チベットの「死者の書」ーその4-と死ぬ間際に見える風景

 今回は「死者の書」のまとめです。その前に、偶然見つけた雑誌の記事「死ぬ間際に目にする風景」-遺族575人への調査で解明された「お迎え」現象ー(『AERA』No.35、1912.08.27)を簡単に紹介したいと思います。臨死体験や生還の研究は欧米では日本より盛んで研究本もたくさん書かれていますが、日本ではまだ、きわもの的な扱いです。極端から極端で、戦前まで日本の歴史風土に根差した、生まれ変わりの思想があったのに、戦後科学信仰の盲信で日本人の多くは、それを真っ向から否定してしまったような気がします。輪廻転生の思想や、神道、仏教を融合した古くからの命の考え方が軽んじられているような気がします。それが、今の日本人の心の荒廃にも通じるような感じもします。

 雑誌の記事の紹介に戻りましょう。記事の冒頭に宮城県名取市の「岡部医院」という在宅緩和ケアの病院の取り組みが紹介されています。院長が「自宅で最期を迎えたい」と言う患者の希望を受けて、設立された病院だそうです。雑誌の記事では、往診をする中で、死を真近にした患者が「お迎え」について口にするのを、たびたび耳にしたというのです。患者さんの多くが、「おじいさんがお迎えに来た」とか「死んだお父ちゃんと話をした」と静かに驚くことなく話すというのです。

 戦前や一昔前、以前は、自然に死に近づいていく過程があったのではないかというのです。そしてその中で「お迎え」は重要な意味を果たしたのではないかと言うのです。院長は病院のスタッフや研究者などの協力を得て、10年以上にわたり、患者らにアンケートをとり、「お迎え」現象を研究したといいます。

 アメリカのシカゴの精神科医(エリザベス・キュープラ・ロス)が『死ぬ瞬間』という本を出し話題になりました。私も読んだことがあります。

 記事では、2001年から2011年にかけて、宮城と福島で遺族1191件にアンケートをし575件の回答を受けたそうです。「お迎え」体験を「終末期患者が死に臨んで、すでに亡くなっている人物や通常見ることのできない事物を見る類の経験」と規定しています。「お迎え」経験を聞いた遺族は4割いたそうです。これは、生還した人本人からのものではありません。亡くなった人から聞いたものです。前に亡くなった弟が来た、とか先に亡くなったおじいちゃんが来たとか、友達が部屋に来ていると言った、故人の家族はその友達の家に電話したら、その友人も亡くなって49日だったそうです。お花畑や川が見えたと臨終間際に言った人もいたそうです。

 先に死んだペットが来たと言う人もいたし、神仏や光が来たという故人もいたそうです。自分のベットの周りにいろいろな複数の人が来ているという話もありました。否定派の医師の中には意識が混濁する「せん妄」によって幻覚を見ているのではと言う人もいますが、それには数が多すぎるようです。

 昭和20年代までは、自宅で亡くなる人の数が今より格段に多かったそうです。過剰医療は、自然な死を遠ざけ、あの世について生きている人につたえることを阻みます。現代科学だけが事実だと考える盲信が、日本人の死生観をここ数十年ゆがめているのかもしれません。ヨーロッパでも中世に確か死ぬための準備の書がありました。

 それでは、「死者の書」のまとめです。「汝は肉体から離れたものの、自分には身体が備わっているように思える。しかしこの体は物質からできているのではなく、光る体なのだ。したがって、岩や壁はもとより、山脈でさえ何の抵抗もなく通り抜けることが出来る。移動は一瞬のうちに行われ、思考力と知覚に対する制約は少ない。しかも知覚力は非常に明晰になり、感覚をまし、より完璧な神聖なものに近づく。しかし、このような力は汝には不釣り合いなのだ。生前の業を秘めた恐ろしい威力をもった竜巻が背後からおそいかかってくるであろう。これを恐れてはいけない。それは汝自身の心の投影なのだ。汝の行く手には闇が立ち込めて、その闇の中から諸々の叫び声が聞こえてくるが、これにも怯えてはいけない。・・・(この後は地獄のようすの記述ですが、省略します。これは本来の仏教の考え方ではなく、後から付け加えられたものです。地獄は中間生、あの世にはなく、地獄を作るのは人間で逝った人の心のイメージを再現したものです。)

