生きる力 -体ときどき心ー その8

 今日はいろいろなことを少しずつ書きたいと思いますので、まとまらないかもしれません。
 まず、原発のこととても心配ですね。目に見えない放射能と戦って現場で苦労していらっしゃる方々、有難うございます。早く収まって欲しいですが、長期化しそうということで、みんなの不安も長引いています。フランスから原発用作業ロボットを借りて協力してもらうというニュースも見ました。どんなものか想像つきません。


 何も知らないでとおしかりを受けるかもしれませんが、完全にミスをしない原発作業用の人間型ロボットができないかぎり、やはり、地震のおきる日本では、原発でエネルギーをつくるのは、やめたほうがいいと思います。

 人間はミスをする生き物なので、100%安全などありませんし、原発は、廃棄したときも、CO2と比べ物にならないくらい地球を汚染するのですね。原発を廃棄処分にすることは途方もなくお金がかかるそうです。そして途方もなく時間がかかるそうです。
 何世代先の子孫まで迷惑をかけるのかと思うと気が遠くなります。でもかりに放射能の影響を受けない人間型ロボットができても、その入力を失敗したり、機械が暴走したらやはり事故は起こりますね。日本の事故を見てドイツをはじめ諸外国は原発の危険性を真剣に論じています。

 私が見ている過去世の5%くらいが、アトランティスと呼ばれている古代文明のものですが、少し後の回で特集で話したいと思います。その時は私の見たアトランティス?文明の始まりから話したいと思います。未来のヒントになればいいですね。
 アトランテスはエネルギー技術、医学、精神性、物質面、人間の能力(超能力を含む)などなど見方によっては、今より文明がすすんでいました。今の歴史上の文明よりも長く栄えていました。

 エネルギーを得る方法は、さまざまありましたが、論理的理解と技術はあっても、核エネルギーは使っていませんでした。あまりにもリスクが高かったのです。少なくとも私のリーディングの中では核エネルギーを一般的に使っていた時期はありません。荒唐無稽と言われるかもしれませんね。話を現在に戻しますね。


 震災から20日あまりがたちました。被害の大きかった方も、それほどではないと思っている方も、余震を経験して必死に乗り越えた期間がすぎて、放射線の脅威はまだありますが、ひといきつける頃になると、激動の日々から平常に近い状態になると、抑鬱的な精神状態になることがありますね。これはそれぞれの危機的状態を脱したときにおこります。そして、将来への不安感か無気力感がでてくる場合もあります。そうでない人もいるかもしれませんが、この流れは正常なこころの変化だと思います。このときには出来るだけ震災前の仕事や生活や熱中している事に戻すことがいいです。
 けれども、避難されている方がたは、その一息つける状態にもいられないので、とてもエネルギーをつかってしまうかもしれません。緊張状態が続くので、気をぬけることができると良いですね。音楽とくに生演奏などが、心とエネルギーの回復には良いですが、衣食住をまず優先しなければならない状況でそんなことを言っていられないとお叱りをうけるでしょう。

 原発事故は各国のあたたかい同情もひきますが、同時に放射能汚染というヒステリックな偏見も引き起こします。日本の北から南までの製品全部に放射能検査をされるようになると、経済活動が停滞します。外国に入国した日本人にも放射能検査をされかねません。

 忍耐強く冷静に説明しなければならなくなります。外国の政府や記者にきちんと現状を知ってもらう報道官の仕事も必要なのではと素人ながら思います。それには、現状を包み隠さずに国民にも外国の記者さんにも正確に伝えられる方が必須です。

 産業の主流も変わらざるを得なくなりますね。今までどおりの車の作り方を改めて思い切った方向転換をした会社が生き残るのかもしれません。つらい災害ですが、難局をきっかけに新しい技術に移行して、新しいエネルギーを開発して、今までの組織を変えようと努力すれば、必ず回復をして、それ以上の飛躍を日本ができると信じています。

 まとまりませんでしたが、次回はこの続きを書きますね。

 
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生きる力 -体ときどき心ー その7

 大地震が起こってから12日経ちました。余震が少しずつ回数が減って、大きさも小さくなってきました。
大きな被害を受けた被災地のかたがたにはお見舞い申し上げます。

 ネットやブログで、今回の地震は貞観11年(869年)に起きた、貞観地震にそっくりだという意見をときどき見ます。ご覧になった方も多いと思います。震源も今回のものとほとんど同じではないかといわれ、1000年に(正確には1142年目)に1回の地震ではないかと言われています。

