不思議な話 その178 スフィンクスの謎 (2)

  スフィンクスの不思議について、2回めです。スフィンクスの建てられた目的は、多くの研究者が考えるように、ギザのピラミッドと関係があるのでしょうか?スフィンクスとピラミッドは相互に機能するように作られていると考える研究者がいます。スフィンクスから60メートルくらいにカフラ王のピラミッドと参道があります。その参道の途中に、オシリス神のまつられている場所があります。ピラミッドの中のオシリスシャフトは1934年に発見されて、その存在が明らかになりました。1939年に本格的発屈されました。オシリスシャフトは三層構造で、3つの部屋に繋がる3本のたてあながあります。一番下の部屋は地下10階くらいの深さだそうです。そこには、オシリスの石棺といわれるひつぎがあります。ひつぎの本体は水の中に沈んでいるそうです。

 ギザのピラミッドも最大のオーパーツの一つです。一番下の部屋にあるオシリスの石棺を調査したイギリスのマンチェスター出身の、宇宙航空産業のハイテクエンジニアであるクリス・ダン氏はその王の間の石棺が、「筒のこ」という機械を使ったとしか思えない跡を花崗岩で出来ている石棺に見つけました。しかも、その技術は現代よりも進んだものだというのです。制作の過程で切りだされたつつ状の花崗岩が英国の博物館に展示されて残っているのですが、ダン氏はその切りだされたつつのまわりには、らせん状の溝が残っていて、その溝が花崗岩の中を一回転で2、5ミリ進んでいることを発見しました。

  ダン氏が言うには「1983年時点での工業用ダイヤモンドドリルでは、花崗岩に中をくり抜くのに、一回転で、0,005ミリ進むことが出来るが、このピラミッドの石棺のドリルは、一回転で2,5ミリも進んでいる。」というのです。ピラミッドと石棺の作成者は、1983年の科学、工学技術の500倍の性能のドリルを持っていたということになります。2016年の現代でもこれと同じ性能のドリルはまだ出てきていないでしょう。しかも、石棺は花崗岩のなかでもさらに硬い石英の部分にも同じように繰り抜いているそうです。ダン氏はエンジニア仲間と意見を交換し、このドリルは、超音波加工技術が使われているのではないかという結論に達したそうです。超音波加工は、1960年代にやっと出来た技術で、超音波の高周波で、硬くてもろいものを切るのに適しているそうです。その精度の完璧さから、作業は人ではなく、コンピューター制御で使用するものなのだそうです。ピラミッドの作られた時代を1万年前とするか、5000年前とするか、諸説ありますが、この石棺に関しては、電気等のドリルの動力源と、超音波加工を制御するコンピュターのようなものが必要になります。

  スフィンクスの横にある河岸神殿の一本の石は約200トンあって、アメリカでも200トンの重さの物を扱えるクレーンは2台しかないそうですが、スフィンクスの脇の神殿には、200トン級の石が何百個も使われています。アメリカのクレーン技術者は、河岸神殿の200トン以上のブロック石を見て「何千年もの昔にいくつもの重たいブロックや200トンものブロックをうごかしているようだが、どうやって動かしたかは想像もつかない。」と言っています。大ピラミッドのブロック石は、さらに倍以上の490トンの重さのものがあります。これには、現代の技術ではまだ使われていない石の重さを打ち消す反重力装置のようなものをつけて、つみあげたのでしょうか?

  この3大ピラミッドとスフィンクスの位置は、北緯30度から6キロメートルほど南にあります。この位置は赤道から北極への縦の線北極から赤道へのちょうど3分の1の点上にあります。大ピラミッドの正確な位置は北緯29度58分51秒で、これは、空から大気圏の屈折を計算に入れて北緯30度に作ろうとした時に、北緯29度58分にたてる計算になるそうです。大ピラミッドは大気の屈折を計算に入れた天文学上の北緯30度に位置しています。大ピラミッドは宇宙から見た地球と地球から見た宇宙の位置のずれを計算に入れて計画的に作られたのではないかということになります。飛行技術がなかったとされる1万年~5000年前にどうして宇宙から見た位置を計算しなければならないのでしょうか?またどうやって計算したのでしょうか?

