心と体と魂についてーシーズン2ー第1回

 まずは、明日30日(金)と明後日31日(土)に、「こころとからだの健康フェスタ2012」の初めてのイベントがあるので、そのお知らせと、体と心についてのことを書きますね。前回予告した、魂の仕組みについては、後の別の機会にします。

 

 場所はJR浜松町駅北口から歩いて5分、都営浅草線・大江戸線大門駅から8分、ゆりかもめ竹芝駅から2分の都立産業貿易センター浜松町館で、AM10:00~PM5:00まであります。入場料は、1000円ですが、中学生以下は無料で、また、インターネットで検索してあるページを印刷して持っていくと、よくわかりませんが、無料で入場できるかもしれません。調べてみてください。

 イベントの目的は、日本における代替医療と、高齢化社会の医療費削減、健康意識の向上を目標にしているようです。入場料の一部は東日本大震災復興支援に寄付されるそうです。

 私は展示体験ゾーンの435番に受付があり、5番の個室を貸していただきました。料金は15分3000円が1セットです。延長したい方は30分でも45分でも1時間でも受付で予約していただければ大丈夫です。パンフレットによると、展示体験ゾーン(私はこちらのゾーン4Fでやります。)では、伝統医療(鍼灸気功でしょうか?、整体・・・マッサージ・カイロプラクティック、オステオパシー、リフレクソロジー・・・精神療法、心理療法、植物療法、催眠療法、瞑想、カウンセリング、音楽療法、リンパ療法、温泉療法、温熱療法、磁気療法、ヨガ、予防医療などがあるそうです。初めての試みなので、どんなものか私にも、よく、分かりませんが・・・

 展示販売ゾーンでは、自然食品、オーガニック、健康食品、栄養補助食品、サプリメント、飲料、健康関連グッズ、美容関係商品などがでると書かれています。

 セミナー講師は医師や研究者の方のようで、1日目は「免疫力をアップして若返る食べ物」「胎内記憶」「意識的呼吸」「健康・美顔について」「漢方と健康」2日目は「福島の放射線」「トータルライフと健康&代替療法」「和合医療と代替療法」「健康と免疫細胞・ミトコンドリア」というテーマです。面白そうなものが多いですね。

 私は、前にも書きましたが、自分の事務所でやっていることと全く同じ、悩みの相談、前世、過去世、来世リーディング、体の故障の透視、体調、オーラ・チャクラチェック、写真や写メの方の透視、をします。中間生と過去世年表は時間がかかるので、事務所でやっています。



 ひき続き『養生訓』の中から、役に立ちそうなところを抜粋してまとめてみます。当たり前のことと言われてしまいがちですが、「人は健康で長生きしてこそ人間としての楽しみを多く味わうことが出来る」と書いています。「いかに富貴を極めても、多病で短命であったらどうにもならない」という考え方です。「貧しくとも、健康で長命であることがすばらしいと言っています。」これは人生の使命があると感じている人は、短命であるとそのテーマを次の人生でも繰り返しやらなければならないかもしれません。

 けれども魂は、私の考えでは、入った肉体の寿命の長短は気にしません。場合によっては、命にかかわる若いうちの病気もプログラムしてしまいます。そこが、心と体と矛盾するところではあります。

 『養生訓』にもどります。貝原益軒は、かいつまんでいうと、養生の術(マニュアルのようなもの)をこの本を読んで学びなさい、と言っています。益軒の故郷の若者の中に養生の術を知らないで、放蕩して短命な人が多い、老人は養生の術を知らないで、多病に苦しみ、元気衰えて早く耄碌もうろく(原文のまま)してしまう。これでは、たとえ、百年生きても、楽しみがなく、苦しみが多く、長生きの意味がない。