 『日本三大実録』という歴史を書いた本では、「貞観11年5月26日の夜、陸奥国(むつのくに)で大きな地震と津波があり、1000人が亡くなり、城郭の倉庫が壊れ壁が崩れ落ちた。多賀城の城下まで海水がおしよせた。」と書かれています。

 古代からの日本における地震の年表をざっくり見てみると、北は北海道から、南は沖縄まで、ほとんど全地域で地震が過去に起こっています。

 私も電力の恩恵を受けている一人ではありますが、こんなに地震の多い国に、少しのミスも許されない原子力発電はふさわしくないということを思い知らされました。日本の技術力は高度で、研究される方の熱意も素晴らしいと思うので、新しいエネルギー開発を模索していただいて、原発から少しずつ、というより、一日も早く移行して欲しいと願っております。前にブログに書いた、植物の藻を利用したオイルのクリーンな燃料を使って火力発電を効率よくできるようにするとか、日本列島の海底にある天然ガスの材料の鉱石を、効率良く取り出して、天然ガスに出来るようになったら、エネルギー問題は解決に向かうと思います。今想像も出来ないようなエネルギーの取り出し方が10年後には発明されるかもしれません。

 ごみなどの焼却熱が今以上に電力のもとになったりすると良いですね。それから一般家庭の太陽発電と会社での製造過程で出たエネルギーを電力に替えられて、売り買いできるようになると良いなと思います。電力会社1社の問題ではなくどうやって電力を作るかを皆で知恵をしぼれば、いいアイディアがでてくるかもしません。

 
 話は変わりますが、私の身の回りで、お世話になった大家さんである老女の方が、先日亡くなられて大変ショックでした。大きな3回の地震と、何日もの余震が原因の一つかもしれません。数日前まで、風邪も引かず健康そうに見えました。92~93歳なので天寿をまっとうされ、おそらく心臓だと思いますが眠るように亡くなられたようです。高齢でもとても純粋な童女のような印象がありました。感情の起伏が激しくなく、怒ったり、声を荒げる姿は見たことがありませんでした。私は6年前に初めて会った時、すぐに自分の江戸時代の過去世で母親だった方だと気付き、やっとあえたので涙が出てしまいました。事務所をスタートして、不安なことがあるといつも励ましてくれました。「思いもよらず、こんな年になるまで、ここ(この世)に居させてもらって・・・」というのが口癖でした。資産のある方ではありましたが、贅沢をせず、いつも身ぎれいにはされていましたが、とても倹約した質素な生き方をされていました。こういう風に年をとって、こういう風に亡くなりたいなと私は思いました。

 この女性の生き方は、前回『逝きし世の面影』で紹介した、外国人から見た江戸時代、明治時代の江戸の庶民の生き方にも通じるものがあります。

 本の引用ですが、ローレンス・オリファント(1829~1888年)が1858年日本に滞在して、「個人が共同体のために犠牲になるようにみえる日本で、各人がまったく幸福で満足しているように見えることは、驚くべき事実である。」と言っています。

 「貧乏でも、ヨーロッパのような貧困はない。」と外国人に言わせるような物がなくても、倹約しながらも、人生を楽しめる、江戸庶民の生活の知恵が生き生きと幸福そうな表情に見られたのかもしれません。

 でも、江戸時代には生きるのに困難な災害、疫病や地震、大火事など江戸の人たちを苦しめることは、たくさんあったのではないかと思います。それでも自らの運命と戦いながら、運命を受け入れて一生懸命生きる姿が、外国人の眼からみて幸福そうなパラダイスに見えたのかもしれません。やはり、多くの人の生き方の中に我欲を抑えた無垢の心と、徳性があったのではないかと思うのです。それは人々の地域社会のつながりと、家族やそれをひろげた、仲間のつながりにも裏打ちされていました。江戸の人はそして、子供や動物をとてもかわいがったと書かれてある章もその本の中にはありました。

 次回はまた続きを書きますね。

生きる力 -体ときどき心ー その6

 読者のみなさん、3月11日に大災害が起こってしまいましたが、大丈夫でしょうか?