  さらに大ピラミッドの4つの角の角度は完璧に近い直角です。グラハムハンコック氏は「この直角は原子時計の精度どころでなくローレックスやBMW,メルセデス・ベンツ、ロールスロイスIBMなどの技術を一つに集約したほどの精度だ。」と言っています。それに加えて、ピラミッドは真北、真東というように、東西南北が正確で、それは、」グリニッジ天文台の子午線軸でさえ地球の南北の線に対して60分の9度ずれているのに、大ピラミッドはそれよりも正確で、60分の1度しか南北線のずれはないのです。紀元前2560年頃のピラミッドの作業の記録が出てきて、話題になりましたが、すでにあったピラミッドの内部の改装か部分的な発掘等の作業工程をきろくしたものだったかもしれません。今はない白く輝く大理石を付けようとした工事か、王の墳墓に前からあった遺跡を利用しようとした工事だったのかもしれません。

  ピラミッドの機能を王の墓や生まれ変わるための宗教的装置とする考えが主流ですが、一部に、電気等のエネルギー発生装置だったのではないかという意見もあります。先ほどの宇宙航空技術のハイテクエンジニアのクリス・ダン氏は内部構成部品を取り外された機械装置の抜け殻ではないかと考えています。さらに、クリス氏は地球内部からやってくる音波(振動波)を大ピラミッドが増幅して、電気を作り出していたのではないかと考えています。「王の間」や「石棺」、「重力拡散の間」などの部分は花崗岩でできています。(その他は石灰岩で出来ています。)この花崗岩が、地球の振動波を電気に変えているのでは、とクリスさんは推測しました。石英は、音波などの振動を電気に、電気を逆に振動に変える性質があるといいます。また、クリス氏は「王妃の間」の壁面にだけ塩分が厚く覆っている理由を、水素ガスをこの部屋にためて、電気の配線の代わりに伝導体にして、電気エネルギーをどこかに集中してつたえたのではないかと考えました。クリス氏以外でも、大ピラミッドは、水燃料電池だったとの説や、極端な説では核融合施設があったのではないかと考える人もいます。装置は宇宙から来た人々が、あまりに進んだ技術だったので、取り去ってしまったのでしょうか?

  ゼカリア・シッチン氏のシュメール文明の研究によると(紀元前3500年ころのシュメール文明の粘土板古文書によると、)「異星人アヌンナキは、まず最初に第一地域メソポタミアに高度な都市文明と王権を委譲し、続いて第ニ地域エジプトとアフリカ地域、第三地域インダス川流域、第四地域ティルムン(シナイ半島)の順に文明の基本と王権を委譲していった。そして、大洪水によって今までの宇宙施設が破壊されたため、新たにエルサレムに航空宇宙管制センター、エジプトには宇宙港着陸時の航空標識として3つのピラミッドを作った。そして、パールベックには緊急用の宇宙港が建設された。三基のピラミッドの建設には、科学者エンキが担当した。エンキは人間を科学的(遺伝子組み換えでしょうか?)に創造した。建築、冶金などにも優れていた。」とあります。

  シュメールの古文書では、大ピラミッドは「山のような家」と呼ばれていて、エジプトのピラミッドの記録よりも前の古文書にもうピラミッドのことが書かれています。クフ王の時は、もう遺跡として3大ピラミッドやスフィンクスはそこにあったと思われます。大ピラミッドは宇宙からくる宇宙人の宇宙船を地球に誘導する航空施設で、しかも電気等のエネルギーを作る、発電所だったかもしれません。ギザのピラミッドはクフ王が建てたのではなく、クフ王より、はるか前の一代目5000年以上前にすでに存在していた証拠が壺に彫られています。エジプトの神々の時代にすでにピラミッドは存在していたということになります。

  シュメールやエジプトの文明の記録には、神々が人類に文明を与えたと繰り返し書かれています。古文書には、アヌンナキが天から降りてきて、人類に文明を与えたことが書かれています。シュメールの古文書にはさらに、大ピラミッドの王妃の間には、「シャムの石」という赤い光線を出す石がはめ込まれていた、とありますエネルギーの発生装置と関係があったのかもしれません。大回廊には、27対の水晶石がはめこまれ、「虹のような輝きに満たされていた」とあるので、電灯のようなものでしょうか?あるいは、通信施設の一部だったのでしょうか?王の間はピラミッドの中でも神聖な場所で、天や土地を調べるための「網」が広げられていたとありますので、レーダーのようなものでしょうか?王の間の石棺は方向決定の石だそうで、宇宙船の着陸の誘導装置だったかもしれません。ピラミッドの頂上には、今は取り去られていますが、「空のごとく高いウルの石」(ピラミッドキャップ)がはめこまれていました。古代ピラミッド戦争の時、勝者はピラミッドの装置が取り外されて使えないようにしたということが古文書で伝えられています。

