シュタイナーの不思議な話ー神秘学概論ーまとめ

 ここ数日凄い暑さが続いていますね。読者の皆様に暑中お見舞い申し上げます。お互いに熱中症に気をつけましょう。昨日は上野公園の東京都美術館で「オランダ・フランドル絵画のマウリッツハイス美術館展」に行ってきました。日本で初めてヨハネス・フェルメールの「真珠の首飾りの少女」が展示され、 「真珠の耳飾りの少女」も同時に展示されたので、見てきました。ブログで以前に透視の依頼があって、その絵について透視をしたことを書きました。よかったら、昔のブログ読んでみてください。

 昨日の上野公園は暑くて、美術館へ行く途中の交番の横の温度計は37度を指していました。気象庁の発表では、東京はお昼くらいに33・5度くらいが最高温度ということでした。気象庁の発表の観測点の温度はやや涼しい風通しの良いところに置かれているのかもしれませんね。午後3時ころ通りかかったのですが、絵を見終わって、同じ交番の横の温度を見たら5時半で33.5度でした。暑くて気持ちが悪くなるくらいですね。温暖化ではなくて、太陽の変化に伴う異常気象で暑い時はさらに暑く、雨が集中的に降り、冬は温暖なところが寒く、地震も前より活発になり、富士山の噴火も連動するかもしれません。江戸時代でも前に書いた太陽の黒点の数が減り、異常気象となる極小期が2回きたようですが、いろいろな天変地異はあっても、先祖である江戸時代の人々は、皆で協力して乗り越えました。その時のリーダーもしっかりしていたお陰もあると思います。大変な時を武士だけ私腹をこやすことなく、質素倹約令をだして、みんなで我慢したようです。マウンダー極小期に気候変動で、江戸でも飢饉があったとき、まだ幼かった綱吉でしょうか将軍がおかずが足りないと文句を言ったら、「将軍様なにを仰せですか、下々の民は飢えているのですよ。」と母親か乳母が言ったという逸話が残っています。今は科学が発達しているので、食料について、もっと工夫ができるのではないかと信じたいです。でも耐えるちからは私自身を含めて、一時代前のかたより弱くなっているかもしれません・・・

 さて、今回シュタイナーの不思議な話の最後です。私の意見はシュタイナーを盲信しているわけではありませんが、こういう考えもあるのかということで、引用してまとめてみます。とても難解です。
『神秘学概論』のまとめの前にシュタイナーが独自に提唱した「オイリュトミー」について簡単に触れておきますね。彼の作ったオイリュトミーとは舞踏のような運動です。パフォーミングアーツとも言われています。

 意識と身体のギャップを埋め、言葉または音楽の力を全身の動きに変換して、内臓を動かすエネルギー、と惑星を動かすエネルギーを関連つけるそうです。言葉や音楽の持つエネルギーを身体表現にするそうです。子音の動きと母音の動きを組み合わせることで、言葉を立体的に表現するそうです。

 この考えをもとに、舞踏の芸術オイリュトミー、教育オイリュトミー、医術の療育的なやり方の治療オイリュトミー、職場でのソーシャルオイリュトミーもあります。音楽を伴うやり方と言葉を伴うやり方があるそうです。演劇の分野にも取り入れられているようです。


 シュタイナーの『神秘学概論』では、「眠りと死」の章で、シュタイナーは死後霊界(あの世・中間生とも重なるかもしれません。)では感覚界と同じように色をともなって現れる。といっています。確かに、私が見ている中間生でも、光の色は大事です。

 シュタイナーは前世のことをはっきり言っています。彼は「つらい出来事をそれまでのように単なる心を苦しめる、事柄だと考えるのではなくて、前世における自分が自分に課したものだと理解することで、それは必然的で自分が乗り越えるべき出来事だと受け取ることが出来るようになる。」と言っています。

 「宇宙の進化と人間」の章ではもっと難解で荒唐無稽とも思えるような内容です。彼は地球は遊星状態の再物体化?として現れたとしています。次に地球上で自我が肉体、生命体、アストラル体の中に入って人類が進化するという経過を経たと考えました。それまでの人類は自我を有していなかった?というのです。そして、地球を生物のように考え、人類と遊星としての地球が進化をしてきたと書いています。

