エジソンと超能力、オカルト研究について(その2)

 5月21日朝7時半前後の金環日食見ましたか?私は、6時半くらいから、9時前まで時間があったので、いろんな段階を見ることが出来ました。きれいでした。江戸時代の日食の時は、比較的良い年になったそうです。明治時代の日食では、新聞で、経済的に良い年になる、縁起がいいと言われていたそうです。良い変化があるといいですね。

 知っている方も多いと思いますが、今年の、6月6日午前10時24分頃に東京で、金星の太陽面通過を見ることが出来ます。また、必ず、日食メガネをつけてみた方がいいですね。金星の一部が太陽の端にかかるのは17分間前後、太陽の中を横切るように見えるのは、6時間くらいだそうです。


 だいぶ前に私が書いたブログ(2011年11月4日と、10日と、17日のブログ)に書いたマヤの予言の島については、マヤ文明が太陽に金星が通過するイベントを、マヤの天文学で最も重要視していることを書きました。だから、2012年の暦をとりあげてみんなが騒いでいるのです。マヤの暦は何十とあり、2012年で暦をひとまず書き終えているのは、金星が太陽を通過する年で、ひとつの節目だからで、世界に大災害が起こり滅亡する年という訳では、決してあり得ません。中世の時代にあたる全盛期のマヤの王は、国家プロジェクトで、今のメキシコからペルーの南部の沖合の島に、観測用の石のオブジェを作りこれを観察しようとしました。マヤの国内でも、今のように日食グラスがないので、細い穴から太陽をのぞいて観測しようとした事でしょう。


 それでは、今日のテーマに入ります。
エジソンに影響を与えた超能力者?と言われた人は、バート・リーズという男性とブラヴァツキー夫人という女性です。バートリーズという人は謎の多い人物で、若い頃の経歴は不明ですが、1916年頃、エジソンはバート・リーズにあったのではと思われます。エジソンは69歳ころで、エジソンの長年の友人のアレン・ベンソンという人が、「エジソンは彼の死の15年前(69歳)ころから心霊研究を続けていた」と言っています。さらに友人のベンソンは、『リバティ』誌で「発明家のエジソンの業績は、一つには真実の発見、続いてそれを利用することだった。人間にとって真実とは何なのか?人間には不滅の霊魂が存在するのか?一体に生が終わると霊魂はローソクの炎が尽きるように消滅するのか?それとも幽幻のように漂うのか?もし霊魂が生き続けるものならば、死者は生者に話しかけることが可能なのか?」「この高名な友人(エジソンのこと)は、霊媒や生者の媒介なしに死後の世界を実証する装置を作り得ないものか、と考えていた。霊魂が直接、現世と交信することが可能なら、疑問は氷解する。エジソンは科学者の矜持として、真実を何よりも重要視していた。霊魂と死後の世界、二つの世界間の交信の可能性については、彼の誤謬もあろう。ならば現実に適合すべく自分の研究方針を修正しなくてはとエジソンは考えたのである。」こうやって、ベンソンはオカルト研究を始め、霊界との交信器を作ろうと研究していたエジソンを弁護しました。

 話を超能力者といっていたバート・リーズにもどしましょう。
生年と没年は良く分からないのですが、当時のプロシア領(現代のドイツ)だったポーランドのポーゼンという所の生まれだそうです。子供のときにアメリカに渡り、彼は透視能力があると自分で言っていたのですが、透視だけでは食べて行けず、手品も一緒にやっていて、手品のほうはあまり上手でなかったようなので、インチキという人々もいました。けれども、彼の能力がエジソンを感動させたのは、鉛筆でエジソンが虫めがねでやっと見えるほど小さく「キーノ」と書いた文字をリーズが透視したからだそうです。

 エジソンはさらに高名な精神科医をよんで、でたらめに書いた文字の紙きれを部屋の数か所に隠したのですが、リーズはそれらの紙きれの場所と意味の分からない文字の字をよんだといいます。

 ドイツの貴族で、高名な科学者フォン・シュレンク男爵は自分のプライバシーに関する質問を紙に書いて、ばらばらにしてリーズに見えないようにしたのですが、リーズはその裏返した紙に書いていた質問に紙をみないで、5問中4問に正確に答えたといいます。リーズを利用しようとした告発人の悪だくみでリーズは詐欺罪で訴えられ、裁判所の中で透視をしなければならなくなって、リーズは裁判官の書いた文をそのまま透視して、無罪になりました。