  大ピラミッドの隣のスフィンクスも、エジプト18王朝の歌に、「通信は天より下り、ヘリオポリスにて聞き取られ、メンフィス(当時のエジプトの首都)にて繰り返されるスフィンクスの美しき顔によって、神々は通信によって行動する。」とあります。スフィンクスはピラミッドと関係ある、通信基地の一つとも考えられるかもしれません。

  次回はまとめです。

  
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不思議な話 その177 スフィンクスの不思議(1)

最も、有名なオーパーツとして、エジプトの大スフィンクスがあります。その作られた年代は、はっきりしてはいません。従来の説では紀元前2500年ぐらいだろうと言われていたのですが、最近の地質学者の研究から、その時代よりはるか昔に建設されたという説もたくさんあります。そんな昔に建てられたのに、石灰岩の一枚岩で作られていて、巨大である点が当時の技術では難しいのではというのが、オーパーツである所以です。

 ヒストリーチャンネル、「古代の宇宙人」#80で、「スフィンクスの謎」という面白い話があったので、見た映像の要点を、まとめてみました。ネット上でも、視聴できるようです。ギザの3大ピラミッドとともに、ギザの大スフィンクスは、謎の多い建造物です。1825年にエジプトのギザ台地に巨大な頭が発見され、発見者は、皆が認識する以上のものが埋まっていると考え、11年かけて今の姿に掘り出しました。

 大スフィンクスは、太陽が昇る東を向き、三大ピラミッドからわずか800メートルの所に建っています。その場所の地層の一枚岩を削って作られているそうです。その石像の全長は73.5メートル、幅6メートル、高さ20メートルにもなります。その巨大な姿は何世紀もの間、不思議だと思われてきました。そのスフィンクスは誰が何のために作ったかは未だに謎なのです。今になってもその謎は解けないで、いろいろな説があります。

 エジプト学者が紀元前2500年古王国時代に建てられたとするのは、その時代にカフラ王が支配していて、スフィンクスの前足の間から発見された碑文にその王の名前があったからです。それは「夢の碑文」と呼ばれています。BC2500年から約1000年後に王となったトトメス4世のことが刻まれています。その新王国時代のトトメス4世の頃は、大スフィンクスは頭部しか出ていなくて、体の大部分は砂に埋もれていました。トトメス4世の「夢の碑文」に関しては、伝説があります。トトメス4世が若い頃に、スフィンクスの前でうたた寝をしていると、夢にスフィンクスが出てきて、「私を砂の中から掘り出してくれたら、汝を王にしよう。」とスフィンクスがトトメス4世に告げたというのです。当時彼は王の息子でしたが、正当な王の継承者、皇太子ではありませんでした。トトメス4世が言われたとおりにスフィンクスを掘り出して、修復すると、お告げ通りに王になることが出来ました。即位名はメンケベルウラーで、永遠なるラー神の出現という意味だそうです。スフィンクスが夢のなかで未来の王に語りかけたことで、古代エジプトの歴史が変わったのでしょうか?

スフィンクスは夢のなかでさらに「神の目がもたらすものは、すべて彼のものになるだろう」と予言され、約束は守られました。碑文には光の神の目について、書かれています。「夢の碑文」の内容が本当だとしたら、スフィンクスが、エジプト王家の繁栄を約束した事にもなります。トトメス4世はその後のアメンホテフ4世の祖父で、アメンホテフ4世は当時としては、異教の王でした。それまでのエジプトでは多神教の信仰がありましたが、この頃から、アテン神、太陽の(円盤の)神のみを信仰する一神教になります。太陽の目というのは、アテン神の碑文の神の目と同じではないかということです。エジプトではその文明を神のように見守り導いた、地球外の生命体を信仰していたのではないかと、「スフィンクスの謎」では言っています。

  夢の碑文にはさらに、「私は、最初の時からここにいる。」と書かれています。エジプトの伝説では、本当の黄金期は、1万5000年位前だという説があります。そこでは、人間と神(宇宙人?超古代文明の生き残り?)がともに仲良く暮らしていたというのです。

