不思議な話 その169 オーパーツ (4)

 オーパーツの続きです。今日は前に書いたことがありますが、古代人と天文学に深い関係のあるストーン・ヘンジと何億年も前の岩石にありえない金属の道具が入っていた話です。

まず、カンブリア紀の金属ボルトといわれているオーパーツから。1997年ロシアのブリャンスクの森林地帯で発見された、15億年以上前に生成された石の中に、金属ボルトが埋まっていたというオーパーツが出てきました。岩石がボルトを完全に包み込んでおり、岩石生成の時代と、ボルトが使われた時代は、同一なのだそうです。数トンの力を加えても変形せず、岩石の中に同じボルトが10個埋まっているというのです。
 
 モスクワ地質学研究所が岩石の成立年代を調べたところ、なんと、15億年前にできたと判定されました。15億年前は、カンブリア紀とよばれ、三葉虫が現れ、アノマロカリス(エビのようなクラゲのようなイカのような海の生物)が食物連鎖の頂点にいて、地球の気候は温暖で、地表の殆どは海で覆われていたそうです。人類の祖先も、もちろんいません。人類の先祖と考えられる猿が700万年まえにやっと出たらしいので、人工物を作れるような知的生命体は地球上にはいません。誰がこの金属製のネジを入れたのでしょうか?

 モスクワ航空大学のチェルノブロフ教授は「15億年前に地球にやってきた宇宙船が、何らかの原因で、故障爆発して飛び散った部品の一部ではないかと言っています。

 イギリス南部に紀元前2500年から紀元前2000年ころに、円陣上に並べられた巨大な岩石からなる先史時代の遺跡があります。それが、「ストーン・ヘンジ」です。

 最近はストーンヘンジは、古代の人が空を観測するために、作った巨大な建造物であるという意見が出てきました。数千年前に古代人は天体を観測するようになったから、現代の文明があるというのです。数千年前に、古代人が天を観察するようになった過程や、時計やカレンダーはどうやって生まれたのでしょう。

 現代は、時計やカレンダーはあたりまえのようにあります。空を見上げて観察しなくても、星の動きを見て季節を知らなくても良くなりました。私達の日常は、古代人が発見したことに依存して生きています。文明への概念が生まれたのは、私達の祖先である古代人が、空を見上げて時間の概念を身につけてくれたからです。

 古代では時間を把握するために空を見上げなければなりません。太陽の位置と星の位置の変化、そして太陽の日中の移り変わりで、古代の人々は季節を知りました。何千年も前の人々は、あたりまえのように、空を読み取ることができ、空で時間を読み取ることが、体にしみついていました。太陽は日の出で、1日の始まりを、日の入りで1日の終りを古代の人々に教えていました。時計のある現代の私たちは、1日の始まリを、時刻で判断しています。

月の形の変化はわたしたちにとってとても便利です。月が欠けて見えるのは、月が地球のまわりを回るとき、太陽光に反射され、照らされている部分の形が変わるからです。月は地球にいつも同じ面を向けているのは、とても不思議です。どれだけ、月が光に照らされるかで、新月から、三日月、半月、満月となります。カレンダーの月も月の周期から来ています。月の周期は28日です。

 古代人は月の周期の事象に気が付きました。そして、季節を発見し、農耕を始めました。星座の動きで、さらに詳しい季節の動きを発見し、古代人は、星を線で結び、星座を作り神話を作りました。星座を観察することで、古代人は季節を感じるようになります。

 地球は約24度傾いて自転して、太陽の周りを公転しているので、夏は北半球は太陽に向かって傾いているので、気温が上昇します。冬は太陽から遠ざかるので、気温が下がり、天候も変わります。誰がこんな優れたシステムを考えたのでしょうか?偶然出来たにしては、出来過ぎていますね。

 古代人にとって、星座は大きな役割を果たしていました。生きるために不可欠な狩りをした後、遠くに獲物を追いかけて、帰るときに、星座は道標になります。農耕で種を蒔く時期や、収穫の時期を判断することができます。星の運行の観察から占星術の学問が生まれました。