「家業の中の養生」という文章では、「ある人は養生は老人や暇な人には良いけれども、武士として君主や家に仕え忙しくしている人や、農・工・商を家業として昼夜に働いている人には、養生などできないであろうというが、養生の術ばかり心がけていては体はなまって柔らかになり、その業がさえず、ものの役にたたないと思われがちである。しかし養生の術は安閑でのうのうとすることではない。(つまり体を使わないでゴロゴロして生活するのではないと言っているのでしょう。)心を静にして、体を動かすことにあるのだ。体を安閑にするのは、かえって元気が停滞して病気になる。たえず動くものは長く保ち、動かないものは命が短いものだ。」

「常と変と養生と」では、養生をこのむ者はひたすら利己的に自分の身を大事にするばかりで、自分の命を保つことばかりを願う。しかし、君子(立派な人)は義を重んじ、義(今で言ったら人として行うべき道や他人の為の行いでしょうか?)義にあたっては、自分の命をもかえりみない。およそ事には(常)と(変)がある。常の時は常を行い、変に臨んでは変に応ずるのがよい。」昔の変は戦争でそのときは、いつものようには出来ないので、それに応じた生き方をしろということです。今でいったら、災害や身の周りの変化、転職や、家族環境の変化などでしょうか、臨機応変に対処しなさいということです。これは体ばかりか、心も守ります。

「睡眠と養生」では、「昔の人は三欲を我慢せよ、といっている。三欲は飲食の欲、好色の欲、睡眠の欲である。飲食と色欲を慎むことはよく知られている。だが睡眠の欲をこらえて眠りを少なくすることは、養生の道である。睡眠を少なくすれば、病気にかからなくなるのは、元気がよく循環するからである。睡眠が多いと元気が停滞して病となる。夜更けて床につくのは良くない。昼寝はもっと有害である。なまけて寝ることを好むくせがつくと、睡眠が多くなってこらえられなくなる(病気の人の場合は勿論別だと思います。)睡眠を少なくしようと努めれば、習慣になって自然に睡眠が少なくなる。

(睡眠を少なくすることが、元気の秘訣であるとは意外でした。私の考えでは、色欲、つまり性的エネルギーを抑え過ぎても弊害が起こることがあると思うので、儒教学者の益軒の考え方には反対です。しかし、江戸時代の庶民は性的に放縦で武家は反対に厳しかったということなので、それを反映した意見なのでしょうか?)

 次回もひきつづき健康のこと心と体のテーマです。  
 
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人類の起源・養生訓(補足)

 前回の養生訓、薬・鍼灸についての文を読んで、優秀な鍼灸師の友人がコメントをくれたので、補足しますね。養生訓は良い本であるという意見をいただきましたが、貝原益軒は儒教学者なので、養生訓での鍼灸の考え方、「気を除くが気の不足を補わない」という解釈は誤解が入っているということでした。益軒さんが経験した鍼灸が彼にあわなかったとも考えられますね。

 友人いわく、気を除く(気を写すー気を刺す行為ー)はまず一般的にはしないそうです。

 専門的なことは詳しくはわかりませんが、やはり、その施術、気功や鍼灸や整体マッサージが患者さんご本人と相性がよければ、代替医療として、治療効果があると私は思います。エネルギーの相性が悪い時は、あまり効果が期待できない時もあります。病状にもよりますね。ですから、全てのがんが治る気功というのは、存在しないのです。病気を治すのは患者自身の体なのですから・・・

 養生訓では病に強い体を作るのに、武士などは、弓と乗馬(今ならいろいろな好きなスポーツでしょうか?)をたしなんで、あと歌や舞踏(ダンス)も血管を養うとあります。嗜好をおさえて、(食べ物で同じものを食べないとか、偏らない、酒たばこもほどほどにということでしょうか?)心気を安定し(精神的な安定、感情のコントロールなど)外邪(細菌やウィルス類に起因する伝染病)を予防することを養生訓では勧めています。国を治めるのに徳をもってすれば、人々はおのずから心服して乱は起こらないとしています。養生訓は今の政治家さんにも、是非、必読書として呼んで欲しいですね。特に自分の欲を抑えなさいという教訓は政治家さんや政治を動かそうとする人達に最も必要なことですね。欲とお金と権力はとても結び付きやすく、人間には、抑えるのが大変です。

