不思議な話 その88 ノアの方舟 洪水伝説

 最近ロードショーで公開され、現在はビデオになった『ノア 約束の船』を見ました。映画のあらすじや感想と、旧約聖書の洪水伝説、それにまつわる話を書いてみましょう。まだ映画を見ていない人には、ネタばれの部分があります。

 映画の『ノア 約束の船』は2014年6月13日に公開されました。監督はダーレン・アロノフスキーという人で、『ブラックスワン』という映画も作った監督です。俳優陣がすごくて、3人アカデミー賞俳優が出てきます。主演はラッセル・クロウ(ノア)、ジェニファー・コネリー(ノアの妻)、アンソニー・ホプキンス(ノアの祖父)、息子に『パーシー・ジャクソン』のローガン・ラーマン、養女に『ハリーポッター』のハーマイオニー役のエマ・ワトソンなどが出ています。映像がとても綺麗でした。CGもたくさん使われていますが、あまり違和感は感じませんでした。夕日の赤い色をバックに人物の黒い影で心象風景がよく表現されていました。

 映画になりにくいお話のノアの方舟の伝説を、CGを使ったとはいえ、よく描いていました。天使の解釈もおもしろく、ユニークでした。ノアの方舟のために神に姿を変えられていたのか、という伏線もありました。

 この映画独特な解釈で伝説や旧約聖書の話とは少しストーリーが違っていました。

 簡単なあらすじは、主人公のノア(ラッセル・クロウ)は、神が堕落した人間を滅ぼす為に、大洪水を起こすということの予知夢を見させられます。新しい世界にひとつがいずつの動物を乗せて種を保存するために、ノアに巨大な船を作らせます。堕落した人間のリーダーでカインの末裔(エデンの園を追放されたアダムとイブの子孫の3兄弟長男カインはすぐ下の弟アベルを殺します。)で王のトバル・カインは、自分の欲で動く男で、昔も欲のためにノアの父親を殺して、エデンの園の記憶として家宝になっていた黄金の蛇の皮をノアの父から盗みました。

 トバルの仲間が村を襲い、お腹を深く切られていましたが生き残った少女イラ(エマ・ワトソン)をノアは助けます。ノアの一家もトバルらに追われ、がけから降りて、岩の怪物が住んでいるところに逃れますが、実はその怪物は、エデンの園から人間を助け、天を追放された天使たちでした。落ちてきた時に岩が溶けてからだにまとわりついたのです。岩の中に明るい光がやどっているのですが、天使たちは岩のよろいの中から出ることはできませんでした。天使が入っている岩の怪物は、ノア一家を殺そうとしますが、ノアの祖父メトシェラ(アンソニー・ホプキンス)のことを知っていて、ノア一家を助けてくれます。

 神は岩だけの土地に木を生やしてくれて、方舟の材料をノアに与えます。ノアと家族と天使たちは協力して100m以上の箱型の巨大な船を作ります。カインの子孫の堕落した人間は、方舟を盗もうと、方舟のそばで野営して、食糧に動物たちを殺します。彼らは仲間さえ食べようとします。一方ノアは家族に動物の肉は食べてはいけないと、木の実やフルーツや穀物でできた食糧を積みます。大勢のあらゆる種の動物たちがつがいで船に乗り込みます。ノアの妻(ジェニファー・コネリー)は薬の知識があり、動物たちを薬の煙で眠らせます。ノアの祖父は船に乗ることを拒否し、子供が産めないだろうと言われた養女のイラを祝福して、不妊の身体を治します。そして祖父のメトシェラは死んでしまいます。その後大雨が降りだして、堕落したカインの人々は方舟を襲ってきます。天使はノア一家の為に命をかけてカインの一族と戦い、命を落とすと光になって天に帰ることが出来ました。

 ノアには3人の息子がいて、長男はセム、次男はハム、三男はヤペテといいました。長男はイラと相思相愛で曾祖父メトシェラに祝福を受けたイラとセムは愛し合い船に乗ってから妊娠が分かります。洪水が起きて、人々は溺れますが、我欲の強いトバル・カイン隙を見て方舟に隠れて乗り込みます。次男のハムは負傷したトバルを行きがかり上助けて、トバルの暗黒面に引きずられそうになります。ハムはお嫁さんを連れ帰ろうとしたのですが、堕落した人々が船を襲おうとした暴動にお嫁さん候補を殺され、それを助けなかった父のノアを少し恨みます。