 シュタイナーは、最初の遊星物体化の時期を「土星紀」第二のものを「太陽紀」第三のそれを『月紀」と呼び、第四の遊星物体の時期を「地球紀」と名付けました。そして、土星紀には、人類は肉体しか有しておらず、太陽として再物体化してから、肉体は発展し、エーテル体と結びついた。月紀にも同様なことが起こり、アストラル体と結びついた、そして、地球紀に自我を有するようになって、肉体は第四の進化状態にあるというユニークな論を展開しました。

 シュタイナーは月紀の終りに人間を悪のほうに誘惑するルツィフェルという、キリスト教で言う悪魔のような存在を考えました。そのルツィフェルの悪い影響から部分的にまぬかれた少数の人たちがその破滅から逃れて、現在は大西洋の海水に覆われている地球へと移住して、この移住先が「アトランティス」であるとしました。
アトランティスの栄えた時期をシュタイナーは「アトランティス期」と呼びました。またその前の地球の進化の最初から「ヒュペルボレイオス期」、「レムリア期」と呼んでいます。彼によると、アトランティスの人々は、生命体を通して、形態霊の領域と完全に結ばれることができたと考えました。そして、アトランティスの人々は、自分たちがある偉大な存在によって導かれていたことを知り、その存在は、太陽と地球の分離を指導したものであり、太陽に属するものであると考えています。

 そして、そのあとは無理なこじつけになりそうですが、キリストがアトランティスに重ねて描かれています。そして、彼はこのキリストの信託を太陽の信託と結びつけています。アトランティスの中期に低次のものが秘事参入者を誘惑し不幸が増大したために成長力と生殖力が母体から切り離され、単独で利用されたので、空気と水の破局が訪れたというお話を、シュタイナーは語りました。そして、アトランティスは破壊され、アトランティスの人たちはその地域を離れ、移住を開始したというのです。その先は現在のヨーロッパ、アジア、アフリカ(もちろん南米も入ると思います。)であると言うです。私はアトランティスに関してはシュタイナーと考えを異にしますが、一つの考えとしては面白いですね。

 『神秘学概論』の最後のほうの章は「高次の諸世界の認識(秘事参入とイニシエーション)」や「宇宙の進化と人類の進化の現在と未来」などですが、また別の機会にふれますね。まさに先駆的なスピリチュアル?の教科書といってところでしょうか?このあといろいろな人が彼の考えをまねて、オリジナルのように語っています。

 アトランティスに対する私の考えは、ブログのずっとあとにまとまったら、書きますね。

 
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シュタイナーの『神秘学概論』と中間生

 今回はシュタイナーの書いた不思議な本『神秘学概論』についてです。

 読んだ方もいらっしゃると思いますが、とても難解な本です。私は彼の考え方に同意見と言うわけでもないのですが、リーデイングの仕事を始めて、もうすぐ8年目ですが、1万件以上の過去世、前世、来世、と多くの中間生を見たものと、最近調べて知ったシュタイナーのこの本の内容との、共通部分が中間生についてあったので、書きたいと思います。

 彼の考えはすべてがオリジナルでなく、神智学協会の影響を受けたことは前に書きました。そして、神智学協会の考え方は東洋のチベット仏教やヒンズー教の死生観の影響を受けました。

 それをふまえて見ていきます。、『神秘学概論』では人間の本質を次のように定義しています。人間の肉体は死ねば鉱物(実際は鉱物ではないので、物質のことを指すのだと思います。)のようである。