 このあと、閻魔大王が出てきて、生前のことを裁くという話になるのですが、人生を振り返っているときに罪悪感を持っていたらこういうイメージになるのでしょう。でも「死者の書」では、これは汝の意識が作り出した怒りの姿だと言っています。このことを悟れば「死者の書」では解脱できるとしています。

 「汝は21日からは再生にむかうであろう。新しいバルドウに入るのだ。汝が前世で受けていた体は消えていくであろう。その代わりに来世で受ける体の形がだんだんはっきりして来る。(このあと六道の話があって、)よく聞くがよい、汝は今こそ頭をまっすぐに立てて、行け。遺してきたものへの執着を捨てよ。人間界に至るうすら明りに近づくのだ。もう一度人間に生まれ変わって悟りを目指して生きていくのだ。」

 私の考えでは、チベット仏教の考えと違って、人間は他の動物に生まれ変わることはできません。チャクラが違うので動物にはなれないのです。動物になるかもと戒めているのは、人間の持っている際限のない物欲を戒めた方便(教えを伝えるためのたとえや嘘)なのではないかと思います。この「バルト・ト・ドル」は49日で終わります。

 これで「死者の書」をいったんまとめて終了します。これからのブログでときどき引用するかもしれません。日本の古代から中世の仏教では、ヒンズー教やチベット仏教と違って、精神と肉体を区別する「霊魂」の存在を否定した時期もあったようですが、浄土宗の『往生要集』の考えが民衆に浸透して、「死者の霊魂が浄土に往生する」という考えが広がったようです。遠くチベット仏教の影響もあったのかもしれませんね。

 
スポンサーサイト

チベットの「死者の書」-その3-と幽体離脱の映画

 先週少し古い作品ですが「コーリング」(2002年)という映画を見ました。この映画は幽体離脱と霊が生きている人に大切なメッセージを伝えるとか、生きている人に呼び掛けるというタイトルです。

 主人公はケビン・コスナーが演じています。ごく簡単なあらすじを書くと、最愛の妻、小児科医のエミリーは夫で医師のジョー(ケビン・コスナー)の子供を妊娠しているのにもかかわらず、ある使命感に燃えて、医療ボランティアを請われて南米ベネズエラへ行きます。そこでバス事故に巻き込まれて、行方不明になります。生存者はいないと言われ、夫は悲しみを忘れようと、夢中で働きます。妻の残した家の中のものから、次第に彼は何かの気配を感じます。二人の友人である弁護士の中年の女性(キャシー・ベイツ)はそんな彼を心配します。

 何気なく同じ病院の妻が勤務していた小児病棟に行くと、ジョーは妻が担当していた瀕死の黒人の少年が「ジョー。ジョー。」と彼の名前を言っているのを、奇妙に思います。翌日奇跡的に回復したその少年は、「エミリーに会った」といいます。そして意識を失っていた時の幽体離脱で天井にいた時の話をジョーにします。ジョーの薄くなった頭頂が見えたというのです。
そして、彼は「何か彼女はジョーに伝えてといっていたんだけど、驚いて忘れちゃった。」と言います。これが不思議な現象の始まりで、季節外れのトンボが空を飛んでいたり、妻の好きだったトンボの文珍が引越しをしようとして荷造りに入れると、不思議にいつもの場所に戻ってしまいます。

 それから家の中で物音がしたり、窓に十字架の変形のようなマークがいたるところに現れます。彼はその意味するものが分からなくて、苦しみます。

 また、小児科病棟に行ってみると、妻と会ったことがない白人の6歳くらいの男の子がやはり死にかけて、回復してから、虹の中で彼女に会ったと言いました。男の子は十字架の変形した絵をたくさん書いています。

