不思議な話 その234 南極大陸のミステリー(3)

英国のタブロイド紙のサン紙は時々、変わった記事も載りますが、2016年12月28日の記事に、南極大陸の地下に直径が243キロメートル、深さ、最大で、848メートルの巨大な人工物か、何らかの物体があり、科学者達が困惑しているというのです。研究者達の中には、これは、かつての数億年前の地球の恐竜を一掃させた、小惑星の痕跡だと考える人がいます。その大きさは、メキシコのユカタン半島に衝突したチクシュルーブ天体の2倍以上の大きさの小惑星の跡だというのです。この小惑星の衝突は、2億5000万年前のペルム紀の大量絶滅を引き起こした可能性があるそうです。この時の大量絶滅では、地球上の海洋生物の96%、陸地に生息する脊椎動物の70%が絶滅したと考えられています。

この南極大陸の地下の謎の物体は、NASAの重力測定衛星グレースの観測によって発見されたそうです。2006年に南極圏のウィルクスランドの地底に直径約480キロメートルの重力異常を発見したもので、「ウィルクスランドの重力異常」と呼ばれています。この重力異常の原因に様々な説があって、先程の遠い昔の小惑星の残骸があるというものや、南極の地下には超古代文明の跡があるという人や、巨大なUFOの基地があるという説や、地球の一部の空洞に今でも何らかの地下都市があるという人もいます。小惑星説を含めたどの説にも、それを示す証拠は、まだ出てきていません。

噂の範囲では、第二次世界大戦中にドイツのナチスが、飛行機の発着ができるように設計された秘密基地を南極大陸に作ってその証拠もあると主張している人もいるようです。

また、『古代の宇宙人』の話に戻りますと、遠い、遠い過去の地球の大変動を描いたエジプトの壁画に残された物語があるそうです。ナイル川のほとり、エジプトのエドフに、エドフ神殿があります。この神殿は、BC273年に建設されたエジプト最大級の神殿です。作家のロバート・ボーバルさんによると、「エドフ神殿は、重要な遺跡で、その遺跡の内部は、文字で覆われています。それは、エドフテキストと呼ばれています。そのテキストでは、世界の創造の話、空から降りてきた強力な神々が、地球を作ったと言っています。原初の島が最初に作られました。二人の神が大洋の中央に島を作って、世界創造が始まりました。原初の島に住んでいたのは、奇妙なものたちで、それは、3つのグループに分かれていました。「賢者」「建設者」「シェブティ」の3つです。シェブティは謎が多く、水の中から現れたといいます。エジプトでは複数の神がやって来て、最初の神殿を建てた、と信じられています。こうして、エジプトに世界で最初の神殿が建てられ、創造主達は、世界で最初の神殿を建て終わると、大きな鳥にのって空へ舞い上がっていったと信じられています。古代のエジプト人達は、神殿の壁に描かれたエドフテキストは、真実だと信じていました。エドフテキストによれば、全ての神が去ったわけではなくその島の何世代もあとに、恐ろしい運命にさらされた環境を整えて、次の世代に仕事を引き継ぎ、去ってしまった。その後残された人間たちの間で戦争が起きた。はやぶさを象徴する彼らの神は、蛇で象徴される敵と戦いました。蛇が空に現れると、一瞬暗闇が起こり、聖なる島が破壊されました。その後洪水が起こり、洪水がひくと、元いたものたちはいなくなっていました。敵の蛇とは、太陽系内に入った彗星が地球に接近したのか、それとも、ミサイルのような武器だったのでしょうか?宇宙人の乗り物なのでしょうか?エドフ神殿の壁に描かれた古代の大惨事の記述は、自然事象を説明したものなのか、あるいは、氷のない南極大陸に存在した古代文明を滅ぼすための、地球外からの攻撃だったのでしょうか?」といっています。

この物語に従うと、南極大陸付近の氷の下に、古代文明の遺跡がうもれているのでしょうか?先程のナチスの噂は基地こそないかもしれませんが、1938年12月にドイツのハンブルグで、ヒットラーが総統になって4年目に独裁政権を確立しました。第二次世界大戦直前に、ヒットラーは人員をつぎ込み、南極大陸の古代の遺物を探し始めました。33人のトゥーレ協会の主要メンバーが32日で南極大陸に到着しました。ヒットラーは北極か、南極にあるというアーリア人の発祥の地を探していたそうです。メンバー達の一部は、地球外生命体や、地底に暮らすという人々と交信できるとする、神秘主義者か霊媒師から、高度な技術を教えてもらっていたというのですが、噂の域のはなしなのでしょうか?本当の話なのでしょうか?ナチスの人々は、南極大陸に、古代の高度な文明の情報があると信じていました。彼らは氷の下の大陸の地形を研究し、その地図を作成し、南極大陸に21基地という地下司令部も作ったというのですが、その真偽はわかりません。