 イラの妊娠を知ったノアは夢の解釈で、人間は生き残ってはいけないのが神の意志だと思いこみ、イラとセムの子供、つまり自分の孫が男の子だったら、殺さずに育て、女だったら殺すと苦渋の決断を家族に告げます。人間は洪水後に生き残って、子孫を増やしてはいけないのだとノアは考えるのです。

 大切なつがいの動物を殺して食べたのはトバルで船に乗り込んだことが見つかり、ノアとトバルの戦いになりましたが、次男は父親を殺すようにそそのかされていたのですが、父ノアを助けるためにトバルを殺します。トバルは死に際に、ノアの父親から盗んだ蛇の皮をハムに渡します。

 長男セムとイラの子は双子で女の子でした。ノアは孫を殺そうとしましたが出来ませんでした。三男ヤペテの放った鳥が陸地をみつけ一家は、唯一の陸に上がり動物を放し、最初の人類になりました。ノアは愛ゆえに孫の命を断てなかったと、
長男、養女、妻に謝り、孫の双子の姉妹を祝福します。嫁のイラは、ノアが人類を残すか残さないか決断することが神の意志だったといいます。

 次男ハムは蛇の皮をノアに返し1人で旅に出ます。ノアはその蛇の皮で、孫たちを祝福しました。以上があらすじです。

 ノアの長男セムはアジア人の祖先だと言われています。その中にはユダヤ人も含まれ、ユダヤ人アラム人、ヘブライ人はセム語族とも言われています。

 ノアの次男ハムは、北アフリカの人類の先祖だと言われています。、アフリカ、中近東、パレスチナ、トルコの人々はハムの子孫ということです。
 
 三男ヤペテの子孫は、コーカソイドで欧米人、ロシア人、ペルシャ人(今のイラン人)、インド人だということです。

 次回は旧約聖書の創世記の神話と、映画との比較、洪水伝説を調べてみましょう。
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不思議な話 その87 スティーブ・ジョブズ氏のまとめと名言

 今回はまとめです。最後に名言もいくつかのせましょう。
 
 記者の質問「ライバル関係にあったIBMは脅威でしたか?」ジョブズ氏の答え「イエス、最初の製品はひどかった。IBMは利害関係の構築にたけていた。事業が大きく成長すると、人も会社も勘違いする。誰もが最初の成功を再び起こそうとする。ところが、成功に導く秘密はプロセスにあるから、それを社内で統一しようと考え、やがて皆がプロセスこそが中身だと勘違いしはじめる。IBMはプロセスを重視し、内容を軽んじて転落した。プロセスでなくコンテンツが重要だ。価格設定(高すぎることが)失敗の要因になることがある。Macの開発チームを作ったが、Macを生み出す過程でわかったのは、それが会社を変革することが出来るということだった。私たちは製造過程をふくめすべて変えた。日本の工場を80ほど訪ねて、世界初のコンピューター自動生産工場を建てた。」

 さらにジョブズ氏はこう言っています。「すごいアイディアから優れた製品を生み出すには、大変な職人技の積み重ねが必要だ。製品に発展させる中で、アイディアは変容し、成長する。細部をつめる過程で多くを学ぶ、工場やロボットもそうで、製品を作るときは、脳のなかで、5000のことを1度に考えることになる。大量のコンセプトを、試行錯誤しながら組み換え、新たな方法でつなぎ、望みのものを生み出す。未知の発見や問題が現れるたびに全体を組み直す。そういったプロセスがマジックを起こす。最初に出たいいアイディアで成功を信じて突き進む。チームを見て思い出すのは、私が子供の頃、近所に住んでいた老人のことで、80代の1人暮らしの男性で、芝刈りのバイトでその家に行ったのだが、子供の頃の私に見せてくれたのは、モーターとコーヒー缶で、何の変哲もない道端の石を缶の中に入れて、モーターをかけ、次の日に、缶の中を見せてもらうと、美しく磨かれた石になっていた。ありふれた石なのに、石がこすれあうことで美しくなった。それは、情熱を持って働くチームの象徴と同じだ。アイディアも磨き上げると宝石になる。世の中の場合、人の平均とトップの差は、最大でも2倍くらい。2倍でもすごい差だが、ソフトウェア産業ではその差は簡単に50倍でも100倍にでもなる。」

