不思議な話 その40 学者、南方熊楠の超能力

 秋が深まって松茸を初めキノコ類の美味しい季節となりました。今年はキノコの当たり年だそうで、国産松茸も豊作だそうです。夏が暑く秋が雨が多かったからでしょうか?キノコ狩りのかたは、毒キノコにご注意ください。松茸が赤松の特定の場所にしか生えないのも不思議なことですね。赤松のマネをしているのでしょうか。あの独特の香りは松の香りも影響しているのでしょうか?

 その他のきのこの生態にも不思議なことが多いと思います。きのこといえば、過去から現在までの日本で最もその生態に詳しくもっとも菌類を愛した学者、南方熊楠(ミナカタクマグス)について、再び書きましょう。彼は現代の学者では、まねの出来ない博物学者で、その専門は広く、第一が細菌学、粘菌学者です。民俗学者でもあり、同分野の第一人者柳田国男と交流がありました。植物学者、天文学(彼はインドの天文学についての論文をたしか『ネイチャー』という学会誌に載せました。)者、人類学者、考古学者、生物学者、その他の知識も豊富です。「歩く百科事典」と呼ばれました。

 彼は、江戸期の最後、明治元年の前年の1867年に和歌山市の金物商の家に6人兄弟の次男として生れました。アメリカとイギリスに留学して、外国語が10種類以上(英・仏・独・伊・露・ラテン・スペイン・ギリシャ・サンスクリット・中国)語に堪能だったようです。まさに語学でも天才ですね。賢い熊楠がたくさんの語学に触れられたのは、1886年19歳の時に2年前から入学していた大学予備門(現在の東大)を授業がつまらないからと、動物園、博物館、植物園通いで落第し、自分から退学して、「学問はアメリカの方が先をいっていると」反対する親を説き伏せ、留学します。

 熊楠はミシガン州の州立農学校に合格しますが、彼は大酒飲みで、ウィスキーを飲み過ぎて、寮の廊下で寝ていたところを、校長に見つかって、退学させられます。彼はひるむことなく、アメリカの山野に出かけ、植物採集をします。彼はここで、菌類、粘菌の魅力にとりつかれます。1891年24歳の時に、彼は温かいフロリダは新種の植物の宝庫だと聞かされ、顕微鏡などと護身用のピストルをもってフロリダに向かいました。彼はそのあと、なんとキーウェストからキューバに行きました。キューバの首都ハバナで公演中のサーカス団に加わり、ハイチ、ベネズエラ、ジャマイカ、と中米と南米の北を3カ月でめぐります。もちろん植物採集の為に・・・サーカス団で文盲の(字が書けないとか読めない団員の)為に手紙や団員のファンの返事のようなものを代筆する仕事によって、十数カ国語に堪能になったようです。彼に言葉を教えた人もきっといたのでしょう。ここまででもまるで映画の主人公のようですね。

 熊楠は1892年25歳の時、19歳から25歳までの6年間のアメリカ生活で、標本を充分集めたので、さらに研究をしようと英国のロンドンへ行きます。その年、彼の父親は病気で亡くなりました。

 1893年に26歳で、天文学会の懸賞論文に出した論文「極東の星座」がイギリスの科学雑誌『ネイチャー』に掲載され、彼は有名になります。その後も「ミツバチとジガバチ」の論文を発表し、生涯で51回も論文が載ります。

 大英博物館の図書部長は、彼の優秀さを知り、博物館の東洋調査部員になり、東洋関係の展示品の整理と目録の作成をします。彼は同時期にイギリスに亡命中の孫文と友人になります。彼は大英図書館で猛勉強をしました。十数カ国語を駆使して、世界中の図書、貴重な本、古書を手で書いて写して覚えたりもしました。

 熊楠は自らの超能力に関して、友人宮武省三と言う人に送った手紙でこう述べています。「小生は牛と同じ反芻胃で、物を食べれば、何度でも口に出すことが出来、これが大変うまい。(私の意見としてはこれは、少し気持ち悪い能力ですが)脳が異常に発達し、1人でありながら、2人、3人の働きを出来る超能力がある。このため、小生にうらまれて、死亡したり全滅したものもある。また、人の思うことがわかるなど、とにかく自分の脳はよほど変わっているので小生の死後は大学に売るか、寄贈して解剖し、学問上役立ててほしい」と彼は57歳の大正13年(1924年)3月29日に手紙を送っています。実際彼が1941年74歳で亡くなってから、脳は遺言通り解剖されて一部は保管されているそうです。彼は幽体離脱や幻覚もみていて、死後に脳を調べてもらったら、海馬が委縮していたということですが、直接幻覚の原因とは言えないと思います。むしろ、使い過ぎで年をとってから委縮が早かったのかもしれません。

 彼は超人的な暗記力の持ち主で、小学校入学時7歳の時に漢籍を読み、10歳で、日本の昔の百科事典といわれている『和漢三才図会』という持ち出しの禁止されている本を、写し取り5年で105巻81冊を本文から挿絵まで写し取ったといいます。すごい超能力と努力ですね。どんな人もマネできないと思います。

 彼は子供のころから勉強が好きでしたが、学校が嫌いでした。知能指数が高すぎて、学校の授業がさぞ退屈だったと思います。学校をさぼって植物を観察しに山へ入って2~3日出てこなかったので、友達が彼を「てんぎゃん」(天狗やん)と呼びました。12歳のとき『太平記』を古本屋で立ち読みし高かったので、子供には買えませんでした。そこで彼は3~5ページ立ち読みし、家に帰って暗記したものをノートに写し取り、半年で54巻すべてを写し取りました。ただの暗記力ではありませんね。常人の暗記力を超えた超能力です。

 この能力は日本語だけでなく、各国語でもそうだったのです。一度見たら文も絵も図形も脳に写真のように焼き付いて、いつでも記憶の引き出しからだしてこられるのでしょう。こんな能力は知恵遅れのサヴァン症候群に見られますが、彼は知恵遅れではなく、知能指数が高くてその能力があったのでしょう。彼は菌類や植物やキノコの発見でも、「新しい植物やキノコを発見するのは大変でしょう?」と誰かが彼に質問したら、キノコたちが自ら私に語りかけてくるので、何も大変なことはないよと答えたといいます。俗っぽい考えですが、熊楠に松茸を探してもらったら、莫大な数がとれたことでしょう。

 彼はもう二度と、日本では出てこない稀有な天才ではないでしょうか?

 長くなったので後半は次回に、また新しい不思議な話も見つけましょう。
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