予言と透視 ーマヤの予言の島ー 後篇

 前回の続きです。前回の話に出てきたマヤのドレスデン絵文書は象形文字のような独特の文字で、いい日と悪い日が描いてありました。絵文書の最後のページに未来の姿が描かれていると話題になり、その暦が終わるのが2012年の12月21日なので、その日に何かがあるのではないかと、現代で、騒がれているのです。

 マヤの暦は20種くらいあり、短期暦、中期暦、長期暦とそれぞれ今の暦と同じように年や期間(周期)が改まる(新たになる)と考えられたのです。問題のドレスデン絵文書は、5000年周期の暦だそうです。

 ジム・ターナーさんという考古学者が14年間マヤに残された暦や絵文書や遺跡を研究して来ました。彼は、イースター島のモアイの研究もしているそうですが、数年前にイースター島に行く途中に海が荒れて、サン・フェルナンデス諸島のほぼ無人島の無名の島に緊急避難で上陸しました。その時に安全な高台に避難してテントを張りました。怪我もしていて、かなり長い期間滞在したそうですが、テントを張って野宿したところも、少しずつ移動したのかもしれません。天気が晴れて、テントからふと向こうの崖を見あげると20メートル前後の大きさでしょうか、マヤの神をあらわす石像とピューマが彫られているのを、彼は発見しました。

 彼のいた場所は南米のチリから3日くらいかかる島です。海が荒れるので、現在も夏の2か月間だけしかその島には立ち寄れないそうです。ベテランの漁師さんも、夏場でも海が荒れるし天候が不順なので、その島には近付かないそうです。マヤはご存じのように中米の今のメキシコのユカタン半島の東の端なので南米のチリまでは相当な距離があります。

 彼はその石像をもっと調べようと、冒険家の友人を誘って再び調査に行きました。その様子を撮影していたものを「アポカリプス・アイランド」という2時間番組でみました。見た方もいると思いますが、彼の発見をまとめると、彼が言うには、その石像は現代でこれから起こる2012年の太陽と金星の動きの変化と関係しているというのです。彼によると、マヤの400年暦はその暦のスタートから400年ずつ13回繰り返したというのです。その期間は約5200年ですね。5000年暦約1回分にあたりますね。その暦では日食が非常に大切なようです。
 
 699年と700年の間に日食が続けてあったそうです。古代のマヤの文明にもその事件は影響した事でしょう。彼が調べた400年暦では、紀元後41年に8回目の暦が終わり、オルメカ文明は彼らの都市を捨てたというのです。9回目の435年には王制を変え、10回目の830年にはやはり400年も栄えた都市を移っています。11回目の1224年にチェチェンイッツアを捨て、12回目の1619年にはスペイン人と戦ってまたは支配されて、マヤ文明は滅んでしまうわけですね。このように20種の暦にはそれぞれ終わりの時期がありますが、また、再生して繰り返されているともいえるのです。この400年の暦の節目では世界的に事件が起こる節目ではなかったようです。むしろ、災害があるというよりも、暦の通りに為政者が都市を移したりしていたのかもしれません。

 石像に話をもどしましょう。考古学者のジムさんによると、その石像は7世紀の終わりにマヤ文明の王国を支配したカンバラム王が作らせたのではないかということです。あれだけの大きさの石像をほるには、大きな船で100人単位の人数で行って、島に滞在して数年かかるのではないかと彼は推論しています。マヤ人は金星を非常に大切な星として、2012年の12月21日に、地球から見て、金星が見掛け上、太陽を横切る、日面通過が起こることを一大イベントであると考えたのではないでしょうか?同時にマヤにとって節目の日食が起こることを計算上知っていたのです。

 そして、彼が発見したことは、南半球でその日食と金星の日面通過が両方とも見られるのは、唯一石像のあるその島だけであると主張しています。マヤの宗教観では、王様が唯一天に昇って天国に行き、その他の一般の人々は皆地獄にいくと考えられたそうです。王様は特別な存在で、神の化身であるという考え方で、絶大な権力をもっていたのでしょう。カンバラム王は自分の威信を示す為にも計算上見つけた遠い島に自分たちの印をつけることを強行したのかもしれませんね。

 その番組を見てから数週間後に歴史上の人物や、遺物や遺跡の写真を持っていらして私に透視を依頼なさる方のテーマが偶然同じマヤのパレンケ遺跡についてでした。

 パレンケ遺跡は先ほどのカンバラム王のお父さんである、バレンケ王朝のパカル王の墓の石棺の絵として有名です。いわゆる石棺に描かれた宇宙飛行士?として有名ですね。1952年にメキシコのチアバス州で、メキシコ国立大学マヤ研究センターのアルベルト・ルース博士がバレンケ遺跡の「碑銘の神殿(ひめいのしんでん)」の地下で発見しました。石棺の中には宝石のヒスイの仮面をかぶり、装身具で飾られた男性の遺体が出て来ました。学者はこの遺体はバレンケ王朝のパカル王としていますが、パカル王は683年に80歳でなくなったとされています。遺体の男性の年齢が40~50歳代のものであったというのが謎でした。石棺のふたには、古代のマヤの神聖文字が描かれ、中央には奇妙な頭の飾りをつけた人物が小型のロケットか宇宙船のようなものを操縦している姿が描かれている。乗り物の後部には、現代になってから理解できるエンジン部と排気筒のようなものがあり、炎を噴射しているような図柄になっている。それはちょうど現代の小型の未来の飛行機か宇宙船に乗ったパイロットにしか見えないのです。この絵は第2の大きな謎です。

 この絵の写真を私が透視したところ、第1の謎、埋葬されている遺体の人はパカル王ではありませんでした。その男性は王の息子で、カンバラム王の実の兄弟です。おそらく双子か年子の年の近い兄で王位継承者だと思うのですが、事故に見せかけた何らかの理由による暗殺で、王がまだ生きている時になくなっているのです。エジプトでも王族等の身分の高い人が急死すると、生きている人の王族や貴族の墓が提供されることがあります。パカル王は暗殺の事を何らかの形で知っていて、世間に詮索されないように自分用の墓に葬ったのではないかと見えます。勿論愛情もあったので、豪華な墓になったのだと思います。死因は事故死ということにしたかもしれません。パカル王は別の所に葬られています。

 第2の謎宇宙船のように見える石棺のふたの彫り物の絵ですが、私の透視によるとこれを彫ったか、絵柄を設計した創作者の男性の姿が見えました。彼は小柄で浅黒くがっちりとした男性で、眉が太く短く、歯や白眼がとても白くてきれいです。彼は600年代にこの実物を見たのではなく、ある洞窟でもっと、もっと古代のマヤ古代文明の壁画を見て、伝説の通りの絵柄をここに彫ったのです。祖先が降りてきたという乗り物で、王(正確には未来に王になるはずだった人)が、神の国に帰れるようにこれを彫ったのでしょう。洞窟は発見されていません。ずっと見つからないか、いつか出てくるかもしれません。遠い古代のマヤ人が異文明に触れて描いたのです。

 次回は別の古代文明の予言に関する事です。 
 
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