 人間を鉱物と区別するのは肉体以外の人間本性であると言っています。人間をほうかいさせぬように働きかけているものを「エーテル体」あるいは「生命体」と呼んでいます。肉体内に存在する鉱物素材に、一定の生きた形態を与える働きしか認めることができない。そして、肉体の各部分はエーテル体の各部分の働きによって維持されている。人間は肉体を鉱物と共有しているように、エーテル体を植物と共有している。肉体のみを備えた人間が死の状態にあるように、肉体とエーテル体のみを備えた人間は眠りの状態にある。この没意識状態から意識をめざめさせるのが、超感覚的な認識での第三の人間本性、すなわち「アストラル体」である。人間が睡眠するときアストラル体はエーテル体と離れて存在している。神秘学は、肉体とエーテル体とアストラル体の三分肢からなっていると言っています。私は肉体の中にエネルギーと情報をもった魂が宿ると考えています。神智学では、人間のまわりにエーテル体がつつみその周りにアストラル体がつつんでいる図が出てきます。そして、肉体が無くなって魂だけの状態になったものを、確かコーザル体と言っていたような気がするのですが・・・その絵は昔見たので記憶はややあいまいです。シュタイナーは第四の人間本性を「自我」であると言っていて、自我があるかないかが、人間と動物を分けていると考えました。(しかし、動物の心の中を探ったわけではないので、本当に動物に自我、自分であるという認識がないと証明することはできません。)

 この自我が人間から離れるとき、忘却と言う現象になると説明しています。記憶イコール自我と考え、外的な対象が去ってもその記憶を呼び起こすことができると考えました。感覚的な対象についてアストラル体と魂が強く結びついたものを「感覚魂」と呼んでいます。自我を「悟性魂」と呼び、これ以外に「意識魂」があると言っています。

 自我によって変化させられたアストラル体は「霊我」(霊の第一の本性)ヒンズー教や仏教で「マナス」というものだと言います。エーテル体は「生命霊」(霊の第2の本性)であり、仏教などでの「ブッデイ」(ブッダと同じでしょうか?)肉体が変化して、つまり死んで、「霊人」(第三の霊的本性)、これを仏教では「アートマ」)とも言います。つまりあの世に行っている状態です。これらの分類は、オリジナルと言うよりは仏教ヒンズー教の思想を西洋に紹介したという感じですね。

 「死の直後、死後の体験、エーテル体とアストラル体の分離」については、こう言っています。エーテル体が肉体から切り離されることが死であると・・・(ここの考えでは、エーテル体は生命なのでそれが肉体から出ていく
ということですね。)肉体は物質的な作用によって崩壊していく。(これはつまり、生命が離れた肉体が朽ちていくということですね。)アストラル体がエーテル体と結びついているとき、肉体とは切り離されているから、もはや、感覚を得ることはない。エーテル体が有する形象を過去の人生として体験する。生きている間に体験できるそれまでの思い出は肉体による束縛のため不完全であったが、魂における印象は失われていないで、完全な思い出を体験することが出来る。

 やがて、エーテル体は肉体と結びついていたころの形態を失い、アストラル体と分離する。このことは、いきているあいだにも一時的ながらおこることがあり、そのとき人は「しびれがきれる」という。そして、死後のことが起こるとおもいでもまた消える。

 つぎに死後体験するのは、死の直前から幼児期に至るまでの人生を、時間をさかのぼって、たどりなおす。このとき、物質界を対象とした自我の欲望の結果はすべて満足でなく苦痛をもたらすが、自我の欲望を消去するのにも役立つ。欲望が浄化の火によって焼き尽くされる。

 ここまでの死んだあと、のようすと死後に行くイメージは私が何回もみている中間生のイメージと共通部分が多い、これは、チベット仏教の死にいたる作法とその後を書いてある『死者の書』とも共通する。

 私の場合よく見るものは、人間の内側に重なり合っている、電気的で、磁気的で光の性質をもつ何かが、脳にはまった情報のエネルギーと結びついていて、人間の肉体が壊れた時に、エネルギーが枯渇して、情報を維持できなくなるので、最後のエネルギーを振り絞って光となって、肉体から離れ、同じ次元のある場にあつまって、それが中間生の状態です。中間生には物質はなく、想念でなんでもだせる状態の場で世話をするガイドがいます。ガイドにも肉体はなく、やはりガイドの助けで、現世の記憶を思い出し、いろいろなことを気づきます。そして、ガイドは光のかたまりのような存在でその中に吸い込まれた魂は直前の人生の記憶を失い、けれども、今までの過去世の人生の記憶をほとんど全部呼び出し、リンクをさぐり、次の人生のあらましを確認して、ガイドが予定された次の肉体に連れて行ってくれて、生れるのをまちます。肉体に入った時には、すべての過去世の記憶は、表面の意識からは全部消えています。

