その中だけの物理法則に沿って動きますが、その枠外では、その物理法則は適用しなくていいのです。そうすると、生まれ変わりの理由や仕組みのなぞ解きもとても分かりやすくなります。私のこの人生での役割は皆さんの生まれ変わりの3D映像を見たり、調整をしたりするエンジニアのような仕事ということになります。ホログラムの調子を見たり、映画になっているものを変更したりするのを助ける役目をします。中間生はホログラム上の物理法則から抜けて、魂といわれている意識体(本来の自分かもしれません。)に戻るのです。その時に画面が暗くなったり、また明るくなったり、チューブのようなものを通ったりする記憶が残るのでしょうか?

 ここでまた3D映像を再生して感想を言ったり演じ方の研究をするか、肉体を持って体験したことを楽しみます。そして、またホログラム映像の地球に設定した肉体に入って別の人生をやるのです。そのデータはあるところに蓄積され、自分の中にも記録されます。クラウドデータと端末PCデータのようなものでしょうか?皆さんの過去世を見る時は、私の頭の中では平面の映像ではなくてすべてが立体映像で見えるのです。360度の視野があります。ホログラムと同じです。つまり皆さんの過去の情報を再生しているわけです。来世や未来の情報も差し支えないものは再生しているのです。

 私が集中した時に見る電子と陽子と中性子が入れ子状になって回っている、光のひものようなものは、弦理論ホログラフィック理論の3D映像のなにかとあるいは関係があるのでしょうか?登頂に見える六角形の円柱のチューブのようなものも、臨死体験のときにたまに見られる光のチューブのようなものと関係があるのでしょうか?

 伝説でいわれているお釈迦様の見た極小のエネルギーの動きと極大のエネルギーの動きは、このホログラフィック理論と何か関係があるのでしょうか?伝承の通りにお釈迦様が宇宙の構造に気がついたのであれば、この世のものに実体がないという理解にまで至ったかもしれません。私は生粋の仏教徒というわけでもありませんが、「色即是空 空即是色」(実体のあるものは実は、無で、無だと思っていたものに実体がある)という般若心教の一説にも通じるところがあります。たとえホログラフィックだとしても、この世で実体のある私たちは、一所懸命自分の人生を生きるべきだと強く思います。

 次回も何かテーマを探しましょう。 

 
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不思議な話 その93 臨死体験と中間生 宇宙論

 臨死体験は、古代から世界中で記録が残っています。日本では古典文学の『今昔物語集』『宇治拾遺物語』などの仏教説話集や『日本往生極楽記』や『日本霊異記』などに臨死体験やあの世のことが書かれています。

 中国の浄土教では死にゆくものが臨終の間際に見たものを書きとめるようにという教えがあったようで、貴重な体験とされていました。日本の浄土宗でも源信の『往生要集』でも、死にゆく者が阿弥陀如来を心に念じれば、光り輝く阿弥陀仏が迎えに来て死にゆく者を極楽に連れて行ってくれると信者は信じていました。

 以前にブログのテーマで書いたチベット仏教の『死者の書』では死に際しての作法が書いてあり、僧は生まれ変わりを助ける為に死者のそばにいます。日本の葬式仏教とは異なり、死んでからではなく、死ぬ瞬間が大切だと説いています。これもブログに書いたエジプトの『死者の書』死んだ後の死者が行くところと、その後どうなるかが書いてあり、後のキリスト教の天国思想に影響を与えました。キリスト教でも、ヨーロッパでは、1000年以前に臨死体験の話や死に瀕した人がいろいろなものを見たという話は、普通に語られていたそうです。

 オーストラリアの先住民であるアボリジニ文化の「ドリーム・タイム(夢時間)」という考え方は、臨死体験に似ていると、人類学者のナンディスワラ・テーロさんという人が言っています。それは人類の精神が死後にいく場所であり、時間も空間もなく、そこを訪れるものは無限の知識に触れることが出来るとされています。白人がオーストラリアに移住して、極めて原始的だと思っていた先住民はとても哲学的な臨死観を持っていましたね。

 世界中で古代の文化から現代まで起こっている不思議な臨死体験の現象について、現代の科学ではいろいろな仮説や解釈があります。けれども、どれも矛盾があるようです。たとえば、脳内で何らかの通常でない現象が起こり幻覚をみているんだという説では、脳内エンドルフィン説というのがあります。臨死体験は、鎮静作用と快感作用を持つ脳内麻薬のエンドルフィンが出て幻覚を見せるのでは、という説ですが、反論として、エンドルフィンの作用は数時間続くと言うのに、臨死体験では無痛なのは数分で、終わると言います。エンドルフィンを注射した場合、患者は疲労感を覚えて心地よくないと言いますが、臨死体験では、大変心地よいそうです。医学の世界では死んだら、終りという世界なのになぜ死んだ後まで、脳内麻薬が出なければならないかという矛盾もあります。