占星術で、環境の変化を予測することで、古代人は自然の環境に順応することができるようになり、それぞれの地域で、文化や文明を発展させました。季節の周期を発見することによって、今度は自然を利用できるようになりました。そして、ストーンヘンジや各地の巨石群、巨大灯台などの建造物を生み出すようになりました。

 時を知ることは古代人にとっては、とても重要でした。時間に周期があるのは、古代人でも現代人でも、どちらにも重要です。ある部族が空を見て太陽の動きを研究し星座を読み取って、時間の感覚がわかるとしたら、その民族は、文明を作ることができます。もう一つの部族は、空を見ないで、時間の事も考えず、季節も考えず放浪を続けていたら農耕も、食料の貯蔵もなく、ちょっとした気候変動で滅亡してしまうでしょう。天文と関係がある遺跡はその民族の存亡がかかっている一大事業なのです。

 ストーンヘンジは、今から4500年前にその建造をスタートさせた、夏至や冬至やその他の太陽や星の運行を研究する、大切な観測所です。その作りは長い年月で、何回か変更されましたが常に人々の役に立っていました。夏至の時に、ストーン・ヘンジのキングストーンに朝日が射します。夏至は1年で一番太陽光が強いことを、古代の人は理解したのです。冬至は日が一番短く、イギリスなどの北緯が高いところは、夜が長いです。夏至や冬至は一筋の太陽光がストーン・ヘンジの中央の巨石の間を通ります。冬至の時は、太陽は2つの巨石の間、祭壇石の真上に沈みます。この正確な季節の移り変わりに、古代の人々は彼らの信仰する神を見て、捧げ物をしたのかも知れません。ストーン・ヘンジは天文観測所、であると同時に、宗教儀式の場所でもあったのだと思います。そして、夏至にはまた、太陽光がヒール・ストーンを通り、1年という概念ができて、太陽や星座や時間は観測する彼らを裏切らない事を知ったのです。

 その時代、イギリスに国が出来ていたかどうかわかりませんが、権力者は太陽や星の動きや、天文学をその地域を治めるのに使ったのではないでしょうか。

 次回もいくつかのオーパーツを取り上げましょう。
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不思議な話 その168 オーパーツ(3)

4月14日の夜に九州地方中部を襲った地震活動は今も続いておりますが、被災された方々にお見舞い申し上げます。1日も早い地震活動と噴火活動の収束をお祈りしております。

 今回のテーマはオーパーツです。歴史上で見てその成立や製造方法が不明だったり、成立した当時の文明の加工技術や知識では、製造するのが、困難か不可能と思われるものです。

まず初めは、アレクサンドリアの大灯台です。この灯台は、紀元前3世紀頃、エジプトのアレクサンドリア湾岸のファロス島に作られた大灯台です。なんと、紀元前に埋め立て工事が行われ、人工の埋め立てによって出来上がった半島の突端に建てられました。世界の7不思議の建造物の一つです。

この灯台は、紀元前322年、アレクサンドロス3世によって、ナイル川の河口にアレクサンドリアという都市ができました。アレクサンドロス3世の死後に、このアレクサンダー大王の部下だったマケドニアのプトレマイオス1世の統治下に置かれました。この都市は平坦だったため、沿岸を通る船や、入港したい船の目印になるものがありませんでした。そのために、プトレマイオス1世は航行する船を照らし、陸地の目印になる灯台を建設することにしたのです。灯台の建造はクニドスのソストラトスに任せられました。建てた場所は都市アレクサンドリア湾岸のファロス島になりました。島とアレクサンドリア港の間は、人工的な通路が作られました。紀元前305年から工事にとりかかり、プトレマイオス2世の代(紀元前288年~246年)に完成しました。20年以上かかったようですね。

 灯台の高さは、134メートル、ギザの大ピラミッドを除くと、当時は地球上で最も高い人工物でした。建材は大理石で、ブロック状に切り出したものを積み上げて塔を作っていったようです。塔は形の違う3段になっていて、下は四角柱、二段目は八角柱、三段目の一番上は、細い円柱で、上に大きな鏡がついていて、一番上は三角柱で尖っていたのかもしれません。なかなか素敵なデザインですね。日中は、この鏡に太陽光線を反射させ、夜は薪で炎を燃やして反射させていました。その形は、アレクサンドリアの鋳造所で作られたローマ時代のコインに描かれています。ローマ時代には、灯台の4つの角には、角笛を吹く、海神トリトンが角笛を吹く姿が彫像に彫られていたそうです。頂点にも彫像が置かれていたそうです。中には螺旋状の通路があり、そこをロバを引いて薪を運ばせたようです。よく出来ていますね。この灯台は、残念なことに、紀元後796年の地震で半壊し、1303年と1323年の地震で全壊したということですが、中世まであったということは、すごいことですね。地震のない所にあったら、今も残っていたと思います。1408年に灯台の残骸を利用して、要塞が建てられ、灯台はその形をとどめることはありませんでした。

 言い伝えでは、戦争の時は、太陽光からの鏡の反射を利用して、敵の船めがけて集めた光を照射して、敵船が海岸に到着する前に、燃やしていたという伝説が残っています。今の技術では、巨大な鏡で、太陽光線を集めて、木造の船を燃やすことは可能です。当時にそれができたら、ビックリですね。

 この塔の話は中世までの書物によく載っていたそうなのですが、遠くは中国までも伝わり、南宋の1225年『諸蕃志』(ちょう・じょかつ著)に「アレクサンドリアというエジプトの都市に、けたはずれの偉人アレクサンドロス3世という人物がいて、海に近い所に大きな塔を建て、他国がもし軍船をもって侵犯してくれば、いちはやく鏡に映し出され、すぐさま戦いの準備ができる。近年ある外国人がやってきて雇われて数年にわたって、清掃作業をし、この国の人々は疑いを持たなかったが、ある日突然鏡を盗み出し、海中にほうりこんで逃げ去った。」というようなことが、書いてあります。きっと塔が半壊した後の話ですね。

もう一つの不思議なものは、インド・デリー市郊外の世界遺産クトゥブ・ミナールにある、チャンドラバルマンの柱と呼ばれる錆びない鉄柱のオーパーツです。99.72%という高純度な鉄でできていて、表面にはサンスクリット語の碑文があります。一番上には、装飾的なチャクラがあるそうです。紀元後415年に建てられたと言われていますが、地上部分はサビが出ないで、1500年も経っています。そんなに長い間錆ないのは、当時の技術としては不思議ですが、インド工科大学のバラスブラマニアム博士によれば、99.72%の純度なら、50年で錆びるところだが、1500年もの間、風雨にさらされながら、錆びなかった理由は、不純物のせいではないかという説をたてています。インドで産出される鉄鉱石には、リンが比較的多く含まれていて、おまけに、ミミセンナというリンを含む植物を加えていたという記録があるそうです。リンが鉄の表面をコーテイングしたというのです。でも、化学式もない、400年代になぜ、その植物にリンが含まれていることと、リンが加わると錆ないことを知ったのでしょうか?

 伝説として、「この柱は地中深くに達し、地中を支配する蛇の王ヴァースキの首にささっているという伝承があり、柵で囲われる前は、その不思議な力にあやかろうと、人々が、その柱を触っていたといいます。現代では、錆びない鉄は1913年にステンレス鋼(鉄にクロムとニッケルをある割合でまぜたもの)が開発され、台所等で皆さん使っていますね。

 加熱しながら鍛えた、鍛造(たんぞう)も、熱を加えてたたくことによって、不純物が外側に押し出され、鉄の純度が上がり、内部で再結晶化し、錆びにくい鉄になります。最近日本刀ブームがありましたが、日本刀などがそうです。けれども、日本刀でも、手入れをしないと錆びるそうです。

  次回は、その他のオーパーツを調べてみましょう。

不思議な話 その167 アレクサンドリア図書館まとめ オーパーツ(2)

アレクサンドリア図書館について描いた映画では、2009年にカンヌ映画祭に出品された「アレクサンドリア」というスペインの映画があります。日本では、2011年公開されたようです。以下ネタバレを含みます。

 この物語は紀元後の300年代、キリスト教がローマの国教となり、今までと逆にキリスト教がローマの神やギリシャの神やエジプトの神などを信仰する異教徒を排斥した話です。

 300年の末に、エジプトのアレクサンドリアでは、古代神を崇める人が多かったのですが、ユダヤ教やキリスト教の信仰が、庶民にも広がりつつありました。主人公の女性天文学者ヒュパティア(レイチェル・ワイズ)は、弟子のオルステスや奴隷のダオスから慕われていました。ヒュパテアは、学問のために弟子からの求愛を断り、研究一筋にしていました。彼女は、アレクサンドリア図書館からの古代の知識で、地球が太陽のまわりを回っているということを、知っていました。映画では太陽を中心にした。惑星の模型が出てきます。

 キリスト教徒たちに古代の神々への信仰を侮辱された学者達は、話し合って、キリスト教徒に屈服しないようにと決めます。しかし、暴徒と化したキリスト教徒達は、都市を襲撃しに来ます。

そこで、アレクサンドリアの学者達は、世界の知を結集していたアレクサンドリア図書館に逃げ込みます。戦いの様相を示したこの出来事は、当時のエジプトの支配国である、ローマ皇帝に委ねられますが、皇帝は、学者たちの罪は裁かない代わりに、図書館を明け渡しなさいということでした。そして、キリスト教に改宗するという条件をすすめました。ヒュパテアも含めた学者達は、改宗を拒否し立てこもりますが、暴徒がすぐ迫ってきて、本当に貴重な書物だけを秘密の場所に隠します。キリスト教の信者の暴徒は知の宝庫である図書館の神々の像を壊し、どれだけの価値があるか計り知れない書物に火をつけ図書館を燃やしてしまいます。もはや、暴徒には、知の遺産などどうでもよいことなのでした。

 その後ローマ帝国が東西に分裂します。以前に弟子でヒュパティアに思いをよせていたオルステスも、キリスト教徒に改宗し、アレクサンドリアの長官になっていました。オルステスを失脚させ、次期長官の座をねらっている、キュロリスというキリスト教の主教は、ユダヤ教を迫害し始め、女性や子供まで、虐殺します。長官オルステスがヒュパティアに好意を持っていることを知ったキュロリスはヒュパティアを狙います。そして、彼女は扇動された町の人々から魔女として処刑されてしまいます。

 天文学者のヒュパティアさんは実在したようで、キリスト教徒に殺されたのも歴史上の実話のようです。キリスト教だけでなく、その地域のメインの宗教が他の宗教を迫害するのは、歴史上で何度も起こっているので、人間は古代から進歩していないな、とこの映画を見て感じました。紀元後300年以前は、国からキリスト教徒が迫害されていたのに、皇帝が、キリスト教に改宗すると、他の宗教を迫害するのは、できた当初の教義からはずれるのでは、とツッコミをいれたくなります。政治と宗教は結びついてはいけないものなのですね。人に宗教を押し付けてもいけないと思います。人を尊重するように、他者の信条も尊重すべきです。宗教の名のもとに人を操作したり、利用することもいけないことです。最初に宗教があったのではなく、最初に人がいて、宗教は人の作ったものです。それが、逆になると、おかしなことになってしまいます。

  だいぶ前にオーパーツについて、ブログで書きましたが、第2弾として、まえに取り上げなかったオーパーツをいろいろ調べてみましょう。その前にオーパーツではないですが、ヒュパティアの時代から、遡ること500~600年前の紀元前310年~紀元前230年頃、古代ギリシャの天文学者で数学者のアリスタルコス(サモス島で生まれたので、サモスのアリスタルコスと呼ばれています。)は、この時代から、地動説を唱えていたのです。アレクサンドリア図書館には、彼の書物ももちろんあったと思います。アリスタルコスは宇宙の中心は、地球ではなく太陽であることを、計算上で知っていました。彼は古代のコペルニクスとも呼ばれています。このアリスタルコスの時代から、なんと、2000年後にコペルニクスが地動説を唱えます。コペルニクス以前にもその説を唱えようとした人はいたかもしれませんが、キリスト教の宗教弾圧によって、裁判にかけられてしまいかねないので、皆、口を閉ざしていたのでした。紀元前から地動説が認められていたら、今の天文学はもっとかわっていたでしょうか?

 アリスタルコスは、天動説と、地動説の2種類の本を出していて、地動説は仮説でしたが、恒星と太陽は不動で、地球は太陽の周囲をある円周上を回転し、太陽はその中心に在ると言っています。しかも、地球は自らの軸のまわりを自転するとも言っていて、当時の学者のプルタルコスという人に不敬罪(失礼な学説を唱えるもの)として、訴えてやると言われていたのです。アリスタルコスは月と地球の大きさを計算し、太陽までの距離も計算でだしましたが、距離はかなり短く見積もってしまいましたが、その計算方法は、後の時代の観測方法や計算方法と同じだそうです。

今回は長くなったので、次回に不思議なオーパーツの数々を見ていきましょう。 

不思議な話 その166 古代アレクサンドリア図書館の不思議 オーパーツなど

その時代にあるはずのないものの資料が出てきて、説明のつかないものをオーパーツといいます。(存在理由が分かってしまったものは、オーパーツとは呼ばないそうです。)

 前回ピリ・レイスの地図に南極が描かれているものの、典拠をたどると、紀元前400年から300年くらいの、アレキサンダー大王の遠征の時に、作られた地図を書き写したものを、さらに書き写したということのようです。アレクサンダー大王の家来のプトレマイオスは大王の死後にエジプトに王朝をつくり、ご存知クレオパトラ7世の時代まで、そのプトレマイオス王朝は続きます。(正確にはクレオパトラ7世の息子カエサリオンの統治までエジプト王朝は続きました。)その頃のエジプトのある都市を、アレクサンダー大王の名にちなんで、アレクサンドリアと名付け、大王の遠征の叡智や、古代エジプトの学問の集大成として、古代アレクサンドリア図書館が作られました。

アレクサンドリア図書館は、書物の収集のために莫大なお金が費やされたそうです。「船舶版」という書物の集められ方は、常識を超える方法で、プトレマイオス王朝の時代に、アレクサンドリアの港に入った船はすべての書物を例外なくいったん没収させられました。その後、役人や学者たちが、その書物に価値があるかどうか判断し、アレクサンドリア図書館(ここでこの名前を出すのはすべて古代の図書館を指します。)所蔵が決定されたら、写本を作成して、原本のかわりに持ち主に返して、原本は図書館が否応なくもらってしまったのでした。けれども、ただでとったのではなく、保証金が持ち主に支払われました。つまり、コピーを用意して、原本を買い取ったというわけですね。

 図書館は、本を書き写す写字生を多く雇っていて、組織的に写本を作っていたそうです。当時は、そのずっと後に発明される、製紙技術や印刷技術がなかったので、ナイル川沿岸で栽培されたパピルスを原料として、パピルス紙を作り使用していました。当時力のあったエジプトのプトレマイオス3世は、ギリシャのアテナイ(アテネ)の国立図書館の貴重な蔵書、アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスの詩集や戯曲の台本を担保金をかけて借り受け、ずうずうしくも、それを返さないで、膨大な額の違約金を払い、写本だけをアテナイ図書館に返したといいます。後の時代だったら、戦争になりかねませんね。それほど、紀元前300年代の文化は高く、世界の知識が集まっていました。文学、芸術だけでなく地理学、数学、天文学、医学、薬学、建築学などあらゆる分野の当時の最先端の学問が集まっていました。エジプトのプトレマイオス3世はお金より学問や芸術が大切なことを知っていました。

アレクサンドリア図書館で研究されて、発表された知識は、その後の西洋科学の基礎の誕生に大きく貢献したそうです。ヘレニズム文化の有名な学者達は、このアレクサンドリア図書館で研究したということです。古代の一流の科学者アルキメデスもアレクサンドリアで研究したといいます。このアレクサンドリア図書館や今で言う大学のような学術施設は、プトレマイオス王朝で大切に保護され、クレオパトラが統治した紀元前30年前後に滅亡した後は、ローマ帝国が手厚く保護をしました。この時代の知を制するものは、まさに世界を制するものだったのですね。ローマ帝国隆盛期をすぎて、図書館の蔵書は、パピルス紙につく虫の害やボヤ(火事)によって、焼けたり、薬草園ももえてしまったりしました。図書館の崩壊には、いろいろな説があって、紀元前47年のユリウス・カエサル・シーザーのナイルの戦いの侵攻時に港の艦隊の火災が延焼して書物が一緒に燃えてしまったという説もあります。

その後ローマ帝国のもとで復興し、紀元後4世紀のキリスト教徒の断続的な攻撃によって破損し、5世紀には、キリスト教国になったローマのキリスト教大司教のヒュパテアの虐殺などによって、大図書館や学術施設は破壊され、キリスト教徒の暴徒がヘレニズムの学術書を失わせてしまいました。(なぜ、いつの時代も宗教対立で、前時代の文化や建物や芸術が破壊されてしまうのでしょうか?現代での仏教寺院の破壊や、エジプトの博物館の略奪など、宗教の名を借りただけの破壊は人類の財産をどぶに捨てているように思えます。残念なことです。)

話は地図に戻りますが、ピリ・レイスの地図が南極大陸を表しているのではないという人にも、否定出来ないのは、ピリ・レイスの地図のできた時より200年前、1339年のダルサートのポルトラノという地図は、ヨーロッパや地中海の地形を正確に描いていました。その地図の内容は、300年後の1600年代まで、誰も知らなかった地形のようです。ポルトラノの地図を作った人たちも、ピリ・レイスと同じように、アレクサンドリア図書館に保管されていたアレクサンダー大王の時代の地図を模写したものだと言っています。

 2200年前に、地球の全周を知っていたアレクサンドリア館長のエラストス、先ほど書いた、天才アルキメデスを生み出し、「自動機械」という本を書いたヘロン、知識は心臓にではなく、脳に宿っていることを明らかにしたヘロフィロス、幾何学を体系づけたユークリッド、今のホロスコープ、星座図を作ったヒッパルコス、など、皆この図書館の影響を受けました。70万冊の蔵書の中には、後の時代に手に入らない古地図もたくさんあったのです。

 超古代文明を除いた中で、最古の文明といわれているのは、シュメール文明ですが、その文明には謎が多いです。建築技術や、科学、法律学、機械技術、衣類、装飾品、調理法、文学、音楽、芸術、地図測量術など後の時代より前のシュメール文明のほうが進んでいたかもしれません。その遺産は、アレクサンドリア図書館にあったかもしれないのです。それを、宗教という名のもとに、群衆が壊してしまったのです。アレクサンドリア図書館が破壊されていなかったら、人類の文明はもっと進化していて、戦争もなくなっていたかもしれませんし、宗教対立も今よりひどくなかったかもしれません。

 ピリ・レイスの地図だけでなく、オロンテウスの地図(1531年) メルカトルの地図(1538年)、フランチェスコ・ロザエリの地図(1508年)ミリテウスの地図(1590年)などの地図にも南極大陸が描かれています。南極大陸が発見されたのは、1818年です。これらの地図には驚くべきことに、「テラ・オーストラリス」と書かれています。オーストラリアは、まだ発見されていません。これらも、古代アレクサンドリア図書館の古地図から模写したのでしょうか?

 来週はアレクサンドリア図書館について描いた映画についてと、まとめをして、新しいテーマを探しましょう。
プロフィール

観音寺りえ

Author:観音寺りえ
アトラス研究所の観音寺りえです。

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住所: 東京都文京区千石4-37-10 
TEL: 03-3942-1341
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