 それでは長くなったので、次回は続きを書きますね。

  

シュタイナーの不思議な話ーその3と、直前の前世の話

 今日は前回の続きと難しい話で退屈な人もいると思うので、事務所で出したたくさんの過去世の中での様々なお話を、前座で少し書きましょう。

 先日いらしていただいた方に、1年ほどまえだったでしょうか、直前の前世をお出ししました。また、先日いらして、その彼女の前世について調べたことを教えていただきました。

 その前世はこんな人生でした。彼女はやはり女性で、1920年代にフランスで生れました。彼女の父親はユダヤ系の学者で、科学者でした。研究をして大学で教えてもいました。彼女が14歳くらいの頃、ヨーロッパでドイツが戦争を始め、いろいろな国が巻き込まれました。1940年にフランスがドイツに占領され、父親は家族の移動に目をつぶるという条件で、ドイツに研究で協力しました。母親と彼女と弟はフランスからイタリアスイスに逃げて、レジスタンスの人の協力で、ヨーロッパからアメリカの親戚のもとへ世話になることができました。母親のアメリカの親戚は製造業をしており、母親は工場の経理の仕事を手伝いました。

 直前の前世の彼女は、西海岸の服飾系のアートカレッジへ行って、弟はマサチューセッツ工科大学に入りました。戦争が終わり、彼女はヨーロッパにいた父親には会えませんでした。彼女は西海岸で建築家と結婚し、彼女はJJというブランドをつくって働きながら、男の子と女の子を育て、ブランドの宣伝やファッションショーやイベントで西海岸と東海岸を飛行機で行っ
たり来たりしました。そして、40歳ちょっとで1960年代に飛行機事故で亡くなったことを現世の彼女に告げました。

 それから、1年ちょっとして、先日彼女がいらしたのですが、実際にアメリカの婦人服のブランドで、1960年代前後にJJというブランドがあり、女性が作ったブランドであることをつきとめ、作品を服飾史の歴史の情報から調べて見せてくれました。たしかにラベルにJJとあり、コートやスーツでとても上品なデザインでした。

 そして、もうひとつ驚いたのは、彼女が直前の前世で乗っていて、事故にあった飛行機の便数を見つけてくれたことです。事故は1962年の3月1日に起こったもので、アイドルワイルド空港(現JFケネディ空港)のニューヨーク・ロス往復便のアメリカン航空1便、ボーイング707とボーイングN750の衝突事故でどちらの飛行機に乗っていたのか不明ですが、彼女は苦労して捜し出してくれました。メンテナンスミスと製造工程のミスが重なって、あり得ない衝突事故が起きたようです。

 彼女はそのことを確かめるために来てくれましたが、彼女も私も証拠を見て驚きました。

 直前の前世がたまたま有名な事故や戦争中の有名な戦艦等で亡くなった場合は、このように調べたことと一致することが、いままでいくつかありました。

 それでは、今日のテーマのシュタイナーの提唱した人智学について少し書きますね。

 人智学(アントロポゾフィー)はシュタイナーが初めてつくった学問というわけではなくて、1500年代、16世紀世紀からその概念はあったようです。語源がギリシャ語の人間を示すアントローポスと叡智を表わすソピアをルドルフ・シュタイナーが合成して作ったのは確かなようです。けれども、1575年にドイツのハインリヒ・コルネリウス・アグリッパが考えた学問であるということです。(ウィキペデアから)いつできたかわからない『古代魔術のアルバテル至高の叡智の研究という書』で人智学(神智学も)は「自然的事物に関する知識」「人間的事象における狡滑さ」?と訳されているそうです。1800年代初めにスイスの医師で哲学者のイグナツ・パウル・ヴィタリス・トロクスラーという人が人智学の概念をうけつぎ、彼は生智学生命と叡智に分類しました。彼は人間の自然に対する認識のことを人智学と呼びました。彼はすべての哲学は同時に自然認識でなければいけないと考え「本来的な人間」に基づいた「客観化された人間学」でなければいけないと考えたのです。当たり前と言えば当たり前の考え方だと思います。西洋哲学の根底にはいつもキリスト教のしばりがあったので、気の毒といえば気の毒ですね。彼は神と世界は人間の自然において神秘的過程を通して統一されると考えました。