潜水艦を持っていた彼らは、厚い氷の下に古代の遺跡があることの何らかの証拠をみつけたのでしょうか?また氷の洞窟や、水中の洞窟や、地下都市をどこかでみつけたのでしょうか?地下都市があることを知っていて、戦争が終わる前にそこに逃げたという都市伝説のような話もあります。

次回は南極大陸の話のまとめと、新しいテーマを探しましょう。
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不思議な話 その233 南極大陸のミステリー(2)

前回の続き、南極大陸についてです。ピラミッド型の建造物は、エジプトを始め、南米のペルー、インドネシア、など世界各地で、発見されています。探査機の映像からですが、火星や月にもピラミッド型の建造物があるのではないかと言われています。地球上の最も古い建造物が南極にあるかもしれないというのです。世界中に存在するピラミッドは、その目的が分かっていません。レアな意見ですが、ピラミッドが発電装置であり、先端から電気エネルギーを無線で転送していたのではないかというのです。(まるでニコラ・テスラが考えた電気の転送方法に似ていますが・・・)

『古代の宇宙人』#101では、高度な技術を持った古代の宇宙人が、ピラミッドをエネルギーの動力源として、世界中のピラミッド同士で電気を転送してエネルギーを融通して使うことができたのではないか、という奇想天外な説があります。もし、そのようなことが出来るのなら、南極大陸にピラミッドがあってもおかしくないというのです。ピラミッドの型のデザインは、どこから生まれたのでしょうか?その起源は南極大陸にあるのでしょうか?

人工の建造物が1200万年前の氷の下に埋まっているということがあるのでしょうか?南極が氷に覆われていたのは、科学者たちが考えるほど昔ではないと言う人がいます。氷のない南極大陸の詳細な地図があるそうです。

2012年ロシアのシベリアで、血液や体毛が凍結されたマンモスが、そのままの姿で氷の中から発見されました。その姿は突然動きを止められたような姿だったそうです。氷の中で発見された10数頭のマンモスは、口の中にまだ食べ物が入っている者や、胃の中に温暖な気候で育つ食べ物が入っていました。マンモスがいた時期は温暖と、寒冷な気候が繰り返されていたのでしょうか?

1958年ハーバード大学の科学者チャールズ・ハップグッド博士は、『地球の移動する地殻』という本を発表しました。その本の中で、博士は地球の表層部を覆う地球の地殻の一部にかつて、急激な変動が起きたのではないかと考えました。この地殻移動理論は12000年前に南極がもう少し温暖な地域にあったのではないかといっています。彼の説によると、かつて北極は、アメリカのニューヨークのハドソン川の位置にあったとも言っています。それが、現在の北極の位置に移動したという説なのです。南極でもそれが、地殻の移動と同じように厚い氷に囲まれました。博士は、1万2000年前に、そのような大きな地殻変動があったと主張しています。地殻の複数に塊ができて、南極大陸は、短い時間で今の位置に移動しました。ハップ・グッド博士によると、南極大陸は今の位置に、数ヶ月という大変短い期間に移動したというのです。

そのような地殻変動に襲われれば、すごく短期間のうちに氷に包まれる可能性があるというのです。それは現代でも、条件がそろえば、起こり得るかもしれません。この博士の説は主流ではありませんでした。けれども、同年代の有名な物理学者アルベルト・アインシュタイン博士は、この説に感銘を受け、ハップ・グッドのこの本の序文を書いています。1960年に自分の説の裏付けをするために、ハップ・グッド博士はアメリカ議会図書館を調べました。彼は、1531年に発行された不思議な地図を発見しました。フランスの数学者で地図学者のオロンティウス・フィネウス(オロンス・フィネ)が作成したその地図には、氷のない南極大陸の地図が描かれていました。極点はもちろん、南極圏という文字まで書かれていました。氷のない海岸線は極めて正確で、海岸付近にある山や川、離れた島の位置まで一致していました。ただ、面積は、他の大陸の割合に比べると、南極大陸が4倍の面積になっています。これについて、アメリカのキーン大学の教授が詳細な検証を行った結果地図は、複数の古地図をもとに描かれたと、教授は推測していて、計算のミスで面積が4倍になったのだろうと言っています。(文明の時代の古代で、古地図の描かれた時代に南極の氷がなかったことなどあるのでしょうか?)南極大陸の発見は1800年代なので、氷の下の正確な地形は、航空写真や人工衛星などの空から見えるものがないと、分かりませんね。1500年からしたらその約300年後に発見された大陸が、その発見の300年以上前に描かれていたなどということは、ありえません。

気候学者は南極大陸がこのように氷のない状態であったのは、少なくとも現在から6000年以上前だろうと言っています。オロンス・フィネは何千年も前の地図を、手にいれたのでしょうか?