 体も徳をもって政治をするのと同じように、養生を怠けないで実践しましょうと書いてありました。そうしたら、過剰な薬や医療に頼らなくて済むそうです。

 お金をかけるスポーツではなく歩くだけでも、毎日軽い運動をすれば、飲食はすすみ(お腹はすき)血気の滞りなく健康でいられるそうです。

 ここからは養生訓とは離れますが、私が体のチェックを頼まれてした時に感じることは、健康だと思っている人にも弱点はあります。ほとんどの人はご自分の血圧が低いか普通と思いこんでいますが、低い方でも急激にあがることもあり、1日の内や季節によっても本当は大きく違うのです。血液の流れ方も、理由があってさらさら流れたり、どろどろになったりします。どろどろになるのも理由があって、激しいストレスにさらされるイコール昔は戦争で外傷をうけるのに体が準備をして、多量の血液を流失しないように、体を守るためにどろどろと流れにくくなったりしたのです。昔より血管はもろくなっているかもしれません。


 それでは、人類の起源についてのメインテーマに入ります。あるTVで2008年5月にキリスト教カソリックの頂点ローマ法王庁は、知的生命体が他の惑星に存在することを認めることは、神の教えに矛盾しないと発表しました。つまり、地球外生命体の存在を否定しないと、公式発表したわけです。

 ずいぶん昔の本だそうですが、1960年代にエーリッヒ・フォン・デニケンというスイスの実業家が「未来の記憶」という本を初めに20冊以上の本を出しています。その人の存在を数日前に知りました。昔からご存じの方も多いと思います。

 私が前にブログで書いた人類の起源の考えに近いところもあり、大きく違うところもあります。彼は古代考古学の証拠をねつ造したとも批判はされていますが、数十年宇宙人の古代に残した足跡を研究し、本に書いたと自分で言っています。この分野の草分け的な人で、ゼカリヤ・シッチンやジェームズ・ハンコックなどにも影響を与えたかもしれません。その後のSF小説やたくさんの映画、宇宙ドラマ・アニメ・漫画にも影響を与えたと言われています。オカルトブーム?の火付け役だったとも・・・彼の本は創作なのでしょうか?
 
 彼は旧約聖書のエゼキエル書が宇宙人来訪の様子を描写していると書いています。また、ナスカの地上絵は、宇宙人の為に作られた滑走路だといって、白く見える成分を分析すると、クリスタル・グラス?だったと言っています。彼によると、「巨大な考古学遺跡やオーパーツ」は、すべて宇宙人の技術でつくられた。」「宇宙人は、類人猿から人類を創った。」「世界各地に残る神話の神々は、宇宙人を神格化したもの。」と言っています。

 彼の説に反対する人々は、人間の古代の知恵を軽視していると、批判しています。なんでも宇宙人に結び付ける安易な姿勢も反感をかったのかもしれません。でも、全部否定されるものでもないかもしれません。というのは、そのあと、彼の考えを継承するたくさんの精神世界の本(私はこういう話題がちっとも、スピリチュアルだとも、精神的だとも思いません。私の考えるスピリチュアルとは、肉体を抜けて魂そのものになった時の、中間生の中の魂そのものをさすので、肉体をもったままでは、厳密には誰にも理解できません。理解できないようになっているので、この世では真の意味のスピリチュアルは歯の浮いたような言葉になってしまいます。もどかしい感じです。)