 その後、イヌマエル・ヘルマン・フィヒテと言う人が、『人間の魂に関する学問』(1856年)で人智学とは「人間の根本的自己認識」神的な精神がいることの実証は、自分の内側に目をむけること」と言っています。

 その後ギデオン・シュピッカーという宗教哲学者(1872~1920年)が人智学を次のように言いました。「化学においての問題は事物の認識である。一方哲学においての問題は、この認識に関する認識を裁く最終的な審判である。したがって、人間の持つべき本来の研究課題とは、人間自身に関するものであり、同時にそれは哲学の研究であり、その究極の到達点は自己認識あるいは人智学である。

 その後ロベルト・ツインマーマン(1824年~1898年)は1882年に人智学と言う言葉を使い、哲学講義をしていました。それを聴講していたのが、シュタイナーで、神智学で神秘的なことに興味をもったシュタイナーは、ゲーテ研究から興味を持ちそして、神智学協会にはいってその思想に賛同していたシュタイナーはやがて、神智学の幹部と考えが合わなくなり、ドイツの神智学の信者?を連れて、人智学協会を作ったわけです。まるで、新興宗教の内部分裂のような話ですね。神智学のレッテルが人智学に張り替えられたわけですね。

 シュタイナーは人智学を霊的な世界観、人間観から解釈し、それを汎用性のある、教育、医療、芸術、農業、経済、宗教などの広い分野に応用しようとしました。

 長くなったので、次回に彼の人智学の考えが表われている『神秘学概論』の一部を引用してまとめてみましょう。

シュタイナーの不思議な話についてーその2-

 今回はルドルフ・シュタイナーの後半の人生についてと人智学とその考えがわかる本についてです。

36歳でシュタイナーはベルリンへ引越し、シュタイナーの編集した『ゲーテの自然科学論文集』を、彼が手がけてから14年後に完成して出版します。シュタイナーはとても忍耐強い人だと思います。

 また、その年の夏に、『ゲーテの世界観』を出版し、その本の最終章では、ゲーテと哲学者ヘーゲルの関連や比較を論じています。
 シュタイナーはゲーテ研究にによって世に出ることが出来ましたし、ゲーテに関する本もたくさん出すことが出来、就職もゲーテの遺稿の保管局でした。ゲーテの『ファウスト』にも強い影響を受けたものと思います。『ファウスト』はまさに魂の話です。

 37歳で、『演劇』という雑誌を発行し、すぐに廃刊にしました。38歳で、労働者教養学校で5年間教師をします。歴史と話術と文章の書き方を教えます。38歳の10月に8歳も年上の未亡人アンナ・オイニケ(1853年~1911年)と結婚しました。46歳の女性と結婚したので、子供を作る目的で結婚したのではないようです。

 1900年にブロックドルフ伯爵夫妻に「神智学文庫」での講演を依頼され、ニーチェやゲーテについての講演をします。それ以降神秘主義についての講演を行います。

 1902年に41歳で神智学協会の会員になります。神智学は前に書いたロシア人女性ブラヴァツキー夫人が作った交霊会を中心に活動したオカルトテイックな協会です。シュタイナーは神智学協会ドイツ支部をつくり、初代事務総長となります。

 43歳で『神智学』を出版し、自分の世界観を著します。現代人のための霊的?感覚を啓発するための修業法を書いた『いかにしてより高次の認識を獲得するか』という連載を書いて、後に本になります。