そのころエジソンはテレパシーの実験もしていて、なかなかいい結果はえられなかったようです。

 エジソンの理論によると、「空中には顕微鏡でも見えない微細な物質粒子が存在する。それらは、巣の中の蜂のように群れをなし、精神を緊張することで、指示を与えることが可能だ」と考えました。「生命は物質同様に滅ぼすことはできないものである。この世には、常にある量の生命が存在し、その量は一定であるだろう。生命とは、創造も、破壊も、増殖することもできないのだ」というのがエジソンの信じるところだったようです。

 私のときどき見えるエネルギーの粒もエジソンの考え方と矛盾しないなと思います。

 次回は、バート・リーズより有名な神智学を研究した。ブラヴァッキー夫人のことと、ライバルでも友人でもある科学者ライプニッツからの影響と、エジソンの超能力と思われる部分を、見ていきましょう。 

 
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トーマス・エジソンと超能力、魂について(その1)

 今回はアメリカの発明家トーマス・エジソンの超能力研究と不思議なお話を書きましょう。

 トーマス・アルバ・エジソン(1847年~1931年)はアメリカのオハイオ州ミランでスコットランド系とオランダ系アメリカ人の両親のもとで生まれました。7人兄弟の末っ子でした。彼はその人生で約1300件もの発明をしたと言われています。それに伴う会社もたくさん作っています。「発明王」とも「メロンパークの魔術師」とも「映画の父」とも「訴訟王」とも言われています。84歳で亡くなる晩年70歳くらいから、本格的に死後の世界の研究を始めました。後世の人はそれをオカルト研究と呼んでいますが、彼はまじめに取り組んでいたものと思われます。

 彼は個性的な性格で、学校で教えられたことをうのみにせずに何にでも疑問を持つ子供だったようで、先生にうとまれて、小学校を入学から3カ月で退学させられたといいます。先生たちは彼の型やぶりな一種の才能を恐れたのかもしれません。彼の母親はエジソンの教育の為、自宅の地下室に薬品や実験道具をおいてやり、エジソンは地下室で、科学実験に没頭することが出来たといいます。理解のある母親で良かったですね。アメリカでは人と違うということが、今でも尊重される教育の仕方なので、今の世でいうと学校へ行かない引きこもりの子供でも、偏見の目で見ずに、その個性をのばしてあげられたのでしょう。子供も劣等感を持たないで、育ててもらえたので、母親の力が大きかったと思います。

 彼は生まれつきの商売人で、1877年30歳で蓄音機の実用化(商品化)で有名になり、ニュージャージー州にメロンパーク研究所を設立します。だから、後世「メロンパークの魔術師」と呼ばれたのですね。彼は研究所に人材を集めて、発明集団を作りました。彼は多くの発明品のマネジメントに凄い力を発揮しました。人の研究も自分のものにしてしまうような貪欲さも彼にはありました。

 その研究所では、電話、レコードプレーヤー、電気の鉄道、鉱石の分離装置、電灯照明などをつぎつぎと発明しました。電球を初めて発明したのはエジソンではないようですが、白熱電球を実用化して効率の良い商品化をしたのはエジソンです。その商品の特許を守るために、訴訟をひとつひとつしていったので、「訴訟王」といわれてしまったのでしょう。今に通じるビジネスセンスの持ち主だったと思われます。

 彼の失敗だったのは、直流の電力供給のシステムをつくろうとしましたが、交流が優れていたので、全国的には交流の電力供給システムになりました。彼の研究所が交流の欠点を宣伝するために、「電気いす」を発明しひところこれが処刑方法になったのは驚きですね。アメリカでは今はほんの数州を除き死刑はほとんど廃止されていますね。彼は学校をでていないので、微積分を使った交流システムが理解できなかったと批判する人もいます。

 1877年ウエストオレンジ研究所にうつり、動画撮影機(映画をうつす機械)を発明しますが、厳密にはこれは彼の部下の発明だったといいます。彼は電話機の実用化にも関わっていて、発電機も発明しています。一般家庭でつかっている電気アイロンやトースターも彼の発明です。