 脳死状態の臓器提供の患者を彼がみなくてはいけなくなり、ひとりで監視していると、心電図の機械が停止から急に復活し、遺体が「ジョー。ジョー。」と呼びかけます。彼の手をつかんで来てと呼びます。他の医者や看護士が入ってくると、遺体はピクリともせず、心臓の機械は止まったままです。ジョーは上司から疲れているので、強制的に休むように言われ、友人と川下りに行くように、計画します。隣人の弁護士のおばさんに、家を売り屋に出した管理を頼み、旅行に行く前に荷造りしていると、地図の中に十字架の変形したマークを見つけます。それは滝のマークだったのです。

 彼はこれがエミリーからのメッセージだと気付き、妻の事故のあったベネズエラの奥地に急いで向かいます。バス事故のあった場所は人を寄せ付けない村で、同国人でさえ近づけません。小型機のパイロットでガイドの男性と事故現場の近くにいき川に引っかかっている事故バスに、ジョーが触れると、サイコメトリーというか、そのときだけ、彼には透視が出来、妻がたすけられている映像が見えました。彼はガイドの制止を聞かずに禁断の村に妻の写真を持って入ります。

 村の人々は侵入者の彼を槍で脅して捕まえようとしますが、写真を見て、皆知っている人だと気付きます。村人はある家を指差します。彼女が生きていると期待してはいってみると、村のたくさんの女性がその家にいて、台の上の籠に白人の女の子の赤ん坊がいました。皆が大切に育ててくれたのでした。ガイドの通訳で聞いてみると、彼女は村人に助けられて、半年以上生きていて、病気の人を助けました。出産のときに彼女は亡くなりました。村のたくさんの女性たちが交代で乳をあげて娘は健康に育っていたのでした。

 最後にエンディングは、アメリカにもどって数年後4~5歳になった娘とジョーが公園で幸せそうに遊んでいる姿で終わりました。

 
妻の霊があの世に夫を呼ぶのかと思っていたら、そうではなく、愛する娘に会わせたかったし、なくなったことの様子を知らせたかったために交信してきたという内容でした。押し付けがましくなく、自然に幽体離脱のことや、透視、霊からの交信を無理なく描いているので、理解を深めてもらうという点において、良い映画だと思います。無理な設定の所もありますが、未知のものを上手に描いている秀作の一つです。

 長くなりましたが本題の、「死者の書」の続きです。

 15日目からの再生へ向かう導きの文ですが、「善人よ良く聞くがよい。汝に死が訪れた。この世との別れだ。死は万人に起こる。この世からあの世にいくのは一人だけではないのだ。執着してもこの世にとどまることは不可能である。現世への執着は、すべて断ち切らねばならない。遺した人への未練も断つのだ。こうすることによって、そこに現れるのは自分自身の投影だけだ。したがっていかなる幻影も恐れてはならない。(これは霊を怖がるなと言うことでもあると思います。霊は幻影でもあるのです。)自らの本性が生んだ幻影に惑わせられることなく進めば、解脱の道を歩める。

 汝の霊魂は頭部から肉体を離れ、その霊魂は喜ばしい雰囲気にひたり、自分がある空間にいることに気づくだろう。それはいままでの肉体ではない。その時点では意識もはっきりしており、死の自覚はないだろうが、その空間は独特の広がりをもった空間なのだ。突然風を切るような音が聞こえ、自分自身はもとより、周囲も灰色の霧に包まれるだろう。やがて汝は自分が肉体を離れていることに気づき、驚きを覚える。そして、親類縁者や友人たちが
、自分の亡きがらに向かって嘆き悲しんでいる姿を目撃して、なんとかしてこの人たちに応答しようとするのだが、自分の声がきこえないばかりか姿が見えない。霊魂が離脱した汝はまだ自分が死んでしまったことに気づかず、いささか混乱して、死んだのかまだなのか迷うだろうが、汝は死んだのだ。そしてこれからどこへ行くのか、何をすればいいのか思い迷い、強い後悔の念に襲われ、自分が置かれている状況に悲しみ、しばしのあいだ、かつての自分の亡きがらのわきにとどまることになるだろう。」