 私の考える人類の起源は、意図的にか偶然からか宇宙から送られてきた細胞が、ある程度自力で進化し、地球上で、何回も破壊と創造をくりかえされ、環境に適応する設計図は書きかえられ、猿のような生物にまで進化させられ、遺伝子操作で取捨選択されたいろいろな種の試みがありました。猿から今の人間に遺伝子操作されたのは、人工的な手が加えられました。そのあと、いくつかの高度な文明が出来ては、いろいろな悪条件で滅びました。一番最近の高度な文明は、イベリア半島の西アゾレス諸島を東の端の山の一部とした、アトランティス大陸です。大陸というには小さい面積ですが、独立しているので一応大陸ですね。そこでは今よりも高度な文明と精神性と能力がありました。そこは、進化の過程とは別にプレアデス星団から直接同じ遺伝子の人間の祖先をクローニングして、移住しました。そして何万年かたち、海面上昇と地殻変動といくつかの理由で、海に沈んでしまいました。

 古代の人々に神と思われたのは、このアトランティスの人々です。身長がとても高くプレアデスのある星と同じように人種がありました。地球ととても環境が似ていました。エジプトやその他の古代遺跡がプレアデスの星の配置と同じように並んでいるのが、しつこいほど多く見られるのは、この理由があるからです。まれに宇宙から来た人達も古代人と接触したかもしれません。それは、見守る為です。体の大きさは違っても、アトランティスの災難を逃れた人々と、原人から遺伝子操作された人々(きっとアフリカのミトコンドリアイブという遺伝子をもっていた原人が遺伝子操作第1号だと思います。)は交配できました。何らかの理由でアトランティス人同士の交配種はある段階で風土病か免疫の為に消えたのかもしれません。原始的な人々とアトランティスの人々の交配は神との異種婚になります。それから、後の文明はアトランティスを凌ぐものはありませんでした。つまり、文明自体は退化したのです。アトランティスの痕跡は理由があって隠されそれに影響をうけて残ったものが時代に合わないオーパーツです。

 次回は今回の補足と、前に一度書きましたが、魂の仕組みがどうなっているかということを述べますね。 

インカの古代遺跡と体のこと(養生訓)

 今月3月30日から31日に、代替医療をテーマにした第1回目のイベントに参加します。場所は浜松町の都立産業文化センターで「心とからだの健康フェスタ」という催しです。チケットはコンビニでも買えますが、当日受付でも1000円で買えます。

 私はいつものように透視・過去世・前世リーディングと体のスキャン、体調チェック、エネルギーの状態・各チャクラの色と形・オーラの状態をご希望によって、見ようと思います。

 代替医療を志しておられるお医者さんの講演等もあると思います。

 皆さんも感じておられるように、今の西洋医学だけが中心の医療に限界がきているのではないかと思うとこともあります。人間の体を診るのに、あまりにも専門が細かく分かれていて、たとえば、精神科のお薬を長期にわたって投薬しているのに、肝臓の機能検査だけで、その薬の副作用に糖尿病との重大な関連性をみのがしてしまうということも起こります。糖尿病はひどくなると腎臓をいため、血管をもろくし、失明や組織の壊死だけでなく、脳の梗塞や出血の原因になります。糖尿病は内科の専門なので、精神科だけを長期に受診して、内科でその病気を調べない限り、発見が遅れて死に至る事さえあるのです。

 「木を見て森を見ず」というか、精神的な症状をおさても、体をむしばんでしまっては、何を治しているのか本末転倒です。これは一つの例ですが。同じような治療の仕方が、いたるところで見受けられます。

 
 さて、養生訓からの引用2回目です。「若い時からの養生」という項に、草花を愛する人のように、自分の体を大切にしよう、という文章があります。草木を愛する人は、朝夕に心にかけ、水をやり、土をかぶせ、肥料を与え、虫をとって、よく養い育てて、その成長を見て喜び、衰えるのを見て悲しむ。軽い草花さえそうなのだから、重い自分の体を大事にするのは当然である。どうして、自分の体を草花ほどに愛さないのだろうか、と言っています。養生法を知って実践することは、天地(自然に逆らわないということだと思います。)父母に仕えて孝行(欧米にはこのような直接の言葉はないと思うので、最近欧米化で死語になっているような言葉ですね。。もう一度思い出してもよいと思います。)することである。長生きと安楽(幸せに生きること)の為に若い時から、養生法を学ばなければならない。身を慎み、生命を養うのは、人間として最も重要なことである、と言っています。