 私は、いつもは頭痛は、風邪をひいて熱のある時しかない体質なのですが、当日の朝は後頭部と、額の下の両眉の所が腫れていて痛かったです。殴られたりぶつけたりしてないのに、なんか盛り上がっていました。朝は花粉症がひどいのが原因かとも思いましたが、眉の上の額の痛みは初めてです。次の日の昼くらいまで痛かったです。
 当日、体に変調をきたした方いらっしゃったでしょうか?

 11日の3時前後は東京の文京区の事務所で一人でいましたが、やはり揺れが怖くて道路に出ていると向かいの3階建のビルがゆらゆらしていました。3回大きい揺れがありましたね。映画の中にいるような感覚がして、現実か、と疑いながら、やや長い道を歩いて帰りました。

 余震も長かったですね。今もときどきありますが早く収まって欲しいですね。自然がバランスをとっているのでしょうか?

 
 被害の大きい所にいて、亡くなられた方方の中間生でのご冥福を祈り、より良い来世へ行かれる事を祈っております。
 またお家を流されて避難所におられる多くの方方に胸が痛みます。遠方で何もできないかもしれませんが、出来る範囲で、義捐金をお送りしました。

 義捐金はいろいろな所で募っているので、どこから送ろうか迷ったのですが、直接、郵便局から被災県に振り込み、別建てで、日本赤十字にも振り込みました。クリック寄付だとしっかり送られるか、分からない団体もあるので、気をつけてください。

 今回の件で日本人の気質と特性を学ばせてもらった気がします。被災地の報道を見る限り、(報道は最初は被害を受けた方の数をしきりに、報道していたので、とまどったのは私だけでしょうか?)災害を利用しての犯罪行為もなく、みなさんとても忍耐強く、たすけあっていらっしゃるように見えましたし、とても落ち付いていらっしゃるように見受けられました。

 
 助け合いの精神と生き抜く努力をする向上心は、日本人は優れていると思います。

私の影響のつよい過去世の一つに江戸時代の人生があることは、繰り返しブログで書いていますが、この招かれざる自然の災害の前に私は、明治以降急速に日本が西洋化されて、古代、中世、江戸時代から続いた、日本の文明や日本人の特性(徳性も含めて)を消滅させてしまったのではと思っていたのです。

 というのは、災害の1カ月くらい前に、ある方から、『逝きし世の面影』(ゆきしよのおもかげ)渡辺京二 (2005年平凡社ライブラリー)という本をいただきました。読んだ方もいらっしゃると思いますが、私はその本を見てとても懐かしい気持ちになり、ひきつけられました。

 その本には、簡単にいうと、江戸時代末期から明治初期に来日した、外国の人々から見た当時の日本人の様子が客観的にいきいきと書かれているのです。外国人の描いた挿し絵もときどき載っています。

 イギリスの詩人のエドウイン・アーノルドという人が、明治23年ごろに来て、日本を「地上でパラダイス(天国)あるいはロータスランド(極楽)にもっとも近づいている国だ」そして、「その景色(外見や服装だと思います)は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のように優しい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙譲であるが卑屈に堕することもなく、精巧であるが飾ることもない。これこそ日本人を、(中略)あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである」と発言が引用されていました。

 これは性格の品性が高いと言っているのだと思います。

 貴族で詩人のフランスのリュドヴィック・ボーヴォワールは慶応3年(1867年)に日本に来て、35日間日本にいたそうですが、妖精風の小人国で建物や様子小物の芸術性に魅了されたようです。江戸時代は地味でも趣味が洗練されたものを身につけ質素でも洒落ていたのではと思います。

 日英修好通商条約の施設の一員で1858年に来たシェラルド・オズボーンという人は当時の日本の長崎を見て「この街でもっとも印象的なのは男も女も子供も、みんな幸せそうで満足そうに見えるということだ」と言っていたそうです。かなりお世辞も入っているかもしれませんが、当時の日本人には何かけがれていない無垢な一面があり、それが、外国人の眼に共通の何かが見えたと思うのです。

 前にブログに書きましたが、江戸時代か明治初期に、日本海側の島に座礁して流れ着いたオランダ商船の人々を、島の人々は当然のことのように、無償で助けてみずからの体温で外国の船員さんを温めてあげて、食事を与え、回復したら、政府は日本の船で母国まで送ってあげたこともこの日本人の徳性を表しています。
 