マサチューセッツ州アストンの地質学者がギザ台地を20年間、その地質特性を調査したところ、大スフィンクスの脇の壁の部分に雨が降った時代の痕跡がありました。エジプトの砂漠化したその地域の気候から、雨が降った時代はBC3000年以前という報告がありました。(これを批判して地下水の出た時のしみだした跡だと反論する人もいるでしょうが、地質学者が雨と地下水の跡を間違えるのもおかしいと思います。やはり、ギザに雨が降った時代に作られたのではないでしょうか?)スフィンクスは、定説にあるよりは、はるか昔に作られた可能性があります。

  今は獅子の顔と言うより、人間、特に古代エジプトの王の顔を彫ったらしいのですが、その鼻は失われて、顔が崩れています。大スフィンクスの頭と顔が体の部分に比べて小さすぎるという意見があります。スフィンクスの頭については、もともとは獅子座と関係があり、最初は獅子の頭が彫ってあった、とか伏せをしている姿が、ライオンではなく犬ではないか、という意見があります。犬であったら、よく壁画に描かれる、ネクロポリスの守り神のアヌビス神ではないかという人もいます。その風貌を変えるには、アヌビス神の突き出た鼻を取り去るのが良いと考えたのでしょうか?顔の破壊はイスラム教徒の征服者が 悪魔の顔に似ていると言って顔を壊して、別の顔に作り変えたのかもしれません。俗説ではナポレオンがエジプト遠征の際に、大砲を撃つ砲兵にマトにさせたという説がありますが、ナポレオンが文化的遺産を壊すのは考えられないと思います。兵士が悪乗りして標的にした場合は別ですが、それ以前に描かれたスフィンクスの絵に鼻のないものが、すでに描かれていたそうです。話をアヌビス神にもどすと、この神は、セプテピという始まりの時から、オシリス神が来たのと一緒に来たとされ、人類の文明の始まりの時からいると信じられていました。頭の部分は何回も彫り変えられたり、壊されたりしたのかもしれませんね。

  次回に続きを書きますね。



  

不思議な話 その176 「宇宙開発の父」と呼ばれた科学者の未来予言(2)

ロシアの未来技術を予言した科学者ツィオルコフスキーの話の続きです。彼は幼少時に耳が聞こえなくなって、100年以上前なので、学校教育を受けることが出来ずに、独学で科学を学びました。彼は、1903年に宇宙ロケットの細かい設計図を作りますが、その頃はやっと、ライト兄弟が飛行機の試作品を作ってテスト飛行をした時代でした。当時宇宙にロケットを飛ばすなどは一般の人々は思いもよらなかった時代です。ジェット機が飛んでいるのを想像する人もいなかったでしょう。彼の発明や設計図は、その当時の未来、今になってみると、現在の宇宙開発技術はほとんど、彼の100年前の予言とも言ってよいほど正確な構想に基いています。

ツィオルコフスキーの5つのアイディアと言われているものがあります。1つ目は飛行機の彼独自の設計です。特に独創的だったのは、ゴムの引き布の代わりに金属を使い、その形をその構造にいたるまで変えることが出来たそうです。彼は計算と実験によって、金属製の飛行機は、便利で安全であるにもかかわらず、経済的にも効率的と考えました。この考えで、彼は、飛行機の出現を数十年先取りしました。

2つ目のアイディアは、ジェット飛行です。1883年の『自由飛行』の中で、彼は、」宇宙空間の唯一の移動手段のジェット推進技術の結論に達しました。この本で彼は、ロケットの宇宙飛行能力を証明しました。

  3つ目のアイディアはロケット列車です。彼がロケット列車とよんだのは、多段式ロケットの原型で、地上を滑走した後、空中を飛行し、宇宙空間に飛び出す組み立て式ロケットのことです。ロケットの各段は、燃料の使用後に切り離し、地上に落下させます。今の宇宙技術には普通に使われていますが、当時で考えつくのは、神業です。

  4つ目のアイディアは宇宙リフトです。宇宙空間に貨物を運ぶのに、ロケットを打ち上げずにすませれば、経費を飛躍的に節約できます。地球上からワイヤを伸ばす方法と、宇宙機器から惑星表面に向けてワイヤを伸ばし、貨物を運ぶという発想です。
これはまだ、実現されてはいません。

  5つ目のアイディアは、宇宙で暮らす人間についてです。ツィオルコフスキーは確信を持って、人間による宇宙開発を予言しました。宇宙飛行のアイディアは彼の未来観では、人類の向上の理論と結びついています。

彼の発明は、宇宙開発技術関係以外にも、気球、竹馬、惑星間信号装置、太陽光による加熱装置、室内冷房、タイプライター、新しい度量衡なども発明しました。とても広い分野で発明しているのには驚きですね。

 彼は、初恋の女の子に、「僕は過去にも、未来にもいないような、偉大な人間です。」と手紙を書いています。彼は自分の能力を良くわかっていましたし、未来で何をなすべきかをすでに知っていたのでしょうか?