 全ての人の生まれつきの寿命は多くの場合、長命で、天性で短命という人はまれである。生まれつき元気で、身体強健な人でも、養生法を知らずに、朝夕に無理をして元気をそこない、日夜、精力を消耗したならば、与えられた天寿を保つことなく早世してしまう。これと逆に、天性虚弱で多病なものでも、養生法を守って保養すれば、かえって長生きをすることが出来ると言っています。

 「薬・鍼灸よりも予防を」(昔は鍼灸も医療の一環だったと思います。今は代替医療のひとつですね。)およそ薬や鍼灸を使うことになるのは、やむをえない下手な手段といわなければならない。それを用いる前に、飲食・色欲を慎み、規則正しく寝起きをして養生すれば、病にはかからない。食欲が少ない人も、座り続けたり、寝続けたりしないで、朝夕散歩をして、程よい運動をして体を動かすと、薬や鍼灸を使用するまでもなく、腹の中のつかえる心配はない。薬は事あるごとに気を偏らせる。薬用ニンジンの名薬でも、その病気に合わなければ害になる。まして、いかがわしい薬は、元気をそこなって他の病を引き起こす。針はありあまった気を除くが、気の不足を補わない。病適応しないと、元気をへらしてしまう。(これは気功にも当てはまります。どんな力のあるといわれる気功士でも患者と気があわないなら、しないほうがいいのです。灸もその病気にあわなければ、元気を減らし、精力を発散させて逆効果となる。薬と鍼灸はこうした利害があるのである。(近頃のマッサージ、整体、インスタント気功も気ーエネルギーをかき乱される時があるので、ほとんど私は利用しません。ただし、その人と施術者の相性がいい場合は別ですね。

 現代では薬がいたずらに多用され、副作用も多く、体のバランスを損なうことが多いのです。とくにご老人に多種、多量の薬を出していることが多く、言葉はわるいですが、実験をしているように思えるほどです。副作用がいちおう報告されていないからと、5~10種類前後の薬を同時にだすのは考えものです。薬はある意味、毒なのですから・・・ 

 今回のテーマは古代の建築技術で、古代遺跡はペルーのインカ帝国のオリャンタイタンボです。

 オリャンタイタンボは古い遺跡の上にたてられているそうですが、まだ公式には発表されていませんが、古い遺跡は今から12000年前に建てられたのではと言われています。ここは1500年代に要塞となりますが、スペイン軍に滅ぼされてしまいます。標高2846mにある砦の正面に6枚の巨大な岩が設置されその背後には太陽神殿があったらしいと言われていますが、今は壊されたのかありません。標高の高い崖にどうやって、1つ50トンもの花崗岩をつみあげたのか、今の技術でも不可能に近いようです。そこで花崗岩はとれないので、どうやって石を切り出して、高い山の頂までつみあげたのかは謎です。密度が高くてかたい花崗岩を石どうしの隙間に髪の毛1本もはいらないほどにくっつけた技術はいまでも難しいそうです。ある説によると宇宙人か空から来た人々(アトランティスなどの超古代の文明人)が反重力やレーザービーム技術、あるいは未知の技術を使ったのではないかと言われています。

 このどこからもたらされたかわからない古代の技術の工法は、安山岩もきちんとした四角に切り出していて、石の表面はつるつるしてなめらかで、ガラス化しているそうです。石に電動か何かののこぎり痕があり、機械をつかったとしか考えられないそうです。また、安山岩は遠くブラジルのほうでしか取れないそうです。すごい距離をどうやって巨石を運んだのでしょうか?