 「真に優秀な人材は、一番大切なのは仕事の内容だとわかっている。担当するパートを確実に実行することだと分かって
いる。優秀な人材の彼らの能力を疑っているように思わせてはならない。だから、その仕事に関しては、目標に貢献できているとわからせる必要がある。」

 さて、ジョブズ氏の未来のビジョンですが、このインタビューは1995年、今から約20年前の彼の言葉です。記者は未来について尋ねました。20年前(わたしも含め、一般の人はPCの保有率がまだ少なかった時代です)のジョブズ氏の答えは、「コンピューターが単なる計算機から脱却し、コミュニケーションの手段になる。マイクロソフトの革新が期待できる。PCの市場はウェブ市場に移行し、何百億ドルという規模に成長する。顧客直接ウェブによっての販売が可能となる。(当時は一般の人にはPC上の通販は考えられなかったのです。)世界一小さな企業でも、大企業となりえる。ウェブの登場が歴史に刻まれ、PCの世界に驚くべき変化が起こる。ウェブは産業界に新しいドアを開く(IT企業などという言葉も無かった時代です。)」彼のコンピューターの未来の予言は、全部あたっていたのです。

 彼はさらに「人は道具を作ることによって、生れもった能力を劇的に増幅できるようになった。たとえば、様々な動物の移動効率を考えると、数十種類の動物の中で、人間は移動効率が下から3番目だが、自転車を使ったり、自動車を使うことによって、人間は動物の中での移動効率をトップにすることが出来る。PCは例えると脳の自転車にあたる。」と言っています。また、「夢の精神を製品に入れて人に供与すると、それが人に伝わる。他の人と共有するものを伝えようとするにはコンピューターは最適で、自分の言いたいことを、この機械なら伝えられる。」と言っています。

 現在では、彼の考えた音楽を iPad iPhone にダウンロードすることやスマートフォンや小型の携帯PCの彼のアイディアは世界中の人に利用されています。彼は優れた未来を見通す目を持った人だと思います。

 ジョブズ氏の名言を引用する前に、ライバルで友人でもあったビル・ゲイツ氏は56歳の早すぎる死に際して、「スティーブのように深い影響力を与えられる人間はめったにいない。その影響はこれからの多くの世代にも受け継がれるだろう。」といって、その死を惜しみました。

 たくさんのジョブズ氏の名言から、私が選んだものを載せてみます。

 「もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?」

 「私は本当に好きなことしか続けられないと確信している。何が好きなのか探しなさい。あなたの仕事にも、恋人にも。」

 「シンプルであることは、複雑であることより難しい時がある。物事をシンプルにするためには、懸命に努力して、思考を  明瞭にしなければならないからだ。だが、それだけの価値はある。なぜなら、ひとたびそこに到達できれば、山をも動か せるからだ。」

 「すばらしい仕事をするには、自分のやっていることを好きにならなくてはいけない。まだそれを見つけていないのなら、探 すのをやめてはいけない。安住してはいけない。心の問題のすべてがそうであるように、答えを見つけた時には、自然と わかるはずだ。」  

 「ハングリーであれ、愚か者であれ。」

 「自分もいつかは死ぬ。それを思いだすことは、失うものなど何もないということを気づかせてくれる最善の方法だ。」

 「イノベーションは誰がリーダーで誰がフォロワーかをはっきりさせてくれる。」

 「あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。ドグマ(教義、常識、既存 の理論)にとらわれるな。それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。他人の意見が雑音のようにあなたの  内面の声をかき消したりすることのないようにしなさい。そして最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持つこと だ。それはどういうわけかあなたが本当になりたいものをすでに良く知っているのだから。それ以外のことは、全部二の  次の意味しかない。」

 「この地上で過ごせる時間は、限りがある。本当に大事なことを、本当に一生懸命できる機会は、二つか三つくらいしか  ない。」

 「1つのことを一生やり続けられると確信する日が来る。」

 「あなたがTVのスイッチをオンにするのは、あなたが自分の脳のスイッチをオフにしたいからだと思います。それに対して
 PCで仕事をするのは、脳のスイッチをオンにしたいときではないでしょうか。」