 死にゆく時の、酸素欠乏による幻覚説もありますが、酸素がなくなると、一般的には興奮状態になるというので、心が平穏になる臨死体験は、ちょっと違う気がします。

 パイロットなどが飛行中に大きな重力がかかると、脳への血流が低下して、酸欠状態となり、視野が狭くなる「Gロック」と呼ばれる状態があるそうですが、その時に視覚障害が出て、暗いトンネルのようなものが見えるのではという説があります。臨死体験者のトンネル現象は、「身体から浮かび上がる感じがする」と体験者の共通したものと違いますね。飛行中にも幻覚はあらわれることはあるそうですが、近親者や亡くなった人が迎えに来たというビジョンはないそうです。飛行中の幻覚は意識の喪失や記憶があいまいになるなど、臨死体験とは逆な現象になるようです。臨死体験では、夢などよりもはっきり覚えているそうです。

 血液中の二酸化炭素が増えることによる高炭素症で、臨死体験時の幻覚がみえるという説もあるらしいのですが、やはり、低酸素と同じように、けいれんを起こしたり、意識が混乱したり、興奮したり、臨死体験の心の穏やかさと逆になるようです。

 各宗教の影響かという説もあるのですが、無宗教の人が臨死体験後に信心深くなったり、逆に信仰があった人が特定の宗教の信仰をやめてしまうこともあるようです。臨死体験は、キリスト教の地獄を見たり、審判をうけるということが殆どないようです。

 脳が死ぬ直前に再起動するのではという説がありますが、そうすると、意識不明で一時的に機能を停止した人が意識をとりもどす時に古い記憶を放出するというのですが、個人のもつ記憶を超越して、皆が共通の臨死体験の経験をするのはおかしな事になります。

 私が各過去世の間に中間生を見ているのですが、その場合は生き返らなかった例です。その映像はその中間生の直前の前世に影響されるようです。直前の人生がキリスト教徒の場合は、羽根の生えた天使が迎えに来たりする映像がみえます。まさに臨死体験で人が見たと証言している映像です。中間生に行くのにごくまれにですが、地獄のようなところに行った映像を見せてくれる人がいますが、中間生は地獄や天国はなく、物質のない世界で、自分の前世での価値観で、見ているようです。死後の世界を、死ぬ前に想像していた通りの世界が、バーチャルリアリテイのように現れます。さきほど書いたアボリジニーの臨死体験にそっくりですね。

 臨死体験の説明の一つに、ホログラム仮説といって、宇宙物理学の仮説であるホログラフィック宇宙の説から考えたものがあります。最近は宇宙は膨張しているビックバン説を疑問視する人が多くなって、宇宙は同じ大きさで動かないという定常宇宙論に加えて、ひも理論から発展して、宇宙は1枚のホログラムに似ているという面白い説があります。

 1972年にジェイコブ・D・ベッケンスタインという物理学者が、ブラックホールのエントロピーを考えるのに思いついたそうです。宇宙論は証明しにくいので、ブームがあり、言った者勝ちというところがあります。不思議な説なので調べましょう。確か日本人の研究者がホログラフィック宇宙説の証拠を2012年に発表したということでした。

 長くなったので、新しい宇宙論と中間生、生まれ変わりについて、次回に書きましょう。

 

不思議な話 その92 臨死体験と中間生

 前にも書いたことのある臨死体験のテーマについて少し話しましょう。
 先日、旧友の女性同士で京都に行ってきました。その時、聞いた話ですが、友人の長年アルバイトしている先の肉の卸会社をしている60歳半ばの男性の社長さんが、数カ月前くらいに脳溢血で倒れられ、数週間意識不明の状態だったそうです。

 その後意識不明の状態から、奇跡的に回復され、仕事に復帰されて雇われている友人に語ったことによれば、社長さんは全然信心深くなかったのに、回復後は、神社仏閣をまわるようになったということです。詳しく友人が社長に聞いてみると、数週間のこん睡状態の時に、幻覚なのか夢なのかはっきりしないけれども、草原のようなところで、遠くのほうで自分を呼んでいる声がして、「おいで、おいで」と手招きしているようだったが、そちらに行こうか迷っているうちに、意識が戻って気が付いたという話でした。