 アンデスの地方の伝説には、兄と妹の兄弟が天から降りてきて、金のくさびを持ってきてつくったという伝説があるそうです。

 次回も古代文明の謎を引き続き考えましょう。
 

インド(ヴィジャヤナガル)の文明と、体(養生訓)について

 今回は前半で江戸時代に福岡市にあたるところに住んでいた儒教学者の貝原益軒が、1712年になんと83歳(現代で言ったら平均寿命に30歳以上の開きがあるので、110歳くらいで書いたようなものでしょうか?)という高齢で書いた、健康な生活で、幸せに長寿に生きる暮らし方のハウツー本から、現代に役立ちそうな部分を、抜き出して書いてみますね。後半はインドの古代文明です。 

 彼の妻も彼の説に従い、長生きをして、年をとってからも京都に旅行に行けたそうです。今なら年をとって、海外旅行に行ける元気のあるご老人のようなものでしょうか?

 貝原益軒の考えと私の考えが、全部一致しているわけではないですが、感想を書きつつ、参考になりそうなものを引用して行きますね。テキストは講談社学術文庫の『養生訓』と中村学園の訳を拝見しました。

 『孟子』における君子(りっぱな人)の三楽にかけて、養生における三楽を三つあげているようです。
 1.道を行い、善を積むことを楽しむ
 2.やまいにかかることのない健康な生活を快く楽しむ
 3.長寿を楽しむ

身分が高いとか、お金持ちであることはこの三楽には入りません。(これは、魂の志すところと同じです。)養生の道(教え)を知らないで、身に病が多く、短命となる人は、この三楽を得られない。

 長寿を全うするための条件として、「養生法の第一は、自分の体を損なう物を除去することである。」とあります。「体を損なう物とは、内から生じる欲望と外からやってくる邪気(現代ならウィルスや細菌、合成添加物、環境ホルモンかく乱物質、有害な化学物質全体をさすのでしょうか?)

 内から生じる欲望とは、飲食の欲、好色の欲、眠りの欲(おそらく怠惰をさすのだと思います。働いて睡眠をとるのは欲と違います)、言語をほしいままにする欲(これは相手のことを考えず、自分のわがままばかり言って、繰り返し同じ愚痴ばかり言うことだと思います。)喜・怒・憂・思(考えすぎること)・悲・恐・驚の7つの情の欲もさします。つまり、7情の欲とは、これを抑えることは、精神を自分の力で安定させることで、感情に振り回されない座禅の精神や仏教の悟りにも通じます。

 先ほどの邪気は江戸時代は、環境の中の、風・寒さ・暑さ・湿度の四気が入ります。内から生じる欲望をこらえて、外部からくる邪気を防ぐことができれば、たえず健康で元気はつらつとして、病気にかからず、天寿を全うすると言っています。

 前半の最後として、『養生訓』の第一巻総論上の冒頭、1、「人間の尊厳性」というテーマを述べています。少し引用してみますね。これは、現代では軽んじられることが多いのではと思います。「人の身体は父母を本とし、天地を初めとしてなったものである。天地父母の恵みを受けて育った身体であるから、それは、私自身のようなものである。しかし、私のみによって存在するものではない。(つまり自分の体は自分だけのものではないということです。)天地のたまものであり、父母の残して下さった体であるから、慎んで大切にして、天寿を保つように心がけなければならない。」(魂の立場では、肉体に入る時にはその肉体を借りていろいろ経験させてもらうのですから、借りた肉体を大切にしなければならないのは、全く同じです。)(中略)

 「大いなる生命を私一人の命と思って、慎まず、飲食、色欲を思いのままにし、元気をそこない持って生まれた天命をそこない、早世(早くに世を去ること)するのは、天地、父母への最大の不孝である。」(略)「なるべくなら幸福になり、長寿にして喜び楽しむことは、誰もが願望するところであろう。(略)「養生の方法を知らないで、欲にふけり、身をほろぼし命を失うことは、もっとも愚かなことである。(略)「人生は楽しむべきである。短命では世界の富を得た所で、仕方のない事だ。財産を山野のようにふやしても何の役にも立たない。それゆえに道に従って、身体を保って、長生きをするほど、大いなる幸せはない。」