 「最善とは言えない状況でやった仕事に、一番誇りを感じる。」

 「安全にやろうと思うのは、一番危険な落とし穴なんだ。」

 「危機に直面すると、物事が良く見えてくる。」

 「夢を実現できるか否かは、途中であきらめるかどうかにかかっている。必要なのは強い情熱。」

 「大事なのは技術でなく、それを使って何を生み出すかどうかなのだ。」

 「インターネットは驚異的だが、感動を呼び起こすことはない。感動的なことをコンピューターで実現したいのだ。」

 「コンピューターに進んだのは、やっている人がほとんどいない領域だったからだ。」

 「インターネットやPCは知識や情報を伝えることに偏っている。私はPCを人間性あふれる存在にし、人々が自分の感情 をより豊かに表現する手伝いがしたい。」

 「たいていの人ならあきらめそうなつらい時期が何度も私に訪れる。」

 「人生には時としてレンガで頭をぶんなぐられるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけ ないよ。」

 「模倣するほうが楽かもしれない。でもそんなことをしても、世界はよくならない。」

 まだたくさんの素晴らしい言葉がありますが、別の機会にしておきましょう。

 次回は「ノアの方舟」と洪水伝説について、2~3回で書きましょう。

不思議な話 その86 スティーブ・ジョブズ氏の未来を見通す目 後半

 スティーブン・ジョブズ氏についての2回目です。2011年にジョブズ氏が亡くなった年にある局の保管室から、未公開のインタビュー映像が出てきました。1995年にインタビューされたもので、ジョブズ氏40歳の時のものです。ちょうどアップル社に彼が帰ってくる前後の時期ではないかと思います。

 映画の題は、「スティーブ・ジョブズ1995失われたインタビュー」です。映画の構成は、全部記者の質問とジョブズ氏によるその答えだけで作られています。

 質問と答えをそのまま引用したり、まとめたりしてみましょう。ジョブズさんが、コンピューターにかかわったきっかけを聞かれると、彼は10歳の時に30年前(1965年くらいをさすので、現在からすると今から50年くらい前)はコンピューターは誰も見たことが無かったと答えていました。当時は、コンピューターに触れられるのは特権で、タイムシェアリングで大型コンピューターを使っていました。テレプリンターでコマンドをタイプして待っていると、何かが出力されて、ベイシックが、自分の考えを読み取って実行してくれたのは10歳の子供にとって驚きだったと彼は言っています。

 12歳か13歳のときにHP社の社長に電話をかけ、(当時は有名無名にかかわらず、誰もが電話帳に番号をのせていたいい時代でした。)「周波数のランターをください。」と社長に頼み、20分も話してくれたそうです。社長は12歳の彼の才能を見抜いたのか、部品をくれた上に、彼を特別に雇ってくれました。スーツケースほどの大きさの最初のPCであるHP9100ヒューレットパッカートを見た時に、彼はベイシックやAPLでプログラミングできることに驚き、なんとか触れる機会を多くしたいとHPの会社のラボに通いました。

 そこで彼は運命的な出会いをします。その出会いがなければ、PCのリサやマックはなかったかもと言われているスティーブ・ウォズニアックとの出会いです。ウォズニアックは、彼より5歳上で、HP社の社員でした。2人は友達になり、いろいろな挑戦を始めました。

 その中でも面白かったのが、ただで電話をかける方法で、エクスクワイヤー誌でただで電話をかけた人の記事を読み、2人は無料通話ができる秘密のトーンを探し始めます。スタンフォード大学の技術資料館の一番奥の棚にAT&T電話会社の技術のしくみが載っているのを見つけ、AT&T社が初期にネットワークの設計でミスを犯したことを発見し、電話のコンピューターの間で送られる信号をつきとめ、ジョブズとウォズニアックは無料の通話ができる機械(ブルーボックス)を作ってしまいます。信号を同じにして、受信機から送り込めば、AT&T社のコンピューターと思いこませることができました。このブルーボックスを友人に売って、儲け、自分たちはいたずらで、有名なキッシンジャーだと偽って、バチカンに電話を無料でかけローマ法王に取りつがせたりました。小さな装置で巨大なことができることを、2人は学んだのです。2人は怖くなってこれ以上ブラックボックスには関わりませんでした。