彼は未来に対してこう述べています。「地球は人類のゆりかごである。しかし、永遠にゆりかごの中で生きていくわけにはいかない。」宇宙開発を予言したツィオルコフスキーは、その天才的な先見の明で、今後地球でどのような問題が起きるかも見通していました。
ツィオルコフスキーが残した未来を表す30枚のスケッチの中には、宇宙で植物を育てている絵もあり、人類が未来に地球を離れ、宇宙で、植物を育てながら宇宙で生活しているビジョンも見えていたのでしょう。地球が人類のゆりかごとして機能しなくなった時、彼は人類が宇宙に定住することになる宇宙開発のみちのりを後世の人々に示してくれたのかもしれません。彼は、未来の人類が近くの月や火星に移住するというのではなく、小惑星が集まる領域に、人類は巨大なスペースコロニーを作ってそこに定住すると予言しています。別の惑星に移住しても、彼は、現在に地球のように、限られた資源をめぐっての争うになるだろうと考えました。そこで、無数にある小惑星群の中でコロニーを作ると、」ふんだんに資源を取り出すことができるので、争わないだろうと考えました。

  重力の少ない小惑星の中では、」燃費の良いイオンエンジンが活躍し、小惑星とスペースコロニーの頻繁な行き来に使われるだろうと考えました。そしてその先は、食料の自給自足環境を整え、地球外の宇宙に定住した未来の人類は、やがて、無重力環境にも適応し、宇宙での進化を始めると予言しました。

  そして、彼の頭のなかでは、姿を変えた人類の子孫がみえていたかもしれません。彼はこう言っています。「我々はいくらでも生きられ、死ぬことはない。」と考えました。彼は人類の進化の結果として植物と宇宙人のグレイを融合させたような人類の子孫の姿を未来に見ていたのかもしれません。彼の時代には、グレイのような宇宙人は認識すらされていなかったのかもしれませんが・・・

  ツィオルコフスキーは、とても不思議な未来を見通す目を持った稀有な人なのだと思います。次回も面白いテーマを見つけましょう。
  

  

  

  

 

不思議な話 その175 「宇宙開発の父」と呼ばれた科学者の未来予言 

天才と呼ばれる人は、先を見通す目を持っていて、時に未来の予言をしています。前回の歌川国芳もそうですね。

 今回はロシアの「宇宙開発の父」・「宇宙旅行の父」・「ロケット工学の父」などと呼ばれた、今から160年くらい前に生まれた、ロシアの科学者の不思議について書きますね。

コンスタンチン・エドゥアルドヴィッチ・ツィオルコフスキーは1857年9月17日ロシアのモスクワ南東、イジェーフスコエという所で生まれました。亡くなったのは78歳で1935年9月19日です。彼の父はポーランドで革命運動に関わった為に、ロシアに追放されました。 
 母親はロシア人でした。彼は帝政期のロシア、革命後のソビエト連邦の科学者で、ロケット研究者で、数学教師で、作家です。SF映画の技術監修もしました。今では当たり前ですが、宇宙へ行く概念が乏しかった当時、世界で初めて、ロケット理論や、宇宙服や宇宙遊泳、人工衛星、多段式ロケット、軌道エレベーターなどを考えつきました。その発想が、当時の人とは思われないくらい高度なのです。まるで、未来を見てきて予知しているような、未来から来て皆にその知識を教えているような、能力のある人です。

  彼の凄いところは、9歳で猩紅熱(しょうこうねつ)にかかり、聴力のほとんどを失いました。学校に通っていたのですが、授業が聞き取れないので、登校を拒否し、引きこもりとなりますが、彼の父親の部屋に本がたくさんあり、難しい大人の本も読み漁りました。そして、ジュール・ヴェルヌが1865年に出版した『地球から外へ』を10歳ちょっとで読み、その本に感動し影響を受けます。16歳でモスクワに出て、図書館にこもり、独学で数学、工学、物理学などを学校に一切行かずに極めます。1879年22歳で数学の教員の免許を取得し、ボロフスクの中学校で、数学を教えます。(当時は貧しい人も多く、学問をする機会が少なかったので、学校を出ていない人にも学問をするいろんなチャンスがあったのでしょう。能力のある人は独学で学者にもなれたのです。)