 この話を聞くと、一般的に言われている臨死体験ととても似ている気がします。

 来年の春で、東京に事務所を開いて、10周年になりますが、その最初のころに来て下さった、8年前くらいのお客様が体験した臨死体験を書きましょう。前にもブログに書いたことがあります。その方は車で毎日夜のお仕事をする女性たちを送り迎えする運転手をされていたそうです。大きな道路を通っていたそうですが、その日は何となく数人乗りのバンで、嫌な予感がして、助手席の近くに女性を乗せなかったそうです。夜で少し雨も降っていたようで、女性たちを深夜に送り届ける途中だったのでしょうか?高速の入り口のところで、斜め前方からぶつけられたそうで、後ろの女性たちは軽傷だったそうですが、彼だけが、よけようとして他の車にぶつかったのか、ガードレールにぶつかったのか、顔と頭を打って、身体の一部も強くぶつけて、3カ月近く意識不明になったということでした。

 その3ヶ月間のうちに奇妙な体験をされていました。その状態が長かった為か、肉屋の社長さんのようにシンプルなものでなく何種類もの不思議な体験をされていました。

 その一つは、自分の身体が空中に浮いたようになり、考えられない離れた場所に一瞬で行けたということです。広島とか上野公園の西郷さんの銅像の上とか、まだ行ったことのない外国の景色の所にも行けたとおっしゃっていました。一部の景色がとても鮮明に見えたそうで、飛行機のような一定の高度を飛んでいるのでなく、自在に高さを調節できたのではないかと思います。だから、行ったことのない場所でも細かい点が鮮明に見えたのです。

 そして、二つ目は過去世と思われる昔の日本や、外国の景色も見えたので例えば、自分が傷つけられる場面とか、自分を害する人たちに取り囲まれるところとかが見えたので、それを確認するために私の所にこられたわけです。その場面とリンクするような過去世がでてきました。

 3つめの不思議な体験ですが、彼は、事故のあった近くの救急病院に搬送されましたが、状態が安定して、御両親がこん睡中の彼に会いに来られた時、空中からご両親を見ていた記憶がはっきりあるということを伺いました。彼は病室の上の方からご両親を見ていて、両親が帰る時、ついて行き駅の近くだったショッピングセンター内の中華料理店で、両親が昼ご飯を食べるのを見ていたそうです。何を注文したかも、意識が戻ってから言い当てました。彼はその時意識がなかったはずですし、そのビルは行ったことが無いのに、何階のレストランの中華料理店といいあてたのです。

 4つめの最も不思議なことは、彼はこん睡から目覚める直前に体験したことかもしれません。高い山のふもとのほうに、山頂から長い長い人の列が出来ていて、山頂がみえました。山頂の人は光に包まれて上にのぼっていくようだった、と見た様子を図解してみせてくれました。あまりに長い列で、自分は列の終りにいたので、すごく待たなければいけないのだと思うとうんざりして、列を離れて帰ろうとして意識を取り戻したのだそうです。その方には、まだやらなければならない大切なことがあるのですね。そのような貴重な体験をして、人生観が変わられたとおっしゃっていました。前よりも人に寛容になれるようになったと言っておられました。

 私が過去世を見ていると、過去世と過去世の間に中間の状態が必ずあります。そこに行く途中の様子が臨死体験と関係があるのでしょうか?そして、おおくの中間生ともいえる状態では先に亡くなった親しい人と会えることが多いのです。
私の見る、各中間生はその生きた時代や過去世の人物の生き方によって異なります。様々な時代の様々な国によっても中間生の様子が違うのです。それはのちほどもっと詳しく書くとして、臨死体験について、もっと詳しく見てみましょう。

 少し古い本ですが、ケネス・リングという臨死体験の研究者の『いまわの際に見る死の世界』によると104例の臨死体験がのっていて、あるパターンがあると書いてあります。

 1、医師が家族に言っている自分への死の宣告を聞いている。
 2、自分の身体を高いところから見下ろしていて、周りの人の動きも話声も聞こえる。
 3、突然、暗闇の中に入っていく。トンネルのような暗闇を進んでいく。
 4、暗闇のトンネルを抜けると、今まで見たことも無いような光に包まれたり、楽園のような美しい世界に行く。
 5、行ったところで、亡くなっている家族や友人や知人に会う。
 6、光の精のような、輝くものが現れる。(私はいつもこの光の人々をガイドと呼びます。)
 7、一生の出来事が思い出され、すごい速さで人生を振り返る。
 8、このまま死の世界?(中間生か?)にとどまるか、元の世界にもどるかを選択させられる。または、先に亡くなった親 や生前親しかった人から「帰れ」と言われて戻る決意をする。
などです。