 前半がかなり長くなりました。
インドの歴史的建造物で有名なヴィジャヤナガルですが、ハンピの都市遺跡は1300年から1500年に建てられた珍しいつりがね型の建造物です。ユネスコの世界遺産の一つとして登録されています。

 ヴィジャヤナガルは前回書いた「マハバーラタ」や「ラーマーヤナ」の古代叙事詩にも出てくる超古代都市とも関係があるらしいのです。古代のヴィジャヤナガルは10000年から12000年前の人々と神を結ぶ都市であると書かれています。この神というのが、実は宇宙から来た人々ではないかと考える人がいます。インドのヒンズー教のシバ神やラーマ神は実は宇宙人で古代の人々と一緒に住んでいると考えられました。前回書いた空中戦では、現代では理論の段階にも来ていない反重力の宇宙船を論理的にそのしくみを描いている部分もあるのです。後の時代のつりがね型の建物は、つりがね型宇宙船を模倣したものではないかと言われています。古代ヴィジャヤナガルは宇宙人によって作られた巨石建造物による都市とも言われています。

 次回はまた養生訓の役に立ちそうな引用と解釈、そして、その他の巨石文明を探してみましょう。

インドの古代文明

 今日は食のまとめをしてから、前回の古代文明の続きを書きます。
前にあるラジオ番組で農業や食について面白い話をしている先生のことを書きましたが、どの番組か分かりました。毎週日曜日ラジオの周波数は不明ですが、「心を読む」という番組で、毎週日曜日の13時から14時くらいにやっています。2月26日は「食べるということー民族と食の文化」というテーマで、東京農業大学のコイズミ先生という方が話していました。簡単にまとめると、日本人の栄養素としての脂肪の摂取量は戦前の5倍になり、肉の摂取量は、4倍になったそうです。戦前に比べて高タンパクで高カロリー、たくさんの添加物が取られるようになったわけです。

 コイズミ先生が言うには、「全国一であった沖縄の平均寿命は、ごく最近は、さがりつつある。」ということでした。原因は沖縄の食の欧米化で、本来の豚肉と野菜中心の沖縄料理を食べる回数が、昔に比べてすくなくなったのではないかということでした。現在は鹿児島県の徳之島と奄美大島がまだ、昔ながらの食生活をしているので、平均寿命が上がっているということでした。

 欧米では平均寿命より健康寿命を気にするそうです。健康寿命とは、日常的に介護を必要としないで自立して生活ができる生存期間(平均寿命から介護をひいた数が健康寿命)です。

 欧米は健康寿命が長いそうです。先ほどの徳之島などは、健康寿命も平均寿命も長いそうです。ある研究者がその理由を調べたところ、徳之島や奄美大島は昭和30年代前半の食生活をそのままやっているそうで、人口はそんなに多くないのに80歳を超える人が数千人いるそうです。その番組では、日本人に合った食べ物を考えるべきと言っていました。未病率の高い職業を考えるとお坊さん(特に禅宗の僧侶)が長寿のようです。カロリー摂取量は警察官の二分の一から三分の一で寿命は長いそうです。ラジオから離れますが、私が聞いたことで、アメリカのある大学の先生がカロリーと寿命の関係を研究したら、カロリーを少なくとった方が長生きだったそうです。肉や脂中心の食事は、野菜と魚や大豆たんぱく中心よりは免疫も下がるかもしれませんね。

 ただ、長寿だけを強調するわけではありません。人生の質ももちろん大事です。最後のまとめで、「医食同源」、「薬食同源」食は最良の薬になります。何を食べるかということが、薬を飲むより大切ですね。食べたものが、体の一部になり、エネルギーにもなり健康の源になるのです。日本人には日本人に合った食べ物が良いですね。体や腸がそういうふうに出来ているので・・・それと、よく言われていますが、実行するのは難しい1日30品目以上の食材をとることは、とても体や免疫に良いと思います。それから、外食など出来あいの弁当など塩分がこいので、自分で作る時は、塩分を減らす工夫をした方がいいと思います。余裕のある方は、食品添加物や、化学調味料のことも考慮に入れて、食べ物を工夫してとっていただきたいと思います。