さらに不思議なことには、1960年代のアメリカ空軍の地図制作者にハップ・グッド博士がこの地図を見せると、数百年前に作られたのに、この地図には高度な三角法が使われており、驚くほど正確だと感想を述べられました。16世紀に作られた地図なのに、現在の技術で測定されて、上空130キロ以上の高度でないと、この地図は作成できないと言っています。

続きは次回にします。

不思議な話 その232 南極大陸のミステリー(1)

暑中お見舞い申し上げます。九州地方では大雨で、心配ですが、局所的な集中豪雨で気象が例年にない異常気象のような気がします。
7月の半ばですが、東京は空梅雨(からつゆ)で大変暑いです。今日のテーマは、想像すると少し涼しくなるところ、極寒の南極の話です。

また、『古代の宇宙人』#101話からの話ですが、「南極大陸のピラミッド」からのまとめで感想を書きますね。南極大陸は約3000万年前から氷床におおわれてきたというのが定説ですが、本当にそうなのでしょうか?

発見される前、西ヨーロッパでは、南方にある大陸の伝説が存在して、昔から探検家がそこに行こうと試みていました。古代ギリシャの学者プトレマイオスが、BC150年頃に描いた地図には、「未知の南の大陸としてのっていたとかいなかったとか、その地図は現存していません。その後南の海で氷の陸地を見たのは、ポリネシア人だそうです。クック諸島のラロトンガ島に伝わる伝承に西暦換算だと紀元後650年頃、カヌーで南太平洋を航海中に暴風雨に巻き込まれ、氷の浮かぶ海に着いたという話があるそうです。

15世紀の大航海時代に入ると、アメリカ大陸が発見され、未知の領域だった南半球への航海が活発に行われるようになりました。1520年にフェルディナンド・マゼランが発見したマゼラン海峡の南側の陸地は、ティラ・デル・フェゴ(現在のフェゴ島)と呼ばれ、南の大陸と勘違いされていましたが、ドレーク船長によってこれは、ただの島であることがわかりました。

16世紀になると、各国の航海者が持ち帰った情報をもとに地図を作り、ゲラルドゥス・メルカトル(メルカトル図法考案者)の1569年に出版された地図には、「テラ・オーストラリス・ノンドゥム・コグニタ」と名づけられた南の大陸が描かれています。この地図は日本の「世界地図屏風」などにも取り入れられました。

フランスのジャン・パティスト・プーヴェド・ロジェはブーベ島を発見し、南極付近の卓上氷山の存在を発見しました。ジェームズ・クックは1773年に人類としてはじめて南極圏に入っったのに、当時は巨大大陸の存在を否定していました。彼は南極大陸を発見することができませんでした。

その後南方への探検は続き、最初の発見者は、確定されていないようですが、ロシア海軍のべリングスハウゼンだという人もいれば、イギリス海軍のエドワード・ブランスフィールド、アメリカ人アザラシ漁師のナサニエル・パーマーのうちの誰かだろうと言われています。同時期に発見されたのかもしれません。1831年に北極磁気極が確定すると、南極磁気極にも関心が持たれて、探検隊が組織されました。イギリス人のジェームズ・クラーク・ロスは、南磁極まで発見できなかったものの、いろいろなところを発見しました。

1897年には、ベルギー人のアドリアン・ド・ジェルラシによって多国籍の探検隊を組織して、南極圏で越冬しました。1904年にはロバート・スコット率いるイギリス探検隊が南極に上陸しました。

スコットランドの貴族アーネスト・シャクルトン卿率いるイギリス探検隊が1907年から1909年にかけて、探検が行われ、1909年1月9日南極点付近に到達し、16日に南極磁気極に到達しました。探検隊の船は氷に閉じ込められ、9ヶ月漂流し、氷とぶつかりボートで漂流していたのですが、サウス・ジョージア等の住人に助けを求め、乗組員全員が生還できました。この話は、確か映画になっていると思います。シャクルトン卿の映画を見て感動した覚えがあります。