 彼はライト兄弟が飛行機を発明する13年も前にヘリコプターの構想を持ち実用化に向けて実験していたのですが、事故の爆発が起こって、人命に関わることだからとヘリコプターの発明を断念したといいます。

 晩年に鉱山経営に手をだして失敗し、会社経営から退きます。

 そして、引退した73歳ころから、彼は霊界通信機を研究しようとしました。晩年になって、自分の死期がそんなに遠い話では亡くなった時点で人が死んだらどこへ行くのか
というテーマを純粋な子供の視点にもどって彼は考えたのではないでしょうか?これは彼が人の役に立つ発明のかずかずをしたのと同じかそれ以上に、重要なことだったと思います。

 エジソンは人間の魂もエネルギーであり、宇宙のエネルギーの一部であると考えました。エネルギーは不変なので、魂というエネルギーは人間の死後も存在し、このエネルギーの蓄積こそが「記憶」だと考えていました。これは私の考え方ととても近いと思いました。私はこの「記憶」集積が繰り返されて、あるルールに沿って生まれ変わると考えます。それが、転生です。人間の転生の過去、現在、未来のデータはすべて魂というエネルギーの記憶の中にあります。ですからエジソンはある超能力があって、自分の未来の人生から未来の技術を垣間見て、発明に活かしたとも考えられるのです。

 エジソンも自らこう言っています。「自分の頭で発明をしたのでなく、自分自身は自然界のメッセージの受信器で、宇宙という大きな存在からのメッセージを受け取って、それを記録することで、発明していたにすぎない。」と・・・


 次回は、エジソンの後半で彼の死後の世界観に影響を与えた超能力者?のこととエジソン自身の超能力について書きましょう。

古代の哲学者プラトンと前世、ギリシャ神話の神と人間

 しばらく、古代から近代までの歴史上の人物と転生や前世観、不思議な話を見て行きましょう。

 数か月前に、このブログでも紹介した、中国の「生まれ変わりの村」のお話のオリジナルの話をみつけました。中国のお話はつくり話か実際にある村かは定かではないですが、死んでからの前世の記憶を、川を渡る時にスープを飲んで消すというお話のプロットでした。

 最近みつけたのですが、実は西洋の古代から、この話は欧米諸国に伝わっていたのです。話の元はギリシャ神話です。紀元前1000年以上前からこの話は、神話として口承で伝わっていたと考えられます。

 それは、レーテーという川の話です。ギリシャ神話でのレーテーは黄泉の国にいくつかある川の一つで、川の水を飲んだ者は、完璧な忘却を体験するというものです。

 古代ギリシャ人は、魂は転生(生まれ変わり)の前にレーテーの川の水を飲まされる為、前世の記憶をなくすのだと信じていました。この話のプロットは、世界中の文学に影響して、多くの小説や詩や戯曲にひんぱんに書かれています。

 古代ギリシャの哲学者プラトン(紀元前427年~紀元前347年)の著作『国家』最終章「エルの物語」で、はアムレス(不注意の意味)の川の流れる「レーテの平原」にたどりついた死者の話を語っています。

 プラトン(本名アリストクレス)はソクラテスの弟子で、アリストテレスの師です。プラトンの思想は西洋哲学の源です。アカデメイアという名前の学校をつくりました。アカデメイアでは、天文学(占星術を含む)、生物学、数学、政治学、哲学などを教えました。プラトンは輪廻転生説のオルペウス教やピュタゴラス学派の思想、特に幾何学を重んじる思想を学び、パルメニデスなどのエレア派にも関心を寄せていました。

 プラトンは初めて理論的に人間の心を考えようとした人で、 魂の三区分説で人間の心の動きを説明しようとしました。人間を霊魂(こころ)と身体(肉体)に分けて考える霊肉二元論の立場に立って、魂を3つの働きに区分しました。そして、彼は霊魂の不滅を主張しました。今のわたしの考えもこの考え方に近いですが、肉体に入る魂と、肉体に影響される情緒の心と、肉体の3つに私は分けています。


 魂に対する正しい見解は紀元前400年ごろにもう完成していたのですね。紀元前1000年以上前の古代ギリシャから輪廻転生思想はもともとあったものです。世界中の古代文明に転生思想はあったのですね。これが消えたのは、ずっと後のユダヤ教やキリスト教やイスラム教などの根っこが一緒の唯一絶対神の宗教が入って来て、それぞれの政治と結びついて、都合がわるいので、輪廻転生の思想だけが、抹消されてなくなったのです。