(私の見ている過去世の死んだ瞬間は、足からぬけることも、頭から肉体を抜けることもあります。体をつつんだ光が皮がはがれるように肉体から離れます。肉体のそばにいたり、死んだことが理解できないうちは、中間生に行けません。死んだ場所に残っている霊は、ですから未熟なのです。未熟な霊を神として崇めてお告げを聞いてそれを伝えてはいけません。私の考えでは、彼らは何もわかっていないのです。霊に低級も高級もなく物質世界にとどまるものは、摂理がわからない未熟な状態です。)

 長くなったので、次回は「死者の書」のまとめと私の独自の考えを書きますね。「死者の書」に賛成の部分もあれば、違うと思うところもあります。

 
 

チベットの「死者の書」-その2-

 ロンドンオリンピックも終盤となり、日本時間の13日午前4時ころから閉会式ですね。いろいろ感動させてもらいました。お盆休みにも入りました。江戸時代はお盆は旧暦、7月15日ころだったので、地域によっては、7月の半ばにお盆をされるところもありますね。亡くなった人を迎えたり、忍んだり、回向(えこう)したりしますね。

 古くから、世界中で、「死」は終りであり、敗北であり、忌むべきものと言う考えがあります。悲観的な見方をすると、私たちはどんな人も平等に「死」への道をあゆんでいます。私たちの中で「死」をまぬかれることは、誰にもできません。なぜ「死」が怖いのかという、哲学的な問いには、自分というものが、この世から肉体も心も無くなってしまうから、と答える人がいるかもしれません。それから、残念ながら、血のつながった方や近しい人や、配偶者や恋人や友人の死に触れた人は、つい昨日まで、あんな元気だったのに、その亡くなった人の喪失を思うと、死は恐ろしいものに思えるでしょう。

 近しい人を亡くした経験がない人でも、想像で自分がいなくなった世界を創造するのは嫌だと思う人もいるでしょう。また、病気でも事故でも、その他でも肉体が傷ついて死に至るというのは、痛いし苦しいと人間には想像する力があります。だから、動物よりも、死への恐怖が強くなるのでしょう。また、死んだら自分というものは、肉体とともに、消滅して忘れ去られるのかという恐怖感も、人間はほとんどすべての人が持っています。

 自分の魂や心が無くならないと信じる人々も、死んだらどこへいくのだろうという恐怖心をもっています。そこにつけこむのが、多くの宗教で、地獄や天国という実際にないものを宗教上で作って、人々を恐怖に陥れ、信じなければ地獄に落ちるという、考えを長い時代をかけて吹き込んできました。神との契約で天国?に行けたり行けなかったりということになれば、死んでからの世界が、大変不平等な世界のようになります。

 宗教を信じない人は科学や医学という信仰をもっています。病のない状態をめざす、医学にとっては死は敵で戦い続けなければならず、降参することは敗北になります。科学にとっては死は肉体と言う物体が消滅する現象にすぎないかもしれません。

 だから、私たちの多くは死を知ろうとしませんし、知らないから恐れ遠ざけるという悪循環になっています。死が恐ろしいものとすると、死に向かって生きている、我々の人生は恐ろしく苦しいのかというと、これはそれぞれの死生観によってずいぶん違います。「生きることは牢獄にはいるようなものである」と言った哲学者もいましたが、生を受けて感謝している人もたくさんいます。死がなんであるかを理解しようとしないと、忌まわしいもので、わけのわからない怖いもの「人間死んだら終わりなのさ」ということになって、一瞬一瞬を大切に生きようとか、充実した生を全うしようとなかなか考えられなくなります。生と死はよく表裏一体の現象であるともいわれます。良く生きて良く死を迎えるためには、死を知ることは、大切かもしれません。