南極大陸は、地表の98%が氷で覆われています。地面が見えているところはわずかしかありません。面積は1400万平方kmで、オーストラリア大陸のほぼ2倍です。氷の厚さは平均1.6kmです。南極大陸は今でも探検が遅れている所で、謎の部分が多くあります。
南極は、「地球に残された最後の秘境」と言われています。氷の厚いところは、4kmに達する所もあります。氷の下は、さらに大きな謎です。アメリカの一番高いウィリスタワーでも、一番厚い氷と比べると、タワー10個分くらいだそうです。南極大陸には定住している人はいません。調査の為に各国の観測所があり、夏場は5000人、極寒の冬は1000人ほどがいるそうです。

先程触れた、南極の紹介では、3000万年前からという説もありますが、12000年前から氷床に覆われているという諸説あります。
けれども、2012年つい最近、ある写真が発見されて、その定説が覆されました。最近の温暖化で西側の氷が溶け、(温暖化で氷が溶けているという説と、その反対に南極の氷が増えているという諸説あります。あとでそれについては触れますね。)溶けた氷の下から不思議な構造物が発見されたというのです。南極大陸ではこのように、ピラミッド型の構造物が見つかったという報告が数多くあるそうです。四角錐のピラミッド型の構造物のようにみえるものが、南極大陸の写真に写っているのです。その写真は、自然の地形を写しただけにすぎないと主張する科学者も多くいますが、映像分析の専門家のジョセフ・ホワイト氏に見せた所、自然にできた地形ではないというのです。2013年3月にそのジョセフ・ホワイト氏は、シャクルトン山脈にそれと別のピラミッドらしきものがあることを発見しました。彼は、「衛星写真閲覧ソフトで南極大陸を見ているうちに、奇妙な構造物を見つけました。それは四角い建物のように見えました。しかも、その4つの底辺が、東西南北に正確に合わせているのです。自然にできた地形であれば、普通は左右対称にはなりません。直角や正三角形のような地形は自然には見られないのです。この構造物の底辺は4つともピッタリ2kmです。これまで発見されているピラミッドの中でも、南極大陸のものは、一番大きいのです。それは今まで何世紀もの間、誰にも気づかれなかったピラミッドが、近年の考古学調査によって発見されているのです」と言っています。

長くなったので、続きは次回にしましょう。

不思議な話 その231 能力を伸ばす教育(2)

モンテッソーリ教育法の中身についてです。シュタイナー教育法とともに、ある時代のニューエイジの人々の支持を集めて、世界中に教育施設があります。この教育法を受けた人々全てが成功するとまでは行かないでしょうが、有名人で幼少期にこの教育を受けた人が、少なからずいます。

グーグルの創始者、ラリー・ペイジ氏とセルゲイ・ブリン氏の親は大学の教授をしていたそうなのですが、子息にモンテッソーリ教育をしました。ページ氏は「決められたルールや学校秩序にとらわれずに、世界で今何が起こっているかを追求し、何か違うことをしてみようかなと、自分で意欲的に考えるトレーニングになったと思う。」と言っています。このモンテッソーリ教育モデルはグーグルの文化としても受け継がれているようで、20%ルールというのがそれだそうです。1週間(月~金)のうち1日は自分の仕事以外にも取り組もうというもので、モンテッソーリのように自発的に何かに取り組もうというものです。

アマゾンの創始者ジェフ・ベゾスも幼少時モンテッソーリ教育を受けました。「多くの努力は行き止まりになってしまうことが多いが、そんなことを繰り返していくうちに、いつか路地裏に迷い込みながらも、最後には大きな所にたどり着くものなのです。」と、彼は言っています。彼は、アマゾンの株式上場当時、10年後の会社の未来図を作り、自分が何をすべきかどうするか、明確なビジョンを持っていました

経済学者のピーター・ドラッカー氏も子供の時モンテッソーリ教育を受けていたそうです。彼はマネージメントの父と言われて多くの経営者が彼のマネージメントを学んでいます。彼はマネージメント理念に、人間関係を重視した組織作りをあげています。当然といえば当然の理論ですが、利益追求型経営には斬新に見えるのでしょう。組織、人間、会社を俯瞰的(ふかんてき)に見る事ができたのは、モンテッソーリ教育の影響なのでしょうか?それとも彼独自の才能なのでしょうか?