 記者がブルーボックスからパソコン開発にいたった理由を聞くと、ジョブズ氏はこう答えました。当時のコンピューターはタイムシェアリング式で、それを持つ会社に行けば使えました。でも、その端末を買うお金がなくて、自分で作ることにしたのです。マイクロプロセッサーをつけた新型アップルという名はビートルズの歌からとったのです。

 2つの装置を合体させて端末から「アップル1」を作ったのです。自分たちの為に、また友人の為に部品を寄せ集めて。手作りでプリント基板を作りました。数時間で1台組み立てられます。

 「アップル2」について記者に聞かれると、「当時はPCを組み立てられる人はいたが、1000人に1人くらいだった。多くの人はPCを組み立てられなくて、だから、パッケージ化されたコンピュターを作りたかった。デザイナーを見つけて設計させ、プラスチックの外観にして、組み立てるのは当時で数十万ドル(数千万円)必要だった。投資会社を探していた時、ドン・バレンタインに会った。彼とはガレージにPCを見に来て知り合った。マイクはインテル社にいて、30歳で辞めて、株で百万ドルもうけていた。彼自身の金を投資してくれて、パートナーになった。アップル2が完成し、コンピューターフェアに出展して、ディーラーが列を作り、21歳で私は成功した。」と彼は言っています。いい仲間とお金(投資)といいタイミングに恵まれたわけですね。

 記者の「会社経営はどこで学んだか」という質問に対しての答え。「ビジネスの世界では物事が深く考えられていない。こうするのが決まりだからという答えがよく返ってくる。アップル2のコストは良く知っていたが、標準原価というのをもちいるため、4半期の終わりに実際原価との差異で調整する。どうしてそうするのかと皆に聞くと、皆がそうしている、そういうものだからという答えが返ってくる。コストがわからないから、標準原価を設定して定期的に修正する。情報システムに欠陥があるからそうなるのにだれも気付かない。マックの工場ではそうした習慣を取り払い、コストを正確に把握できた。ビジネスの世界では多くの物事が『言い伝え』に縛られている。ずっとそうだからですまされていることを、どうしてと考えていくと、ビジネスの心得は自然と身につく。大切なのは、思考プロセスを知り、考える方法を知ること。考え方が身につくから、米国人全員がプログラミングを学ぶべき。考え方が身に付けば、誰にでも役に立つ。コンピューター科学は一般教養なのだ」とジョブズ氏は答えています。

 映画が長く、1回ではまとめられないので、次回まとめとジョブズ氏の未来を語った内容を書いて、余白があればジョブズ氏の名言を引用してみましょう。

 

不思議な話 その85 スティーブ・ジョブズ氏の先を見通す目 前半

 日本では、2013年11月に公開された「スティーブ・ジョブズ」という映画と、1995年の秘蔵インタビュー映画が2011年にあるところから発見された日本未公開の「スティーブ・ジョブズ 1995 失われたインタビュー」との2つの映画から2回に分けて書いてみたいと思います。

 2013年の映画はアシュトン・カッチャーという俳優さんがやりましたが、外見もジョブズ氏に似ていて、上手に演じていました。相棒のスティーブ・ウォズニアック氏本人から、この映画は、少し事実とは違うと批判されましたが、映画は誇張したり事実と少し違っても、ドキュメンタリーと銘うっていないので、しょうがないのではと思います。アシュトン・カッチャーは役作りで本人に凄く似ていました。この映画の好き嫌いや評価は賛否両論あります。

 彼の人生を映画と一般的な人物紹介からたどってみると、彼は、1955年2月24日に、イスラム教のシリアからの留学生アブドゥルファター・ジャンダリとアメリカ人の大学院生ジョアン・シーブルとの間に生まれました。アメリカ人のジョアンの父親がイスラム教徒との結婚(結婚するにはイスラム教に入らなければなりません。)に反対して、スティーブはポール・ジョブズ、クララ・ジョブズ夫妻に養子に出されました。

 実の両親はその後正式に結婚して、彼の血をわけた妹が生まれましたが、実の親はその後、離婚しています。スティーブは養母が亡くなってから30歳のころ、実母に会っています。