 次回、臨死体験をさらに探っていきましょう。

チベットの「死者の書」ーその4-と死ぬ間際に見える風景

 今回は「死者の書」のまとめです。その前に、偶然見つけた雑誌の記事「死ぬ間際に目にする風景」-遺族575人への調査で解明された「お迎え」現象ー(『AERA』No.35、1912.08.27)を簡単に紹介したいと思います。臨死体験や生還の研究は欧米では日本より盛んで研究本もたくさん書かれていますが、日本ではまだ、きわもの的な扱いです。極端から極端で、戦前まで日本の歴史風土に根差した、生まれ変わりの思想があったのに、戦後科学信仰の盲信で日本人の多くは、それを真っ向から否定してしまったような気がします。輪廻転生の思想や、神道、仏教を融合した古くからの命の考え方が軽んじられているような気がします。それが、今の日本人の心の荒廃にも通じるような感じもします。

 雑誌の記事の紹介に戻りましょう。記事の冒頭に宮城県名取市の「岡部医院」という在宅緩和ケアの病院の取り組みが紹介されています。院長が「自宅で最期を迎えたい」と言う患者の希望を受けて、設立された病院だそうです。雑誌の記事では、往診をする中で、死を真近にした患者が「お迎え」について口にするのを、たびたび耳にしたというのです。患者さんの多くが、「おじいさんがお迎えに来た」とか「死んだお父ちゃんと話をした」と静かに驚くことなく話すというのです。

 戦前や一昔前、以前は、自然に死に近づいていく過程があったのではないかというのです。そしてその中で「お迎え」は重要な意味を果たしたのではないかと言うのです。院長は病院のスタッフや研究者などの協力を得て、10年以上にわたり、患者らにアンケートをとり、「お迎え」現象を研究したといいます。

 アメリカのシカゴの精神科医(エリザベス・キュープラ・ロス)が『死ぬ瞬間』という本を出し話題になりました。私も読んだことがあります。

 記事では、2001年から2011年にかけて、宮城と福島で遺族1191件にアンケートをし575件の回答を受けたそうです。「お迎え」体験を「終末期患者が死に臨んで、すでに亡くなっている人物や通常見ることのできない事物を見る類の経験」と規定しています。「お迎え」経験を聞いた遺族は4割いたそうです。これは、生還した人本人からのものではありません。亡くなった人から聞いたものです。前に亡くなった弟が来た、とか先に亡くなったおじいちゃんが来たとか、友達が部屋に来ていると言った、故人の家族はその友達の家に電話したら、その友人も亡くなって49日だったそうです。お花畑や川が見えたと臨終間際に言った人もいたそうです。

 先に死んだペットが来たと言う人もいたし、神仏や光が来たという故人もいたそうです。自分のベットの周りにいろいろな複数の人が来ているという話もありました。否定派の医師の中には意識が混濁する「せん妄」によって幻覚を見ているのではと言う人もいますが、それには数が多すぎるようです。

 昭和20年代までは、自宅で亡くなる人の数が今より格段に多かったそうです。過剰医療は、自然な死を遠ざけ、あの世について生きている人につたえることを阻みます。現代科学だけが事実だと考える盲信が、日本人の死生観をここ数十年ゆがめているのかもしれません。ヨーロッパでも中世に確か死ぬための準備の書がありました。

 それでは、「死者の書」のまとめです。「汝は肉体から離れたものの、自分には身体が備わっているように思える。しかしこの体は物質からできているのではなく、光る体なのだ。したがって、岩や壁はもとより、山脈でさえ何の抵抗もなく通り抜けることが出来る。移動は一瞬のうちに行われ、思考力と知覚に対する制約は少ない。しかも知覚力は非常に明晰になり、感覚をまし、より完璧な神聖なものに近づく。しかし、このような力は汝には不釣り合いなのだ。生前の業を秘めた恐ろしい威力をもった竜巻が背後からおそいかかってくるであろう。これを恐れてはいけない。それは汝自身の心の投影なのだ。汝の行く手には闇が立ち込めて、その闇の中から諸々の叫び声が聞こえてくるが、これにも怯えてはいけない。・・・(この後は地獄のようすの記述ですが、省略します。これは本来の仏教の考え方ではなく、後から付け加えられたものです。地獄は中間生、あの世にはなく、地獄を作るのは人間で逝った人の心のイメージを再現したものです。)

 このあと、閻魔大王が出てきて、生前のことを裁くという話になるのですが、人生を振り返っているときに罪悪感を持っていたらこういうイメージになるのでしょう。でも「死者の書」では、これは汝の意識が作り出した怒りの姿だと言っています。このことを悟れば「死者の書」では解脱できるとしています。

 「汝は21日からは再生にむかうであろう。新しいバルドウに入るのだ。汝が前世で受けていた体は消えていくであろう。その代わりに来世で受ける体の形がだんだんはっきりして来る。(このあと六道の話があって、)よく聞くがよい、汝は今こそ頭をまっすぐに立てて、行け。遺してきたものへの執着を捨てよ。人間界に至るうすら明りに近づくのだ。もう一度人間に生まれ変わって悟りを目指して生きていくのだ。」

 私の考えでは、チベット仏教の考えと違って、人間は他の動物に生まれ変わることはできません。チャクラが違うので動物にはなれないのです。動物になるかもと戒めているのは、人間の持っている際限のない物欲を戒めた方便(教えを伝えるためのたとえや嘘)なのではないかと思います。この「バルト・ト・ドル」は49日で終わります。

 これで「死者の書」をいったんまとめて終了します。これからのブログでときどき引用するかもしれません。日本の古代から中世の仏教では、ヒンズー教やチベット仏教と違って、精神と肉体を区別する「霊魂」の存在を否定した時期もあったようですが、浄土宗の『往生要集』の考えが民衆に浸透して、「死者の霊魂が浄土に往生する」という考えが広がったようです。遠くチベット仏教の影響もあったのかもしれませんね。

 

チベットの「死者の書」-その3-と幽体離脱の映画

 先週少し古い作品ですが「コーリング」(2002年)という映画を見ました。この映画は幽体離脱と霊が生きている人に大切なメッセージを伝えるとか、生きている人に呼び掛けるというタイトルです。

 主人公はケビン・コスナーが演じています。ごく簡単なあらすじを書くと、最愛の妻、小児科医のエミリーは夫で医師のジョー(ケビン・コスナー)の子供を妊娠しているのにもかかわらず、ある使命感に燃えて、医療ボランティアを請われて南米ベネズエラへ行きます。そこでバス事故に巻き込まれて、行方不明になります。生存者はいないと言われ、夫は悲しみを忘れようと、夢中で働きます。妻の残した家の中のものから、次第に彼は何かの気配を感じます。二人の友人である弁護士の中年の女性(キャシー・ベイツ)はそんな彼を心配します。

 何気なく同じ病院の妻が勤務していた小児病棟に行くと、ジョーは妻が担当していた瀕死の黒人の少年が「ジョー。ジョー。」と彼の名前を言っているのを、奇妙に思います。翌日奇跡的に回復したその少年は、「エミリーに会った」といいます。そして意識を失っていた時の幽体離脱で天井にいた時の話をジョーにします。ジョーの薄くなった頭頂が見えたというのです。
そして、彼は「何か彼女はジョーに伝えてといっていたんだけど、驚いて忘れちゃった。」と言います。これが不思議な現象の始まりで、季節外れのトンボが空を飛んでいたり、妻の好きだったトンボの文珍が引越しをしようとして荷造りに入れると、不思議にいつもの場所に戻ってしまいます。

 それから家の中で物音がしたり、窓に十字架の変形のようなマークがいたるところに現れます。彼はその意味するものが分からなくて、苦しみます。

 また、小児科病棟に行ってみると、妻と会ったことがない白人の6歳くらいの男の子がやはり死にかけて、回復してから、虹の中で彼女に会ったと言いました。男の子は十字架の変形した絵をたくさん書いています。

 脳死状態の臓器提供の患者を彼がみなくてはいけなくなり、ひとりで監視していると、心電図の機械が停止から急に復活し、遺体が「ジョー。ジョー。」と呼びかけます。彼の手をつかんで来てと呼びます。他の医者や看護士が入ってくると、遺体はピクリともせず、心臓の機械は止まったままです。ジョーは上司から疲れているので、強制的に休むように言われ、友人と川下りに行くように、計画します。隣人の弁護士のおばさんに、家を売り屋に出した管理を頼み、旅行に行く前に荷造りしていると、地図の中に十字架の変形したマークを見つけます。それは滝のマークだったのです。

 彼はこれがエミリーからのメッセージだと気付き、妻の事故のあったベネズエラの奥地に急いで向かいます。バス事故のあった場所は人を寄せ付けない村で、同国人でさえ近づけません。小型機のパイロットでガイドの男性と事故現場の近くにいき川に引っかかっている事故バスに、ジョーが触れると、サイコメトリーというか、そのときだけ、彼には透視が出来、妻がたすけられている映像が見えました。彼はガイドの制止を聞かずに禁断の村に妻の写真を持って入ります。

 村の人々は侵入者の彼を槍で脅して捕まえようとしますが、写真を見て、皆知っている人だと気付きます。村人はある家を指差します。彼女が生きていると期待してはいってみると、村のたくさんの女性がその家にいて、台の上の籠に白人の女の子の赤ん坊がいました。皆が大切に育ててくれたのでした。ガイドの通訳で聞いてみると、彼女は村人に助けられて、半年以上生きていて、病気の人を助けました。出産のときに彼女は亡くなりました。村のたくさんの女性たちが交代で乳をあげて娘は健康に育っていたのでした。

 最後にエンディングは、アメリカにもどって数年後4~5歳になった娘とジョーが公園で幸せそうに遊んでいる姿で終わりました。

 
妻の霊があの世に夫を呼ぶのかと思っていたら、そうではなく、愛する娘に会わせたかったし、なくなったことの様子を知らせたかったために交信してきたという内容でした。押し付けがましくなく、自然に幽体離脱のことや、透視、霊からの交信を無理なく描いているので、理解を深めてもらうという点において、良い映画だと思います。無理な設定の所もありますが、未知のものを上手に描いている秀作の一つです。

 長くなりましたが本題の、「死者の書」の続きです。

 15日目からの再生へ向かう導きの文ですが、「善人よ良く聞くがよい。汝に死が訪れた。この世との別れだ。死は万人に起こる。この世からあの世にいくのは一人だけではないのだ。執着してもこの世にとどまることは不可能である。現世への執着は、すべて断ち切らねばならない。遺した人への未練も断つのだ。こうすることによって、そこに現れるのは自分自身の投影だけだ。したがっていかなる幻影も恐れてはならない。(これは霊を怖がるなと言うことでもあると思います。霊は幻影でもあるのです。)自らの本性が生んだ幻影に惑わせられることなく進めば、解脱の道を歩める。

 汝の霊魂は頭部から肉体を離れ、その霊魂は喜ばしい雰囲気にひたり、自分がある空間にいることに気づくだろう。それはいままでの肉体ではない。その時点では意識もはっきりしており、死の自覚はないだろうが、その空間は独特の広がりをもった空間なのだ。突然風を切るような音が聞こえ、自分自身はもとより、周囲も灰色の霧に包まれるだろう。やがて汝は自分が肉体を離れていることに気づき、驚きを覚える。そして、親類縁者や友人たちが
、自分の亡きがらに向かって嘆き悲しんでいる姿を目撃して、なんとかしてこの人たちに応答しようとするのだが、自分の声がきこえないばかりか姿が見えない。霊魂が離脱した汝はまだ自分が死んでしまったことに気づかず、いささか混乱して、死んだのかまだなのか迷うだろうが、汝は死んだのだ。そしてこれからどこへ行くのか、何をすればいいのか思い迷い、強い後悔の念に襲われ、自分が置かれている状況に悲しみ、しばしのあいだ、かつての自分の亡きがらのわきにとどまることになるだろう。」

(私の見ている過去世の死んだ瞬間は、足からぬけることも、頭から肉体を抜けることもあります。体をつつんだ光が皮がはがれるように肉体から離れます。肉体のそばにいたり、死んだことが理解できないうちは、中間生に行けません。死んだ場所に残っている霊は、ですから未熟なのです。未熟な霊を神として崇めてお告げを聞いてそれを伝えてはいけません。私の考えでは、彼らは何もわかっていないのです。霊に低級も高級もなく物質世界にとどまるものは、摂理がわからない未熟な状態です。)

 長くなったので、次回は「死者の書」のまとめと私の独自の考えを書きますね。「死者の書」に賛成の部分もあれば、違うと思うところもあります。

 
 
プロフィール

観音寺りえ

Author:観音寺りえ
アトラス研究所の観音寺りえです。

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住所: 東京都文京区千石4-37-10 
TEL: 03-3942-1341
まで。

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