 死をいろいろなものにたとえますが、私がたとえるなら、死は水の移り変わりのようなものだと思います。固体であるか液体であるか気体であるかの状態の違いですが、あなたの本質は増えも減りもしないと設定した水のようなものです。本質は記憶能力をもったエネルギーで、人間の肉体に入ると、ちょうど、水で言えば固体にはいった状態です。永久に固体にとどまることはできないので、肉体から抜け出して液体の状態でいることもあります。それから気体のように細かくなっていろいろなところを飛び回ったりするかもしれません。気体になっても、あなたの本質は残っているのです。これは、単なるたとえですが、魂、あなたの本質は、電気の要素もあるし、磁気の要素もあるし、光のような要素もあります。この世界の光と性質の違う光もあることを、あなた自身は、何回も生まれ変わっているので知っています。でも、この世界に来ると、生を受ける前の知を忘れて、物質のルールに縛りつけられてしまいます。肉体に入っているときは、知を中間生に置き忘れて、記憶をロックし、生まれて来ます。ちょうど、物忘れをしている状態ですね。


 古くから世界のあちこちで、死ぬことの道案内「死者の書」が口頭や記録で残っています。前回はチベットの「死者の書」のもとになった大変古い歴史をもつボン教について書きました。

 チベットの「死者の書」=「バルド・トドゥル」は、山中に埋められていたものを、経典として、発見されたのですが、それが私たちの目にも触れられるようになったのは、西洋人の人類学者エヴァンス・ヴェンツ(オックスフォード大学1927年『チベットの死者の書』出版)のおかげでもあります。

 経典は口頭で伝えられたものをまとめたものもあったので、いくらかの相違があるようです。エヴァンス氏は、全体の選択の3分の1ほどを訳して出版したようです。それでは、一巻~三巻の三部構成で、死に向かっている人を生と死の輪廻の苦しみから解脱させる方法が述べられています。導師と呼ばれる人が、死にゆく人を解脱させるために唱える導きの文や迷いから再生への選択の方法、祈願文などが書いてあります。私はこの死者の書の内容を絶対的に信じているわけではありません。一部で、むしろ反対の意見も、少なからず持っています。でも輪廻転生を解説するのに、わかりやすいたとえが多い参考になる書だと思います。

 一部を引用して、要約してみましょう。「バルド・ト・ドゥル」は「中有(バルド)の状態での聴聞(トエ)による大解脱(ドル)」という意味だそうです。

 「良き人よ、よく聞きなさい。今こそ汝の仏の道を求めるときが来た。汝が生前に得られなかった悟りを得る機会が訪れた。まもなく汝の呼吸はとまるであろう。そのとき、最初のバルドゥの強烈なしかも美しい光が表われるだろう。その光と、まさに汝の前に現れた光に溶け合うのだ。この光は、汝を作っていた本質なのだ。善人よ、よく聞くがよい。汝の旅立ちの時が来た。現世の姿を離れて極楽浄土へ向かうのだ。決してこの世に執着してはいけない。不安におののくことはない。もう心を乱すものは何もない。今からは自由なのだ。これから、汝の感覚はすこしずつ失われていく。体をつくっていた物質が元の元素に分解されはじめるのだ。汝は重いものに押しつぶされていくように感じるだろう。もうすぐ死ぬ時が来る。汝は意識を物質である身体から生まれながらの光の世界へと移すのだ。今までの身体は無常の幻なのだ。」これが、死の1日目の読経です。14日、2週間チョエニ・バルドゥというバルドゥの導きの経が続きます。15日目からは、シパ・バルドゥという再生へ向かう迷いの状態のバルドゥの導きの経文になります。

 長くなったので続きは次回にしますね。 

チベットの「死者の書」と中間生ーその1-

 夏風邪がはやっています。もう治りかけですが、私もひいてしまいました。冬にはほとんど風邪をひかないのですが・・・
 
 初めに、夏風邪に良い食べ物を紹介しますね。うなぎ、かつお、たらこ、枝豆、玉ねぎ、豚肉、しし唐辛子、しょうが、パイナップル、もやし、おくら、やまいも、豆腐、冬瓜、バナナ、トマト、きゅうり、モロヘイヤ、とうもろこし、などです。旬の食べ物がおおいですね。