 映画は、大学を退学したのに、なぜか大学にいて講義を受けているところから始まります。ある授業でカリグラフイー(西洋書道)を学び、それが後のPCのデスプレイや字体に役立ったりします。彼は、東洋の瞑想にも興味を持って学びました。大学生の時より前に、彼はたった13歳で面識のない、ヒューレットパッカード社の社長に、電話張で調べて直接電話をかけ、子供社員として雇ってもらいます。この部分は、アシュトン・カッチャーの映画には出てきません。あとのインタビューの映画で出てきますので、2回目のブログで書きますね。

 ヒューレットパッカード社で運命の相棒スティーブ・ウォズニアック氏に出会います。この出会いがなければ、ジョブズ氏は有名にならなかったかもしれません。ジョブズ氏はPCエンジニアではなかったのです。その後ジョブズ氏はアタリ社というゲーム会社に入り、ウォズニアック氏に技術面で助けてもらいさらに仲良くなります。

 二人は、ジョブズ氏の家のガレージで、PCの一部を作ることを思い付きます。本体部分だけで、ディスプレイやキーボードはまだついていませんでした。最初は、PC部品ショップのオーナーに売り込みに行って、とりあえず、1週間で50個だったと思いますが、作ったら店に置いて注文をとってやろうと言われます。友人たちのボランティア的協力で、短時間で完成品を作ります。お金がないので、部品の払いは売れてからと言って待ってもらいます。

 映画のキャッチフレーズは、確か「最低の男の最高の人生」だったでしょうか?最低なところは、家具店を辞めて入ってきた友人を、会社が大きくなると、エンジニアでないからと、クビにしてしまう所とか、学生時代からの恋人が妊娠すると、自分の子供ではないと言って、無視してしまうとか・・・元恋人と娘はDNA鑑定でジョブズ氏と親子関係が認められたのに、生活保護を受けるほど困窮します。本人は2人を避けようとして、訴えられます。娘はリサという名前なのですが、ジョブズ氏が作ったPCの名前を「リサ」と名付けます。でも、彼の出生からして、若いころは、家族に対してためらいがあったのかもしれません。PCのリサの制作室から追い出されてジョブズ氏は会社のお荷物だったマック部門へ行ってマックを再生させます。

 彼の集中しすぎる自己中心性に対して、周りの人の中に敵を作ってしまい、経営陣と上手くいかなくなります。ジョブズ氏は開発にお金を使いすぎるというのです。友人を解雇したことと利己的な態度で、相棒のウォズニアック氏も離れて行きます。

 ジョブズ氏の運命を大きく左右したのは、自分でアップルの会社に入れたペプシコーラの経営者、スカリーという人でした。「一生、砂糖水を売り続ける気かい?それとも世界を変えるチャンスに賭けてみるかい?」と殺し文句で勧誘したCEOなのに、スカリーはジョブズに反旗をひるがえします。マックの売り上げが落ちてくると、スカリーを中心にする経営陣は、1985年5月に、ジョブズ氏を会社から追い出します。

 映画ではとびとびのエピソードなのですが、妻と子供と畑仕事をしているジョブズ氏が出てきます。引退するにはまだ若い40前後だと思います。

 ジョブズ氏はその後、新会社「ネクスト」を立ち上げますが、この会社は赤字になり、アップル社に買い取ってもらいます。
ネクストとともに彼は、ピクシーという初のCG(コンピューターグラフィックの会社)を立ち上げ、これは大成功します。
ピクシーはのちにウォルトディズニー社に高額で買い取られ、ジョブズ氏はディズニー社の大株主になります。映画「トイストリー」など、成功したアニメはピクシー社がなければ、実現しなかったと言います。

 この世になかったPCの開発や、マックやピクサー社、iPhone、 iPad はジョブズ氏の先を見通す予見性によって、生まれたのかもしれません。

 1995年にジョブズ氏は友人でオラクル創業者のラリー・エリクソンと共同で、経営の傾いたアップル社を買収しようとします。(ジョブズ氏を追い出しても結局、経営は苦しくなったのでした。)最終的にはこの時は、話がかみ合わずに流れてしまいます。

 1997年にジョブズ氏は、アップル社の経営陣の中心だったアメリオ氏を閉めだすことに成功し、前の経営陣を一掃し、会社の経営を正常にしようとしました。ビルゲイツとも仲良くして、マイクロソフトから1億5000万ドルの資金を提供してもらい、マック版のオフィスとインターネットエクスプロラーも提供してもらいます。こうした改革で、アップル社の経営を短期間のうちに軌道にのせます。2000年に彼は正式にアップル社のCEOとなり、iPodで音楽事業に参入し、莫大な利益を上げます。そして、iPhone を発表して皆さんご存じの人気につながります。

 しかし、2003年にすい臓がんと診断されましたが、手術を受けるように医者から勧められたのに、最初彼は心霊治療や民間療法(菜食、はり治療、ハーブ治療)を試みて、がんが進行して、その後に摘出手術を受けましたが、遅かったのか、2008年にすい臓がんが肝臓に転移して、2011年10月5日満56歳で亡くなります。

 次回は、まぼろしのインタビュー映画について書きましょう。



  



 

不思議な話 その84 フリーメーソンこぼれ話とオークニー諸島の不思議まとめ

 今日は前回のまとめです。イギリスロンドンでの観光客向けのフリーメーソンツアーには、タイミングが合わなくて予約参加できなかったのですが、土産物店(フリーメーソンのマークを使ったいろいろなグッズの土産物店が中にあります。)でフリーメーソンの建物案内のDVDを買って帰り家でみました。


 DVDの中身によると、建物は1717年に有名な建築家が設計して建てられました。集会所のホールの豪華なドアには、シンボルのライオンやコブラ等の動物や歴史上の人物が彫られていました。室内のいたるところに、コンパスと定規を組み合わせたマーク、ダビデの星の五芒星や六芒星、ピラミッドと目、歴史上の人物では、ソロモン王と幾何学のユークリッドの姿が描かれています。モーゼの姿もありました。DVDの解説では、アメリカの初代大統領、ジョージ・ワシントンはフリーメーソンです。と言っていました。イギリスのデューク公爵は、ロンドンのグランドロッジを作った中心人物だったそうです。ウィンストン・チャーチル首相もフリーメーソンだったとDVDでは、言っていました。

 会員をフリーメーソンとよび、組織全体はフリーメーソンリーというそうです。入会条件は、「神を信仰し、成人男性(今は国によっては女性もいます。)世間での評判がよく、高い道徳性の持ち主で、健全な心に恵まれ、定職と一定の収入があり、家族を養い、五体満足(例外もあるそうです)な人です。

 基本理念は「自由・平等・友愛・寛容・人道」の五つです。

 フリーメーソンの起源ははっきりしないのですが、私が前々回にブログに書いた「テンプル騎士団」の影響が大きいようです。16世紀後半から17世紀初頭にできたのでは、ということで、さらに前にブログで書いた「薔薇十字団運動」も何らかの影響があるかもしれません。現在の会員は日本を含め世界中にいます。ざっと600万人といわれ、そのうち15万人はスコットランド・グランドロッジとアイルランド・グランドロッジに、25万人はイングランドのグランドロッジに所属し、約200万人はアメリカのグランドロッジに所属しているそうです。欧米圏で半数以上を占めているのでしょう。各国のフリーメーソンリーの組織はそれぞれ独立していて、仲の良い組織も悪い組織もあるのでしょう。イスラム圏にさえ組織があるといいます。

 テンプル騎士団が基になっているという説には根拠があります。1737年にパリのロッジで、ラムジー・アンドリュー・マイケルという人は高位のメーソンの法学者だったのですが、彼はメーソンの集会の講話で、「十字軍の時代に聖地エルサレムを異教徒の手から奪還しようとした騎士たちは、国籍や身分といった壁を乗り越えた霊的な統一国家を樹立するために、理想的な友愛団を創設した。そして、連綿と継承された秘儀と叡智を民衆に広めようとした。しかし、これらの知識が異教徒や不信心者の手に渡らないように、独自の合言葉やシンボルを用いて、暗喩という形で布教を行った。一方、聖地から帰還した友愛団に所属する騎士たちは、ヨーロッパの各地にロッジを設立した。フリーメーソンはこうしたロッジの生き残りである・・・」と言っています。

 私がかなり前に書いた聖杯伝説や十字軍の財宝を持ってイギリスにのがれた十字軍の騎士たちもフリーメーソンの起源と関係しているかもしれないし、フランスにも、遠征後迫害されたテンプル騎士団の残党が、スコットランドに落ちのびたという言い伝えもあるそうです。さらに、十字軍遠征後のイギリス王の保護のもとコロンブスより先に、テンプル騎士団がアメリカ大陸に行ったという説もあり、アメリカ移民とともにフリーメーソンの会員が、アメリカ大陸で活躍し、支配層になっていったとも考えられます。今もその流れは続いているのかもしれません。

 何が何に影響したかという事は、ニワトリが先か卵が先かという水掛け論になってしまうかもしれませんが、1700年半ばにフリーメーソンの組織の中に、テンプル騎士団を標榜するものが多く現れて、「テンプル騎士団厳修派」というものが出来たり、「テンプル騎士団系フリーメーソン」というものがヨーロッパにたくさん出来たそうです。錬金術、占星術、キリスト教神秘主義、オカルト的な結社もたくさん出来ました。騎士団系メーソンで100位階ものグレイドのあるものまでありました。こうした、神秘主義化した集団をテンプル騎士団の名前から、「テンプラリズム」というそうです。歴史上も謎の多い本当に不思議な組織ですね。

 古代ヨーロッパの伝説の土地でトゥーレという不思議な場所を指す言葉があります。はるか北の端という意味で、アイスランドやオークニー諸島、シェトランド諸島、スカンジナビアをさしました。「アルテイマトゥーレ」は「知っている世界の中での境界線」つまり最果ての地をさしました。紀元前300年ごろからこのトゥーレの考え方があったようです。ブリテン島の最北よりさらに北で、オークニー諸島付近では怪物がでるという伝説もありました。余談ですが、ナチスはトゥーレを自分たちアーリア人の起源と考え、「トゥーレ協会」を作りました。

 オークニー諸島の話に戻ると、まずメインランド島にあるメイズハウといて新石器時代の羨道墳(遺体が葬られている部屋があり、天井がなく低い狭い通路がほられ、外観は石が積み上げられていたり小高い丘のようになっているところ)世界最古のものだそうです。

 古墳の近くには住居跡もあり、故人を敬愛し生活の場のそばに葬ったものと思われます。その後の遺跡と同じように、透視するとスカンジナビア半島や文明のもっと発達した所から移動して来た人々が、狩りをするだけでなく、ここで動物などを食料として飼っていたこともみられます。

 ストーン・オブ・ステネスにはストーンサークルのように巨石が輪を描いて置かれている。これを作った人々は、スカンジナビア半島などからのさらに北方の人々で、船を使って、巨石を運んだようです。宗教的行事と天体の運行、太陽の高さを見て、彼らなりの暦を使っていたような姿が浮かびます。石は円にしては欠けたところがあるが、時間の経過と浸食で元の姿を呈してないところもあります。中心には建物の跡が、あり、農耕のために四季を見ていたように思います。

 リング・オブ・ブロッガーも巨石が置いてあるのですが、祀りのようなことをやっていたように感じます。北方から理由があって来た人々は、船を利用し、すごしやすいところに集落を作りました。信仰があり、シャーマンがいて、星の信仰があったようです。出土品の土器や石を削ったものには、星をかたどったものがあります。宗教的行事に使われたと思われます。

 スカラ・ブレイの住居あとには、地下シェルターのような住居で、貝塚などのゴミ捨て場もあり、断熱材の役割もしていて、屋根もあり、食器棚や毛皮の衣装棚、椅子、収納などのあともあります。寝台と衣装棚は各戸の同じ所にあり、世界最古の団地ですね。道具を製作するための作業所もありました。スカラ・ブレイには、紀元前3100年ころから、600年間、長期にわたってすみかになっていたようです。紀元前2500年くらいに寒くなったので、この住居は放棄されたようです。農耕もしていた跡がありました。この時代としては、独自の文化があったようで不思議です。

 次回は、アップルの創始者スティーブン・ジョッブズさんの話を、2回ぐらいで書きたいと思います。
プロフィール

観音寺りえ

Author:観音寺りえ
アトラス研究所の観音寺りえです。

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