 余談ですが、プラトンはアテナイ最後の王コロドスの血をひく貴族でした。政治家を志していたのですが、政治に幻滅し哲学者になりました。彼は、政治家の収入を制限し儲からないようにして、私有財産と家族を持たないようにさせるべきだと考えました。そうすれば、お金に意地汚い人は政治家にならないだろうと考えたのです。でも、当時の政治はもう金権体質だったのかもしれませんね。それで、プラトンは政治に失望したのではないでしょうか?「権力は腐敗する」という言葉がありますが、プラトンは古代からそのことを知っていたのですね。

 
 古代の神話は、人間の想像上のお話だけでなく、古代や超古代の歴史を反映しているものであると思います。ギリシャ神話にはさきほどの輪廻転生思想だけでなく、人間の起源に関する多くのヒントが隠されています。

 ギリシャ神話の話は、西洋文明の基礎になっていますが、西洋だけでなく、アジアや、中近東、アフリカ、北南米、日本にまで影響しているかもしれません。数回にわたって見て行きましょう。

 ギリシャ神話では、多くの神の中でプロメテウスという神が、地上にあった泥をこねて、小さな人形を作り、女神アテネが生命を吹き込んだと言われています。プロメテウスは神々の王ゼウスのいかずち(雷)の火を盗み、人間に与えてしまいます。人間は火をもとにどんどん知恵をつけ、新しく生まれた人間をもとにもどす事が出来ない事を知った、ゼウスは、人間の能力を制限して、神のようになることを防ごうとしました。

 けれども、人間は本能の中に完璧な神に近づこうとする刷り込みがなされているというのです。

 次回にギリシャ神話の現代に通じる不思議な話を見て行きましょう。同時に歴史上の不思議なことをした有名人もさがして見つけたら、書いていきましょう。 

ニュートンの予言と養生訓について(最終話)

 5月に入りましたが、梅雨のように雨の多い日が続きます。今月21日は天文学の上では大きなイベントがありますね。部分日食と金環日食です。規模としては平安時代から900年ぶりの首都圏で良く見える、日食だそうです。金環日食は、東京では当日午前7時31分から7時37分の6分間が完全に重なるそうです。晴れているといいですね。直接太陽を1秒以上でも見つめると目に悪いそうで、日食眼鏡を通して見た方がいいそうですね。裸眼で見ると目の病気になるかもしれません。特に子供さんは影響が強いようです。

 日食の時は政治経済を初めとして、世の中に大きな変革が起こりやすいということで、日本の社会に良い変化が起こると良いですね。


 今回はニュートンの話と養生訓の最終話です。ニュートンの話を前半に書きますね。養生訓は、江戸時代の長い話なので、あきている方もいらっしゃるでしょう。まとめを書きます。


 前回のニュートンの終末の予言についての補足で、ニュートンは聖書の何らかのメッセージを暗号化して、科学的情報を得ようとしましたが、世界は少なくとも、2060年までは絶対に滅びないと予言しています。そして実は安易な終末論を批判しているのです。「この指摘は、終末がいつ来るか断言するものではない。空想家による性急なあて推量と、それが外れることによって神聖な予言に疑惑がわくことを防ぐためのものである」と1704年の草稿に書いています。彼にいわせると、現代の1999年の終末論(ノストラダムスの詩を解釈した一部のひとの考え)や、2012年の終末論も、正当な予言ではないということになるのでしょう。彼は聖書を信じていました。

 私の考えでは、聖書の軽挙(神から救われて人間が天国へ直接送られて姿を消すという考え)を土台とした2012年のアセッションもありませんし、キリスト教の最後の審判のような人間の滅亡ではないと思います。天国や地獄に人間が振り分けられて、信者のみが天国へいくということはありません。ただ、今の文明が終焉を迎える日は必ずあります。あと、千年もは続きません。

 
 ニュートンは古代史に未来のヒントがあると考えて古代の研究の資料に旧約聖書を使いました。ニュートンは古代文明を知る手掛かりとして、ソロモン宮殿(ソロモン王が築いたエルサレム神殿の原型)に関して『古代王国年代記』を書きました。彼は語学に優れていて、自分で古代ヘブライ語の翻訳をしました。