 あと、昔から作っているのですが、ノドや咳に良いものとして、はちみつ大根があります。大根を1センチくらいの角切りかたんざく切りにして、かぶるくらいのはちみつをいれ、数時間から半日ガラス瓶などにいれておきます。ふたがある方が良いです。大根から水分がでてきたら、大根をとりのぞき、残った汁を大さじ1杯位数時間ごとに飲みます。残った大根は、私には甘すぎるので、酢醤油をかけて食べます。はちみつ大根汁にお好みで酢を入れても良いです。緊急には、大根のすりおろしやリンゴのすりおろしがいいです。予防には紅茶でうがいするとよいと言う人もいますね。夏風邪気をつけてください。


 今回から数回、チベットの古くから口頭で伝わっていた「死者の書」について、見ていこうと思います。チベットの「死者の書」については、輪廻転生思想に基づく考え方で、西洋文明では、古代にその考え方をキリスト教の発展にともなって、そぎ落としました。近代になって、心理学者のカール・ユングによって高く評価され、西欧に紹介され、前に書いた新智学の人々によって一部の考え方となり、シュタイナーもその考えの一部を取り入れました。

 チベット仏教の「死者の書」は『パルド・トドゥル』と呼ばれチベット仏教に伝承されている死者の道案内をするための経典です。「埋蔵経」とも「枕経」(死にゆく人の枕元で説くので)ともいわれています。このブログで前にもその内容については、少し触れたことがあります。

 チベットの「死者の書」は、チベット仏教ニンマ派の経典と言われています。パドマサンバヴァと言う人が書いて、弟子が山の中に埋めて隠したものを、後のテルトン・カルマ・リンパが発掘したと西洋で紹介されています。ところが、その「死者の書」の起源は、チベットに伝わる古代宗教ボン経によって口承でつたえられたものらしいので、難しいですが、不思議な宗教、ボン教について少し掘り下げてみましょう。

 ボン教は今から1万8千年前(紀元前1万6千年)にオルモリングに王子として生れたトンパ・シェンラップが、出家して僧となって、ボン教をつくったというのです。これが歴史上の事実なら、世界最古の宗教ということになります。1万数千年前と言えば、前に書いた、パキスタンの最古の遺跡がそれくらいの時代のものだったと思います。

 日本なら、旧石器時代と中石器時代の間くらいなのでしょうか?縄文時代以前です。

 ボン教は中央アジアでトンパ・シェンラップが始めました。その宗教の目的は「生きとし生けるものを、苦しみから救いだす」ことです。」ボン教は、古代のボン、永遠なるボン、新しいボンに分けられるそうです。古代のボンは中央アジア一帯で行われていた呪術をさします。永遠のボンはいけにえなどを否定してシャーマニズムなどの土着性を排したと言われています。新しいボンは、ボン教迫害の時に仏教よりに生まれ変わったものです。だいぶ後の時代になりますね。

 ボン教の創始者トンパ・シェンラップ王子は、出家して僧となりました。彼の人生を12に分けて、12の善行と言っています。トンパは人間に生まれる前から仏陀だったといわれています。釈迦の人生に似ていますね。

 ボン教には、仏教と同じように、中観論や唯識論、宇宙論や戒律があります。


 チベットでは、ボン教と仏教はなんら矛盾することなく同時に現代まで、信仰されています。ボン教も迫害を受けた時に、地面の下に埋めて、埋蔵教を伝えました。(死者の書と共通部分がありますね。)ボン教の僧侶はこれらの経典を勉強しますが、没教の経典も必要があれば学びます。

 ボン教では仏教でも使っているダルマについて、ダルマとは根源的な事実をそのまま表したもののことで、時代と歴史を通じて、何度も繰り返しのべられたことのひとつで、根源的な真実はもちろん、永遠の真実をさすと言っています。

 今日は「死者の書」の内容まで行きませんでしたが、次回、死生観と内容に入ります。
プロフィール

観音寺りえ

Author:観音寺りえ
アトラス研究所の観音寺りえです。

鑑定とカウンセリングご希望
の方は当研究所 
住所: 東京都文京区千石4-37-10 
TEL: 03-3942-1341
まで。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード