不思議な話 その161 人類の起源(2)

 前回、12形質の病気の遺伝子がネアンデルタール人由来と書きましたが、病気以外でも、ネアンデルタール人の遺伝子は、花粉症にも関係しているようです。私も花粉症で、秋が一番ひどくて、春は2番めにひどくなりますが、2月も末となり、スギ花粉は今が飛散が多い時期ですね。日本人にはなぜこんなに花粉症の人が多いのでしょうか?

 この花粉症に関連した遺伝子、はホモ・サピエンスとネアンデルタール人とデニソワ人とが交配した遺伝子が影響しているようなのです。今年の1月に遺伝学の科学誌「The American Journal of Human Genetics」(ジ アメリカン ジャーナル オブ ヒューマン ジェネテックス)で、ドイツの研究チームが発表しました。ホモ・サピエンス(私達の種)とネアンデルタール人とデニソワ人の3種は50万年前に共通の祖先から分かれたか、何らかの遺伝子の操作で分岐し、ネアンデルタール人はホモ・サピエンスより数十年前にアフリカを出て、先にヨーロッパに広がりました。研究チームはTLR(Toll Like Receptor)に注目しました。これは細胞の表面に生えているタンパク質の免疫で、人が生きていくのに、大変重要な役割を果たすそうです。体を病気にさせる外敵から守るには、外敵の侵入をまず感知しなければならないのです。この防犯センサーの役割をするのがTLRというタンパク質らしいです。
 
 その仕組みは、体内に侵入した細菌や菌類、寄生虫などの一部がこのTLRにつくとセンサーが作動し、外敵をやっつける細胞が集まったりと免疫システムを起動させるスイッチになります。免疫が強ければ、病気で亡くなることも少なくなります。病人からの感染も影響を受けにくくなります。しかし、それが、現代のように医療が発達し、清潔になりいろいろな薬ができると、もともとは細菌やウィルスから体を守ろうとする免疫システムは、寄生虫もいなくなると、過剰反応をするようになります。そして、花粉やアレルギー物質を敵として攻撃し始めるのです。また、自分の体の中で出来たものでさえヒステリックに免疫が攻撃をし始めると、自己免疫疾患となります。今更寄生虫を体に入れるわけにもいかず、難問ですね。

この研究チームは、アフリカの人にはTLRがほとんどないことを突き止めました。(ということは、アフリカの人には花粉症の要素はほとんどないということですね。)また、現代人のTLRを含む領域のゲノム配列を詳細に調べて、比べ、この免疫システムがネアンデルタール人とデニソワ人由来だと突き止めました。この機能が、人が生き抜くために大変重要だったために、数万年後もほとんど変わらずに高頻度で残っていたということです。

現代の人類の遺伝子に影響を与えているとされるデニソワ人とはどんな人達なのでしょう?

 デニソワ人はロシア・アルタイ地方のデニソワ洞窟(ロシアと中国とモンゴルの国境地域)に約4万1000年前に住んでいたとされるヒト属の人類です。2010年の研究時点で、ネアンデルタール人と並んで、私達ホモ・サピエンスに最も近い化石人類です。

 2008年にロシア西シベリア、アルタイ山脈のデニソワ洞窟で子供の骨の断片が発見され、放射性炭素年代測定で、約41000年前のものと推定されたそうです。同じ場所で大人の大きな臼歯も発見されています。

 発見されたのは5~7歳くらいの少女の小指の骨で、DNA解析の結果、デニソア人はネアンデルタール人と近縁なグループで、80万4千年前に現世人類であるホモ・サピエンスとの共通祖先から、ネアンデルタール人、デニソワ人の祖先が分岐し、64万年前にネアンデルタール人から、分岐した人類であることが、推定されているようです。現在のメラネシア(パプア・ニューギニア)人に、遺伝子情報が伝えられているらしく、メラネシア人のゲノムの4~6%がデニソワ人固有のものと一致するそうです。また、中国南部の住人の遺伝子の構造1%がデニソワ人由来という発表もされているそうです。デニソワ人の体格は、洞窟で見つかった巨大な歯の臼歯の大きさから、ネアンデルタール人と同じか、それより大きいのではとされています。

 推論として、40万年~30万年前にアフリカを出て、中東を通って、ヨーロッパに広がった集団がネアンデルタール人に、中東を通って、アジア内陸部に移動した集団がデニソワ人になったとされ、それに遅れて、6万年~5万年前に人類の祖先はまず、ネアンデルタール人と交わり、さらにアジア内陸部でも先住民のデニソワ人と交配し、世界に広がって現在に至ったと言う仮説があります。ネアンデルタール人とデニソワ人はその後絶滅してしまったというのが続いての仮説ですが、あまりにも、現代の人類にとって都合の良い説ですね。私には、ネアンデルタール人やデニソワ人がきれいに消えてしまったことのほうが、大変不思議です。

もう一つ不思議な種が2003年にオーストラリアとインドネシアの合同チームによって発見されました。インドネシアのフローレス島で発見されたので、ホモ・フローレシエンシス(フローレス人)と呼ばれています。1万2千年または1万7千年前までに生息していた、小型のヒト属の新種で、身長は1メートルくらい、それに比例して脳も小さいそうです。火や石器などの道具を使っていたそうです。石灰岩の洞窟にヒトの骨7体とステゴドンという古代の象のようなものと石器の武器が発見され、最初は子供の骨かと思われていたのですが、成人の骨だったということがわかりました。この骨に関して意見がわかれているようで、ヒト属の新種という説に対して、小人症やピグミーのように障害等で身長や頭部が小さくなったのではないかと言う説もあります。脳が380立法センチ(現代人は1300くらい)しかないので、新種人類ではないとする学者もいます。

さきほどのヒト属のネアンデルタール人とデニソワ人の子孫が、跡形もなく消えてしまった話ですが、適者生存、自然進化論からの視点だけでない別の見方もあります。『古代の宇宙人』シーズン6の73話では、「人類の起源」という題で、別の視点から人類の起源を考えています。

 それは、人間は宇宙人によって、試験管の上でか遺伝子組み換え技術によって、猿から改造されたのかもしれない、というユニークな見方です。次回に書きましょう。
  
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不思議な話 その160 人類の起源(1)

 人(ホモ・サピエンス)の遺伝子のDNA分析が、ほぼ完成して、人間の母方の遺伝子をずっとずっと辿って行くと、約14万3000年前(誤差1万8000年)のアフリカのたった一人の黒人の女性(ミトコンドリアイブ)のDNAにたどり着くそうです。これを、アフリカ単一起源説というそうです。その一人の女性から分派したタイプは8種類で、LOa、LOk、LOd、L1、L2、L3までがアフリカから出ていないグループで、M、とN、タイプだけがアフリカから出たそうです。ミトコンドリアDNAハプログループは出アフリカ後、イランからインドオーストラリア(アボリジニ)の南ルート、とイランからアルタイ山脈付近の北ルートと、イランから中東カフカス山脈付近への西ルートの3つのルートで移動したようです。南ルートがオーストラロイド、北ルートがモンゴロイド(日本人はこのグループ)、西ルートがコーカソイド、アフリカを出なかったのが、ネグロイドになりました。ヨーロッパ人とアジア人の共通の祖先の分岐年代は、7万年前後(誤差1万3000年)だそうです。長い地球の歴史からするとつい最近ですね。その後タイプはさらに分化したようです。

 現代の人類の祖先がたった一人の女性からだとすると、適者生存の淘汰される自然進化論は疑問に思われます。最初の女性は何らかの選択がされたのではないでしょうか?

 最近、2016年2月11日の「アメリカン アソーシエーション フォー ザ アドバンスメント サイエンス」によると、ネアンデルタール人由来の遺伝子分析が解読されたようです。ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)と、現生人類(ホモ・サピエンス)の遺伝子の交配の跡がDNAに残っていました。ネアンデルタール人の骨10個体くらいから、ネアンデルタール人のミトコンドリアゲノムが全部解読されました。ネアンデルタール人と異なるデニソワ人のゲノム解析も終了しているようです。コンピューターの計算能力が著しく向上したからですね。

 ドイツのマックス・プランク研究所のスベンテ・ペーポさんの「ネアンデルタール人は私達と交配した」(原題『Nenaderthal man』という本に書かれているそうです。ネアンデルタール人が私達の先祖と性的な交配をして、子孫を残したようです。数は多くなかったのかもしれませんし、短い期間だったのかもしれません。私達の祖先に流れ込んだネアンデルタール人のゲノムの量は少なく、ほんの断片のようです。個人差もあるのかもしれませんが、1~2%ほどネアンデルタール人の断片を持っているそうです。各個人で受け継いでる領域も違うようですが、その領域の中に、12の形質の病気のリスクがあるようです。

ネアンデルタール人の遺伝子を持たない現代人もいるようですが、それらの人々は、サハラ砂漠より南のアフリカの人々のようです。アフリカの中部や南部の人々にはネアンデルタール人の病気の形質は遺伝してないので、ある意味羨ましいですね。ヨーロッパ人もアジア人も必ず、ネアンデルタール人の遺伝子の断片が入っているようです。この断片の遺伝形質は、生存に不利になるものは淘汰され、有利になるものは残されたと考えられます。

 2014年の『ネイチャー』には「チベット人の高地適応に関わる遺伝子がアルタイで発見されたデニソワ人のゲノムに由来する」という論文が載ったということです。デニソワ人とも、性的交配をしていたのですね。皮膚や毛に関わるケラチン遺伝子が高い頻度で、特定のネアンデルタール人由来ゲノム断片が集中していることが、わかっています。私が以前小耳に挟んだのは、天然の赤毛は、ネアンデルタール人由来だと聞きました。

 バンダービルド大学から『サイエンス』に発表された論文では「現代人の祖先とネアンデルタールの交雑が残した形質」というものがあるそうです。私達が持っているネアンデルタール人の遺伝子の断片から病気になりやすいものは、いくつかあるということですが、その中でも影響の大きいいものは、うつ病、心筋梗塞、血液疾患、光によって誘発される光線角化症、感情障害などがあるそうです。これらは、現代人には有害でも、当時のヨーロッパ等の気候条件などに対して、生存優位性をもっていたようです。強い光にあたって、皮膚が角化するということは、皮膚が厚く、強くなって、寒い気候には生存に有利だったのでしょうか?それではうつ病は、現代ではやっかいなものですが、なぜ、生存優位にはたらくのでしょうか?寒い冬は鬱になって活動を控えクマではないですが、冬眠のようにあなぐらにこもっていたのかもしれません。春になって、日照時間が増え、浮かれてあなぐらを飛び出すと、捕食者に食べられてしまうかもしれません。それを防いで行動を慎重にするために、うつ病気質があったのかもしれませんね。現代ではうつ気質はオーバーワークや自分に対処できない物事から自分を守る効果はありますが、行き過ぎると苦痛になってしまいますね。ネアンデルタール人の気質を遺伝子に入れてないアフリカの人々がうらやましい限りです。その他の病気になりやすい因子も、先祖がアフリカを出るときには有利に働いたのかもしれませんが、その後の環境では、弊害になったのかもしれませんね。

 次回はデニソワ人と2003年に発見された、遺伝子の異なるホビットのような身長の新種の人について書きましょう。







不思議な話 その159 バミューダ海域の不思議(2)

 バミューダ海域の謎2回めです。

 1945年の第2次世界大戦中、12月5日にフロリダのフォート・ローダーデール海軍基地を飛び立った第19飛行編隊5機のアベンジャー号がフロリダ半島の東の海上へ、パトロールに行きました。離陸前のチェックでは燃料は十分積んでおり、エンジンや計器も順調に作動していました。パイロット、乗員ともにベテランで、天候は、快晴でした。本来なら出発から2時間で何のトラブルもなく帰還する予定だったそうです。けれども、出発から1時間半後の午後3時45分に編隊は不可解な通信を送ってきました。最初、「コースを外れたらしい・・・陸が見えない」という通信を送ってきました。基地の管制官は「機首を西にむけろ」と通信しました。すると、編隊長のテイラー大尉は「どっちが西かわからない。何もかもおかしい。方向がさっぱりつかめない。海さえいつものようじゃない。」管制官はその時刻は地平線に沈みつつあった太陽を目指して飛べば、当然西に向かい基地の近くの海岸線を超えられるはず、と思っていましたが、大尉の通信からすると太陽が見えていなかったようなのです。その後すぐにPBM5マーチン・マリナー飛行艇が捜索と救助のために飛び立ちました。バミューダ海域にさしかかると、またも、救助機も行方がわからなくなってしまったのです。合計6機の飛行機と27人の乗員がこつ然と消えてしまいました。このようなバミューダ海域の謎の消失事件の多くは、よく晴れた、晴天の日に起きていて、事前のチェックでも異常はなく、消失後は痕跡を何も残さないことが多いそうです。

再び、「ナショナル・ジオグラフィックス」・・・バミューダ・トライアングルの謎に戻ります。19飛行隊飛行区域、フロリダ、プエルトリコ、ベルムーダの魔の三角地帯の水深4800mの水をCGで抜いてみると、海の砂漠と呼ばれる何もない平原が現れるそうです。

 バハマ諸島(フロリダ半島から東へ88km)バミューダトライアングルのさらに深い領域の海底に地元では、人や船を飲み込んでしまうという怪物の伝説があるそうです。バハマ諸島は巨大な石灰岩の上にあります。何十メートルもの巨大な水中洞窟があります。これをブルーホールというそうですが、その美しい海の穴のふちに近づき過ぎると何人かの人が足をとられて命を落としているそうです。なので、地元の人々は、「ラスカ」という怪物がいて、大量の水を吸ったり、吐いたりしているという伝説です。これは、ディープブルーホールのすり鉢を2つ重ねたような巨大な穴の構造から湧き上がる渦巻きを怪物に例えているようです。

この近くに3つの巨大な渦巻きができて、ブルーホールに吸い込まれていくのを見た人がいるようです。ブルーホールは別世界の入り口のように見えますが、最後の氷河期に海面が下がっていて、これらの石灰岩層が陸続きだっだのですが、酸性雨が石灰岩を侵食して、岩に大きな穴があき、穴は削られ、2つのすり鉢を逆に重ねたような形になりました。氷河時代の終わりに温暖化し、氷が解け、海面が上がると、すり鉢の穴は海中に沈み、不思議な穴ができたのです。この穴の近くを通る船は、たまに穴に飲み込まれて、跡形もなく消えてしまうのではないかというのです。これが、海の底の怪物の正体かもしれませんね。

 もう一つ、バミューダの海域の不思議な現象に、「フリーウェーブ」があります。バミューダ海域の巨大な波は30メートルを超えるものがあります。バミューダ海域は、北大西洋と赤道にはさまれています。このはさまれていることから、暴風雨がおこりやすいそうです。巨大な波も多くの船の沈没の原因だったのかもしれません。バミューダ海域の水深340メートルほどのところに、死んだ魚や有機物や海草の腐敗してできたメタンハイドレードの層があるということです。このメタンハイドレードから出るガスが海上に上がると、大量のメタンガスが発生します。このガスが船の装備に影響して、航行ができなくなるのかもしれません。

 プエルトリコ海溝は最も深くて、8000メートル級です。カリブプレートとプエルトリコプレートの下に滑り込んでいて、これがたまにはねると、巨大地震と巨大津波が起こります。プエルトリコ海溝で巨大な海底地震がおこれば、危険なメタンガスの排出にもつながります。

 いままであげたような、大自然のいろいろな脅威が加わり、突然に船や飛行機が消えたように見えていますが、実際は天候の変わりやすいこの地域の自然がもたらした破壊なのかもしれません。

 次回は、また新しいテーマで書きましょう。

不思議な話 その158 バミューダ海域の不思議

 数年ぶりに、風邪をひいてしまい、更新が数日遅れました。今は治りつつあります。

 今年の冬はエルニーニョ現象で暖冬と言われていましたが、変に暖かかったり寒かったりを1週毎に繰り返して、体にこたえましたね。こんな時はインフルエンザも流行するようなので、皆さんもお気をつけ下さい。

 今日のテーマは前に1回書いたことがあるかもしれませんが、世界の中で異常に海運事故と、飛行機事故が多いと言われているバミューダ海域の謎についてです。

バミューダ海域は、バミューダ諸島、プエルトリコ、フロリダを結ぶ巨大な正三角形の海域で、数百年も前から異常な数の船舶が消えているので、世界的な謎になっています。飛行機が飛ぶ時代になったら、多くの飛行機もこの海域で、消息を絶っています。

 この原因に関しては、多くの説があります。荒唐無稽な説も合わせて7~8個あります。1.天候と荒波に巻き込まれた、2.極めて速いメキシコ湾海流原因説、3.地磁気による影響説、4.メタンガス発生による説、5.宇宙人による誘拐説、6.ワームホール説、7.超古代文明のエネルギー源が沈んでいる説、8.伝説が一人歩きして話が大きくなった説などです。

「ナショナル・ジオグラフィック」では、「海にまつわるミステリー・バミューダトライアングルの謎」で超常現象としてでなく科学的な原因を探ろうとしていたので、それをまとめてみましょう。

 1945年12月、アメリカ海軍飛行隊がフロリダ沖で消息を絶ちました。1918年3月ボルチモアへ向かっていた、アメリカの大型貨物船が突然姿を消しました。この115万平方kmの海域で、数多くの船が行方不明になりました。番組では、海底のようすを見て、海底の深い穴にも潜って見て、そこに隠された姿を露わにします。

バミューダトライアングルはアメリカ合衆国東海岸から、1046kmに位置する海のオアシスです。なん世紀もの間、船の避難場所のような役割を果たして来ました。周辺の水域には秘密が隠されています。バミューダは航海には危険なエリアです。バミューダと聞くだけで、昔は、悪魔の島と言われました。周辺には300層の船がバミューダ諸島を取り巻くように沈んでいます。200~300年前は、バミューダは船の墓場でした。なぜ多くの船が難破したのでしょうか?メアリセレステア号は鉄の蒸気船で、南北戦争当時は物資を運んでいました。この船は岸からわずか800メートル水深わずか15メートルのところで難破しました。1940年代にはコンステレーション号、1960年代にはモンタナ号が沈んでいます。

 このように、バミューダ諸島では、多くの沈没船に取り巻かれています。船を脅かす原因は、一体何なのでしょうか?コンピュータ・シミレーションでバミューダ海域の海の水を抜いてみると、驚くべき海底の地形が出てきます。超音波探査のソナーマッピング で海底を描き出して見ましょう。海底に向けて超音波をぶつけて、その反射波を捉えて、海底や海の底につながる地形を調べています。

 地震学者ニック・ハッチングスさんは、探査技術者です。ソナーを使って特殊な地形を調べてみます。海底に煙突のような場所があり、そこに鉱床があります。ブラックスモーカーという噴出ガスが出ていて、レアメタルや金や銅、プラチナ、コバルト、ニッケル、レアアースなどの鉱床が見つかります。鉱床を調べていると、バミューダ沖合の海底に、エッジと呼ばれる大きな崖が出来ているのがわかります。その海底は高台になっていて、60度の斜面で、水深640メートルもの深さです。崖はなぜ出来ているのでしょうか?ソナーの海底調査によってCG上で海の水を抜くことができます。水がなくなると、いろいろなことがわかります。海底は山の用に見え、山の頂上に乗っている、小さな島が見えます。3000万年前の太平洋が形成される初期段階でできた、標高4020メートルの海の山です。当時は海底火山の大噴火でバミューダができました。火山が活動を停止すると、まわりが風雨によって侵食され、大爆発によって、火山島が作られました。氷河時代の後、海面が元に戻り上昇すると、バミューダは山の頂上だけ取り残され小さな島の集団になりました。古代の火山の斜面は岩礁となりするどい地形のまま海に沈みました。これらの岩礁は船にとっては脅威です。この岩礁をブレーカーズというそうですが、先端が尖っていて、船を缶切りのように引き裂きます。これが岩礁ブレイカーズといって、岸近くで船が沈没する原因の一つになっているようです。

 長くなったので、次回に続きを書きますね。

不思議な話 その157 邪馬台国の不思議(2)

古代邪馬台国の場所とその国を率いていた、統治者についてです。

 場所については、いまだに論争が続いていて、各説には理由と欠点があるようです。「魏志倭人伝」に銅鏡の数が多くでてきたので、現在銅鏡がたくさん出ている、関西説(たくさん出てきた銅鏡は、、銅鏡がたくさん出たから邪馬台国が関西だったとは現在では言えないようです。弥生後期までの銅鏡は九州のほうが圧倒的に多いそうです。)を押すのも単純すぎるような気がしますし、「魏志倭人伝」の邪馬台国の行き方のとおりに行くと関西ではないような感じがします。「魏志倭人伝」の記録では、邪馬台国は伊都国や奴国より南にあるので、関西が九州より南にはないので、おかしいということになります。むしろ、それだと、有明湾阿蘇山の麓などが、伊都国や奴国の南にあたりますね。

 九州説の弱点は、これも、「魏志倭人伝」の行き方通りに行くと九州を出てしまうのでは、とか、九州に投馬国5万戸邪馬台国10万戸などの大集落があったのか(集落の遺跡がまだ発見されていません。噴火等で集落が埋まったという可能性もあります。)

 その女王についてですが、古代から邪馬台国研究はされていて、『日本書紀』には、卑弥呼を神功皇后に結びつけているのですが、伝説上の架空の人物かもしれず、神話や伝説は後から創作されることが多いので、これも単純に信じることができません。最近では、神話の天照大神(アマテラスオオミカミ)を卑弥呼とイコールではないかという取ってつけたような説も出てきました。けれども、神話のモデルにされた可能性も否定できませんが、神話を作った文化圏と実際の邪馬台国の文化圏は歴史的に異なるのではないかと思うのです。というのは、「魏志倭人伝」の描写から生活習慣や食べ物や風俗を見てみると、古事記や日本書紀に書かれた、大和朝廷の基礎を作った文化と明らかに違うと感じます。むしろ、国の平定で野蛮視されていた、記紀に出てくる土蜘蛛や熊襲や土着の一時代前の文化(縄文から弥生後期の生活スタイルをしていた人々)ではないかと思えます。

 「魏志倭人伝」によると、男性も女性も偉い人も民衆も、みんな顔や体に刺青をしている。(大陸から日本に来た征服民には刺青の風習はありません。縄文から弥生後期の文化を受け継いで、北に行ったアイヌ民族が、のちまで、刺青の風習を残していました。)
刺青は、階級によって入れる場所や大きさが違いました。刺青は呪術的な意味があったようです。

「はちまきをつけて、布を体に巻いている、」と言う記述がありますが、インドやインドネシアの南方の姿ですね。服装は、真ん中に穴の空いた布に頭を入れて結んでいる。・・・貫頭衣ですね。(これも大陸から渡ってきた、大和朝廷の服装と違います。)「みんな裸足で生活している。顔に赤い顔料を塗る。矛と盾と木でできた弓を使っている。」(つまり一般的には金属の道具が使われていなかったということです。)

 「特別なことをする時は、骨を焼き、割れ目を見て、吉凶を占う。」

 「盗みはなく、訴訟も少ない。宗教には尊卑の序列があり、上の者のいいつけはよく守る。」

 「食べ物は、海に潜って魚や貝をとっている。土地は温暖で、冬も夏も生野菜を食べている。(縄文文化の木の実採取生活に近いですね。)竹や木でできた器に入れた食べ物を手で食べている。」(これも土器を多用している大和朝廷の墓とは違いますね。

 風習では、「人が死ぬと土を持って塚を作る。その後10日間ほどは肉を食べない。遺族の代表は泣き明かし、それ以外の人はお酒を飲んで歌い、踊る。葬った後は家族で禊(みそぎ)・・・川の水で体を清めることをする。」(心優しい人々ですね。)「中国に使者を送る時に持衰(じさい)をたてる。持衰は体を洗ったりせず、肉も食べず、婦人を近づけず、という状態にさせる。使者の旅がうまくいくと褒美を授けるが、暴風雨などで、うまくいかないと殺されてしまう。(これは、願をかけて、神に生け贄をささげるような風習です)

「長寿で100歳くらいまで、生きる。偉い人には4~5人の奥さんがいる。偉くない人にも2~3人の奥さんがいるが、女はヤキモチ焼きではない。盗みなどの犯罪は少ない。軽い犯罪の場合は、家族が奴隷にされてしまう。重い犯罪の場合は家族が滅ぼされ、親戚にも影響がある。」

 「女王国の東、千余里を渡海すると、また国がある。みな倭種である。」(ここで、邪馬台国が絶対に関西でないことがわかります。奈良の東は陸地なので、海をわたることはできません。邪馬台国を九州とすると、東に瀬戸内海があり、千里ほど行くと関西がありますね。そこにも倭人が住んでいるということです。)

  「女王国より北は、特に一大卒(一人の身分の高い統治者)を置いて、諸国を検察させている。諸国はこれをおそれはばかっている。一大卒は常に伊都国において治めている。」卑弥呼の邪馬台国は、邪馬台国の北側の伊都国から派遣された調査員が各国を監視している。という内容ですが、伊都国は北九州なので、卑弥呼のいるところが関西であったら位置に矛盾が起こります。地図上、関西の北が北九州でなければならないことになります。

 「魏志倭人伝」の他に「隋唐倭国伝」(ずいとうわこくでん)という後の中国の歴史書でも、阿蘇山が噴火したら(倭国の)人々が良くないことが起こる前触れとして、祈祷をしたと書かれているそうです。当時の中国の歴史書を書いた人にとっても、倭は九州なのでしょう。

「女王は鬼道(呪術)によって人心を掌握し、すでに高齢で、(魏志倭人伝の元になった話をした人の時代)夫は持たず、弟が国の支配の補佐をしていた。卑弥呼は1000人の侍女のかこまれ、宮殿や楼観で起居し、めぐらされた城や柵、多数の兵士に守られ、王位に就いていらい、人と会うことはなく、一人の男子が飲食の世話や取次をしていた。」

 女王は景初2年(238年)以降、帯方郡を通じて、数度にわたって魏に使者を送り、皇帝から親魏倭王に任じられた。正始8年(248年)には、使者が狗奴国との紛争を報告しています。

 「卑弥呼が死ぬと大きな墳墓が作られ、100人が殉葬された。その後男王がたてられたが、人々はこれに服さず、内乱となり、1000人が死んだ。そのため、卑弥呼の親族で13歳の少女だった壹與(いよ)が王にたてられた。」

3世紀半ばの壹與の中国への朝貢を最後に413年の倭王讃(さん)による朝貢の記録まで、150年間、中国の史書から古代日本に関する記録は消えています。邪馬台国が滅びて戦乱の時代だったのでしょうか?国の統一を目指して大和朝廷が築かれる準備の時代だったのでしょうか?日本では古墳時代になって行きます。300年代4世紀は、歴史上「空白の世紀」と呼ばれているそうです。」解けない謎を後世に残すとは、不思議ですね。

 次回も不思議なテーマを探しましょう。 
プロフィール

観音寺りえ

Author:観音寺りえ
アトラス研究所の観音寺りえです。

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住所: 東京都文京区千石4-37-10 
TEL: 03-3942-1341
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