 同じ43歳で『アカシャ年代記より』という連載で、自分の霊視?によって観察した宇宙や人間の進化の様子を描きますが、創作的な、かなり現実から遊離した内容になっています。

 48歳で彼の世界観を詳しく書いた『神秘学概論』を書きあげ、翌年49歳で出版します。前の彼の著書『神智学』にはなかった宇宙進化論を加えて書かれています。

 彼の活動は哲学、文学、神秘学の分野だけでなく、建築、彫刻、絵画、音楽、言語芸術、運動芸術(オイリュトミー)などの多くの芸術分野に影響をあたえました。


 彼のオカルト思想の良かった点は、その思想が真理をついているかは別として、新興宗教のように陳腐なものに彼の思想を結びつけなかったところだと思います。どのような新興宗教の教祖も、スピリチュアルスクールの指導者も彼の博学さをしのぐことは、今後もできないと思います。

 50歳で彼は58歳の妻を亡くし、2~3の神秘劇を作り、「アントロポゾフィー」(人智学)の協会の設立を計画します。53歳で彼はマリー・フォン・ジーフェルスと再婚します。54歳で彫刻の制作をし、「ゲーテアヌム」という芸術のための建築物を作ります。

 56歳以降、シュタイナーは具体的な社会活動をします。シュトウトガルトに「自由ヴァドルフ学校」を開校しますが、反対者もいました。建築物を建てる時も、彼の考えを劇で発表する時も反対者がいました。カルト的な考え方に不安を持つ者もおおかったのでしょう。マルクス主義者からも嫌われ、後にヒットラーからも嫌われます。第2次大戦後は、シュタイナーの思想が人種差別的だとユダヤ人の団体からも批判をうけます。

 59歳で協力者と一緒にアントロポゾフィー医学(シュタイナー医学)の創始者になります。これについても非難がありました。
アーレスハイムというところに「臨床治療研究所」を開きます。また、経済の分野で「国民経済学講座」をひらきキリスト教の団体のためにも働きました。

 63歳のときゲーテアヌムという芸術の建物が火事にあって、再建の計画を立てます。一般人智学協会を設立し、「霊学のための自由大学」の講義をしますが、彼の講義は長くは続きませんでした。音楽や農業、オイリュトミー講座も行われました。64歳で演劇講座をしましたが、彼は病気になり、倒れて、高熱を出し翌日亡くなりました。亡くなる直前まで、彼は精力的に活動していました。

 もう少し彼が長生きしたら、あらゆる分野を教える総合大学を存命中に作ったのではないかと思います。

 長くなったので、難しいですが人智学の簡単な説明と、彼の本の内容については、次回にします。

シュタイナーの不思議な話についてーその1-

 今日は前にちょっと話したルドルフ・シュタイナーについてです。

 ルドルフ・シュタイナーは1861年2月27日に生まれ、1925年3月30日に64歳で亡くなりました。当時のオーストリア帝国(現在のクロアチア地域)に生れました。当時のオーストリア・ハンガリー帝国の帝国南部鉄道員のヨーゼフ・シュタイナーの長男として生まれました。妹と弟が生まれ、7歳のころ物質世界を超えた超感覚的世界(霊界)を感知するようになった?と言われています。あとづけの話かもしれませんね。今のスピリチュアルスクールで言っていることをさきがけで言っていたような人で、彼は神智学の影響を受けながら、自分の頭でも考え理論を構築しました。今のスピリチュアリズムや新興宗教は自分の考えではなく、昔の人々の言った神秘的なことの二番煎じがあまりにも多いと思います。神智学も含めこの時代の神秘主義の影響から何ら新しい発見はないようです。表紙を変えた中身が同じ本のようです。