 その徳性(邪気のない心)が文明開化以降の無理な西洋化で罪悪感をもったり、利己的な個人主義が接ぎ木のように移植されたり、日本人の良さが失われたのでは、と思っていたのですが、大変なことが起こった時に、日本人の良さが発揮されるのではないかと信じています。大変さの度合いはそれぞれ、もちろん違いますが、大変さが人々の徳性を磨くと思います。頑張りましょう。

 次回は「なぜ外国人から日本人が幸せに映ったか」ということをメインテーマにして、この本の感想とそこから現代との比較をしてみます。

生きる力 -体ときどき心ー その5

 気分の切り替えをするために、よく、海外ドラマや海外の映画のビデオを借りてきて見ます。日本の番組は食べ物の番組とお笑い番組が多くどの番組も同じように見えてしまうので、あまり見なくなりました。

 10年前くらいに、外国からの留学生に語学を教えていたとき、日本のTV番組の内容についてディスカッションした時、アメリカからの学生も、パキスタンからの学生も、「日本の番組には、おいしそうな食べ物を食べる番組が多すぎますね。そんなごちそうを食べられない人の気持ちは考えないのですか」という意見を聞いてなるほどと思いました。アメリカからの交換留学生もオーストラリアからの学生も、大学の学費は親がお金があっても無くても、自分の学費は自分が借金して、自分で全額まかなうという人が多かったし、日本よりアメリカの私立大学の学費は高いので、彼らの留学生活はそんなにゆとりのあるものではなかったと思います。ホテルでボーイさんのアルバイトをして留学費用を稼いだオーストラリアの学生さんもいました。

 お笑い番組も楽しいのでしょうが、とても悲しい状態にある人がTVをつけて、シリアスな番組より、お笑い番組が流れていると反応は二つでしょう。その話しに癒される人と、無神経だと感じてスイッチを消してしまう人の二種類の反応があるかもしれません。


 前置きが長くなりましたが、最近全部見た海外ドラマでは、「ゴースト~天国からのささやき」というドラマをシーズン4まで見ました。ジェニファー・ラブ・ヒューイットという長い名前の、胸を強調した可愛いドレスを着た女優さんが主役です。
 
 天国も地獄もないって言ったじゃないかと思われるかもしれませんが、このドラマはフィクションで、天国や地獄観を視聴者に押し付けない内容です。

 フィクションではありますが、原作者か脚本家が実話を調べたり、真面目に取材したのではというところが、かなり見受けられます。眉つばっぽい内容の話もないことはないですが、一話一話が良く出来ています。

 主人公のメリンダという女性は、お祖母さんからお母さん、自分へと霊が見える力が遺伝しています。これは肉体的に持って生まれた能力のひとつなのでしょう。英語では「ギフト」(天から与えられた能力)と表現します。実際に遺伝するかどうかは定かではありません。精神的特徴とも言えるかもしれません。子供の頃は霊を見て苦労をしたけれど成人して、幸せな結婚をして、アンティークショップを自分で経営しているので、とても、豊かな人です。救命士をしているジムという夫は彼女の能力に偏見ももたずに全てを受け入れて愛してくれます。献身的に尽くしてくれて、こんな男性いるのか?と首をかしげるほどの夫婦関係です。彼女は自分の使命だと思っている、さまよえる霊達を彼女いわく、光の中に送って、来世に導いてやることをボランティアでやっているのです。とても頑固一徹に、ときにはめいわくになるほどに無茶に実行します。

 ここで注目したいのは、アメリカ社会でドラマではありますが、現世、来世、生まれ変わりという考えが、自然に受け入れられている事です。キリスト教が政治や権力と結び付いて、千数百年禁止されていた生まれ変わりの思想が偏見なく受け入れられるようになりつつあるのではないでしょうか?ワイズ博士やいろいろな先駆者の努力もあったかもしれませんが・・・科学や医学だけを万能とする考えも行きすぎると一種の信仰のようになってしまいます。人間の歴史以前の再生の仕組みを無視することができない時代がくるかもしれません。

 話をドラマに戻しますね。

 彼女はいろいろな冒険をして、あの世つまり中間生に行けない霊を光の中、おそらく中間生に行かせているという設定です。邦題では天国からのささやきですが、英語では、霊のささやきで、天国とは言っていません。それに地獄という具体的な場所はなく、実際の空間に霊の集まるところがあります。ですからいままでの展開では、天国も地獄も出てこないのです。死んでから行くところも制作にかかわった人達にはわからないので、光の中と行っています。これは、臨死体験をしたおおくの人たちが共通に光の中ということが、非常に多いのです。暗いトンネルを抜けて光の中、ちょうど産道を通って現世に生まれてくるのにも似ている表現の、臨死体験の例も多いです。