 彼はソロモン宮殿の黄金比・円錐曲線・正投影図などに基づく幾何学を考え、ソロモン宮殿の特性と均衡には隠された意味があるとして、計算でその意味を探ろうとしました。宮殿の寸法は円周率と半球の体積に関係しているそうです。さらにニュートンはソロモン宮殿が大局的に見て、地球の大きさや、地球での人間の配置と関係していると考えました。ニュートンはソロモン宮殿が、ソロモン王の特別な眼と聖なる助けによって、デザインされたと信じていました。宮殿を形作る幾何学は時間軸をたどるヘブライの年代記と考えたようです。

 ソロモン宮殿は今はなくなり、エルサレムにその跡の一部が残っているだけです。紀元前965年にソロモン王によって建てられ、紀元前582年に壊されました。その宮殿にはユダヤ教の3種の神器といわれるものが入っていた、周りを金でおおわれた「契約の箱」(これを持つと世界を支配できるという言い伝えがあり、各時代の権力者が捜し求めています。一番最近はヒットラーが探していたそうです。)3種の神器は「二枚の石の板」「マナの金の壺」「アロンの杖」だそうです。

 ソロモン王は伝承で魔法使いといわれており、72柱の悪魔を自由に操る召喚士だったという伝承があります。このころの、ユダヤ教では、神と悪魔の対立という考えは現代のようなものでは、なかったかもしれません。

 ニュートンに話を戻すと、彼は古代の哲学者・学者・聖書の人物の著書に聖なる知識が込められているのと同時に、建築物の中にもそれが込められていると考えました。これらの古代の学者たちは、複雑な暗号と象徴的・数学的な言葉を隠していて、解読すれば、自然の運行に関する秘められた知識を解き明かすことが出来ると信じていました。

 ニュートンが先ほどあげた『古代王国年代記』にアトランティスについて述べているところがあります。ギリシャ神話において、オデッセウスがオギュギア島に漂着したのをその島はギリシャ神話のアトラス(アトランティスの語源)の故郷です。ニュートンは現在では分からないオギュギア等の候補地として、「カディス」や「カレス」をあげています。また、同じ書物で、ニュートンはアトランティスはヨーロッパ・アフリカ・アジア全域と同じくらい広大であったが、海に沈んだと書いていたそうです。


 前半がながくなりましたが、養生訓のまとめに入ります。第5章五官では、「心は体の主君」であるから、安楽にしてやり、苦しめてはいけないとしています。部屋は南向きがいいとか、東枕がいいなどの気学のような話があり、体に気を入れる導引の方法、健康法が紹介されています。

 第6章では、「病を慎む」のテーマで予防医学のことが書いてあります。それから、病にかかったら、良医を選びなさいということや、医者の世襲はいけないと書いてあります。医は仁術と信じられた時代です。医者を志すものはまず儒教を学び、占い(易経)を学ばないものは医者になってはいけないとしています。

 「投薬の適中と偶中」では適中とは良医の投薬が、病気の体に的確に合うことを言い、偶中では、凡医の投薬がたまたま合うことを指します。凡医や偶医は信用できないとしています。

 第7章「用薬」では、薬の乱用は危険であると言っています。

 第8章「「養老」では子供のように老人を養うとか、心楽しく年を取ろう、とか、老人側に対しては、晩年の節度を保ちましょう「年よりの冷や水」という格言の通り、無理をしないで、気の流れを良くして、元気をなくさないようにしたいと結んでいます。

 最後に灸の効用をかなりのページをさいて書いています。養生訓後記では、古人の言葉をやさしくし(きっと漢文の書からも引用したと思います。)自分で試し効用のあったものは仮説であっても書いたそうです。また作者が若い時に読んだ古語の養生の術を弟子たちと調べて、書きとめたということです。皆の協力もあったわけですね。

 
 長く書いた、養生訓も終わり、次回はまた不思議なお話を見つけてきて、何か書きましょう。

 
プロフィール

観音寺りえ

Author:観音寺りえ
アトラス研究所の観音寺りえです。

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住所: 東京都文京区千石4-37-10 
TEL: 03-3942-1341
まで。

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