 1891年に流線型の金属飛行機(ロケット)を論文で発表しましたが、時代が彼に追いつかず、ロシアの科学のアカデミー審査会は論文を却下しました。(彼の説を想像上の絵空事ととらえたのでしょう。)数学教師として、「月のうえで」や「地球と宇宙に関する幻想」という科学エッセイを書きました。
  
 1897年には、ロケットエンジンの噴射速度が大きいほど、噴射される推進剤として、ロケットから失われる質量と残りの質量の質量比が大きいほど、そのロケットシステムにより大きな速度が得られるという「ツィオルコフスキーの式」を発明し、ロケット理論を初めて提唱しました。

 1903年「反作用利用装置による宇宙探検」を書き、」液体水素と液体酸素を燃料とする流線型のロケットの設計図を発表しました。この中の一節で「今日の不可能は、明日可能になる。」は有名な言葉だそうです。

  彼は学校を出ていないし身分も高いとは言えなかったので、帝政ロシア時代は不遇でしたが、ロシア革命(1917年頃から)後にその天才的な能力が評価され、1919年(彼が62歳の時)にソビエト連邦科学アカデミーの正会員に選ばれました。共産党政府のもとで、地位を与えられ、ロケット研究に集中することが出来ました。多段式ロケット(ロケット列車)の検討もしました。

  そして、1920年代に、多段式ロケットとジェットエンジンの理論を完成させ、世界で初めて「宇宙ステーション」を考案しました。1935年に78歳でなくなるまで、宇宙の技術のことを考え続け、死ぬ直前はロケットブースター(今は一般的に使われている技術ですが、当時は考えつく人はいませんでした。)の可能性を信じていました。これも今は一般的に使われているそうです。もっと長生きして、その特異な才能を発揮して欲しかったですね。

  彼の考えて、提唱した技術は、彼の生きていた時代の未来に宇宙エレベーター以外ほとんどすべて実現しました。彼はノストラダムスより正確に未来の宇宙技術を予言していたわけです。宇宙エレベーターも将来は、実現可能と言われています。彼の未来を見通す能力はどこから来ているのでしょうか?

彼は耳が不自由だったために、他の学者とコミニュケーションするより、自分自身と心のなかで対話しました。この技術は実現可能か否か、と常に自問自答し集中していったのです。そして、それを、誰にも教わらずに、数式で証明していこうとしました。そして、それが、実現可能か不可能か考えたのです。

 1935年にツィオルコフスキーSF映画「宇宙飛行」が上映されました。技術監修はすべて彼ですが、それが34年後の月着陸の様子や、前後の宇宙飛行のロケット内の様子を正確に予言していたのです。

 彼は映画で、宇宙船での生活は、人や物が浮くと考えました。宇宙船内では、彼は人や物をすべて固定しなければいけないと考えました。実際の今ある宇宙ステーションも彼が考えたとおりなのです。無重力空間を経験したことはなかった時代ですが、彼が映画で表現したとおりに、壁を押して動かないと自由が効かない様子だったそうです。そして、宇宙船の中に別の小部屋を作り、その部屋の空気を抜いてから、船外の宇宙空間にでる(エアロック)というアイディアも、同じ技術が使われています。(きっとアメリカの宇宙開発技術も彼の影響を受けていると思います。)宇宙服の発想も、彼の考えた通りになりました。

彼は60歳を過ぎて、やっと世間に科学者として認められ、SF映画の監修をして、未来を予知する力を見せつけたわけです。当時映画制作に関わった人の証言では、この映画の大気圏外や月へ行くことに関しては、不思議な事に、ツィオルコフスキーは、スタッフに未来のことなのにすべて過去時制で語ったそうなのです。彼の頭のなかの未来を予知した映像にはすでに、この技術は既成の技術で、「私が経験したことには・・・だった」とスタッフに話していたそうです。宇宙船の中での動き方、エアーロック、月に着陸するときの逆噴射、重力が地球より小さい月の上での歩き方、宇宙服、船外活動、燃料ブスーター、未来の様子がすべて彼には見えていたのでしょう。

  次回は、彼が書いたり、話したりした驚きの人類の未来について書きましょう。

  

プロフィール

観音寺りえ

Author:観音寺りえ
アトラス研究所の観音寺りえです。

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住所: 東京都文京区千石4-37-10 
TEL: 03-3942-1341
まで。

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