もう、ひとつの面白い内容は、彼女の夫が銃を持った犯人ともみ合って、誤って警官に撃たれて死んでしまいます。彼女は悲しみのあまり、一時的に能力を失いますが、夫の霊がまた見えるようになり光の中へ導こうとしますが、夫は彼女を愛するあまリ、彼女から離れようとはしません。そして、事故現場に居合わせた、彼女はジムという夫の霊がサムという亡くなった人の霊が光の中に入った後の瞬間のスキをみて、生き返りの救命をしもらっている遺体に入ります。つまり、サムという別人の体に、ジムの霊が入ってそして記憶を失ってしまうのです。メリンダが妻であったことも忘れてしまいます。けれども、メリンダは献身的に彼に尽くします。そして、彼の記憶が、混乱する中でも少しずつ戻って、自分がジムであることを思い出すのです。これを霊の肉体の引き継ぎというそうで、実際に例があったのではと思います。これは、全ての条件が一致しないと起きません。彼女は彼のジムだった人生と黒髪で茶色い目の彼の肉体を含めてその記憶を前世と呼びました。

 これはとても面白いエピソードだと思いました。

 それから、主人公は、悪い霊も良い霊も違いがないという一貫した方針を持っているように思いました。これは、今までの霊に対する人間の偏見を取り去っています。今までの霊に対する多くの人の考え、特に多くの霊能者は、霊を良いものと悪いものに分けています。これは生きている人の都合です。人間以外の生物を害虫や益虫と呼んだり、雑草とそうでないものに分けたりするのと似ています。生きているものに都合の良いものが神で、都合の悪いものが悪魔とか悪霊と考えるのと似ていて誤りです。霊は霊でしかないのです。善も悪もなく、人間の体にはいっているものと全く同じ霊です。ですから、霊のお告げといって全て見通せるとか、正しいことを伝えると思いこむのも間違っている場合があるのです。

 ドラマ「ゴースト」での霊は間違った思い込みで、執着をして、この世にとどまることもありますし、やり残したことがあってとどまっているものもあるし、さまよっているものは、真実が見えない事が多いのです。メリンダという主人公はひたすら、分からずやの霊たちを説得します。これが、実際に近いです。ですから、「霊はこう望んでいます」、とか「あなたに悪霊がついています」、とか言われたら、自分の知恵を総動員して、故人が本当にそう望んでいたのか、良く考えてみる事ですね。亡くなった人や祖先は絶対に可愛い孫や子供にたたったりはしません。
 

 次回はまだ続きを書きますね。




 

生きる力 ー体ときどき心ー その4

 最近、中間生から、次の人生に生まれ変わる時の魂のことについて質問があって、コメントでお答えを書きましたが、もう少し詳しく書きたいと思います。中間生の事をリーディングする前後にもときどき聞かれることです。「魂は自ら望んで次の肉体に入るのか?」「その肉体に入る時、何の躊躇も迷いもないのか?」または「この人生の困難を分かっていて、魂は今の自分の肉体に入ったのか」あるいは、「今の親とはうまくいっていないが、親を自分で選んで来たのか、誰かが押し付けたのか」などの疑問です。

 
 「人はなぜ生きるのか・その人生を生きなければならないのか?」という根本的な質問にも関係してきますね。

 私の過去のブログでも、亡くなってからの中間生の様子や、次の人生に入るまで、を書きましたが、それと重複するところも少しあるかもしれません。


 私の所にいらした方の息子さんが、幼稚園くらいの年齢の時だったのでしょうか、「僕は病院でベットにいるお母さんを選んでお腹の中に入ってきたんだよ。」と繰り返し息子が言っていたという話を聞きました。それから、母親の産道のような暗い所から、明るい外に出て、産湯をつかった記憶がある作家の話も書きました。

 過去世は出せば出すほどたくさんあることを知らされますが、各過去世の間には全部必ず中間生(あの世ともいわれているもの)があります。たくさんの過去世と中間生をみていると、そのシステムは同じですが、各魂にそれぞれの入り方や入る時期にも個性があります。コメントで書いたように、魂にも一貫したキャラクターや個性があるように見えます。生まれ変わりの方法は判で押したように一律ではないかもしれません。

 では生まれ変わりの方法や死後に行くところは魂のレベルに合わせてそれぞれ違うといえば、それで片付くのでしょうか?
 私は中間生での魂のレベルの差や上下は一切ないと思っています。生前の行為で行くところも区別されたり、差別されることもないと考えています。ですから、天国も地獄もないのです。その人の望んだ通りの中間生の様子になります。レベル分けを望む人にはそのように見えますが、レベルで分けること自体が幻影です。罪悪感の強い人には地獄のようにもみえる、死後の世界は一時的なものです。中間生には何もないし全てがあるのです。

 話は少し昔に戻りますが、江戸時代の学者で、平田篤胤(ひらたあつたね1776年から1843年)という国学者で、神道家で、医者で哲学者がいました。彼は120冊あまりの本を書きましたが、死後の世界の研究や生まれ変わりの実話の取材もしていました。欧米の学者がインドに行って、生まれ変わりの研究の資料を集める前だと思います。

 彼は医者でもあったので、死後の世界と来世を科学的にとらえようとしたのではないでしょうか?『勝五郎再生記聞』(かつごろうさいせいきぶん)という著作を1822年に書いたのです。この本は死んだあとの霊になった状態と生まれ変わった状態を記憶している少年から取材して書かれたものです。現在の八王子市から現在の日野市に生まれ変わったお百姓さんの当時に実在した少年の話です。

 その話を簡単にまとめると、9歳前後だった勝五郎という男の子が、兄弟にしきりに生まれる前の記憶を話しました。多摩郡(八王子市)の久保村というところの6歳で死んだ藤蔵(ふじぞう)という男の子だったというのです。彼は両親の名前も覚えていて、祖母に連れていかれて日野市の村から八王子の村まで行って、前の人生で住んでいた家を言い当てたのです。彼は村の昔の景色をいいあて、前世の両親にも会いました。江戸時代の人は生まれ変わりが常識だったので、お互いの家族がすんなり受け入れたものだと思います。

 その少年の言葉を聞いて平田篤胤が書いた死後の様子は、自分自身は存在するのに、生きている人からは見えずに話しかけても聞こえないと書いてあります。仕方なく家に帰ってお膳の上にいたら、白髪を長くたらした黒い着物を着た老人に「こっちへこい」と言われお花畑のようなきれいな草原で遊んでずっといたが、老人と一緒にある家に連れて行かれ、老人が「この家に入って生れよ」と言って老人は別れたということでした。教えられた日数の間待って、家の中の様子をうかがいこれから生まれる家の両親の話を正確に聞いたとあります。その少年は生まれる前の、夫婦以外の人が知らないような話しの内容を言い当てているのです。

 彼は息が止まった時は全く苦しくなかったけれど、その後苦しい思いをして、それが過ぎると苦しくなくなった、と証言したそうです。意識は体から離れても、自分の感覚はかなりあったようです。僧侶の読経が不愉快に感じ、地獄も極楽もなかったと少年は言ったそうです。供えられたものは食べることはできず、温かいという食べ物の間隔はあり、匂いも分かったそうです。

 この記述から私が、解釈すると、霊として少年はしばらく前世の実家の近くをさまよって、前世の自我の感覚があったものと思います。それから、お花畑のようなところは、中間生で、黒い着物を着た白髪の老人は彼を担当するガイドでしょう。ガイドに導かれて、来世の家の近くで入るべき肉体の準備が整うのを待って、両親の話声や兄弟の声なども聞きながらガイドの言う通りに母親の中へ入ったのでしょう。彼の前世では、宗教的価値観が植え込まれていなかったので、黒い着物の老人で現れ子供を怖がらせないようにしたのでしょう。次の人生に生まれたあとも前世の記憶の消去が不完全だったと思われます。

 このように生まれ変わり方にはいろいろなオプションも付くかもしれませんが、これと同じように生まれ変わる時はどの人も、とても素直な邪心のない状態ではないかと考えています。

 長くなったので、続きは次回にしますね。

 
プロフィール

観音寺りえ

Author:観音寺りえ
アトラス研究所の観音寺りえです。

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住所: 東京都文京区千石4-37-10 
TEL: 03-3942-1341
まで。

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