フェイスブック創始者のマーク・ザッカーバーグ氏も、モンテッソーリ教育を受けました。彼の活躍はフェイスブックだけにとどまりませんね。

ウィキペディア創始者のジミー・ウェールズ氏も幼少の時、モンテッソーリ教育を受けました。私もネットでウィキペディアのお世話になっていますが、ユーザーはウィキペディアにより、瞬時に多くの情報を見られる事ができるようになりました。世界中の人々が書き込める、最新の百科事典を誰でも、平等に閲覧することが出来ます。遠い昔は、知識は一部の特権階級のものでした。学ぶという点においては、インターネットは革命を起こしていると思います。

その他、イギリス王室のウィリアム王子とヘンリー王子もモンテッソーリ教育を受けています、保母をしていらした、故ダイアナ妃の支持した教育方法なのでしょうか?

ワシントン・ポスト経営者、でジャーナリストのキャサリン・グレアムもこの教育を受けたそうです。昔の方ですが、『アンネの日記』の作者アンネ・フランクもモンテッソーリ教育を受けました。

日本では日本モンテッソーリ協会が教員養成を行っているそうですが、欧米に比べて教育施設の数は少ないかもしれません。日本には1960年代に紹介されました。約50年の歴史です。欧米では公立学校でも、モンテッソーリプログラムが導入されていますが、日本では幼児教育だけで、確か小学校では、使ってはダメなのではないかと聞きました。海外ではたくさんのモンテッソーリ教育を行う「子供の家」があるので、受けた人の母数が大きいから、当然有名人も多く輩出するわけですね。

モンテッソーリ教育法は、目的として、「子供は、自らを成長・発達させるちからを持って生まれてくる。大人の親や教師は、その要求をくみとり自由を保障し、子供達の自発的な活動を援助する存在に徹しなければならない。モンテッソーリ教育では発達段階にある子供を援助し、自立していて、有能で、責任感と他人への思いやりがあり、生涯学び続ける姿勢を持った人間を育てること」(日本モンテッソーリ協会ホームページから引用。)「その目的を達成するために、創設者のマリア・モンテッソーリは子供を観察し、そこから得た知識に基づいて、教育法を構成し、独特の体系を持つ教具を開発しました。その教育法の正しさは、現代の大脳生理学、心理学、教育学などの面からも証明されています。」

「子供の家」では、自由の保障と、整えられた環境を目指しています。整えられた環境とは、次の4つの要素を満たすものだそうです。
1.子供が自分で自由に教具を選べる環境構成。
2.やってみたいなと思わせる、おもしろそうな教具。
3.社会性、協調性を促すための、3歳の幅を持つ異年齢混合クラス編成。
4.子供それぞれの発達段階に適した環境を整備し、子供の自己形成を援助する教師。
モンテッソーリ教育においては、教師は教える人でなく、子供を観察し、自主活動を援助する人的環境要素だそうです。

この教育方法では、感覚教育を重視します。「子供の家」ではいろとりどりの教具と呼ばれる木製玩具があります。モンテッソーリ教育では、教具の形、大きさ、色、手触り、重さ、材質にもこだわるそうです。教具を通して、暗記でなく、経験に基づいて、質量や数量の感覚を養うことと、教具を通しての表現の言語能力を養うそうです。感覚教具は、比較することを基本とした「対にする」「段階づける」「仲間分けする」の3つの操作法が組み込まれています。

モンテッソーリの言語教育は子供の言語発達について、「名称(名詞)を知ることから始まり、その性質に関する単語形容詞にうつり、物の関係を表す単語、動詞、助詞に及ぶと考えました。言語教育では、絵カード、文字カード、などそれぞれの発達段階に即した、教具を使い、話す、読む、書くの作業を通じて、語彙を豊かにすることを目指し、最終的には文法や文章構成へと進みます。

算数教育では、人間の精神の発達が、運動、感覚から抽象、という感覚的認識から、抽象的認識へ、具体から抽象へ、という経路をたどるといっています。モンテッソーリ教育法は、子供にこの経路をたどらせることによって、抽象的認識に至らせることを目標にしています。

以上、日本モンテッソーリ教育綜合研究所のホームページからの引用の要点でした。

日本ではこの教育方法が、比較的高額となること、中には過激なお受験の幼児教育にも使われているという、批判もありますが、基本理念としては、幼児教育の効果的な発達を促すものとして、極めて有効だと思います。小学校でも使用することができれば、教育の多様性という点でも役に立つと思います。一般的にもう少し普及するといいですね。

次回もテーマをさがしましょう。
プロフィール

観音寺りえ

Author:観音寺りえ
アトラス研究所の観音寺りえです。

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住所: 東京都文京区千石4-37-10 
TEL: 03-3942-1341
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