 子供の頃、幾何学に興味をもったり、キリスト教のカトリックに心酔したといいます。フリーメーソンの支部との接触はあったものの一員ではないといいます。文字をつづることに苦労したというので、難読症や難字症の傾向があったようです。難字症の方は一般の人に比べて、脳の発達部分が少し違うので、優れた能力を持っていることが多いです。
 難字症と学習障害があった彼は実業学校に入り、自分で努力してそれを乗り越え、成績が上がります。 知能指数は高かったのか、自然科学の文献を読んだり、幾何学の勉強をしたりしました。15歳で哲学の思想にはまり、16歳でカントの『純粋理性批判』を読んだといいます。18歳で実業学校を卒業して、薬草収集家という人に出会い霊的なことに興味をもったということです。彼自身の霊的能力についてはよくわかっていませんが、不思議大好き、新しい学問大好き少年だったのですね。ウィーンの工業高校に進み、ウィーン大学の聴講生としても授業を聞きました。この時、学んでいる自然科学と自分の霊的経験のギャップに悩んだといいます。22歳で学者からゲーテの自然科学に関する著作の校正と序文を依頼され、ゲーテの研究を始めます。

 彼はまた、22歳でウィーン大学のカール・ユリウス・シュルーアー教授を通して、ゲーテを好きになり、ゲーテの研究を始めます。ゲーテの『ファウスト』をよみ、この戯曲が、彼の今までの悩み、自然科学と神霊思想のギャップを解決するヒントと考えたのではないでしょうか?産業革命以降の近代科学が霊を否定しても、命の本当の姿をとらえきれない事に彼は気付き、その整合性をとろうとします。人智では生命のしくみはわからないということに気付き、自然と(物質)と霊(心)のつながりを考えるゲーテの世界間から学ぼうとしました。彼は自然科学と哲学や霊の知識を両方持っていたわけです。彼はその後ウィーンの工業高校専門学校を中退します。彼にとって人の説を勉強する既存の学校教育は合わなかった物と思われます。

 そして、23歳でウィーンの商人の水頭症の10歳の息子の家庭教師の仕事に就き、献身的な教育をその子にして、その子は健康になり、寄宿学校に入ることが出来、なんと医者になることが出来ました。シュタイナーは人を教育する力と癒す能力をもっていたのでしょうか?

 学校はやめても彼の交友関係は広がり、友人の助けで彼は25歳の若さで最初の本『ゲーテ世界観の認識要綱』を出版します。27歳で『ドイツ週報誌』の編集をして美学史の研究を始め、ゲーテ協会でゲーテの美学についての研究もします。28歳で初めて、神智学との出会いをします。

 29歳でワイマールへ引っ越しゲーテ・シラー遺稿保管局の職員となり給料をもらいます。30歳でロストック大学の先生に自費で論文指導をしてもらい、哲学の論文を書いてぎりぎりの可で哲学の博士号をとります。現代でいうと通信教育で学位をとるようなものでしょうか?彼は学校教育の勉強では苦労しました。既成の他人の意見を学び、それを繰り返す教育には合わなかったのでしょう。当時も学者になるには学歴社会の洗礼を受けなければなりませんでした。普通ならひとに認められないと努力をあきらめてしますところですが・・・


 彼は33歳で大学の教授資格申請に論文を書きますが、合格できず、また著作を出版し、出世の見込みのないゲーテ・シラー遺稿保管局を退職します。エリート・コースは歩めませんでしたが、すごい向学心と向上心ですね。36歳遺稿の後半は次回書きますね。紙面があったら彼の神秘的な考えを表している難解な本『神秘学序説』をまとめてみます。創作のようでもありとても不思議な本です。
  

 まとめとして、彼は神秘思想家といわれ、本人が自ら名付けたアントロポゾフィー(人智学)の創始者となりました。彼の不思議な考え方は、直接ではないですが、芸術、建築、医学、農業、教育等に影響しています。後の時代に多くの演劇界の人にも影響を与え、マリリンモンローもシュタイナーの本を読んでいたといいます。神秘主義的傾向のあるヒットラーは、彼の思想を嫌って否定しました。彼については、好き嫌いがはっきり二つにわかれるようです。

 それでは、次週もまた読んでください。
 
プロフィール

観音寺りえ

Author:観音寺りえ
アトラス研究所の観音寺りえです。

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の方は当研究所 
住所: 東京都文京区千石4-37-10 
TEL: 03-3942-1341
まで。

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