不思議な話 その154 レイラインとボルテックス(2)

前回引用した「富士山レイラインの研究」によると、富士山の山頂から西に七面山と人穴神社(自然の洞窟があるらしいです。)、東に須走浅間神社を結ぶ直線のレイラインはかなり強烈なパワースポットのようです。七面山は法華経の聖地と言われ、多くの行者や参拝者が昔からいる霊山だそうです。春分の日と秋分の日は、七面山の敬慎院から見る、富士山山頂から昇る太陽を拝む人々がたくさんいるということです。

このように聖地が一直線に並ぶことは偶然ではなく、人工的なものは意図的に作られていると思います。世界中のレイラインは太陽の運行と重要な関連があります。巨石の配置ストーンサークルなども、太陽の季節ごとの動きを観測出来るように作られているものが多いです。作った人たちは太陽が命を育むものだということを知って観察したのでしょう。種まきの時期や刈り取りの時期を計算したのかもしれません。各星の運行などをともに観察して、占いをして、政治を決めたのかもしれません。文明の中心になる都を決めるときにも、レイラインやボルテックス、天の星の動き、太陽の動きから割り出した、パーワースポットのようなところに遷都したのかもしれません。

 レイラインになり得る条件は、太陽の動き、春分のコースや秋分のコースの方角、断層や地磁気や水脈の上、地図の上でのラインなどがあるそうです。富士山にある金運神社がパワースポットになっているそうです。

 前回挙げた富士山のレイラインと日本の古代神話との関係は、関連性がたくさんあるようです。夏至の日の出ラインの始点、九州の阿蘇山は、世界最大のカルデラで、古代神話の時代に噴火を繰り返していたそうです。神話では、天孫降臨の高天原があったという説や、邪馬台国があったという説などがあります。日本人のルーツはアジアのいろいろな地域から移り住んで混血していったらしいのですが、朝鮮半島から渡ってきた人々が、北九州に住んで、国をつくり、その枝分かれした人々が九州から東の関西地域に移住し、奈良付近に都を作ったかもしれないと言う人もいます。その人々の子孫が神話を作ったのかもしれませんね。神武天皇の系譜が何らかの理由(勢力争いで負けたとか・・・)阿蘇の土地を捨てて、高千穂を抜け、日向に移動したとすると、神話で、天孫降臨でニニギノミコトが高天原から日向の高千穂に降り立ったという話と一致するのでしょうか?ニニギノミコトより先に高天原を追放されたスサノオノミコトは出雲に降り立ち後のオオクニヌシノミコトの代までに、周辺の地域を服従させていきました。『出雲の国風土記』では先住民を土蜘蛛(つちぐも)とモンスターのような呼び方をしています。古代のヨーロッパのローマ人が北の方のゲルマン民族をバーバリアンと呼んだように、文明が進んでいたところから、より原始的な民族をみるとそういう呼び方になるのでしょうか?

 冬至、日没ラインの始点霧島は、荒々しい行いで、高天原を追放されたスサノオノミコトが出雲で勢力を伸ばすのを見て、アマテラスオオミカミは孫に当たるニニギノミコトを地上へ、降臨させることに決めました。その降り立った場所が、霧島付近の高千穂、で、霧島神社にはニニギノミコトを祭っています。この神話と関連があるのでしょうか?

 ニニギノミコトが鉾を逆さに突き刺した「あまの逆鉾」は霧島の高千穂峰だそうです。降臨の際お供をしたのは、オモイカネノカミ、道案内をしたのが、猿田彦の神(道祖神)です。征服した一族が土地を支配し、土着のものと交配し、時間をかけて仲間が住みつき、過去の土地の呼び名や記憶を新しい地名に変えて大和(奈良)に向かっていったのかもしれません。いろいろな地域に残る神話の「風土記」はその証拠なのかもしれませんね。

 ニニギノミコトは山の神であるオオヤマツミ(大山祇神社)の娘コノハナサクヤヒメ(浅間神社)と結婚し、ウミヒコ(鹿児島神社)ヤマヒコ、ホスセリの3人の皇子が生まれます。ヤマヒコが皇位を継ぎ、その孫が神武天皇にあたるのでしょうか?神武天皇は霧島近くの日向から東を攻め、東征します。海に出た神武天皇は、宇佐などの北九州から瀬戸内海を通って、大阪についたが、土着の豪族の勢力が強く、大阪に敗れて、紀伊半島のうらの熊野に上陸し、大和(奈良)にたどりついたコースを辿ったのかもしれません。熊野の有力豪族の抵抗を受けながら、熊野の古い土着の神々を廃し、神道を広めていきます。そこに神社を作ることは、重要だったのかもしれません。神武天皇は三本足のヤタカラスの導きで吉野に入り、熊野を光に対する闇の国と名づけます。

 出雲は、神話上、熊野と同じく、死に通じる根の国とされました。スサノオノミコトの系譜のオオクニヌシノミコトは出雲を平定したのにその利益を享受しないで、アマツカミに追い出され、死者の国に隠遁します。オオクニヌシノミコトの家来の神々も追い出され、大和朝廷の出雲支配の神話になりました。その時オオクニヌシ一派を脅したのが、タケミカズチノオノカミ(鹿島神社)とフツヌシノカミ(香取神社)で脅された被害者がオオクニヌシノミコトとその子タケミナカタノカミと兄弟のコトシロヌシノカミで、オオクニヌシのミコトは隠遁して、出雲大社や氷川神社にまつられました。タケミナカタノカミは力比べに負けて、諏訪へ逃れます。(諏訪大社)

 コトシロヌシノカミは三島に逃げて三島神社にまつられます。伊勢神宮は全国の神社の中心になります。大和から見て最初に太陽が昇る五十鈴川の上流に日神の宮を建てました。神武天皇の后は五十鈴姫という名前なので関連性があるかもしれません。

大和朝廷成立後、伝説ではヤマトタケルが日本各地の平定に出かけます。ヤマトタケルは伊吹山の神と戦い命を落としたということになっています。神話上の神や「古事記」や「日本書紀」の天皇がどこまで、実在でどこまで架空の人物なのか見分けるのは難しいですが、神社に祭られている神はそれぞれ過去の事跡と関連性があるものが多いのかもしれません。


ヤマトタケルは一人の人物がモデルだったのではないかもしれません。しかし、古代に文明の進んだところから、縄文から住み着いている土着の人々を征服した歴史があったのでしょうか?熊襲(くまそ)と呼ばれた九州南部の人々と東北地方や北海道に追いやられた人々は、これらの神話と違う系譜をついでいたのかもしれません。遺伝的にも、九州と東北や北海道、沖縄、四国南部の人々は近いようです。前にも書いたお酒に強い人々と弱い人々の分類は、混血をしていても連綿と受け継がれているのでしょうか?お酒に強い人は、沖縄、九州、東北、北海道、四国に多く分布していますね。それらの人々の神話や伝説は、ケルトの人々の伝説と同じように過去に葬り去られたのかもしれません。

 次回にまとめをして、新しいテーマで書きましょう。
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観音寺りえ

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