 私の高校時代に、そこの学校の校長が、私たちを集めて貝原益軒という江戸時代の学者が83歳の時に書いた「養生訓」(ようじょうくん)という本の話を何回もしていました。その時は退屈だなと思っていたのですが、年を重ねて内容を振り返ってみると、なかなか役に立つこともあります。次回の前半はその内容を少し紹介しましょう。


 後半はインドの古代文明の続きです。

 「マハバーラタ」はインドの古代語であるサンスクリット語で書かれた18巻の物語で、10万の詩節(世界最大の詩集)20万行の詩があります。この世の始まりから、バーンダヴァ族とバーラタ族との争いを軸に書かれています。物語の登場人物が誰かに教訓を言ったり、さとす時に教典が使われるという構成です。これらは日本の「古事記」と同じく最初は口伝えで言い伝えられ、文字により文章化されたのは、紀元前6~5世紀だということです。前回に書いたヴィマナという空飛ぶ戦車が出てきて、紀元前とは思えない今の科学技術のようなものについて書かれています。

 「ラーマーヤナ」は古代インドの長編叙事詩で全部で7巻あります。その長さは48000行あって、ラーマ王の行状記の意味です。紀元3世紀ころに、詩人が多くの民間伝承を編纂したものです。ヴィマナという空飛ぶ戦車は天上の神グベーラの所有物でしたが、ラーマ王の敵ラーバナに奪い取られてしまいます。古代インドでは、その他の古文書からも空飛ぶ宇宙船を手に入れたという内容が多く出て来ます。また、「サマランガナストラドハラ」には、宇宙船の構造まで、細かく書かれています。チベットの古代の書物からも、空飛ぶ物体のことが書かれていたそうです。

 ヴィマナ(空飛ぶ戦車)の製造法が描いてある書物もあるそうで、蒸気機関や発電機のようなもの、空気を暖かくする機械、冷却器、太陽光線をひきつける為のドーム、私の透視では、アトランティスにも、同じドームがあったので、何らかの関連があるのかもしれません。

 ヴィマナの操作マニュアルも残っていて、神話のように想像上の乗り物ではなかったようです。ヴィマナの宇宙航行技術は現代の宇宙技術より進んでいたようです。ヴィマナは今より高い空を飛んでいて、その速さは超音速で飛んだ様です。ヴィマナは空気と太陽光線エネルギーに転換することができ、直線飛行は勿論自由自在にジグザグ飛行が出来たようです。(古代に書かれたのに、現在のネット上にある多くのUFOの飛び方に非常に近いですね。)敵がどの方向から近付いてくるかというのを測定するレーダー装置のようなものもあったようです。

 インドで一番古い宗教書「リグベーダ」には、神々に対する崇拝の文がありますが、そこに出てくる神々は、宇宙から来たものか、あるいは、超古代文明のアトランティスから来たものかもしれません。ヴァーユ神とスウィン神は、人間に身近に接していて、神と人間(宇宙人と人間のハーフがいたと解釈する人もいたようです。「マハバーラタ」に書いてある戦いは、前述したようにほとんど空中戦で、地上戦がないのは、紀元前のものとしてはとても奇妙なことですね。現代にある兵器よりすすんだ兵器を使っていたようです。「マハバーラタ」と「ラーマーヤナ」に出てくる兵器で、アグネアの矢といわれる兵器は核兵器ではないだろうかという説まであるそうです。

 次回の後半はインドの石の建築物ヴィジャヤナガルについてとその他の地域の古代巨石文明を何回かに分けて書きますね。
プロフィール

観音寺りえ

Author:観音寺りえ
アトラス研究所の観音寺りえです。

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住所: 東京都文京区千石4-37-10 
TEL: 03-3942-1341
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